表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/72

04.越えてははならない壁を越える

「本当に大丈夫なんですか」


 車に乗り込む直前、わたしは彼にもう一度たずねた。

 同じ質問は、もう何度もしていた。

 そうして、彼から返ってきた答えも、こちらも何度も繰り返されたものだった。


「大丈夫って、ぼくの体のことか。それなら、さっきも言った通り、問題ない。それよりも、この周囲のことを知りたい。少し、その車で周囲を走ってもらいたい」

「……あの、警察と、救急車を、呼ぼうと思っていたんですが」


 少しのためらいの後でわたしはそう言い、それから自分の良識を疑った。

 なぜならそれは、聞くまでもなく当然すべきことだ。

 それをあえて尋ねるということは、そうしない可能性を留保した上で、相手に投げかけるという行為に他ならない。


 だが彼はこう答えた。


「呼ばなくていい。いや、呼ばないでくれ。面倒だ」


 わたしはじっと、その目を見た。

 その答えに引っ掛かりを感じた。

 警察を呼ばれると面倒。どういう意味だろう。


 警察と関わり合いになるのは、一般人でも面倒といえば確かに面倒だ。

 だが、あるいはこの人は、犯罪にでも関わっている人なのだろうか。


 もしそうだとすると、警察を呼ばないというわたしの選択は、危ない。

 わたしが法を犯す、犯さない以前に、わたし自身が何らかの危険に巻き込まれてしまうのではないか。

 警察を呼んだ方がいいのでは? 彼のためではなく、自分のために今一度、そう考えてみる。

 しかし、目の前に立つ彼は、わたしから見つめられても動揺した様子はなかった。焦りも見られない。

 警察が来たら、来たなりで仕方がない、そんな風に考えているようにも思えた。


「……本当に、いいんですね」


 最後にそうたずねると、彼は平気そうにうなずいた。


「ああ」


 そう答える彼には、見たところ、何か怪我をしている様子はない。

 だけどそんなこと、ありえるのだろうか。

 首をひねりながら、わたしは車に乗り込んだ。


 車のキーは抜いていなかった。

 そのキーを回す前に、少しだけためらった。もしも車が動かなかったら、どうしよう。

 だが、車のエンジンは何の問題もなくかかった。


 軽くアクセルを踏むとしっかりと前進する。ブレーキもしっかり作動する。

 次にバックギヤに入れて、後退をしてみる。こちらも問題ない。自走には何の問題もなさそうだ。

 そう判断したあと、わたしは、このまま逃げてしまおうかと、ふとそんなことを思った。

 その程度には、彼に不気味さを感じていた。


 もちろん、その考えはすぐに改めた。

 今、このタイミングで、彼をここに置いて逃げるなどあり得ない。

 ただ、それを言ってしまえば、このタイミングでドライブがはじまることもまた、ありえないのだけれど。


 わたしは窓ガラスをあけ、彼の方を向いて声をかけた。


「動くみたいです」

「よかった」


 軽くうなずいて、彼は、ためらう様子もなく、助手席の方へ回った。

 そうして、ドアを開き、車に乗り込んできた。

 ポケットからナイフでも取り出して、脅迫してくるかとも思ったが、そうはならなかった。


 わたしはふう、と息を吐いてアクセルを踏んだ。

 車が動き出す。警察と救急車を呼ぶべき、事故現場をあとにして。

 これで何かを、越えてはならない常識の壁というものを乗り越えてしまった。

 後戻りは出来ない。そういった緊張はもちろんあったが、他にも心配な点はあった。


 わたしは、他人を自分の車に乗せる機会がほとんどなかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