02.海底に横たわるエイのように
そこまで考えてから、わたしはやっと気がついた。
目の前の歩道に横たわっている人は、灰色の服を着ており、うつぶせに倒れていた。
その上半身が、ゆっくりと起き上がりつつあった。そのときまでよくわからなかったが、髪は長くない。
肩幅も広い。
男性だ。
わたしは彼のそばに走り寄り、その姿を見下ろした。
彼は裾の長いグレーのコートを身にまとっており、コートはアスファルトに台形型に広がっていた。
その台形の底辺から、黒いジーンズをはいた足がまっすぐ伸びていた。
まるで海底に横たわっているエイのようなフォルムだった。
わたしが見たところ、赤い色はどこにも見あたらなかった。出血はしていないようだ。
「あの、大丈夫ですか」
身を屈めながら彼に声をかけた。
すぐに反応はなかった。
さきほどのわたしのように、呆然としていたのかもしれない。
自分に何が起こったかわからなかったのだろう。
やがてその顔がわたしの方に向いた。
先ほどの想像通り、男性の顔立ちだった。
薄暗かったが、見たところ、怪我はない。
「大丈夫」
彼はそう言ったが、それが本当に大丈夫という意味なのか、それともただ動転して、わたしの言葉を繰り返しただけなのかはわからなかった。
彼は、周囲へ一度目を向け、それからゆっくりと右膝を立てた。
立ち上がろうとしているようだった。
どうした方がいいのか、わたしは迷っていた。
彼が大丈夫だと言っている。なら、放っておいていいのか?
そんなわけがない。
何しろわたしは、……交通事故の加害者だ。
救急と通報の義務があった。
「あの、動かない方がいいです。頭を打っているかもしれない」
彼の目の前で両手を広げながら、今の行動を押しとどめようとする。
それでも彼は構わず、動き、立ち上がろうとする。
一度直立し、それから、ふらついた。
わたしはその背中に手を回し、彼が倒れてしまわないように支えた。
「ほら。いいですか、大丈夫そうに見えて、家に帰ったあとで意識を失い、帰らぬ人になるなんて例はいくらでもあるんですから」
そうは言ったが、その実例は知らなかった。
ありそうな話、というだけだ。
職業柄、そういったほら話は得意だった。
そうして、そのありそうな話は、今のわたしにとっては最悪のケースだ。
「なるべく、動かないでください。出来るなら、横になって」
彼はじっと目を落とし、わたしの話を聞いていた。
その目が、やがて、わたしに向いた。
やけに深い色をした目だった。
「ぼくは、何をしていた?」
「歩道を歩いていたんだと思います」そして、わたしにひかれた。そうとはいえず、言葉を飲み込んだ。「また倒れるかもしれないから、かがんでください」
「ぼくが聞きたいのはそんなことじゃない」
わたしの後半の言葉を無視して、彼が言った。わたしを見つめながら。
その目には確かな意思の光があった。
「思い出せない」
彼は背中に回ったわたしの手を、そっと体から引き離した。
それから、自分の両手を見つめた。
「何かをしていたはずなんだ」