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01.猫を避けて人を轢く

 そのときのことを、わたしはよく覚えていない。


 わたしは一人、夜の道を車で走っていた。

 そこは郊外にまっすぐ伸びている一本道で、だから見通しはよく、周囲に他の車の気配はなかった。

 ハンドルを握りながら考え事をしていたら、突然、道の左側から猫が飛び出してきた。

 灰色の猫だった。


 一瞬、わたしの反応が遅れた。

 ブレーキを踏んでいたら間に合わない!

 そう瞬時に判断して、ハンドルを左側に切った。

 それで、道路の左側から現れたその猫は避けることが出来た。

 猫はそのまま道路を横切っていった。


 その道路の路肩は、かなり狭いものだった。

 そしてまた、その先にある歩道とは、わずかな段差しかなかった。

 道路と歩道との境目を区切るコンクリートブロックもなく、行こうと思えば車は簡単に歩道へ乗り出すことが出来た。

 ハンドルを切る前に、歩道に誰もいないか、確認はしていなかった。

 わたしがハンドルを切り、車が猫を避けた先にまた、何かがいた。


 人は自分の死の間際に、走馬燈を見るという。

 今まで生きてきた人生のすべてが、一瞬のうちに、脳裏をよぎるというのだ。

 わたしも似たようなものを見た。

 自分の命がかかっていたわけではなかったけれど、確かにそれは、緊急事態だった。


 ブレーキは、踏んだと思う。

 ABSが作動して、ブレーキペダルがぶるぶるとふるえた。

 ただ、それ以外のことは、あまりよく覚えていない。

 ブレーキと路面がこすれる音も、車体が何かにぶつかる音も、確かにしたはずなのだけれども、音の記憶は一切ない。

 体にやってきた衝撃も、覚えていない。


 次に気がついたとき、わたしは車の外にいた。

 年のはじめだったから、外の気温は低かったはずだけれど、寒さは感じていなかった。

 ただ、呆然としていた。


 ぶつかってからも、少し走ったらしい。

 わたしは車の後方を見ていた。

 夜の街灯のぼんやりとした光の中で、アスファルトの上に、何かがうずくまっていた。

 人だ。

 そう認識しながらも、わたしは動けていなかった。

 ただ立ち尽くしたまま、自分の行く末を考えていた。


 業務上過失傷害。あるいは致死。

 どの程度の罪になるだろう。


 わたし自身の作品の中でも、交通事故はときどき登場した。

 それが発生すると、物語は大きく変化する。変化せざるを得ない。

 事故を引き起こした方も、引き起こされた方も、人生が大きく変わってしまうのだ。

 それはT字路のようなもので、それまで向かっていた方向に進むことは出来ず、右か左か、軌道修正を余儀なくされる。

 それがまさか自分の身に起こってしまうとは思っていなかった。


 執行猶予はつくのだろうか。

 そうだとしても、事故を起こしたことは、世間に認知はされるだろうし、ひょっとすると大きく報道されるかもしれない。

 出版社も、読者だって、そのことを知る。

 それはわたしの仕事にどのような影響を及ぼすのだろうか。

 仕事を続けられなくなる可能性だってある。

 せっかく叶えた夢を、このために、すっかりだめにしてしまう。


 だが、それはすでに起こってしまったことなのだ。

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