志登美(四十三年)の春
高校野球をテーマにした青春物語。
4月24日(月)
「しまった!」
哲夫は枕元の目覚し時計を見て、置き上った。八時を過ぎていた。もう、バスは間に会わない。慌てて、学生服を羽織ると食堂のテーブルの上の朝食を取って、外に出た。国鉄宇都宮駅まで走って五分。カバンを抱えながら大通りを東へ。宮の橋を渡って、駅へ駈け込んで、八時二十分の日光行に飛び乗った。
哲夫の家から、宇高へ通学するのには、三ツのルートが有る。一ツ目は、バスで大通りを作新学院の方向に真っすぐ行って、裁判所前で左に折れ、途中、宇女高の方へ右に曲って、宇女高正門の前で左に折れて、六道経由で滝谷町に出て、宇高正門に行くコース。 二ツ目は、バスで裁判所前で左に折れる所までは一緒だが、宇女高の方に曲がらず直進し、東武鉄道のガード手前で右に曲って、東武南宇都宮駅の前を通って、宇高正門に行くコース。三ツ目は、今日選択した国鉄宇都宮駅から日光線で次の鶴田駅に行くコースだ。
哲夫の家は、うちわ、扇子、カレンダーなどを商っている商店で、二荒山神社の東参道を東へ降りた寺町にあり、大通りの一本北の通りに面していて、一階は店舗で、裏は工場になっており、二階が住いだ。バス停は、第一銀行前で、哲夫は、普通は二ツ目の南宇都宮駅経由のバスに乗る。一ツ目の六道経由のバスは、宇女高と宇工の生徒が乗るので凄く込み、南宇都宮駅経由のバスは、海星の生徒だけなのでわりあい、空いている。でも時々宇女高経由のバスにも乗る。
電車は田川の鉄橋を渡った所で右に折れて、東北本線と別れ、右に陽南荘を見て、しばらく行くと宮の原球場が左に見えてくる。
線路が宇高のグランドを真二つに割るようにして、鶴田駅に着く五分間の乗車だ。
南は小山、石橋、北は西那須、氏家、東は小川、烏山、西は今市、鹿沼から通学する同級生が、一斉に、駅から吐き出されて行く。なんとか、ホームルームに間に合った。哲夫は、三年七組中村先生の教室だ。
四時限目山田先生の英語の授業が終えると、哲夫は、購買部でパンと牛乳を買い、文芸部の部室に行った。哲夫は、教室ではお昼を食べることはなく、一年の時から部室で食事を取っている。
文芸部の部室は、正面玄関のホワイトハウスの二階に有った。一階は、職員室で、二階へ正面左の階段を上ると、左手前から山岳部、新聞部、通信教室の職員室、右手前から音楽部の練習室、演劇部、そして正面中央の位置に文芸部があった。広さは六畳を縦に伸ばした広さで、窓は西側の正面玄関のアーチの上に有った。窓の下に大きな机が一ツ有り、椅子が六脚バラバラに置いてあった。窓に向って左側に、細長い本棚があり、歴代の文芸部の部誌が並んでおり、雑記帳や辞書、小説、雑誌などが無造作に置かれていた。
哲夫は部屋でパンをかじりながら五月号の雑誌をペラペラ捲っていると、文芸部長の稲川と隣の演劇部長の阿見と、同じ演劇部の水野が入ってきた。
稲川はいきなり、
「昨日、野球部が一回戦で大田原に5対4で逆転勝ちした。29日のベスト8から応援にいく為にも運動部に召集をかけないと!」と言った。
実は、野球部は春季大会予選で宇農に7対4、宇商に2対0の完封で勝っており、その時、応援団が召集され、ベスト8に進出した時点で、応援に駆け付ける事がすでに決まっていた。
ところで、なぜ応援団の話が文芸部の部室で行われているのかと言うと、稲川はこの前の生徒会で応援団長に任命されていたのだ。
昔の話は分からないが、我々が一年生時の応援団長は、文芸部長の三年の星さんで、我々が二年生の時の応援団長は演劇部長の三年生だった。 そういうわけで今回は文芸部長で三年の稲川に御鉢が廻ってきた訳だ。
「じゃあ、さっそく手分けして三年の教室を廻って運動部長を招集しよう。野球部監督の石井先生に言って、体育館正面のグランドに運動会用の倉庫から大太鼓や笛を出してもらおう」と阿見が声を掛けて、哲夫はその場で雑誌を机の上に放り投げると三人と共に三年の教室に向かった。
放課後、体育館前のグランドに運動部の連中が集合した。サッカー部の中島、小出、五十嵐、ラクビー部の稲川、バスケット部の清水、バレー部の高野、柔道部の岡崎、池田、剣道部の町田、北村、水泳部の菊池、青山、卓球部の五十畑、弓道部の飯島、陸上部の大西などが、それぞれの学生服で並んだ。
稲川応援団長を真ん中に、左右に阿見と水野が向かい合って並んだ。哲夫は太鼓の係だ。
団長の掛け声で
「フレー フレー 宇高、フレ フレ 宇高」
と何度も何度も繰り返し発声した。続いて応援歌を合唱した。肩を組んだり、裸足になって履いてきた高下駄を両手に持って
「ワッショイ、ワッショイ」
と両手を前に突き出して応援の練習をした。
4月25日(火)
朝、一つ先の馬場町のバス停に行くと、圭子がいた。圭子は哲夫とは大通りの反対側、南の旭町に住んでいる幼なじみだ。彼女の家は製麺所で、ラーメンの麺やうどんの麺を町の食堂などに卸していた。現在、宇女高の三年生で、子どもの頃は、二荒山神社のお祭りや仲見世を一緒の遊び場にしており、小学校、中学校は別々の学校でしばらく疎遠になっていたものの高校一年の時にバスで一緒になり、このごろはまた、お互いに行ったり来たりしていた。
圭子と一緒の時は、宇女高経由のバスに乗る。
「昨日の朝はどうしたの?」
「寝坊しちゃった!」
「帰りはどうしたの?バスを三本も待っていたのに」
「応援団の練習で遅くなった」
「応援団って?」
「野球の応援だよ。一応、文芸部の稲川が応援団長だから、俺も付き合って応援団員だ」
「・・・・」
「そうだ。五月の連休やばいかも!」
「やばいって?」
