十月は“実が落ちる”
さあ、一年で最も猛り狂う戦士の季節、十月がやって来た。命を燃やすこの季節、モンちゃん、ますます滾ってきましたわ。
十月の祭事における主役は火神シウテクトリだ。
早速、祭事について話そう。まず、戦士達は大木を切り倒し、それを神殿まで運び込む。枝を払って巨大な丸太にすると、トウモロコシの粉を練った物を張り付け、さらに鳥の羽を刺していき、鳥っぽい姿に加工するのだ。
これを十月の間は御神体として飾っておき、月末まではそのままにしておく。
そして、月末になると戦士達が再び集結し、“どこかで”手に入れた奴隷を連れて神殿に集結する。自らの武功を高らかに歌い上げ、宴を楽しむ。そのシメはもちろん生贄を神に奉納する。
御神体を模した大木の丸太に火を点け、燃え上がったところで奴隷を火の中に投げ込むのだ。
この際注意しなくてはならないのは、丸焦げにしてはならないということ。炭になった心臓なんぞ、神への供物にはならないからな。
だから、戦士は火の近くで奴隷の焼き加減を見て、程々に火が通った所でそれを取り出さなくてはならない。面倒だが、炭にならないようにするやむを得ない措置だ。
そして、生焼けの奴隷から心臓を抉り出し、火の力を宿した心臓をシウテクトリに捧げるのだ。
だが、これで儀式は終わりではない。最後の余興が残っておる。
合図と共に戦士達が一斉に走り出し、焼け残った丸太に向かって駆け出す。そして、その最上部に早く辿り着いた者を戦士の中の戦士として認めるのだ。
最初に天辺に触れた者には嘴を、次に触れた者には翼を、次に触れた者には尾羽を手にすることになっておる。これを持つ者は誉れである。選ばれし勇者として皆が彼らを讃えるのだ。
そして、残った部位はその他の戦士で分けられていき、各家庭に記念品として持ち帰る。祭りの余韻として風情のあることだろう?
そうだ。物のついでに、シウテクトリの重要な祭事について話しておこう。十月の祭事以外にも、シウテクトリには重要な儀式があるのだ。
一年が三百六十五日の太陽暦を用いていると言ったが、これとは別に祭祀暦という別の暦も我が国では用いている。一から十三までの数字と、動物や自然現象などを模した記号を掛け合わせて、その日その日の吉凶を占っておるのだ。ゆえに、その祭祀暦においては、一年は二百六十日となる。
そして、ニ百六十日と三百六十五日、祭祀暦と太陽暦の交わる日、すなわち両者の最小公倍数である一万八千九百八十日、まあ、五十二年に一度訪れるその日は、“世界が終わる日”なのだ。
終わるというのはいささか大袈裟だが、まあ、更新すると言った方が適切か。とにかく、その日を境に世界は新しく生まれ変わるといこうとだ。新しい世界には古い道具を持ち込めないのですべて破棄し、禁欲を以て人々は身を清め、その瞬間を持つ。
この際、国中の火を消しておかねばならない。古き火は災厄を呼び起こすので、世界が更新される前には消しておかねばならない。
そして、用意された祭壇の上で、選び抜かれた生贄から心臓が抉り取られる。その心臓を抜いてポッカリ空いた胸の穴に油で満たし、見事に火が灯れば儀式が完了だ。
だが、これに失敗すると世界は更新されずに、そのまま終焉を迎える。なぜなら、神聖なる火がなければ、邪悪なる魔物を呼び寄せることになるからだ。
その魔物はツィツィミメと呼ばれ、世界を照らす聖なる光を嫌い、世界の源である太陽を攻撃する恐るべき魔物だ。時折、“日を食べて”世界に陰りをもたらし、光を奪うほどに恐ろしい存在だ。
儀式に失敗すると、そんな奴がやって来て暴れまわるのだから、慎重に儀式を進めねばならない。
そして、儀式が滞りなく進み、火が灯ると、世界の更新が完了となるわけだ。
あとは灯る火を各家庭に届けられ、国中で新たなる世界の到来を歓迎する。そして、シウテクトリに感謝を込めて、届けられた火に自らの血液を注ぎ、その神威を讃えるのだ。
もっとも、五十二年に一度の祭事であるから、滅多にお目にかかれないがな!




