真逆の日常
「はあ……」
人が込み入っている都会の真ん中で、彼は盛大な溜め息をついていた。
あっちにも、こっちにも、人、人、人。
見えるのは人ばかりで、建物なんて太陽の光に照らされ、ギラついている上層部しか見えていないという異常さ。
そんなかなりの密集度を見せる都会の町は、相変わらず忙しそうである。
町が忙しそう、という表現に抵抗を感じる人もいるだろうが、それだけ町にいる誰もが、忙しそうに歩いているということだ。
そんな溜め息をつく暇さえない人に紛れて、高校生と言うには少し幼い少年が、見事な溜め息をついたのである。
この少年――轟木晃が、どうして溜め息をついているのかというと、晃はここ数日の間、誰かに見られているように感じる時が、何度かあったのだ。
まあいわゆるストーカーの被害に遭っていたのだ。
最初は、可愛い女の子がなるならともかく、自分みたいなムサい男がなるものか、と否定していたのだが、この時代のストーカーを晃は甘く見ていたようで、そんなことを言っているうちに、徐々にストーキングはエスカレートしていき、ついには家にまで来るようになってしまったのだ。
だが、今日は一度もそんなことはなかったのだ。
いつもなら、この時間帯になると、平気で人のことを追っかけ回しに来るストーカーが、今日に限って来ないのである。
本当なら、喜ぶべきことなのだが、今日は喜ぶどころか、溜め息まで出る始末。
何故なら、警察に被害届を出した所、今日から護衛をつけてもらえることになったのだが、肝心なストーカーが現れない限り、晃の勘違いだと思うわれてしまうからである。
晃はなんとしてでもストーカーをやめてもらいたかった。
晃自身、今現在恋をしているのだ。
「恋は盲目って言うけどなあ……なんでこんなことになってしまったんだ……?」
数日前、晃はしつこくナンパをされていた美少女を助けた。
別に、ナンパをされていた子が、美少女だから助けたのではなく、単に同じ男として、女の子に一度断られてまでなお、しつこくしているのが許せなかったのだ。
男なら、一度断られたら潔く引き下がれないのか、と。
結果、晃はその美少女にストーキングされることになってしまった。
「すごくいい子そうだったのに……」
晃曰く、自分には勿体ないぐらいの美少女で、そんな子がストーカーだなんて、信じられない!、だそうだ。
人は見た目によらない、とはまさにこのことで、晃は身をもって知ることとなった。
晃が三度目の溜め息を、ちょうど吐いたその時、
「晃?」
と、聞き覚えのある声がした。
振り向くと、背の高い少年が、心配そうに晃を見ていた。
「なんだ、亮か」
明らかに落胆しきった声で返すと、
「俺じゃ不満なのかよ」
と、少し口を尖らせる、亮と呼ばれた少年。
外見は高校生よりは大人びて見えるのだが、口を尖らせる、といった表情は彼を幼く見せる。
そんなお茶目な部分も、彼の魅力の一つと言ってもいいだろう。
そんな彼は、嶺岸亮といって、晃の親友である。
「そんな、全然?」
「お前……疑問を疑問で返す馬鹿いるか。第一、そんな答え方されたら、不満なのか、そうじゃないのか分かんないだろう」
「やだなあ、そんな鋭いツッコミされたら、僕の優しい心はどう返せばいいか困っちゃうだろ、馬鹿亮」
「なっ……ってことは何だ!? 本当にお前は俺じゃ不満なのか!? ……ってかさり気なく馬鹿とか言うな」
「まあ、ぶっちゃけ、今日は最大にして最高に不満かな」
さらりと今の気持ちを言いのける晃に対し、亮はツッコミを入れる。
「お前、本当に毒舌だよなあ……」
同時に溜め息も吐き、どこか諦めたように呟く。
「まあでも、いつも通りっちゃいつも通りか……ってかさっきからこっちを、不審者みたく見ているあのオッサンは誰だ?」
「サツ」
間髪を入れず答える晃をまじまじ見た後、
