閑話 正月の夕闇倶楽部
「あ、来たわね!」
夜が明けるか明けないかの境界線、初日が顔を出そうとする空。
吹く風は冷たくあったが、どこか晴れ晴れとしているものも感じさせる。
――今日は元旦。1年の初めの日だ。
始まりというものは、事柄に対して重要な役割を果たす。それは時間の概念にも同じことがいえる。だから家でゆっくりと過ごしたい、というのが願望なのだが。
しかし、我らが夕闇倶楽部の部長様がそれを許すわけがない。倶楽部総出で初詣に行こうと、僕たちは強引に呼び出されたのだった。
傍若無人な遠乃への溜め息と……そして、眠気が襲ってきた。来る前にコーヒーを飲んでいたとはいえ、やっぱり眠いものは眠かった。
「ああ、来たよ。面倒くさかったが」
「新年だって言うのに随分と無愛想な顔と挨拶ね。福が逃げるわよー」
「大きなお世話だ。あと明けましておめでとう」
「あけおめ~!」
……まったくこいつは。新年の挨拶くらい略せず言えないのか。
「あ、誠くん! 明けましておめでとう! 今年もよろしくね!」
「明けましておめでとう。こちらこそよろしく」
その次に、隣にいた雫が挨拶をしてきた。
雪のように白い息を吐きながら見せる笑顔は眩しかった。
「それにしても、かなり着込んでいるな」
「私は寒がりだからね……。ひっ! 風が冷たいぃ!」
凍えるような冷風を身に受けた雫が、体を震わせている。
確かに寒い。まだ太陽が完全に出ていないから。気温は1桁だろうか。
まったく、何でこんな早朝に出かけなければならないのか。改めてうんざりだ。
まあ、とにかく二人が来ていることは確認できた。なら、あとの残りは――
「…………」
僕に気づかないというか、そんな余裕がなさそうな千夏がいた。
今すぐに寝てしまいそうなほど、うつらうつらと船を漕いでいた。
「……誠也先輩。明けましておめでとうございますぅ」
「あ、明けましておめでとう。大丈夫か、千夏?」
「全然、大丈夫じゃ、ないです。ふわぁぁぁ~」
……その様子じゃ、そうだろうな。
朝5時に起きて夜10時に寝るという超朝型人間らしいし、無理もないか。
「眠い? こなっちゃん?」
「……千夏、ですよぅ」
立っているのがやっとの千夏を、雫は心配そうに見つめていた。
そして、その数秒後くらいだったか。何やら閃いたように手をぽんと打つと、着けていた手袋を取り、手を千夏の首へと近づけて――
「じゃあ、こなっちゃんカイロ~! ぎゅぅ~!!」
「ぎゃあああああっっ!!!」
そのまま押し当てた。……あれは僕も小学校の頃にやられたな。
めちゃくちゃ冷たかったことを覚えている。それはもう殺意が湧くほどに。
「目が覚めた?」
「め・が・さ・め・た、じゃないですよ! ふざけないでください!!」
「ごめんごめん。はい、本当のカイロ」
「まったく……ううっ」
「なんかやってるところ悪いけど、行きましょうよ!」
「あれ、そういや麻耶先輩はどうしたの?」
「現地で合流するって言ってたわよ」
こうして僕たち4人は、まだ起きていない薄暗い街を歩き始めたのだった。
「って、なんじゃこりゃぁぁぁっ!!!」
神社の参拝の列に並ぶ、数えるのが馬鹿らしくなるほどの人々。
それに遠乃が驚きの大声を上げた。……周りからの“アレ”な人を見る視線が鋭く突き刺さっていて、精神的にすごく痛かった。
「多くない!? いくらなんでも多くない!!?」
「いや、当たり前だろ。有名な神社なんだし」
「むしろ時間帯を選んだおかげで、少ないくらいね。年明け直後はもっとよ」
「あ、麻耶先輩。いたんですね」
「……私って、そんなに影が薄かったのかしら?」
いつの間にか来ていた先輩に気づく。よかった、探す手間が省けた。
しかし、やっぱり人がごった返しているな。数キロはあるという、拝殿までの参道がびっしりと埋め尽くされている。
もしも僕1人だったならば、即座に帰るという選択肢を取るのだが……。
「どうする? やめにするか?」
「ここまで来て、諦める訳にはいかないわ! 待ちましょう!!」
当の部長様は、お待ちになられることを選ばれたようだ。
ならば付き合うしかなくなる。ここで本を持ってきてないのを悔やんだ。
まあ、持ってきたとしても時間を潰せなかっただろうけど。なぜなら――
「くぅ……くぅ……」
