回想1 幻死病患者の逃走
真夜中の、雨で濡れた森の中を、私は必死に走る。
闇雲に走り続けたから足は痛み、心臓が壊れそうなほど動いていた。
だけど、足を止めることはできなかった。止まれば、アイツラに追いつかれる。
あの日から見えるようになった黒いヒトガタ。ニタニタと、おぞましい笑みを浮かべるアイツラは常に陰から私たちを見つけて……殺しに来るんだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
私が向かったのは森の小屋。撮影に使用した、あの小屋。
古びたそれは、かろうじて建造物としての原形を留めているもの。普段なら使おうと思わないそれも、今の私には水辺に浮かぶ藁のようで。
入って、すぐに鍵を閉めて、傍に置かれた棒で扉を固定して、落ち着くと、私は持ち主のいなくなった人形のように、床に倒れこんでしまった。
「……もうやだ。あんなこと、やめとけば良かった。ハヤトくんの願いでも」
そうだ、あれなんだ、すべては“あの映画”を撮影してからなんだ!
怖い映画を作ろうって、撮影して、みんなで、あの廃墟の跡で、変なあそこにも、それから私もみんなも、おかしくなって、ひとり、またひとり、殺されて。
あの映画に関わった人たちは、みんな死んじゃった。私とハヤトくんを除いて。
「ううぅ、おえっ、おえぇっっっ」
吐き気で私の中にあるもの、胃液だけが吐き出される。
……ご飯が食べられなくなっていた。味気ないどころか毒の味がした。
何かを口に入れてしまったら、取り返しのつかない恐怖が襲い掛かってきた。
処方された薬も意味がなかった。むしろ飲むと体の痙攣と、気持ち悪さと、”とある感情”が増してきちゃう。
「あ、ああ、ああああああ、しにたい、しにたい、だれか、たすけて」
そして、こうなる。今の私は――とても死にたい気分でいっぱいだ。
少しでも恐怖を緩めたら、今すぐ首を掻き毟りたくなるくらいに死の思い、この世から逃げ出したいという衝動に駆られて、頭が破壊される感覚だった。
「たすけてぇ、たすけてよぉ、ハヤトくんっ……」
そんな私が頼れるのは、彼だけだった。私の愛しい王子さま。
映画同好会、私以外の唯一の生き残り。誰も、私の話すことを信じるか拒絶するかの二択で、この世界では彼だけが同じ苦しみを共有する仲だから。
助けを求めるために、震える手でメールを打った。大丈夫、来てくれる。
――ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺた、ぺたぺた
「きゃ、ん、んんぅぅっっっ……!!?」
水びたしの足音。恐怖で叫びそうになったのを何とか腕で抑える。
もうやだ、やだ、やだ、やだ、やだ。こわいこわいこわいこわいこわいこわい。
体が小刻みに震えて、涙が止まらない。それの音に気付かれる恐怖が心を支配して、震えが止まらなくなる。精神が刻まれ、擦り減っていく。
握られた携帯電話が通知を告げたのは、私が壊れる寸前の時だった。
『いまきた。たすけるよ』
ハヤトくんからの返信が、私を繋ぎ留めてくれた。
メールが返ってきたら、すぐに扉がノックされた。ああ、やっぱりだ。
こんなに早く来てくれるなんて。やっぱりハヤトくんは私の王子様なんだ。
そうだ、そうに決まっている。彼がいたから頑張れたんだよ、何があっても。
「ハヤトくんっ!!」
よかった、私は救われる、助けてもらえるんだ。扉を開け放ってみると。
「――――、――――、――――、――――、――――、――――、――――」
扉の向こうでは、目と口を真っ赤に染めた影がニタニタ笑っていた。
「……あは、あははっ、あははははははぁぁ、あははははははははぁぁぁぁぁ、あはははははははははははははははははははぁぁぁぁぁ、あはははははははははははははははははははぁぁぁぁぁ、あはははははははははははははははははははぁぁぁぁぁ、あはっ、ふひ、ふひひぃ、ふっ、ふっ、くっ、くひひぃ、いひひひぃ、うひっ、うひっ、ひっ、あっ、あっあっあっは、あっ、あっ、あっ、ああっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
頭の中にあるナニカがはじけ飛んだ私は、狂ったような笑みに溢れていた。