「4月29日(土)天皇誕生日が二回戦で、勝ち進むと4月30日(日)が準決勝、5月3日
(水)文化の日が決勝戦だ!」
「カレンダーの撮影はどうするのよ!」
「親父に言って5月5日(金)こどもの日に延ばしてもらおう」
哲夫の店は、宇都宮で五代続いた扇屋で、その前は京都や東京で商いをしており、東京の神楽坂に現在も、親父の姉が扇子の店を開いている。
戦後、練炭の普及で、うちわが夏の涼を取るためでなく、火を起こす道具として出回り、一時は生産が追い付かない程になったのだが、それも東京オリンピックの頃に一酸化炭素中毒を指摘され、練炭の生産が中止になり、その代わりにプロパンガスや都市ガスが普及した為、うちわは衰退していった。そして今まで、うちわを家庭に配っていた会社や商店が、代わりにカレンダーを配り始めた。
丁度その頃から、カレンダーも日めくり暦からカラー印刷のカレンダーになり、哲夫の店は、ドイツのハイデルベルグから多色刷の印刷機を購入して、カレンダー作りに邁進していた。
哲夫が高校に入る頃、地元のバス会社が哲夫の店に、オリジナルカレンダーの製作を依頼してきた。その内容は、春夏秋冬、栃木県内の観光の名所にバスを持って行き、その風景にバスを走らせ、写真を撮って一月から十二月までのカレンダーを作るという企画だった。例えば、一月の雪の中禅寺湖畔にバスを走らせ、そのそばにバスガールを立たせて写真を撮るといった内容だ。
そのバスガールに、去年のクリスマスの時にたまたま遊びに来ていた圭子を親父が見て、前から知っていた圭子の親父を説得して、バスガールになってもらう事にしたのだ。
「ねぇ、今日学校の帰りに落合書店に付き合ってよ。今日も応援団の練習はあるの?」
「一日おきだから、今日はない」
「じゃあ、いつもの四時のバスね」
「わかった」
バスは、宇女高前で圭子を降ろすと、六道経由で滝谷町を廻って、宇高正門に着いた。
四時限目物理の谷先生の授業が終わった。哲夫のように、私立文型志望の者には退屈な授業だった。
お昼休みは真っすぐ柔道部室に行った。哲夫は一年生の時から柔道部に属していて、三年生からはマネージャーを務めているのだが、余り稽古には熱心なほうではない。
というのも一年生の時は練習をしなくても、体が大きかったおかげで、大外狩りか、小内狩りで敵を倒して、そのまま押え込みに引き入れれば、簡単に勝つことが出来たが、二年、三年になると、自分より小さい者でも、力や技で来る者には、なかなか勝てない様になってしまった。しかし、猛練習してまで勝ちたいという性格でもないので、このところ、あまり試合に出ないで、マネージャーに徹している。
先に来ていた部長の池田と、春の県大会の打ち合わせをして、それから、ホワイトハウスの二階の文芸部室に向かった。二階の手すりのところで、山岳部長の栗原が、ロープを手すりに掛けて、山登りの練習をしていた。
隣の音楽室では、下級生二人が音楽の石井先生と、バイオリンの稽古をしていた。
哲夫は音楽室の前を通りながら、なんとなく石井先生の方を見ると、偶然にも、先生と目が合った。すると先生が飛び出してきて、
「哲夫君、丁度、お父さんに連絡しようと思っていたのだけれど、六月公演の宇都宮交響楽団のプログラムの印刷よろしく頼みます、と伝えてくれないか」
石井先生は宇都宮交響楽団のオーケストラマスターも勤めている。
「はい、分かりました」
「ところで、君は、今、バイオリンのほうはどうなんだ?」
「えーちょっと、全くしてません」
「それは残念だな。うちの重信は東京の大学で、又、始めたみたいだぞ」
「すみません」
実は、石井先生、哲夫の親父と徒兄弟で、哲夫の叔父にあたる。
小学校六年生まで、花房町の石井先生の自宅に、毎週バイオリンの稽古に通っていたのだ。
重信というのは、石井先生の長男で、宇高の二年先輩、現在東京大学文学部二年生である。
哲夫は頭を下げると、慌てて文芸部室に入った。部室には一年後輩の今野がいた。現在文芸部は三年生が二名、二年生が二名、今年入学してきた一年生が三人の七人である。哲夫が窓に向った机の前の椅子に腰を降ろし、持参した弁当を食べ始めると、
「先輩、「表現」の原稿は、いつまでに出せばいいんですか?」
「そうだなあー、印刷に廻すのは夏休みだけど、その前に編集をしなければならないから、七
月の頭までだな」
「表現」と云うのは、毎年十月の文化祭の前までに出版する五十ページ余りの文芸部の雑誌
だ。詩と俳句、短歌と小説を主に掲載しており、小説担当の哲夫としては、ページの半分ぐらい書かなければならないので、結構大変な作業だ。それに、六月初めに、毎年開かれる弁論大会の原稿も考えなければならないので、哲夫は、この所、忙しい。弁論大会は、一年生の時は
「星の王子様」、二年生の時は「期待される人間像」でそれぞれ三位、二位と取っているので、今回は優賞を狙っている。
「今野、二年生で応援に参加出きる者を集めてくれ」哲夫が言って、
「そうだ、昔の応援歌も写して置かなければ!」
と回りの壁を見廻した。文芸部の書棚のある反対側の窓に向かって、右側の壁には映画のポスターや文化祭のポスターがあちこちに張られており、その他にさまざまな「らくがき」が所狭しと書かれていた。その中に、万年筆で書かれた二ツの歌詞があった。
一ツは、今、哲夫が写そうとしている昔の応援歌で、もう一ツは、宇都宮高校数え歌だ。
その内容をここに紹介しよう。
昔の応援歌
二荒山の神主が おみくじ引いて 言うのには、宇高は勝ツ勝ッツ、勝ッツ 勝ッツ、勝ッツ、勝ツ
もーしも宇高が勝ったなら 提灯、行列いたします 宇高は 勝ツ、勝ッツ、
勝ッツ 勝ッツ、勝ッツ、勝ツ!