僕の背中には、すやすやと寝ている千夏がいるからだ。
あの後でもすぐに眠ってしまい、そのままに唯一の男の僕が背負う流れになった。
いつもは「子どもじゃないです!!」と言って拒否するおんぶ。しかし、眠気には勝てなかったのか、今日は大人しく僕の背中に乗ってきた。
……千夏の体が小さいとはいえ、女子大生を背負うというのは辛かった。重さとか僕の体への負担とか、あとは周りからの視線とか。
「数時間くらい待つなんてへっちゃらでしょ? みんなで会話するなり、暇潰しにスマホでもしてれば――ってつながりにくっ!! なにこれ!!」
それも当たり前。こんなに人が密集してれば電波も使い物にならない。
「しょうがないわね。ここは麻耶ちゃん、とっておきのギャグで」
「ただでさえ寒いのに、これ以上気温を下げないでください。麻耶先輩」
「……ごめんなさい」
「ま、これだけの人数がいるわけだし、みんなで話してれば終わるでしょ」
遠乃のこの楽観的な考え通りに事が進めば、良いんだけどな。
そんなことを思いながら、白い息を吐きながらみんなと会話をし始める。
とりあえず初めの方は、それなりに盛り上がった。麻耶先輩からが多かっただろうか。先輩が最近の夕闇倶楽部のことを聞いて、僕たちがそれに答えていく。
しかし、それが続く内に話すことがなくなってしまった。そうなると個々人が話題を投げかけ、それについての会話をするという話の流れになる。
そして、それが続くことで徐々に会話が減っていき、最終的にはこうなる。
「あー、暇だー!」
話すことが無となり、疲労と虚無感が支配するようになる。
それが我慢できなくなったのか、急に遠乃が吐き出すように叫んだ。
「おいおい、周りの迷惑だろうが」
「そんなこと言ったって、暇なものは暇なのよ!!」
……そんなことを口に出して、何になるんだろうか。
嫌なことは心の中でとどめておくべきであり、外に出すものではない。
それで物事は解決しないし、どころか声が耳に入って反復してしまい、余計に嫌な気持ちが増えていってしまうだけなのだから。
昔の人々だって言霊という概念からそれを避けてきたのだし。
「それにこんなに時間が空いたらご利益が薄れるじゃない!」
「ご利益に時間は関係ない。あと、それなら氏神さまに参拝すれば良いだろ」
「へっ? うじがみ? 何それ」
「……知らないのか?」
怪異を探求する夕闇倶楽部。
その部長なら、知っていると思ってた僕が間違っていた。
呆れつつ、とりあえず遠乃にも分かりやすいように説明をした。
「ふーん、住んでいると場所の神社、神様のことなのね。でも、あんたの地元の神社って近所のあそこでしょ? あの、ぼろいやつ」
「……ぼろいとは失礼だな。年季が入っていると言え」
「物は言いようね~。そういえば、昔はあの場所で遊んだっけね」
贔屓目に見ても、確かに決して綺麗だと言えない場所だった。
しかし、ちゃんと最低限の管理はされている立派な施設だ。それに、そもそも初詣とは氏神さまに参るのが普通のはずではないだろうか。
氏神とは住む地域の神様、すなわち自分に最も身近な神様とも言える。
こういった人の集まる有名な神社に参拝するのも良いことだが、地元の、近くで見守ってくれている神様のことも大切にすべきだろう。
例えそれがどんなにぼろ――年季が入った神社だとしても、だ。
「とりあえず今年を期に行ってみたらどうだ?」
「まあ、考えとくわ。時間があったらね」
「……その答えは絶対行かないやつだよな」
「あっ、こうして色々と話してたら。そろそろ列は終わりそうね」
そうこうしているうちに、僕たちは目的地に着いたらしい。
喧騒が大きくなって、所々で小銭が賽銭箱に当たる音がしていた。
「おーい、千夏。もうそろそろ起きていてくれ」
「そうですか。すみません、誠也先輩」
そう言うと、僕の背中から降りた千夏。
待っている間ずっと寝ていたおかげで、流石に目を覚めていたようだ。
重荷が消えたことで楽になった体をほぐすと、僕は手持ちの財布から五円玉を用意して、参拝に備えた。
「マフラーやコートとかも脱がないと駄目かな?」
「マフラーはそうだけど、コートは大丈夫だと思うわ」
「そうですか~。ならこう、ですね」
こんな人混みの中では脱ぐのが難しい。神様も理解してくれてるはずだ。
