【5】空が青いのは私のせいじゃない
助けを求める声に駆けつけるプリキュアが好きだった。
可憐に変身するプリキュアが好きだった。
苦戦しても力を合わせて敵を倒すプリキュアが好きだった。
要するに、プリキュアに憧れていた。
そんな私が親の反対を押し切ってプリキュア養成所に通うことになったのは、今にして思えば必然だったのかもしれない。
養成所代は全て自分で稼いで払い、本当に誇張無しで死に物狂いで頑張った私はなんとか養成所を卒業した。
そして私は都心から離れた小さな諸島で働くことになった。
けれども私はそこで、今まで思い描いていたプリキュアとしての生活は、実と乖離したおとぎ話のような存在なのだと痛感した。
「普段はこのタスキをコスチュームの上に掛けてもらいます」
40歳くらいの役所のおじさんに渡されたタスキには『プリキュア巡回中』と明るい雰囲気で書かれていた。
その時は少し違和感を感じるくらいだったが、他のプリキュアたちと交流する中でなんとなく現実が見えてきた。
私の他には二人プリキュアがいて、その両方が私よりも先にここで働いていた。
島の中をゆっくりとパトロールする最中、彼女たちは色々と教えてくれた。
「ここでの生活はけっこう楽だよ」
ダウナー気味なのはヨルちゃんという女の子で、コスチュームも髪の色も黒色だった。
ジト目だけど色々と教えてくれるから、なんだかんだ言って優しくて好きだ。
「僕たちはここの人たちにとってただのご当地アイドルなんだ、戦わないで適当に生きればいいんだよ」
ヨルちゃんが言っていることは正しかった。なぜなら基本的に敵キャラはプロキュアのもとに出現するからだ。
プロキュアという言葉は私たちプリキュアとその候補生の中で使われている俗語のようなもので、一年に一組ずつ選ばれるプリキュアの象徴的なグループのことだ。
彼女たちの生活はプライベートも含め全てがカメラに収められており、昨今ではプライバシーの権利云々で問題にはなっている。だがそのことも含めて彼女たちは真のプリキュアであるため、補佐的な役割のマスコットキャラを同行させること、緊急時に許可なく変身できること、その他諸々有り体に言えばプリキュアらしく生活することが認められている。
「わたし達もお仕事がんばってプロキュアに選ばれたいのですよ~」
私とヨルちゃんが話をしていると、横から朗らかな声が聞こえる。
このおっとりとした口調なのが朝比さん。黄色担当で、髪はカール、いつも聖母のような笑顔をしている。
「でも朝比さん、敵キャラをたくさん倒さないとプロキュアには選ばれないんじゃないの?
この小さい島になんて、敵キャラはなかなか来ないよ」
ヨルちゃんがそう言うと、朝比さんはにっこりとして答えた。
「悪を成敗することだけがプリキュアの仕事じゃないんですよ~、わたし達はみんなを癒すのが仕事なんです~。
たとえそれがどんな方法であれです~」
そんな感じでダラダラと話をしていたら私の一日は大体が終わる。
そんな簡単な仕事だからか、いくらプリキュアといえど給料はあまり高くはない。
だから島の端の方にある安いアパートを私は借りていて、そこに一人で帰る。
プリキュアは基本的に正体が誰にもバレてはいけない。だから私はあまり人と関わらないようにしている。
島名物だという玉ねぎをふんだんに使ったドレッシングをサラダにかけ、シャクシャクと音を立てながらお笑い番組を見る。
「...何やってんだろ、私」
プリキュアに定年は存在しないから理論上は何歳まででもこの仕事は続けられる。けれど、ほとんどのプリキュアは高校を卒業するころには辞職している。
プロキュアになれれば辞めた後もたまに仕事依頼が来るらしいが、それに希望を持つのはあまりにも幸が薄い。
手段が目的にいつの間にか入れ替わっているのはよくあることだ。そしてその原因として最も大きいものは実力不足、それに尽きる。
そしてこんなことを考えている自分がいること、それもまた手段を目的に変える大きな要因であることは、隠しようのない事実だ。
そんなことを考えているうちに、サラダが無くなっていた。
明日は久しぶりの休日だ。ゆっくりとしよう。
次の日は、気持ちのいい快晴だった。こっちに来てから働きづめだったから、折角の自然豊かな諸島をぶらりと歩こうかと考えた。
財布などの必需品と念のための変身ステッキを持ち、私は外に出た。
いつもパトロールで周っているルートをぶらりと歩く。
この島を囲っている太陽光を反射した海は、水平線まで続くパレットの上に天色と白百合色の絵の具を丁寧に置いたような美しさを発していた。
普段はこの美しさに気付けずにいた。でもそれは仕方がないのかもしれない。
きっと私がこの奥ゆかしさに気付けずにいた理由は、プリキュアとしての責務を全うする義務があったからだ。
義務という呪文は、大概の場合は人を惑わす。義務によって得るべき結果までの過程を、当人からこっそりと隠してしまうのだ。
これは徒競走に似ている。よーいドンでスタートして、ゴールまでみんなひた走る。途中で石に気付かずにコケる人だっている。
そしてゴールしてからレースの映像を思い出そうとしても、自分では何も思い出せない。
それでも疑問に思わずにはいられない、この義務は一体どこからやってくる義務なのだろうか。
私はただ、誰かに私の人生を一行でまとめて欲しかっただけなのだろうか。
波の音に耳を傾けながら歩いていると、不意に前方で人の声が聞こえ始めた。