宇都宮高校数え歌
一ツとせー 人に知られた宇都宮、十三高校の数え歌 そいつは剛気だネ そいつはトッポイネ(この歌が作られたとき宇東校はなかった) 二ツとせー ふた目と見られぬ顔をして ナンパ張るのは 宇学生― そいつは剛気だね そいつはトッポイネー
三ツとせー 見っともないから辞めとくれー、肥桶担いだ 宇農生―
そいつは剛気だね そいつはキタナイネー
四ツとせー よせばいいのに喧嘩して、サーツ(ケイサツ)に引かれる作新生 そいつは剛気だねー、そいツは不孝ダネー
五ツとせー いつもソロバンガチャ付かせ 女の尻追う 宇商生、 そいつは剛気だねー、そいツはスケベダネー
六ツとせー 虫も殺さぬ顔して なかなかやるのは宇高生、
そいつは剛気だねー、そいツはトッポイネー
七ツとせー 七ツ道具を肩に掛け、ニキビ花咲く 宇工生、
そいつは剛気だねー、そいツはトッポイネー
この後、女子高の須賀高、宇女商、中央女子高、宇女高、作新女子高 海星高校と続くワケだが、チョット内容的にはここに掲載出来ないのでスイマセン。
でも、我ら宇高生が気になる三女高だけは紹介しよう。
十とせー とってもシックなスタイルで ウインクするのは中央生、 そいつは可愛いネー、そいツはステキダネー
十一とせー プラスマイナス掛け合せ ○○膜ないのが宇女高生、 そいつはトッポイネー、そいツはスケベダネ
十三とせー トーサン彼氏が欲しいのよー アーメン ソーメンミッション生(海星) そいつはトッポイネー、そいツはスケベダネー
どうやらこの歌を作った先輩は、宇女高生に振られて、中央女子高の生徒と付き合っていた様子です。
放課後、哲夫は宇高正門から、四時の六道経由国鉄宇都宮駅のバスに乗った。宇女高前で圭子が乗ってきて、二人はユニオン通りでバスを降りた。落合書店は、ユニオン通りを東武宇都宮駅方向にちょっと行った左側にあった。落合書店に入り、圭子のために取り寄せておいた三島由紀夫の「音楽」をピックアップして、そのまま東に進み、東武宇都宮駅前の上野楽器に入った。そこで圭子は、ビートルズの新盤「アビーロード」のレコードを購入して、オリオン通りを、又、東に歩いて、山崎デパートの所で、県庁の方向に左に曲がって「オギノ」に入った。私服の時は、手前の「田園」か、「あすなろ」に入るのだけれど、今日は学校帰りの制服なので、それでも入れる「オギノ」を選択した。
哲夫は、コーヒーを、圭子はアイスクリームを注文した。
「ねえ。今度の五月のカレンダーの撮影は、那須なんでしょう?」
「うん。関東バスが那須の八幡温泉の高台の上に、去年、那須ビューホテルをオープンさせたから、丁度その高台へ行く道路にバスを走らせてそのバスの前に、圭子がバスガールのスタイルで写真を撮るっていう寸法さ。飛び石連休は、八幡つつじが満開だから、丁度いいって、カ
メラマンの関根さんが言ってたよ」
「お天気、大丈夫かなー? 四月の大平山の桜の時は雨がパラついていたでしょう」「今年の連休は天気が良いみたいだよ。でも近頃の天気予報は、当たらないからなー
でも関根さんが言うには、あんまりドピーカンよりは、曇りで少しの雨の方が良い写真が撮れるんだって。あんまり天気が良すぎちゃうと、写真に影ばっかり写って駄目なんだ」
「ところで、哲ちゃんは、車の免許は取ったの?」
「うん。バイクの免許を持っていれば十八歳になる半年前から、仮免で車の運転が出来るというから、この前、運転試験場に行って貰ってきたよ。ほら!」
と哲夫は、カバンの中から学生証の入った財布を取り出して、仮免許証を見せた。
「じゃぁ、今回の那須行はお父さんの運転じゃなくて、哲ちゃんの運転ネ」
「親父は関根さんのジープに乗せて、圭子と二人で“キャロル360”でドライブと洒落込もうか?」
関根さんとは、下野新聞のカメラマンで、四十三年度現在、栃木県にはプロのカメラマンがいないので、新聞社から休暇を取って、アルバイトで写真を撮っていた。毎回、バスのカレンダーの撮影の時は、去年、親父が購入したマツダの“キャロル360”と関根さんの新聞社のジープに四人で分乗して、現場に直行していた。
4月26日(水)
放課後、団長の稲川から、29日(土)の日程が伝えられた。
「栃商戦は、午後二時半から本球場にて行われるので、二時間前の十二時半に総合グランドの本球場正面に集合するように! 学校から応援の道具を持っていく者は学校の体育館正面に午前 十一時半に集合。以上」
その日は六時過ぎまで応援の練習をした。
4月27日(木)
その日、哲夫は学校から帰ると、私服に着替えて、哲夫の家から二荒山神社の東参道を西へ五十メートル程行った、宮島町の「ローヤル」という珈琲店に行った。「ローヤル」は、付属中学校、宇高と同級の磯博幸の親父がマスターをしている、L字カウンターとボックスが三つの小さな店だ。
五時過ぎの店内は会社帰りのサラリーマンや学生で混んでいた。
マスターが、県庁のスキー部に在籍していたせいか、今日もボックス席は、スキー同好会の連中が陣取り、冬にスキーに行った時の写真を、見せびらかしていた。
L字のカウンターの奥のほうを見ると、二歳上の圭子の兄のター坊がいた。製麺所は、朝早い仕事だから、ター坊は、いつも夕方には、もうこの店にいる。哲夫は、ター坊の横に座って、コーヒーを注文した。
