一月は“水が止まる”
我が国における神話においては、世界は絶えず創造と破壊を繰り返しており、今の世界より以前にも別の世界が存在していた。その世界毎に神が太陽の化身として君臨しているのだ。
ちなみに、現在我らが存在するこの世界は、“五番目の太陽の世界”である。
つまりは、それ以前に、世界は四度の創造と破壊を繰り広げているというわけだ。
では、早速だが一年の初め、一月の祭事についてお話ししよう。
一月は乾いた日が多く、水が不足しがちになるのだ。ゆえに、雨期の到来を願う祭事が執り行われる。
そして、神に捧げる生贄は“子供”である。渦巻く雲を連想させる、頭頂の旋毛が二つある者が望ましい。
子供は男女両方が用意され、青い染料で全身を染め上げた後、宝石で着飾り、神に見立てた姿をとる。
男児は天なる雨を司る神トラロックに、女児は地表の水を司るチャルチウィクトリクエに捧げられる。
先程述べたが、世界は以前にも存在し、トラロックは“三番目の太陽の世界”の支配者であり、チャルチウィクトリクエは“四番目の太陽の世界”の支配者だ。
トラロックの世界は炎によって焼き尽くされ、チャルチウィクトリクエの世界はその世界の愚かな人類を滅ぼすべく自ら洪水を起こして世界を滅ぼした。
ちなみに、トラロックとチャルチウィクトリクエは夫婦神でもあり、この二人の夫婦喧嘩で“四番目の太陽の世界”が滅んだとも伝わっておるぞ。
まったくもって怖い話である。夫婦喧嘩、あるいは愚かな人々を滅するために世界そのものを滅ぼすなど、身震いしてくるものだろう?
まあ、どちらの神も重要であるし、大切には扱っておるぞ。なにしろ、雨がなくては実りがないゆえ、雨をもたらすトラロックは恵みをもたらす者であり、チャルチウィクトリクエは大変子供好きな神で、これに祈れば子宝に恵まれるのだからな。
恵みもあれば災厄ももたらす。“水”とは気難しいものなのだよ。
ほう、旅人よ、おぬしの国の神話でもそのような世界を滅ぼす洪水の話があるというのか。なるほど、神の教えに従う正しき一家のみ船を作らせ、それ以外の世界すべてを洪水にて洗い流したというのか。
ふむふむ、なかなかに興味深い。
おっと、話がわき道にそれてしまったな。続けよう。
二柱に捧げられた子供がたくさん涙を流すほどに雨の恵みがもたらされる。神に見立てた子供の涙雨、すなわち天からの恵みであるからな。
おっと、そうそう。神事として、闘技大会も開かれるのだ。我が国の戦士と奴隷や捕虜を武装させて、互いに戦わせるのだ。戦士の猛る魂と血飛沫こそ、最上の供物であるからな。
ん? 戦士が死ぬかもしれないがよいのかと?
おお、それなら問題ない。対戦相手の奴隷や捕虜には足かせと着けたり、あるいは人数を多勢に無勢という感じにしておいたりと、絶対負けない八百長試合で組まれているからな。戦いて死を迎えし者は神の御許へ導かれるし、むしろ功徳というものだ。これまで死んだ奴隷も捕虜も感謝していることだろうて。
まあ、神事と言えど、戦士を失うわけにはいかぬから、八百長くらいはする。戦士を失っては、次の捕虜を望めぬゆえな。次を捕らえて来てもらわねばならん。
フフッ、私は民草を愛しておるからな。その血が流れるのは好まぬ。血を流すのは、奴隷や捕虜なんぞで十分であろう!
ワッハッハッハッ! 実に愉快な祭典であろう♪ モンちゃんも大好きだ!