【2】言葉狩り
おや、見ない顔ですね。もしかしてここに来るのは初めてですか?
そうですか。ではきっと『言葉狩り』という名前に興味を持ってか、もしくは持たなくてかのどちらかで訪れたんですね。なんで変な顔をしているんですか?
ここは良いところですよ、きっと気に入りますよ。さあ入って入って。
どうです?広いでしょう。天界の施設の中でもここは最大級に広いですよ。
なんてったって、雲の上から下界すべてを覗けるんですからね。
最初にここを訪れた時の感動は今でも鮮明に思い出せますよ、確かええと...
ん?そんなのはどうでもいい?それは失礼しました。
ではさっそく言葉狩りをしましょうか。
と言っても説明するのは少し難しくて、そうですね、そこの小学校を使いましょう。
子どもたちが国語の授業を受けていますね、かわいいですね。
え?子どもは利己的な生物だから嫌いだって?そこも含めてかわいいじゃないですか。
それは置いておきましょう。ほらあの子、見えますか?教科書を段落読みしていますね。
ちょうど『スイミー』の良いところです、僕はスイミーのあの言葉が好きだなぁ。
書いたのは外国の方なんですけどね、なんというか自己犠牲とも少し違う日本人的な美しさを感じるんですよ。
話が脱線してしまいましたね。少し気の毒ですが彼から言葉狩りをすることにしましょう。ほら、耳をすませてください。
「みんなが、 一ぴきの 大きな 魚みたいに およげるように なったとき、 スイミーは 言った。『ぼ…』えっと…」
いま言い淀みましたね、周りの友達はきっと今『僕っていう漢字も読めないのか』って小馬鹿にしているはずです。可哀想なことをしました。
え?私の手元にあるのはまさかだって?話が早くて助かります。これが先程彼から頂いた言葉です。
なんとなく分かっていただけましたか?
天界での生活はとても暇なので、私たちはこうやって様々な言葉を拾い集めてるんですよ。見ますか?私のコレクション。
あ、結構。そうですか。
ここの仕組みを理解されたと思うので、どうです?なにか集めたい言葉とかありますか?
なんですって?優しい言葉?なるほど、あなたは少し寂しい人なんですね。
そんなに怒らないでくださいよ、そういった言葉は結構人気なんです。
ですが、今の時期となると探すのは少し骨が折れそうですね。
なんでかって?
優しい言葉に限った話じゃないんですけどね、不景気になると相手を思いやる言葉が少なくなるんです。とくに「ごめんなさい」や「ありがとう」、これらはほとんど見なくなりますね。
じゃあオススメの言葉は何かあるかって?そうですね...。
言葉ってわけではなく、オススメの人種とかでいいならいますよ。
何かって?よくぞ聞いてくれました。餅は餅屋、小説家です。
私は生前から本の虫だったんですけどね、こっちに来てからも驚きますよ。
平手打ちされるのに近いですかね、素晴らしい一文を読んだ時の心情は。パチンと衝撃が脳に走り、その事実を飲み込むのと同時に熱を伴ったどこか心地いい痛みがジンジンと迫ってくるような感覚。きっと私はマゾなんですよね、そんな才能にどこか嫉妬しながらも止められないんです。
話が逸れましたね、どうです?あなたも天国に来たんですから、それなりの善人だったんでしょう?多少の利己的な行いは許されますよ。
といっても、当然ながら限度はありますよ。
小説家にとって文字を書くことは生きることと同義です。気に入ったからって無闇やたらに言葉を奪ってはいけませんよ。
私たちの欲の皺寄せは彼らに行きます。ほら、売れた小説家の次の作品って大概がつまらないじゃないですか。あれは非常に言いにくいんですが、私たちのせいなんです。下界の人々には本当に申し訳ないです。
ただ一人だけ言葉を奪ってないという掟ができた漫画家がいるんですけどね、彼はもう数年間漫画を描いていませんね。暗黒大陸に取材にでも行っているのでしょうか。
兎に角、必要以上に言葉を狩ってはいけませんよ。
...。
そんな気まずそうな顔をしてどうしたのかって?あなたって意外に鋭いんですね。
その、誰にも言わないでくれますか?私のした過ちを。
あなたは無口ですし、口が堅そうだ。わたしも自分の罪を吐露したい。利害の一致です。
単刀直入に言いましょう。私は人を殺したことがあります。
いいえ、生きていたころの話ではありません。こっちに来てから、それもごく最近のことです。
呪いとかそういった権限は持っていませんよ。ただのしがない死者ですから。
ではどうやって殺したのかって?さっき言いましたよね、小説家にとって文字を書くことは生きることだと。そうです。
私が殺してしまった彼が出版した本はたったの一冊でした。そしてその本も全く売れませんでした。時は金なり、腐るほどの時間がある人間でないと手に取ることは無いような題名と表紙です、出版社も正直期待していなかったのではないでしょうか。
無限ゆえに無料の時間を持っていた私は、彼の本を手に取りました。
言ってしまえば、売れない三文小説。10人が読めば9人は途中で読むのを止めるでしょう。
でも、暖かかったんです。彼の人生を感じました。どこか悲観的で消極的で味気のない内容でしたが、その一文一文に朗らかさを感じました。そこには希望がありました。夢中になって読むなんてことはありません、途中で何度も中断しました。けれどしばらく経つと、何故かまた読みたくなるんです。
どうしたんですか?なんだか驚いたような顔をしていますね。構わず続けろ?分かりました。
小説と言うのはですね、いやこれは完全な個人の意見なんですが、その人の生き様なんですよ。様々な経験を通してそれがその人の人生に刷り込まれ、そこからにじみ出てきたものを文字としてすくう、それが小説なんです。
彼の文章には、彼の人としての美しさが感じられました。厳しい環境でも咲こうとする花のような芯の強さを感じられました。
それで、奪ってしまったんです。彼が思いつく多くの文章を。
きっと彼は酷く困惑したことでしょう。何か文章が頭に浮かぶと同時にそれが度忘れしたかのようにスッと消えていくんです。それが数年ほど続きました。
そして、ええそうです。彼は先日、自殺しました。
天界での生活は凄く暇なので、こうやって言葉狩りを利用できるのは非常にありがたいことです。もし私が彼を間接的とは言え殺してしまったことがバレてしまえば、私はここを利用できなくなることでしょう。最悪の場合、地獄に落ちてしまうかもしれません。
だから他言無用でお願いしま...どうしました?もしかして泣いていますか?
その小説はどれくらい良かったのかって?それはもう...そうだ、良かったらお教えしましょうか?彼の良さを。
お、良かった。やっぱりあなたとは仲良くできそうな気がしていましたよ。
ではあちらの腰掛けまで行きましょうか、ゆっくりでいいです。時間は沢山あるんですから。