「カレンダーボン、木曜日に来るなんて、珍しいじゃないか」
ター坊は、哲夫の事を、カレンダー屋のボンボン「カレンダーボン」と呼ぶ。哲夫は、いつも土曜の午後、学校が終わると、ここに来る。
「今度の土曜日は、ここに来られない。野球の応援でグラウンドの本球場に行くから」
「野球の応援って、どこのチームの応援だ!」
「違うよ。宇高の野球部の応援だよ」
「宇高の野球部って、いつも一回戦で負けているだろう」
ター坊は、宇商の野球部のピッチャーで今も旭町野球クラブのエースだ。
「いや、今年は同級生の亀井というピッチャーがすごくいいんだ。右のスライダーなんて、抜群だぜ!」
そこに、宇高の補習科で二年先輩の市会議員の息子鈴木一夫が、店に入って来た。
「何だ、哲ちゃん。もう学校はいいのかい」
哲夫は、
「自分も補習科で学校に行っているのに・・・」と口から出かかったが
「でも補習科は毎日じゃないからいいか・・・」
と思い直して
「鈴木さん、今度の29日(土)天皇誕生日、グランドの本球場で二時半から栃商とやるの知ってます?」
「栃商とはすごいな」「もし、29日に栃商に勝つと30日は宇工と鹿沼商の勝ったチームとの準決勝、これに間違
って勝つと、5月3日文化の日は決勝戦ですよ。麻雀なんかやってないで応援に行きましょ
う!」
そう、実は哲夫は、毎週土曜日の午後に、ここ「ローヤル」に、哲夫とター坊と、一夫と同じ宇高補習科の先輩のトロフィー屋の竹屋と、同じ補習科で赤門通りの旅館の息子の生沼と五人で集まって、ここから西へ四十メートル程行き、餃子「みんみん」の手前を左に曲がった宮島小路。左に、純喫茶「アルゼンチン」、餃子の「正嗣」右に、小料理「司」、同伴喫茶「車門」、その二階が麻雀荘で、そこで麻雀卓を五人で交代で囲んでいたのである。
哲夫は、麻雀が少し強い。 何故なら、哲夫の店には子供の頃は、いつも五,六人の住み込みの店員がいて、夜や休日の娯楽いえば、花札か麻雀だった。哲夫は小さい頃から、よく住み込みの部屋に行って、一緒に遊んでいた。
「どっちみち、明日から三日間、お山で春の競輪祭だから、俺は、姉貴のコーヒースタンドを手伝わなければならないし、他の三人は、競輪新聞を売るアルバイトだから、土曜日は六時位からしか出来ないよ。その頃には、カレンダーボンも試合が終わっているから、どっちが勝っ
たか知らせてくれ!」
そう、ター坊の家は、製麺所だけでなく、八幡山の競輪場内にコーヒースタンドを持ってい
て、競輪開催の時だけ、店を開いていて、一緒に競輪新聞の売店を、場内のあちこちに開いていた。競輪新聞は、その日の朝から、その日の予想を毎日、売っている。競馬新聞のように三日間の開催レースを全部一緒にまとめて掲載する事が出来ないのは、競輪は勝ち抜き戦で、その日の結果によって、組み合わせが変わるからだ。
実は、競輪新聞は哲夫の店の印刷機で刷っているので、競輪開催中の夜は大忙しだ。
4月28日(金)
その日の昼休み、文芸部室に、稲川団長と阿見、水野、哲夫の四人が集まって、球場に持っていく用具の点検をした。
「太鼓と鐘と笛と鉢巻と襷とタオル。高下駄は、各自で持って来ること」と団長が言うと
阿見が、
「団旗はどうするんだ」
「確か、校長室にあるよなぁ」
「今から校長室に行って取って来るか」
阿見と哲夫で、校長室に団旗を取りに行くと、丁度、校長室にいた岩倉校長から
「しっかり応援頼む」
と叱咤激励の挨拶を受けた。
部室に戻って、最終打ち合わせをしていた時、哲夫が、
「車は親父から“キャロル360”を借りてくるけど、一台じゃ足りないだろう」
「仁ちゃんに頼むか? アイツ、“スバル360”を持っているから」
仁ちゃんとは、三年六組の斎藤仁の事で、「世界長」という泉町に会社のある長靴屋の息子で、一条中学校の二年の時、病気で、一年間お休みをしたので、年は一つ上になる。家は、稲川の家のすぐそばだから、何かあると団長と連んでいる。
「わかった。隣のクラスだから俺から言っておくよ」と哲夫が言って、解散になった。
4月29日(土)天皇誕生日
哲夫は、いつもより、ゆっくり起きると、窓の外を見た。外は快晴だった。
食堂に行くと、親父がいた。二人で、朝食を食べている時、親父が
「哲夫、野球の応援のうちわを少しもっていくか?」
とポツリと言った。哲夫の店は今、夏のうちわ作りで大忙しだった。
「専売公社用の必勝うちわの在庫が四百本程あるから、五十本程持っていくか」
「お願いします」
必勝うちわとは、表が真っ赤な色のうちわの真ん中に、必勝という文字が白抜きになっているもので、専売公社など、社会人野球の試合の応援に使われるものだ。
夏に使われるもので、試合が勝ち進む毎に、裏に専売公社とか、国鉄とかの名前を印刷して、球場に届けるうちわだ。
そこへ、住み込みのナベちゃんが、朝食を食べに来た。哲夫の家の食事は、家族も住み込みも朝、昼、晩、みんな一緒に取る。
「ナベちゃん。哲夫が乗っていく“キャロル360”に必勝うちわを五十本積んでおいてくれ。ご飯を食べてからでいいよ。まだ時間があるから」
「合点承知乃助!」
