12.彼を轢いたのはわたしだ
衝突される理由をわたしは知っている。
その直前に灰色の猫がわたしの車の前を横切ったからだ。
だが彼はいま、記憶を失い、何が手がかりかもわからない状態にある、らしい。
だとするとその理由をわたしに求めてもおかしくはない。
というか、そう推測するしかない状態なのかもしれない。
わたしはわずかに身体を動かし、バックミラーに彼の姿を映した。
彼はその動作には気がつかず、わたしの顔の左側面に視線を送り続けている。
冗談を言っているような顔には思えなかった。その顔は、任意に変えられるものらしいけれど。
「でも、そんなことわたしに言われても……」
わたしには見当もつかない、そう続けようとしたわたしを遮って彼が言った。
「だけど、ぼくをひいたのは君だ」
そう言われて、わたしは続ける言葉を失った。宇宙人のくせに、そのあたりは常識的なことを言うんだな、と思った。
「いまのぼくは、君を失ってしまうと、あの場所にいた意味もまた、見失ってしまう。だから、君のそばを離れてはならない。ぼくはそう考えている。別に何をするわけでもない。君から何もしてもらわなくていい。君を見ているだけで何かが思い出せるかもしれない。だから、君のそばにいたいんだ」
謎の宇宙人からそう言われて、正直いって、わたしは照れた。
少し顔がにやけるのを抑え、表情を変えないようにつとめた。
バックミラーの向こうで、彼の整った顔が、その真剣な眼差しがわたしを見つめていた。
誰かに、そんな甘い言葉をかけられるのははじめてだった。
言われたのが、宇宙人じゃなきゃよかったのに。
そうしてつい先ほど、眼前に迫られていたときのあの焦りを思い出し、少しおかしくなる。
順序が、どう考えても違うだろう。
「それで、さっきの話になるわけですね。家に連れて行って欲しい、と」
「そう。説明不足ですまない」
ふう、とわたしはひとつ、息をついた。
事情はわかった。それなりに。彼が言う、わたしが理解できる範囲で。
わたしはフロントガラスの向こうの、パッソの赤いボンネットのことを思った。衝撃でへこみ、そして直ったあのボンネット。
へこんだのはわたしの責任で、しかもそれは法的責任と金銭的負担を伴うものだった。
直ったのは、宇宙人の何か宇宙的なパワーで、それはわたしの責任であるところのあらゆる負担を取り去るものだった。
そこに恩を感じていないと言えば、嘘になる。
そうしてその力を行使した彼は、わたしの家に連れて行って欲しいとお願いをしている。
一方で、男の人を家に連れて行くというのには、ひどく抵抗がある。家の掃除も最近さぼっていた。
だけど彼は男の人に見えているだけで、宇宙人だ。
こう言い換えてもいい。人間らしく見えているだけで、別種族だ。
道で出会った猫に妙になつかれ、家にまで連れて行って餌をやるのだと考えればどうだろうか。
「……わかりました。いいですよ、うちに来てもらっても。ただ、家、今は散らかっているので、着いたら掃除だけさせてください」
「好きにしてくれていい。どうなろうと、いま、君と離れ離れになるよりずっといい」
はあ、とわたしはため息をつく。
わたしたち人間は、なんと複雑な言葉の世界で生きていることか。
彼にしてはありのままを表しただけの表現だと思うのだが、わたしにとっては、聞き慣れない言葉の羅列で、大変はずかしい。
まあ、お茶でも出しますよ、と言い掛けて、どんな返事がくるか少し考えた。
不要だ。人間と同じものは口にしない。
あんまりろくな答えは来なさそうだな、と考えながら、わたしは自分の家へと向けてハンドルを切った。