「……何かやっちゃった?」
と、聞いてはいけないものを聞いてしまった、というような顔をしながら聞く亮。
「って、なんで僕が事件を起こすわけ! 逆だし逆!」
「いやあ、スマン、スマン。お前があっさり言うから、てっきり何かやっちまったのかと……ってかやりそうだし」
そんな発言を亮が言い終えたと同時に、晃は亮のスネを蹴って、
「僕とやり合う気?」
と、宣戦布告を告げた。
「……すみません、ごめんなさい、もう二度と言いません」
「よろしい」
こんなやり取りをもう何度もしているのだろう、亮はすぐに対処してみせた。
「でさ、どうしてサツがお前の後をつけてんだ?」
「……ストーカー」
これもまた間髪を入れず答える晃。
「えっ……は?」
反応に困ってる亮を見た晃は、呆れたような目で見ている。
「悪いけど、サツがストーカーやってるんじゃないからね」
「ちょっ……待て待てい! あのサツがストーカーじゃないってんだったら誰がしてるっていうんだ?」
「……はあー」
もっともすぎることを言った亮に対し、晃は、本日四度目の溜め息を吐いた。
「なんでそこで溜め息が出て来るんだ」
「なんか、頭悪い亮君に、一から説明しないといけないのかと思ったらつい溜め息が」
「いいから、早く説明しろ!」
しばらく、考え込むような仕草をし、ようやく話がまとまったのか、晃は話し始めた。
「……ここ数日間僕はとある女の子にストーキングされてたんだ。まあ最初は、誰が好き好んで男をストーキングするんだ、って思ってたから放っておいたんだけど、昨日僕の家に来てさ、『開けてください! 今すぐここのドアの鍵を開けてください! 私が来ましたよ! さあ、早く!』、なんて言うから気味悪くなっちゃって……」
「それで警察に被害届を出したら護衛がついたってわけか」
やっと、事情が分かった亮は信じられない、という顔で晃を見やる。
「お前をストーキングとか、どんだけ勇気あるやつがやってんだ」
「ねー。昔からあらゆる格闘を習ってたけど、流石にストーキングされるとは思わなかったよ」
少し自虐的に笑いながら言った晃は、後ろでこちらをジッと見ている警官をチラリと見た。
「しかも、警官がいる時に限って出て来ないし」
「ああ、だからお前」
「そう、君じゃダメなんだよ」
うーん、と背伸びをして警官の方に向かって行く晃。
警官に謝ってる姿を見ると、どうやら今日のところは引き取ってもらうようだ。
「いいのか?」
駆け足で戻って来た晃に亮はさり気なく聞いた。
質問の意味がどうやら分かんなかったようで、キョトンとしていたが、ようやく意味が分かったようで答える。
「うん。だって、僕のために無駄な時間を使わせちゃ、警官も可哀相だからね」
また自虐的に笑う晃を見て、亮は、相当晃がまいっているということに気付く。
「でも警官がいなくなったら、ストーカーも出で来るかもしんないぞ?」
亮は、別に脅しのつもりで言ったわけではないのだが、晃が一瞬顔を強張らせるのを見て、しまった、と後悔した。
「まあ、その時は、亮の腕掴んで、この人僕の彼氏!、って言うから大丈夫!」
思ったよりも、元気そうな声に安心しつつも、何度も反復する彼の言葉の意味をようやく理解し、
「げっ……マジかよ!?」
と、あからさまに嫌な顔をしながら返した。
「恋を諦めさせるのに一番いいのは失望させることだからね」
ケラケラ笑う晃を見ながらゲッソリしている亮。
しかし亮は表情を一転させ、おまけに声のトーンも落とし、雰囲気を変え、晃に確認した。
「ところでさ……この通りの裏で殺人事件が起こったの知ってるか?」
亮の豹変ぶりから何かを感じ取った晃だが、気付かないふりをした。
「んー……最近自分のことに手一杯だったから知らないなあ」
それは、とても、とても、普通の答えなのだが、晃は敢えて一番無難な答えを選んだ。