十一時の学校集合時間に間に合うように、十時過ぎに、店のガレージに車を取りに行くと、もうナベちゃんが荷物を車のシートに積んで待っていた。
「若の応援するところを見てみたいな。フレーフレー宇高って、スタンドの前で、グランドに後ろを向いてやるんですか? カッコイイなぁ」ナベちゃんは、哲夫の事を「若」と呼ぶ。
「ばか。俺は太鼓を叩くだけだよ」十一時に、学校の体育館前の車置き場に行くと、もう仁ちゃんの“スバル360”が止まっていた。体育館の横のグランドには、応援に行く生徒が百人位集まっている。
すぐに手分けして、車に団旗の入ったケースや太鼓、鐘などそれぞれの応援用品を積み込んだ。
「出発!」
団長の合図で、それぞれ自転車に乗って、一斉に学校正門に向かった。
宇高から、総合グラウンド県営球場に行くのには、学校正門の前を通っている壬生街道を左に進んで、そのまま国鉄日光線の陸橋を渡って、南にまっすぐに進んで行き、東武江曽島駅入
口、西川田駅入口を超えたところで東に曲がって、東武宇都宮線の踏切を横切って五百メートル程行くと総合グランドに出る。三十分位で本球場の正面に着くと、小山高と宇学の試合が始まっていた。栃商の試合は、宇高が後攻なので、一塁側のスタンドの入り口に荷物を降ろした。
そして、小山商と宇学の試合が終了するまで、この場所で待機した。
宇高の野球選手達は、もう球場の中の選手控室に入っていた。団長が球場の中に入って行って、メンバー表を持って来た。
メンバー表には、1番ショート柏崎(3年)、2番センター手塚(3年)、3番レフト古河原
(3年)、4番ライト神永(3年)、5番サード青柳(3年)、6番ピッチャー亀井光(3年)、7番キャッチャー亀井文(2年)、8番ファースト山崎(2年)、9番セカンド鈴木(2年)控え選手渡辺(3年)石川(3年)北村(1年)的場(1年)以上十三名。
ピッチャー亀井光とキャッチャー亀井文は兄弟で、家も学校のすぐそばの宮ノ原球場の裏にあり、球場の脇の道で、兄弟バッテリーは登校前、下校後、休日は朝から晩まで、よく練習していた。
特に、兄の光夫の右のスライダーは、バッター手前で鋭く左に曲がり、弟の文夫でなければ取れなかった。
小山と宇学の試合が終わった。小山が勝った。
応援団は、一塁のスタンドに陣を取ると、まずエールの交換をした。
フレーフレー宇高、 フレーフレー宇高、 フレッフレッ宇高フレーフレー栃商、 フレーフレー栃商、 フレッフレッ栃商試合が始まった。
先攻の栃商の1番に、亀井光は、高めのストレートをド真ん中に投げ込んだ。
「ストライク!」
審判が力強く手を上げた。バッターはバットをピクリとも動かさなかった。1番バッターを得意のスライダーで三振に仕留めると、2番、3番と塁に出さずに簡単に三人で終了。
後攻の宇高は、初回2番手塚がライト前に転がすと、すかさず3番古河原がレフト前にヒットを打った。
フレーフレー神永、フレッフレッ神永
応援団は初回から、いきなり一アウト 一塁、三塁になった場面を見て、応援のボルテージを上げた。しかし4番神永はダブルプレーに打ち取られ、応援団はシーンとなった。
哲夫は思わず、太鼓を一つだけ打った。
二回表も、ピッチャーの亀井光がバッターを三人で打ち取ると、その裏、先頭バッター青柳が三塁左を抜く二塁打を打った。すかさず、6番亀井光が送りバントで青柳を三塁に進め、7番亀井文が三塁ゴロを打つ間に 三塁の青柳がホームに生還し、先取点の1点を取った。哲夫は、思いっきり高々にドンドンドンと太鼓を打ち鳴らし、隣の二年生の今野も、カンカンカンと鐘を鳴らした。
ワッショイ、ワッショイ、高下駄を両手に持って、相撲の力士が四股を踏みながら、両手を前に出すように、高下駄を交互に前に出して応援を始めた。
その後、ピッチャー亀井光は、栃商に安打一つを許すも、七回まで無得点に抑えた。
七回裏、戦闘バッター6番亀井光がセンター前に安打を放つと、7番バッター亀井文は三振に倒れるが、8番山崎が三遊間を抜くヒットを打ち、9番鈴木がファーストゴロで打ち取られる間に、亀井光と鈴木はそれぞれ二塁、三塁に進塁して、1番柏崎がフォアボールを選んで、満塁とした。
始めての満塁に、応援席のボルテージは、最高に昇りつめた。
ワッショイ ワッショイ、行け!行け! 手塚!
しばらく止めていた高下駄の応援が、また始まった。すると2番手塚が、ショートの頭の上を超えるレフト前ヒットを打った。 二者がホームに帰って、センタースコアボードの七回裏の所に、2点の数字が入った。
八回表、栃商は、一死から9番、1番とヒットを打って、二塁、三塁とした。
今まで鳴りを潜めていた栃商応援団が、いきなりボルテージを上げだした。
フレーフレー大川 フレーフレー大川栃商の2番大川の応援だ。
すかさず、伝令の渡辺昭司が、ピッチャー亀井光のところの走る。
「しっかり!落ち着いて!」
栃商の応援も空しく、2番大川は、ピッチャー亀井光のスライダーにバットは空を切った。その後、3番大橋もファーストゴロに倒れて、その回も栃商のスコアボードにゼロが並んだ。
結局、3対0で宇高が勝ち、ピッチャー亀井光は、三安打の完封勝利だった。
バンザーイ! バンザーイ!
