第9話 正体を表した地獄絵図
「宏……!?」
突如として僕たちのところに現れた異様な空間。
その空間で目撃したのは悪夢のような光景と、僕の友人だった。
「ど、どうしよう……!?」
「どうするもなにも、行くしかないだろう」
「そうだよね。でも、大丈夫かな……。た、頼りにしてるよ、葵ちゃん」
「……あなたは、私を何だと思ってるのかしら?」
あの連中に気付かれないように、慎重に道の影を縫ってあいつの元へ。
まあ、僕たちの懸念とは逆に、彼らは踊り狂うことに夢中になっていたから、気づかれずに辿り着くことはできたが。
「おい、宏。大丈夫科」
「……なんだ、誠也かよ。お前まで来ちまったのか」
僕が小さい声で問いかけると、力なく僕を見上げた。
色々と消耗した様子だが、大きな問題はなさそうだ。良かった。
「どうして、こんなところに?」
「俺が知りてぇよ。気づいたらここに迷い込んでたんだよ。あの後、お前らと別れた時に社のことが無性に気になったんだよ。それで、かったら、今度はあの扉が開いたら面白いのにって思って、開けようとしたんだ。そしたら簡単に開いて。……その結果、このザマだというわけだ」
「どうやら、私たちと同じ方法で来てしまったようね。まったく、怪異かもしれない存在に対して無防備すぎだわ、あなたは」
「うるせーよ、七星。やっちまったもんはしょうがないだろ」
こいつもそうなのか。と、なると。やることは1つだった。
「それで、これからどうしようか……?」
「なら社のところに戻りましょう。」
「そうだな。一刻も早く社を」
「……無駄だよ。開けようとしたけど、開かなかった。そりゃそうだよな、大抵こういうのって開かないもんな。やる前から分かってたよ」
あの場所に戻ろうとした僕たちに首を振ったのは、宏だった。
……疲労からか苛立ちからか、その声には怒気と無気力感が含まれていた。
「もうダメなんだよ。もうお終いなんだよ」
「気持ちはわかるけど、動かなきゃそのままだぞ。お前――」
「お兄さん」
窘めようとしたその時、嫌に聞き慣れた幼子の声が僕の鼓膜を刺激した。
顔の筋肉が引き攣るのを感じながら、ゆっくりと声の方向に顔を向ける。
「アヤリ……!」
「お兄さん、夢の世界以来だね。名前覚えててくれたんだ」
「……誰よ。誰なのよ、こいつ」
「今日はしあわせなお祭りだよ。ほら、焼き鳥買ってきたよ。食べて」
少女の小さい手には、微かな湯気を漂わす焼き鳥の串。
なぜ彼女が僕に食べ物をくれるのかは謎だが、食べる気にはならない。
首を振って否定する。雫も七星さんも同じようだった。……だけど。
「もう耐えきれねぇ!! おい、それを寄越せ!!!」
突然、宏が立ち上がると、焼き鳥を乱暴に奪い取った。
「何を考えてるのよ、貴方は……!?」
「は、腹が減ってしょうがないんだよ。こんなところに迷い込んで、化け物がうようよするところで隠れてて、恐怖でどうしようもなくて!!」
「だからって得体の知れないものを食べようとしなくても良いでしょ!! 現世以外の食べ物を口にするなんてろくなことにならないわ!」
「も、もう無理なんだよ、い、いただきますっ!!」
「宏!!!」
僕たちの制止も血走った目で拒否し、宏が焼き鳥の串にかぶりつく。
「お、おえ、おえええええぇぇぇぇぇっっっ!!!!」
そして、今まで咀嚼していたものを地面に吐き出し初める。次々に床に落ちていくものは噛み砕かれた鶏肉の残骸……ではなかった。
――泥と枯れ葉。唾液に塗れたそれらは地面に溶けるように崩れた。
「こ、こんなもの、よくも食べさせやがって――」
「ダメだよ。ごはんを粗末にしちゃ。お母さんに怒られるよ」
「こ、これ、これのどこがごはんなんだよ……!」
「ごはんだよ。おいしい、おいしい、ごはん。今日はしあわせで、何もかもがしあわせで、しあわせなお祭りだよ。ほら、みんなも喜んでいる」
アヤリが唐突に指で刺した場所、反射的にその場所を見る。
……そこには、こちらを見据えて口元を不自然に吊り上げた人々。
表情は笑顔だったが、目は笑ってない。それは、例えるなら獲物を捕らえようとする肉食動物の眼光だろうか。要するに異常だ。
それに唖然とする僕たちがおかしかったのか、アヤリは笑った。けたけたと。どれくらいも続くその笑い声に不安と恐怖を駆り立てられていた。
「こ、こいつ、おかしいぞ!!」
「だから……だかラ……ダかラ……」
彼女が言葉を発する毎に声質が狂い、彼女の皮膚は剝がれていった。
『ダかラ、みンナもオにイちャンモワタシたチの仲マニなロウヨ』
そして、昨日の悪夢のように……すべて削げ落ち、化け物となった。
かろうじて骨に張り付いている肉は焼け爛れ、どす黒い赤に変色している。
周りを見えると、先ほどまで屋台で食べていた人たちや踊っていた人たち、踏まれて地面に這いつくばっていた人たちまでもが同じような姿だった。
それらが、びちゃびちゃと生々しい音を立て、僕たちに迫ろうとしていた。
「な、ななな、何だよ、あいつら!!」
「考えるな!! 今はここから逃げ出すことに専念しろ!!!」
「わ、分かったよ!! てか、お前らはこういうの慣れてんのか!?」
「慣れてるわけないだろ!!」
……まあ、なくはないけど!