「そういえば、みんなはいくら入れるの?」
「こんなの1円でいいのよ。人もいるんだし、ケチってもバレないでしょ」
だが、お前は神さまを何だと思っているんだ。
確かに賽銭は気持ちの問題だし、額は関係ないとはいうが……。
「あっ、あたしたちの順番みたいよ」
そんなことを思っている内に、僕たちがお参りをする番になっていた。
本来なら静かに賽銭を入れるのが常識なのだが、前に人がいる上に、後ろから容赦なく銭が飛んでくるため、こちらも投げざるを得なかった。
神様に申し訳無さを感じつつ、握っていた五円玉を丁寧に投げる。
しかし、ここまで来てなんだけど、神様にする願いがこれといってないんだよな。……どうしようか。それなら、ここはオーソドックスにしよう。
「…………」
二回深く頭を下げ、二回柏手を打つ。
俗に言う二拝二拍だ。そして心のなかで念じる。
――皆の願いが叶いますように――
もう一度深々と頭を下げ、一礼。早々にこの場を立ち去った。
「ねぇあんた、何を願ったの?」
「内緒だ」
「うわー、けちんぼ。あたしはもっと多くの怪異を出会えますように、よ!!」
「いかにも遠乃ちゃんらしいわね」
しまった。こいつがいるなら、あんなお願いするんじゃなかった。
するにしても、「しかしこのバカは除く」とか付け加えれば良かったのに。
「そういう摩耶先輩はどんなお願いをしたんですか?」
「職場に馴染めますように。上司に怒られませんように」
「あ、あはは……」
こちらは切実な願いに、愛想笑いを浮かべるしかなかった。
というか、入社からもうすぐ1年が経とうとしているこの時期、馴染めるかどうか願うのは遅すぎるのではないだろうか?
とりあえず、先輩の願いが叶ってほしいと心から思ったのだった。
こうして夕闇倶楽部の初詣は完了した。
用事は終わったのだから、さっさとこの人混みから抜け出したい。
――そう、思っていたのだが。
「おみくじ! やっていくわよ!!」
そんな遠乃の意見に、僕の希望は押しつぶされてしまった。
これまた長きにわたる行列に並ぶことに嫌気が差しつつも待ち続けて。
「どれどれ……」
やっとおみくじが引けた。――吉。大吉の次に良い運勢だ。
おみくじは信じてないが、やっぱり良い結果だと嬉しくはなった。
「げっ! 凶ぅ!!? 何が駄目だったのよ!!」
それは日頃の行いだろう。神様はちゃんと見てくれているようだ。
ちなみに麻耶先輩は大吉。その横で雫と千夏は揃って小吉だった。お揃いだと二人で、仲良さそうに笑いあっていた。
「むー。どうすればいいのかしら、このおみくじ」
「さっさとあの木に結んでこい。それこそ福が逃げるぞ」
「はいはい、わかったわ」
「あ、私も行くよ~」
「念のために、私も結びに生きましょうか」
そう言って、遠乃と千夏、雫が人混みをかき分け結びに行った。
しかし良い運勢が引ければそれで良し、悪い運勢を引いても結べば吉に転じることがあるなんて、おみくじとは随分と人間に都合よくできているものだ。
おみくじを引き終わった僕たちは、今度こそ境内の外へと出た。
その時にはもう太陽は昇って、青と白が入りまじった空が広がっている。
時刻は6時ちょっと過ぎか。帰るにはちょっと早いと感じる時間だった。
「ねー、これからどうする?」
「そうね。あっ、よかったら私の家に来ない? ここから近いのよ」
「あ、もしかして先輩、寿司とか奢ってくれるんですか!?」
「しないわよ! いくらなんでも、話が飛びすぎじゃないかしら!?」
「い、“いくら”だけに?」
「……ふ、ふふっ。寿司だからいくら、ふふふっ、面白い……!」
「毎度ながら、摩耶先輩の笑いのセンスは理解不能ですね」
何というか、正月気分からすっかりいつもの日常に戻ってきていた。
まあ正月と言っても、本質的には1年の中の1日でしかない。
明日になれば何もない日、4日となれば正月としての特権も無くなるのだ。
「大晦日でやってたお笑い番組を皆で見たかったのよ」
「そっか。麻耶先輩はお笑いが好きなんですよね」
「その割に何で先輩のギャグはつまらないんですか?」
「私は面白いと思うのだけどねぇ……」
はてさて。今年の夕闇倶楽部には何が待っているのだろうか。
期待というか不安というか、入り混じった感情を覚えながら、歩いていった。