宇高の応援団席は、歓喜の声援で埋まった。
宇工が、鹿沼商に2対1で勝って、明日の準決勝の相手は、宇工に決まった。
試合の開始は午後一時。
団長が
「明日、午前十時に学校に集合!」
と枯れた声で言うと、応援団はそれぞれ岐路についた。
哲夫は車をガレージに入れると、私服に着替えて、雀荘「車門」に向かった。中に入ると、いつもの四人組が卓を囲んでいた。
ター坊が
「今、南の二局だけど、この半チャンが終わったら入るか!」
「いや。今日は疲れたから、やらない」
「ところで試合はどうだった?」
「ピッチャーの亀井が完封して3対0で勝った」
「明日はどこの学校と試合をするのだ」
「宇工だよ」
「よし、もし明日、宇高が勝ったら、3日の決勝はみんなで繰り出そうぜ」
それからしばらく四人の麻雀を見ていて、五人とも夕食を食べていないと言うので、下の「正嗣」からギョーザライスを五人分出前を取り、哲夫は、それを食べ終わると
「明日、また試合の応援があるから帰るわ」と四人に言った。
するとター坊が
「明日は、御本丸の「グランプリ」で久しぶりの演奏だから、試合が終わったら来いよ。昼と夜の二回公演で、夜の部に圭子も来ているから」
と入り口の階段に向かう哲夫の後ろから声を掛けた。
「グランプリ」とは、エレキギターやドラムが演奏出来る店で、今流行りのグループサウンズの曲などを、週末に、県内のエレキグループが交代で出演していた。ター坊も「旭町ヤングコメッツ」という町内のバンドのメンバーだ。
「わかった」
哲夫は振り返らずに、そう言った。
4月30日(日)
試合は一時から始まった。今日も、宇高は後攻で、ピッチャー亀井光は、宇工の1番ショート高橋を、簡単にライトフライに打ち取った。
一塁側のスタンドは、昨日の倍の千人くらいの応援団でうずまいていた。哲夫は、今日も親父が持たせてくれた五十本のうちわを、スタンドの前から五列目ぐらいまでに、昨日持って来たうちわと合わせて百本を、丁度、長方形になるように配った。必勝のうちわは、表は赤で、白抜きの必勝文字が書いてあり、裏は、昨日の夜、慌てて刷った宇高の文字が黒色で書かれていた。百人の生徒に、そのうちわを前に突き出させ、応援の合図で表の赤、裏の黒と交互にグランドに見せるように指導した。高下駄のワッショイワッショイの応援の時も、一緒に合わせてうちわを回した。そして、今日も回を追うごとに、宇高の応援スタンドはボルテージを上げていった。
宇高ナインは、昨日と同じベストメンバーで、一回裏、1番柏崎がフォアボールを選ぶと、すかさず2番手塚が送りバントで柏崎を二塁に進め、3番古河原がライト前にヒットを打って、一点を先取した。その後、両チームが一点ずつ点を取り合ったが、ピッチャー亀井光は、相変わらずピッチィングは好調で、鋭いスライダーに緩いカーブを交ぜた緩急自在のピッチング
で、宇工打線を翻弄した。七回に亀井光、亀井文の連続安打で一,二塁とした後、山崎のバントで二,三塁として、鈴木が三振で倒れた後、1番柏崎が、レフトオーバーのヒット打って、二者が帰り、追加点2点を挙げた。試合はそのままピッチャー亀井光が逃げ切り、4対Ⅰで宇高が勝った。
一塁側の宇高のスタンドは、バンザイバンザイの大合唱で、まるで優勝をしたかのような準決勝だった。
夕方、哲夫は家に帰ると、私服に着替え、御本丸に徒歩で向かった。宮島町十文字を真っすぐ南に行って、旭中学校の正門を超えたところを右に曲がって、御本丸の東側に出た。
「グランプリ」は坂の途中の左側の卓球場の並びに在った。中に入ると、すぐ左側にBARカウンターがあり、正面奥のステージの真ん中に、ドラムが置いてあった。その前にボーカルのマイクスタンドがあり、その左右にエレキギターが立て掛けてあり、それを囲むようにギターのアンプが並んでいた。丸いテーブルが八台、散らばって置いてあり、それぞれに椅子が四脚あって、右奥に、圭子が、もう一人の女友達と座っていた。丁度、バンドが休憩中でその隣のテーブルにター坊達四人が屯していた。
哲夫は、二人の前に座ると
「なんだ。ヨッチンも来ていたのか?」
ヨッチンとは、綱川よしこ と言い、圭子の中央小、旭中学校の同級生で、中央女子高校の三年生だ。ヨッチンの家は、すぐそばの旭中学校の南にある。
「野球はどうしたの?」「間違って勝ったよ!」
だいたい、哲夫の周りの連中は、宇高の野球部が勝つとは思っていなくて、昨日勝ったのも奇跡だと思っていた。
すると、隣のテーブルにいたター坊が
「じゃあ、約束通り3日の野球の試合には行かなくちゃ。一夫ら四人の麻雀メンバーと、ここにいるバンドメンバー全員でグランドに繰り出すか。試合開始時間は何時だ!」
「午後一時、プレイボール!」 するとヨッチンが
「私も圭子と行く」と言った。
しばらくの間、圭子とヨッチンとバンドのメンバーとで、新しいビートルズの曲は何かとか、ブルーコメッツが良いとか、今度出たタイガースはどうだとか、色々話題を出しては批評したりした。
そして、「旭町ヤングコメッツ」の夜の部の演奏が始まった。メンバーは、ボーカルとギターがター坊、ドラムが八百屋のタケちゃん、キーボードはラッキーパチンコの信ちゃん、ベースがミヤマス座の六平の四人だ。
「イエスタデー」 やはり最初は、ビートルズのナンバーだ。
「ラブミードウ」「ゲットバック」 と続けて演奏すると、ブルーコメッツの「ブルーシャトウ」を皮切りにスパイダース、テンプターズ、など国内のグループサウンズの曲を、次々に演奏した。
演奏の途中で、圭子がポツンと、
「新宿のACBに行きたいなー哲ちゃん、春休みに東京に行った時に行ったんでしょう?」
ACBとは、東京の新宿に在るライブハウスだ。グループサウンズのメンバーが日替わりで生演奏するので有名な場所だ。
哲夫は、東京の予備校が主催する春季講習会に春休みの五日間行っていた。その時の講習会場が新宿だったので、その帰りにACBに立ち寄っていた。
「哲ちゃん、夏休みの夏期講習会行くの?」
「一応、行くつもりだけど」
