57.なぜ、こんなことをした
しばらくその場で、座布団に頭をのせて、わたしは考え事をしていた。
相沢さんは今日のことを忘れている。
わたしはそう、結論づけざるをえなかった。
あれだけ乗り気で、積極的にわたしに協力してくれた彼女が、いまさら知らぬ存ぜぬを決め込むのはおかしい。
だいたい、自分でもおかしいと思うはずだ。
アプリにはわたしとのメッセージのやりとりが残されている。
パソコンのメールにだって、似たようなものが残っているはずだ。
だから、彼女は記憶を失っているだけじゃなく、そういったメッセージの記録すらも、消去するように指示された、ということになる。
だとすると、それを行ったのは誰か。
それが可能で、しかもわたしに思い当たる犯人は、一人しかいなかった。
そのとき、玄関から扉の開く音がした。
帰宅した際、わたしは鍵を閉めており、それを開けることの出来る人物も一人しかいなかった。
わたしは居間を出て玄関に向かった。
三日後に帰ってくるはずのカナタがそこにいた。
彼は普段と変わらない顔をしていたが、どこか不服そうにわたしを見ていた。
「おかえり」
そう、わたしは声をかけた。しかし、カナタは一度うなずいただけだった。
「帰ってくるの、早かったね。またうちの近くに寄ったから?」
カナタは、その質問には答えなかった。
「ねえ、トウコ」と彼はいい、少し間を空けてから、言葉を続けた。「君は今日、何をしていた?」
真っ正面からそうたずねられて、わたしはそのとき心を決めた。
嘘はつくまい、と。
「カナタのことを尾行してた」
彼が顔をしかめるのを見て、わたしは罪悪感を抱いた。
だけど、言わなければ、軽蔑されるだけだ。
「でも、カナタだってそのことは知ってるんでしょう。相沢さんから話しかけられたの? それともカナタの方から見つけたの?」
そう言うと、カナタは若干表情をゆるめた。
「あの人……相沢さんは、面白いね。ぼくがスタバでコーヒーを飲んでいたら、急に話しかけてきたんだ」
彼女の、あの勢いならやりかねない。
「それで、自分は中山トウコさんの知り合いで、ぼくのことは写真で見ていて知っていたんだって。そしてぼくは中山トウコさんの恋人ということだ。だけどいま、女子高生と一緒にいるのを見てしまった。自分は中山さんに傷ついて欲しくない。なので失礼だけれど、今の女子高生とはどういう関係か教えて欲しい。そんなことを言ってた」
そう真剣な顔をしてまくしたてる相沢さんの顔を想像しながら、わたしはカナタにたずねた。
「その話、信じた?」
「まさか。トウコが、ぼくの存在を、それほど多くの人に広めたいはずがない。だからその後で彼女に本当のことを聞いた。彼女の心に働きかけて」
カナタがじっとわたしを見つめる。
その目に、わたしは恥ずかしさを覚えた。
わたしが相沢さんに重ねた嘘の数々を聞いて、カナタは一体どう思ったのだろう。
「そうして、彼女にはぼくのことを忘れるように言った。そのときのことだけじゃない、そこに至るまでのあらゆることを。彼女が思い出す可能性のある、あとで確認が可能なことについても、対策を講じるように言った。そう指示された彼女がはじめにしたのは、なんだったと思う?」
「……わからない」
「彼女はサングラスを外して、スタバのごみ箱に捨てた」
そう言って微笑んだカナタは、やがてまじめな表情に戻った。
「一応、サングラスの値段を聞いたら、百均で買ったものだったから、ちょっと安心した。……でも、相沢さんには申し訳ないことをした。今日、彼女の記憶は曖昧で、戸惑っていることも多いだろう。だけどトウコ、君はなぜ、こんなことをした?」




