07.そこからさらに混乱していく
「やっぱり、何かがある」
そう言いながら、彼が少し身を乗り出してくる。
狭い車内で男と女が二人きり。しかも見つめ合っている。
これって、先ほどまでとは質の違う、危険性があるんじゃないだろうか。
むろんわたしには一切その気がない。何しろはじめて会った相手だ。
だが、その目に見すくめられている。
「何かって、何ですか」
「ぼくにもわからない」
そんなことを言いながら、彼がわたしの顔に顔を寄せてくる。
わたしは両手を小さく前に出し、もし彼の体重がわたしにかけられた場合でも、素早くはねのけられるよう準備をしている。
しかし、最低限の礼儀というものは、どこまで保てばいいのだろうか。
この距離は、近い。
見知らぬ他人同士がとる距離ではない。
だが、何かをされたわけではない。今のところ。
「わからないって……」
彼はじっとわたしの目を見たまま言った。
「だけど君を見ていると何か思い出せそうな気がする」
「そ、そう言われても……」
彼の顔は、ほとんどわたしと鼻が触れ合うほど近い距離にあった。やがて彼がささやくように言った。
「ぼくを君の家に連れて行ってくれないか」
そこでわたしの緊張の糸がはじけた。
わたしはやーとか、わあとか、そんなよくわからない声を出して彼の体を両手で強く押そうとした。
その手は、彼の素早い反応にかわされ、逆にわたしがバランスを崩して、車のハンドルに肋骨を強打した。
その衝撃は案外強く、わたしは息を殺してしばらく、ぶつけた部分を押さえていた。
やがて痛みが遠のき、わたしが体勢を整えたときには、彼は車の窓に背中を預けるようにして、わたしから距離をとっていた。
「大丈夫か」
平然とそう言う彼のことが、ますますよくわからなくなってくる。その目には、先ほどまでの怪しい魅力は、なぜか感じない。
わたしは、もう、すべてを諦め、唇をとがらせて彼に言った。
「あの、もうなんだか、全然意味がわからないんですけど」
そのころのわたしはまだ知らなかった。
わたしの頭は、これからさらに混乱していくことを。