「じゃあ、圭子も東京に行く。その時、神楽坂の家に泊めてね。哲ちゃんと二人じゃ可哀そうだからヨッチンも一緒に行こう。そして、三人でACBに行こう」
哲夫の店の東京店が神楽坂に在り、店の裏に親父が東京で仕事時、事務所にしている家があった。哲夫は子供の頃から、圭子にはいつも強引に物事を決められてしまう癖がある。
するとヨッチンも、
「行く行く、ACBも行きたいけど、今度新しくオープンした新宿伊勢丹の“ヤングコーナー”に行きたいの」
「ヨッチン。ACBは伊勢丹の向かい側だよ」と哲夫は言ってから
「しまった」
と思った。余計なことを言って二人の東京行きに火に油を注いでしまった。
「そうだ。ところでヨッチン、5月5日にバス会社のカレンダーの写真を撮りに圭子を連れて那須に行くんだけど、ヨッチンも一緒に行かないかい?」
「えー!一緒にいっていいの?」
「うん。この前、親父から毎回同じバスガールの写真じゃ貰う方に飽きられちゃうから、出来れば別のバスガールの写真も使いたいって、他に誰かいないかと言われていたんだ」
「私も、いつも女の子一人じゃ、つまんないと思っていたの」
「じゃあ、きまり。この前、車の仮免許証取ったから、“キャロル360”で、三人でドライブだ」
実は哲夫は、いつも圭子といる方が多いが、本当はヨッチンのほうがタイプなのだ。圭子はカレンダーの女優でいうなら山本陽子似だが、ヨッチンは浜美江似なのだ。
5月1日(月)
朝、哲夫が食堂で食事を取っている所に親父が入ってきて
「哲夫、残りの必勝うちわ三百本、全部宇高の名前を入れておくから球場に持っていけ。それからお祭りの大うちわ二本、小野さんに言って表に必勝、裏に宇高と書いて貰うから、これは当日、大森にトラックで持って行って貰おう。こういう時こそ、お前の高校に御奉仕しないとな。 そうだ、政子にお弁当を作らせて、みんなで応援に行くか」
大うちわとは、お祭りで神社や町内のお神輿を繰り出す時、周りでお神輿を担いでいる者に風を送る為に扇ぐ、大うちわの事である。 大、中、小と三種類のうちわが有り、大うちわは、横九十センチ縦百二十センチの卵型をしており、柄が一メートル以上、全体で二メートル以上ある。宇都宮市内でも、大小お神輿を合わせると百基以上あり、大うちわも大きいお神輿だと二,三本使うから百五十本以上を製作、修繕しなければならず、哲夫の店でしかこれが出来ないから、シーズンともなると大変な作業になる。
小野さんというのは、お店の番頭で、大うちわ作り三十年という大ベテランで、大森は店の主任で、この二人で大小うちわを作っている。政子とは、家のお手伝いさんだ。
親父は、商売柄、野球やお祭りが大好きで、二荒山のお祭りの世話人や社会人野球の役員などを進んでやる方だから、せがれの高校の野球部の決勝戦ともなると、せがれを差し置いても参加する始末だ。
哲夫が登校すると、すぐに全校集会が開かれて、岩倉校長が、
「5月3日の野球部の決勝は全校生徒の中で、出られる者全員、総合グラウンドに集合するように!」
と訓示を垂れていた。
5月2日(火)
その日、宇都宮高校の教室は、午前中もお昼休みも午後の授業も何となく、みんな明日の野球の決勝を思ってか、ザワザワとしていた。放課後、野球のグランドでは明日の試合に備えて、野球部の選手達が入念な調整をしていた。哲夫は体育館の横で、団長や他の応援団員と共に明日の応援用具の点検をした。
団長が
「明日、前に立つ応援団員を九人に増やそう」と言うと、阿見が
「それじゃ。応援団員の白い手袋が足りない」
「わかった。俺が帰りにバンビルの「フクガミ」に寄って十枚位調達するよ」哲夫がそう言って解散した。
二荒山の前で、哲夫はバスを降りると「フクガミ」に行って白い応援用の手袋を十枚程購入して、信号を渡って上野百貨店の前に差し掛かると、中から中央女子高校の制服を着た綱川よし子が店内から出てきた。
「ヨッチン!」
と哲夫が声を掛けると、ヨッチンは、
「この前は、どーも有り難う。たのしかったわ」
と日曜日の夜の「グランプリ」のライブの事を言った。哲夫は、ヨッチンが学校のカバンと一緒に今買ったばかりの上野百貨店の紙袋を下げているのに気が付いて
「何か、上野さんで買ったの」
上野百貨店の事を地元では上野さんと呼ぶ。
「うふん。五日に那須に写真を撮りに行くでしょう。その時に着て行く気に入ったブラウスが無いから、ここで買っちゃった」
と、ヨッチンはデパートの袋の中から、今買ったばかりのブラウスを取り出して見せた。水色の上に白い小さな花柄を散りばめたブラウスだった。
「可愛いよ。よく似合うと思う」
哲夫は、そんなお洒落なヨッチンが好きだった。何となく、このまま別れるのもつまらないので、哲夫は、
「そうだ、二荒山神社に御参りに行かないか。明日の宇高の野球が勝つように。必勝祈願だ!」
とヨッチンの腕を取ると、二荒山神社の階段を昇った。本殿の前で二拝、二拍手した。おみくじを引くと、哲夫は小吉だったが、ヨッチンは大吉だった。
「明日、宇高はきっと勝つわ」
階段を降りて中段の所で立ち止まると、丁度バンバの仲見世に夕陽が沈むところで、このままここで、二人でじっとしていたい気分だった。
左右に三つずつ小さな神社があった。
すると、左の方からフルートを吹く音が流れてきて、二人はその方に歩いて行くと、学生がフルートを吹いていた。「エリーゼのために」だった。影で顔が見えなかったが、そいつがいきなり
「哲ちゃん。ここで、二人で何してんだ」鈴木一夫だった。
5月3日(水)文化の日
哲夫は、トラックに大うちわ二本と三百本の応援うちわを積んで家を出た。
本球場に着くともう球場の周りは沢山の人々で溢れていた。今日も後攻なので、一塁側スタンド入り口にトラックを止めると、宇高の生徒はもちろん、父兄も大勢並んでいた。応援団席に行くと団長以下たくさんの学生服を着た応援団員が並んでいた。哲夫は、応援団員を横二十五列、縦二十列に組み替えた。そして下から四列に高下駄を持たせ、そこから上へ十六列に昨日までに使ったうちわ百本と今日新たに持って来た応援うちわ三百本、合わせて四百本をそれぞれに持たせた。
