王と客人の顛末
御客人よ、いかがであったか、我が国の一年の動きは?
え? 今すぐ悪魔を捨てて、主とやらを拝めとな?
何を言い出すかと思えば、バカバカしい。古き良き伝統を残すのが王たる者の務めだと言ったではないか。ああ、新参の神としてなら、神々の列に加えることもできるぞ。
よし、折角だ。汝らの神も我らの神の一柱として迎え入れよう。
早速、神に関する逸話を考えねばな!
よし、この新たなる神“イエス”は歌と踊りの神としよう。
『天地創造の時代、イエスは何をするにも陰気で笑ったことのない神であった。そこで他の神々はあの手この手でイエスを元気づけ、ついに笑わせることができた。こうして世界は明るくなり、イエスは歌を歌い、踊るようになった。この時から、地上世界に歌と踊りの概念が生まれ、イエスの歌と踊りは世界を照らし、世を明るくしていった』
うむ、よし。即興だが、よい逸話ができたと自分に感心する。さすが、モンちゃん、天才だね。
御客人よ、これでめでたくあなた方の神も、我らと共に歩むこととなった。記念すべき日を祝うため、イエスに生贄を捧げようではないか!
え、いらない? というか、生贄の儀式が野蛮すぎるだと?
まあ、我が国の伝統と言うが、実際のところ、どうして生贄の儀式が始まったのかはよく分からんのだ。さほど意味を感じてないのが正直なところだ。昔から続いているから続けている。
止めたら追放とかされるし。
なんでもその昔、世界は原始の海で満たされ、そこには根源の女神トラルテクトリが存在していた。女神はただ原始の海を漂うだけであったと伝わっている。
そこへ毎度のごとくケンカしているケツァルコアトルとテスカトリポカがやって来て、争いに巻き込まれたトラルテクトリの体は三つに裂かれ、それぞれが、天上世界、地上世界、地下世界になっていったのだ。
しかし、トラルテクトリは体を裂かれた程度では死ぬことはなかった。まあ、痛いことは痛いらしく、時折大地を揺さぶって、地震や噴火で地上世界をメチャクチャにしてしまうのだ。
そのための鎮痛剤として、トラルテクトリの好物である人間の血と心臓を捧げている、というのが現在伝わっている神話からの儀式の話だ。
別の話だと、こういうのもあるぞ。
ある時、太陽が四百人の人間に弓を与え、獲物を捕ってくるように命じた。しかし、その四百人は一向に獲物を献じようとはしなかった。怒った太陽はより強力な武器を別の五人に与え、その四百人を皆殺しにするように命じた。
そして、五人は四百人を殺し尽くし、その心臓を太陽に捧げたのだ。その五人の子孫こそ、我がアステカの民であり、太陽の恵みに感謝して、今日も生贄を捧げているのだ。
これが生贄の儀式を続けている理由なのだ。ご理解いただけたかね?
むむ、生贄の儀式が野蛮そのものとな? 地獄とやらへ落ちるだと?
何を言っているのかね、君は。人は死後、名誉ある死を迎えた者は太陽に導かれ、天上世界に旅立つ。それ以外の者は地下世界ミクトランへと行くこととなる。
ミクトランは英雄などの例外を除けば、あらゆる生命体の終着点だ。楽園ではないが、地獄とやらにある責め苦や労役などもない平穏なる世界だ。
“死”は恐れるに値せず。行きつく先は違えど、死とは安らかなる眠りだ。地獄などという、おかしな世界など、ここには存在しない。
ああ、そういうことか。悔い改めよとか言いながら、地獄とやらで恐怖を煽り立て、信者から収穫物や命を掠め取るのが、君たちのやり口というわけだな!
かつて東の海へと追放された王は、自らをケツァルコアトルの化身だと名乗っていた。ケツァルコアトルは生贄を必要としない神であり、君もまた生贄を否定した。
神の使いかと思ったが、どうやら私の勘違いであったようだな。
君は“地獄”などという恐怖を煽る幻想の世界を作り出し、人々に破壊と混乱をもたらす者と認識したぞ。早々に立ち去るがよい!
ああ、最後に名前を聞いておこうか。ふむ、コルテス、それが君の名か。
では、コルテスよ、二度と私の前に姿を現すでないぞ! 囚われの身とならば、生贄として名誉ある死をくれてやるから、そうならないように君らの国へと帰るがいい!
・・・よし、帰ったな。まったく、神々に対して敬意を払うどころか、冒涜までしていくとは嘆かわしいかぎりよ。
ん? 表の方がなんだか騒がしいな。なんだなんだ?
て、うわぁぁぁ! 神々の像が全部ぶっ壊されておるではないか!
なに? あの異邦人が全部叩き壊していっただと?
ええい、なんという野蛮人だ! 今に天罰が下るぞ。
今度出会ったら、神々の怒りを鎮めるために、首を捧げねばならんな。やれやれ、心穏やかに過ごせる日が来るのはいつになるやら、モンちゃん、大忙しになっちゃいそうだよ。
助けて、神様!
って、全部潰されたんだっけ。なんてこった。