特にそれ以上事件について触れるつもりはないのか、亮は詳しい事情などは説明せず、ただ、
「そうか……まあお前もそのストーカー女に殺されないように、気をつけろ」
とだけ言った。
「ご忠告ありがとう」
そう言ってニカリと笑う晃。
そんな姿を見ると、亮以上に、年齢よりも幼く見える。
「なあ、今日久々にあそこ行かね?」
亮は雰囲気をまた普段通りに直し、軽い調子で提案した。
「あそこって……」
「決まってんだろ。『しらゆき』さ!」
何故か意気込んで店の名前を口にする亮。
「だよな」
そんな亮を見て微笑ましそうに笑う晃。
「しょうがないな、亮のおごりならいいよ」
「なんでそんなに偉そうなんだってか無理」
「じゃあ、行かない」
「それも、無理」
「そんな我儘言う子とは付き合いきれません」
「俺も人におごらせるような子とは付き合いきれない」
「だってお金ないもん」
「……しゃーねな、今回だけだぞ」
というやりとりを、彼らはもう何度もやっているのだが、特に気にしている様子はない。
きっと彼らにとって、日常茶飯事なのであろう。
∞
「……というわけなんだが、単刀直入に言うと、君にこの学園を調べて来てもらいたいのだが」
薄暗く、狭い部屋に、男が二人いた。
いや、実際見えないだけで、何人もののいかつい男達がこの部屋の中にいるみたいだ。
そんな厳重に警戒されたこの部屋から、ここにいる男のどちらかが、大切な人だということが分かる。
おまけにここは某マフィアのボス専用の部屋である。
そんなわけで、恐らく今現在ボスがいるのだろう、この部屋に。
「長期にわたっての調査……高くつきますよ?」少々甲高い声が響く。
「かまわん。もともと富と財産は山程ある。だが、アレは――」
「あんなものに価値などあるとは思えませんがね」
甲高い声の持ち主の男は、一応丁寧語こそ使ってはいるが、相手をまったく敬ってないどころか、少々呆れたように話している。
「お前なんかには分からんだろうな」
対する男は机に肘をつき社長イスに腰をかけて、威厳という何かを醸し出している。
恐らくこの男がここの組織を仕切っているのだろう。
「分かりました。報酬は後ほどご連絡させていただきますので。では私はこれで失礼」
恭しく一礼をして、男は出て行った。
「上手くいくといいがな……」
男が出て行ったドアをジッと見つめ、呟いた。
すると近くにいた男が、相手を心配するように、話し掛けた。
「よろしかったのですか、ボス。あんな男に頼んで……」
「かまわん。あやつも一応プロだ。見掛けこそあんなだが仕事は中々のものだぞ」
そんな男の心配は杞憂だったようで、
「はっ、失言でした」
と、お詫びのつもりか、ボスと呼ばれた男に丁寧にお辞儀をし、男はまた部屋の闇へと消えた。
「変装屋……頼んだぞ」
成功を期待するボスの気持ちとは裏腹に、事態は失敗へと運ばれるのだが、今現在でそんなことを予想出来た人間はまずいなかっただろう。
「あんなボスによくまああんだけの下っ端がいるもんだ」
部屋から出て行った後、男が向かった先は、とあるたい焼き屋だった。
彼が向かった先のたい焼き屋は、『しらゆき』という名の店なのだが、このたい焼き屋、ちょっとしたことで有名であり、今日も人がいっぱいで、大賑わいであった。
実は、ここのたい焼き屋が作るたい焼きは、見た目こそ普通のたい焼きなのだが、中にあんこが入っている変わりにクリームとスライスされたリンゴが入っているのである。
白雪姫が食べて失神するぐらい美味しいリンゴを使っている、という意味での『しらゆき』だそうだ。
地元の人間なら誰しもが知っているという、このたい焼き屋。
彼はここで仕事を受けた暁には食べようと決めていたのだ。
そして今まさに食べようとしているところなのだが――
――誰だこいつ?
