プロローグ
最初は小さな歪みだった。
「ねえ……これは貴方がいけないのよ?」
深夜の路地裏で、二人の男女が向き合っている。
場所が路地裏ならば、女が壁に押さえ付けられててもおかしくはないだろう。
それなのに、何故か押さえ付けられているのは、男の方だった。
街灯がないこの路地裏は、もともと光がないため、不気味な空気をまとっていたが、その男女のせいで、今夜はより一層不気味な空気を醸し出している。
そんな中、美少女と呼ぶにふさわしい女が、静かに話し出す。
「最初は、そう……見ているだけで満足してたわ」
女は、過去の思い出を大事そうにゆっくりと話す。
一方、壁に背を追いやられている男は、そんな美少女を恐怖の対象としか見ておらず、話どころではないようだ。
「だから……貴方にたとえ、好きな子がいても、私は、好きでいられる自信があった……」
そんな男の態度が、目に入っていないのか、それとも単に気にしていないだけなのか、女はなおも言葉を紡ぎ出す。
「貴方と同じように、同じ空気を吸っている……そう思うだけで、私は毎日が幸せだと思えたわ」
「でもね、足りなくなったの……愛すだけじゃやっぱり物足りなくなったの」
「だって……どんなに私が貴方を愛しても、貴方は振り向くどころか、ちっとも気付いてはくれないんですもの!」
段々少女の語尾が強くなっていく。彼女の思いの強さが分かる。
「だから……だから私は、貴方が私だけしか見れないように、見れないように」
次の瞬間、彼女の右手は、高く高く上げられ――
「がッ!?」
男の腹に向かって振り下ろされた。
「刺すことにしたの」
その言葉を合図にして、刃が何度も振り下ろされる。
「だって、そうしたら」
――ザクッ
「貴方は」
――ザクッ
「私だけを」
――ザクッ
「見てくれるでしょう……?」
――ザクッ
∞
「あーあー、殺しちゃったか」
先程から路地裏に、身を潜めている男が、消え入りそうな声で呟いた。
偶然にも殺人現場を目撃してしまった、この男。
普通の人なら、そんな現場を見たら、我を忘れて発狂するか、あるいは、もう少し冷静な人ならば、真っ先に警察に通報するだろう。
だが、この男はそんな素振りを見せない。
それどころか、男は、犯人を脅して、何か利用出来ないかと考えていた。
そんな男が目撃者だったから、この町で事件は起こった。
だが、もしもこの目撃者が普通の人だったならば――
もしもこの目撃者がすぐに警察に通報していたならば――
この話の結末は、もう少し違ったものを迎えてただろう。
歪んだ愛は、事実をも歪ませる。
これは、歪んだ愛から作り出された、歪んだ愛の、物語。