最初は観光団体が騒いでいるのかなと思ったけど、音が近づくにつれその声に怒気や恐怖が含まれているらしいことに気付き始めた。
妙な胸騒ぎがした。
私はその妙な胸騒ぎに駆られ、急いで走った。
そしてそこには、私の人生最大とも思える困難が待ち受けていた。
そこは島一番の観光スポットだった。浜辺に建てられた開放型のレストランと、それに隣接するリゾートホテルだった。
けれど、これから先数か月はそこで食べることも泊まることも出来ないだろう。
その二つの施設は、ある一匹の大きな怪物に壊されていた。
少し大きめのマンションくらいの大きさの怪物は、恐ろしい姿をしていた。
全身は呉須色で、手には三叉槍を構えている。魚人のような出で立ちに反して顔は恐ろしいほど整っており、そのギャップが恐ろしさを助長していた。
私はすぐさま電話をかける。2コール目で彼女は出てくれた。
「ごめんヨルちゃん、敵が出たから急いで来てくれない?」
今はヨルちゃんと朝比さんの二人がパトロールをしているはずだ。
「うん、うん、分かった。すぐ行く」
幸いすぐ近くを巡回していたようで、数分後には到着できるらしい。
「でも、僕たちが来るまで絶対に変身はしないでね」
そう言って、ヨルちゃんは電話を切った。
ヨルちゃんの忠告には理由があった。プリキュアの最重要ルールとして『自分がプリキュアだとバレないこと』と『許可なく変身しないこと』がある。
この二つを破ることはプリキュアとしての終わりを示していた。
また、敵はおそらくとても強い。私一人の力では変身しても勝てない可能性がある。
どのみち、私が変身するメリットは無かった。
私に出来ることと言えば、せいぜい避難を促すくらいだった。
覚悟を決めて悲惨な現場へと向かう。
怪人のせいでそこは阿鼻叫喚だった。職場を失って呆然とするシェフ、親とはぐれて泣いている子ども、誰かに電話しながら頭を掻きむしる女性、全てに心を痛めそうだった。
「落ち着いてこちらに移動してくだ...」
だが、避難催促を言いかけている途中でたまたま見つけてしまった。
私の目線の先、今もなお怪物が三叉槍を振り回す先に一人の少女がいた。
他にも何人も子どもがいたが、その中でも彼女に目が留まった理由は単純だった。
彼女はプロキュアの人形を大事そうに抱えていたのだ。
「...」
思わず足が止まってしまった。
何を考えているの?
自問する。
私がしちゃいけないこと。
自答する。
今さっき一人ごちたはずだ。私はプリキュアとしての最良な行いをする義務がある。
だけど、それは本当に正しいことだろうか。
その義務は、プリキュアであるという理由は、どこから来たのだろうか。
そこまで考えた私は、足を動かし始めた。
怪物は近くで見ると、さらにすさまじい迫力があった。
けれど、不思議と怖くない。右手に持った変身スティックのおかげだろうか。
みんなが背を向けている中で私だけが立ち向かっている異様さに気付いたのだろうか、怪物がこちらを向いた。
「お前がプリキュアか」
底冷えした声で怪物が私に問いかけてきた。
「今はそうです、海に帰ってくれませんか」
私は答えた。これで規則を一つ破ってしまった。
「お前たちが何人いようと関係ない」
怪物が静かに言って三叉槍を構えた。
どうやら話し合いは出来そうにない。私は変身スティックを力強く握りしめた。
一瞬の緊迫。
近くに来て確信したが、私は絶対にこの怪物に勝てない。
島のプリキュア三人でも勝てるかどうか、それくらい強い。
だから勝負は一瞬でついた。
いや正確に言えば、戦いは一瞬で終わった。
私はプリキュアに純粋に憧れた少女であった。憧れは理解から最も遠い感情というように、正直言うと自分はプロキュアにはなれないんだろうなと薄々感じながらもここまでやってきた。
そんな私だから疑問に思えたのかもしれない。
怪物がわずかに動いた瞬間、私は『変身』をした。
怪物の表情が歪んだ、なぜなら怪物は私を攻撃できていないからだ。
プロキュアたちの変身中、敵キャラに攻撃されたシーンを私は観たことが無かった。
「お前...」
怪物が何かを言いかける。私はすかさず怪物の三叉槍を握る。
怪物はさらに困惑した。けれど、その困惑はすぐさま驚愕へと変わった。
プロキュアたちが変身したとき、その身に着けていたものがどこへ行くのかずっと不思議だった。
そうして、戦いは終わった。
そのあと私は、駆けつけたヨルちゃん達と一緒に、その場にいた人たちを安全なところへ避難させた。その間、彼女たちは何も言わなかった。
怪物は戦力が集まった万全の状態で処理した。人間に対する恨みつらみを終始叫び続けていたが、よくあることらしい。
規約を二つ破った私は予想通りプリキュアでは無くなったが、今までの実績から記憶消去は一部だけに留められた。
島の役所で一時間ほどの手続きをし、私は一般人になった。
役所の自動ドアが開く。その先にはどこかで見たことのある女の子二人がいた。
「あそこでとめてくれなかったら、沢山の人が死んでいたと思うよ」
全体的に黒っぽい少女がそういった。
「ありがとうです~」
おっとりとした女の子が涙声でそう言って、私を優しく抱きしめた。
少し困惑したが、悪意を感じなかったから振りほどけなかった。
しばらくそうしていたが、やがて離してくれた。
私は美しい海岸線を歩き始めた。
後ろでは、泣いている黒っぽい少女を黄色っぽい少女が慰めている。
私はゆっくりと歩く。丁寧に、丁寧に。どこまでも続く青い空を眺めながら。