高下駄組百人、うちわ組四百人の合計五百人の大応援団が出来た。
団長の掛け声でその五百の高下駄とうちわが一斉に、
ワッショイ ワッショイとスタンドに舞う様子は迫力満点だ。そしてその両サイドに大うちわを一本ずつ配置した。素人では振り回すのは無理だと、大森とナベちゃんが助っ人をかって出てくれた。もともと二人とも社会人野球で経験しているし、哲夫も今回の応援スタイルは、もちろん社会人野球を真似たものだ。試合開始の午後一時に一塁側の宇高の応援団席は二千人以上に膨れ上がっていた。
全校生徒の八割と父兄達だ。
試合が始まった。宇高の選手のオーダーは準々決勝、準決勝と同じベストナインだ。
亀井光がストレートを投げた。「ボール!」真ん中高めに外れた。フォアボール。
作新の1番荒井は、亀井光が一球目を投げる間に、すかさず盗塁。2番大越を三振に打ち取ったのだが3番瀬田がシュートゴロ。ショートの鈴木が軽く捌いて一塁に投げて、アウトと思った瞬間、一塁の山崎が落球。二塁から荒井がホームに返って先取点の1点を取られた。
一回裏、宇高も負けてはいない。
まず、1番柏崎が四球を選んだ。2番手塚がすかさず作新のピッチャー佐藤の前にバント、佐藤が一塁に暴投。一アウト一塁、二塁で3番古河原が追い込まれながらもスリーバント。走者を二塁、三塁に進めた。4番本大会絶好調、神永が二ストライク三ボールからライト前に詰まりながらヒット。三塁の柏崎がホームインして同点とした。「ワァーワァー」早くも一塁側、宇高応援団から、ものすごい声援が上がった。試合は同点のまま四回裏、宇高の攻撃。
期待の3番、4番、古河原、神永が倒れた後、5番青柳がフォアボールを選んだ。6番亀井光は、ピッチャー佐藤のゆるいカーブを力いっぱい叩くとボールはレフトの頭上を越えて外野フェンスへと転がった。青柳は一塁から一気にホームに返って勝ち越しの1点を上げた。
「ソレイケ ソレイケ」宇高の応援団は、もうこれ以上ないというくらい声援の渦の中にいた。この日は 前に立つ応援団員は九人だ。大場、池田、町田、阿見、稲川団長、水野、北村、菊地、飯島のメンバーだ。
ピッチャー亀井光の投球が冴える。五回表は作新の下位打線を落差の大きいスローカーブで連続三振に打ち取った。
しかし六回の表、一アウトを取ったところで作新の6番斎藤にセンターオーバーの二塁打を打たれる。作新はここで代打、福田を出す。福田は二ストライクの後、ねばって、センターオーバーの二塁打を打つ。斎藤がホームに返って同点として、7番佐藤が二塁の福田を三塁に送ると、ここで8番が三塁線ギリギリに絶妙のセーフティバントをして三塁の福田が返って逆転した。一塁側の宇高の応援団席から大きな溜息がもれた。
七回表が始まる前に両校のエールの交換があった。
フレーフレー宇高 フレーフレー宇高 フレフレ宇高 フレフレ宇高
フレーフレー作新 フレーフレー作新
フレフレ作新 フレフレ作新
そのあと、全員脱帽して、起立し、校歌を斉唱した。
作新の応援団は、ブラスバンドやグリーンの制服のバトンガールのもと、一糸乱れぬ応援をしている。
宇高の応援団は、黒い制服に高下駄とうちわ、鐘や太鼓と質素だが、質実剛健の旗の元、掛け声だけは負けなかった。
試合は終盤、八回裏、1番柏崎がショート内野安打で出塁した。2番手塚が三振の後、3番古河原がフォアボールで一塁、二塁として4番、絶好調の神永がライト前ヒットで一アウト満塁にした。
「ワッショイ ワッショイ」「ソレイケ ソレイケ」
高下駄を前に押し出し、うちわをくるくる回して、みんな声が枯れんばかりに叫んでいた。
水沼がいる。富がいる。船田がいる。安藤、石川、花塚、秋場、阿久津がいる。板橋、富田、金田、浅野、加藤、菅野、入江、檜山、恩田、渡辺、高橋、上野、横山、広沢、北條、若井、長谷川、佐藤、前田、中沢。哲夫の太鼓を叩いている周りには、一夫、竹屋、生沼、ター坊、タケちゃん、六平、信ちゃん、そして圭子、ヨッチン。みんな夢中になって応援していた。ナベちゃんと大森が大うちわを思いっきり、振り回していた。
一打逆転の絶好のチャンスだ。バーターは5番青柳。一球目ボール、二球目ボール、三球目もボール、作新のピッチャー佐藤はボールを連発して苦しい。石井監督から「待て」のサインが出た。四球目、ストライク、青柳はじっと我慢した。五球目、ストライク。フルカウントだ。
青柳は次の球を強振した。ボールはふらふらとショートの頭上に上がった。 二アウト。
「マダイケル マダイケル ギャクテンダ ギャクテンダ」
宇高応援団は、それ以上出ないと言うくらいの大声で応援をした。
6番ピッチャーの亀井光だ。自分の好投を助ける為にも、ここでヒットを打たなければならない。作新のピッチャー佐藤は、二つ続けてカーブを投げた。 今度はストレートだ。
亀井光は、ストレートに的を絞って思い切りバットを振った。
しかし、ボールは二塁手の頭上で止まった。三アウト。作新の応援席から物凄い声援が上がった。
九回表、亀井光は3番瀬田にセンターオーバーの二塁打を打たれると、続く4番にもレフトオーバーの二塁打を打たれて1点。5番をアウトに取るも、6番、7番と連続ヒット打たれて2点。合計3点の追加点を上げられた。
九回の裏、7番亀井文はセカンドゴロ、8番山崎も三振。そして9番鈴木もファーストゴロに打ち取られ、 ゲームセット。 終わった。哲夫は、ふとセンターのスコアーボード上ではためいている大会旗の方を見上げた。すると雲一つない青空が広がっていた。帰ろう。学校にみんなで帰ろう。こんなにみんなと一つのものに向かって行く事はもうないだろう。一緒に応援することは楽しい。一緒に応援する事は嬉しい。いや、待てよ。夏の大会がある。みんなで応援しよう。野球だけじゃない。
ほかの事でも、みんなで応援するというのが大事なんだ。みんなで応援するのが青春なんだ。
次は、みんなで何を応援しよう。春の応援は終わった。
志登美(四十三年)の春は終わった。 完