彼は見事迷子に捕まってしまったようだ。
「お兄ちゃん……僕、迷子になっちゃって……僕のお母さん、知らない?」
今にも泣き出しそうなこの少年に、とりあえず先程買ったたい焼きを渡す。
「坊や、とりあえず食べな」
内心は残念に思いながらも、今ここで騒がれても困るため、背に腹はかえられぬ、ということでたい焼きを渡す男。
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「ぷはあー、美味しかったー」
男の子は見事な食いっぷりを見せ、全て食べてしまった。
「ゆっくりでいいからママスのことを話せ」
本人としては、なるべく男の子を気遣うように話しているつもりなのだが、口調が口調なだけあり、男の子はビクッと反応した。
普段仕事としていろんな役をやっている彼だが、仕事をしていない彼の口調は子供ウケするようなのではなく、それでも彼は口調を変えようとは思わなかった。
そんな彼の口調を怖く思ったのか男の子は、大粒の涙をためている。
だが、お母さんのことを話せと言われたためか、男の子は恐る恐る話し始めた。
「……お母さんはすごく綺麗で、優しくて、いっつも優しい声で僕のこと呼んでくれるんだ」
――そんな探しようもない特徴で俺にどうしろと……? 彼としては、何かお母さんだという目印を聞きたかったのだが、どうやらその男の子は、人柄を話し出してしまったようだ。
そこで男は、逆に尋ねることにした。
「ママスのそんなことはどうでもいい。俺が聞きたいのは、ママスがどんな姿をしているだの、今日どんな服着てただのそんなことだ……というより、まず、坊やの名前はなんだ?」
迷子に対し、男は慣れていないのか、一番大切なことを聞き忘れていたみたいだ。
「僕は……鳳凰堂銀人」
妙に躊躇いながら名前を言うところに何かあるのだろうと、男は感じつつも、その名にどこか聞き覚えのあるようで、顔をしかめる。
――……鳳凰堂?
「……どうかしたの、お兄ちゃん?」
彼のしかめ面がよほどだったのか、男の子は心配そうに男の顔を覗き込む。
そんな男の子をまじまじ見て男は、
「……お前……親父の命令か?」
鳳凰堂と言えば、先程、この男に仕事を依頼したボスの名であった。
つまりは、この男の子は、先程仕事の依頼をしたボスの息子であり、男に差し向けた監視者といったところであろう。
「……もう気付かれたのですか。そんななりをしているわりに、勘が鋭いのですね。いや、私と合ってから20分は経過してますし……プロならば当然ですかね?」
先程までの可愛さあふれる口調とは打って変わり、少々嫌味も混ぜ合わされた丁寧な口調で話す銀人。
しかし、男は、動じるどころかますます冷静になり、銀人に言い放った。
「……後でお前の親父に伝えとけ、『今度依頼する時には、自分が信用できるヤツに依頼しろ』ってな」
裏の仕事を頼まれた際、依頼主がどれだけ信用しているかが重要なのだが、今回の依頼主は相当信用していないか、あるいは――
「いえ? ボスは貴方のことをかなり信用なさってますよ? ただ……今回はそれだけ重要である、ということでご理解下さい」
あるいは――依頼した仕事がとてつもなく重要であるか、のどちらかである。
今回は後者となるわけだが、この仕事が、どれだけ重要であるのか、男は分かっていなかったのだ。
だが、分かっていなくとも、全力で依頼を成功させるのが、彼なりのポリシーというもので、そんな彼のポリシーに、反する行為をされて、男は機嫌を損ねる。
「では、今から、ゆっくり今後の計画についてでも話しましょうね」
そう言って、ニコッと笑う銀人は、まさに小学生にしか見えなかった。
これが、男の日常の始まりであった。