霊に追われた経験といえば、忌児の廃寺での出来事だろうか。
だけど、あの時とは何もかもが違っている。あの化け物たちは、本気で僕たちを“仲間”に引きずり込もうとしている。
それを思わせるほどの気味悪い執念、怨念、ひしひしと感じていたからだ。
自身の生存が優先されてるためか平静を保てているものの、僕でも恐怖の頭がおかしくなりそうなくらい、不安定な精神だった。
『ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……ニガサナイ……!!』
血の底から響くような呪詛を背にして、辺りの光景も見えてくる。
さっきまで人々の交流の場となっていた屋台や峠道は燃えていた。跡形もなく、この空間にあったすべてのものが燃えつくされ、黒い煙を発していた。
先程から感じていた息苦しさ。あの時から峠道は燃えていたのか?
……炎失峠。もしかすると今回の怪異の真相が見えてきたかもしれない。
「こっちで合ってるわよね!」
「だから、あれは開かないんだって!」
「それしか方法ないんだから、つべこべ言わずにやりなさい!!」
幸いにも、肉、すなわち筋肉が焼かれていた彼らの足は早くはない。
走り続ければ、ここからは逃げ出せそうだ。このまま行けたら――
「えっ、きゃあっ!!?」
だけど、そんな思いは最悪の形で裏切られた。
雫が地面の炎を避けようとして、そのまま転んでしまう。
「い、いた……痛い……」
変な方向に足を挫いたのか、立ち上がれずに藻掻いている。
もちろん連中はお構いなし。雫を彼ら側に引きずり込もうとしている!
「雫!!」
それを見た僕の頭は、刹那の間、真っ白に染め上げられる。
そして、ほとんど反射的に身を翻し、雫のところに向かっていた。
僕は何も考えていなかった。あらゆることを、自分のことさえも。
「し、雫、大丈夫か!!」
「せ、誠くん。ありがとう。……でも、来てるよ」
絶望しきった顔の雫に言われて、後ろを振り返った。
そこには、生理的嫌悪感を覚えるほどに気味悪い笑顔の彼ら。
……逃げないと。だけど、咄嗟には動けず、雫を放置はできなかった。
どうすれば良い。上手く回らない頭で考えている内に、1人の骨と火傷痕とで構成された両手が、僕の首を絞めようと伸ばされて――
『ガアアアアアアアアアアアアァァァッッッ!!?』
その手は、灰のように空気上に消えて、持ち主は叫び声を上げた。
……なんだ、何が起こったんだ。僕も雫も困惑で言葉を失っていた。そんな時、怪物が小さく口を開ける。
『コイツ……コイツニハ……マモリガミガ……ツイテイル……』
“マモリガミ”
七星顯宗のノートにも記載されていた、あの存在。
……それが僕に付いているだと。何を言い出すんだ、こいつらは。
訳が分からないし、何を意味するのかも理解できない。だけど、直後に震えた足で立ち上がろうとしている雫が見えたことで現実の思考に戻せた。
「う、動けるか?」
「大丈夫……ちょっと辛いけど、手を貸してくれたらいけるよ」
化け物たちが右往左往してくれてる内に、僕たちは駆け出した。
隠れるようにして通った狭い道。炎と煙とで見えないそれを通り抜けていく。
あいつらから逃げられるように足に力を入れて、それ以上に雫の手を離さないように左手と腕に力を入れて。
そして、なんとか社に。だけど、待っていたものは2人の苦痛の表情だった。
「や、やっぱり、社の扉が、開かねぇんだ!!」
「……噓。さっきは何もしなくても開いたのに!?」
「だから言ったろ!! 無駄だって!!」
だけど、現世とここを繋いでいるのが社なのは間違いないはずだった。
現に宏も僕たちもこれを通して、ここに来ているのだから。だとすれば。
僕たちが来た時には満たせていた、その条件を満たせていない。そう考えるしかない。……ならば、それは何だろうか?
『オトコト……キミノワルイモノカカエタオンナイガイ……ツカマエロ』
「…………」
「う、うわぁぁぁっ!! 来たぁぁっ!!?」
そうこうしている内に、怪物が背後から迫ってきている。
ここに来られたら、正真正銘僕たちは終わり。考えろ。考えるんだ。
この世界、怪異には不可解なものが幾つもある。それを繋ぎ合わせれば。




