第6話 あなたの知らない世界
「頭が痛いわ……」
「うぅ。二日酔いが辛いよぉ」
あれから次の日。調査二日目。
昨日より気温は低いため、過ごしやすく心地よい風が吹く。
太陽を覆う雲が少ないことで、木々や団地棟は照らされていて。
昨日の調査で感じた、団地内に渦く不気味さは心なしか和らいでいるようだ。
「千夏の家で飲みすぎたからだ。迷惑も考えずに」
「何よ、あのお父さんも笑ってくれてたじゃない!」
そう言われて、ひょうきんに笑うあの人の顔が思い浮かんだ。
千夏のお父さんは厳格そうな見た目だったが、良い人だった。
現に酔った2人を車で駅に送ってくれたことは感謝の言葉しかない。
ちなみにあの人もジャーナリストだとか。それも有名な人のようだ。
「うっ、ふわぁぁっ」
「欠伸なんて、誠也も人のこと言えないじゃない」
「誰のせいだと思ってるんだ?」
「あはは……。ごめんなさい」
ちなみに、今日の僕は寝不足だった。
理由は2人を家の近くまで見送ったことで帰宅が遅くなったから。
コーヒーを飲んでも未だに眠い。帰ったら布団で横になりたい。
「んで、今日もあれが居るのよねぇ。専属の介護士もいないし」
「流石にあれ呼ばわりはどうかと思うぞ?」
「あの人苦手だから嫌だなぁ。でも、一応先輩なんだよね……」
「そうそう。だから、あれに主導権を握られないよう麻耶先輩を呼びたかったんだけど……仕事なのよね。誘ってはおいたけど」
そりゃ今日は平日で、社会人だし仕方がないだろう。
まあ麻耶先輩がいると心強いのは確かだけど。できれば来てほしい。
「ああ、話が変わるけど。昨日のあの2人って何でいたのかしら?」
「彼らは神隠し事件を調べていたようだ。同じ高校の人が被害者らしい」
「へぇ。面白くなってきたじゃない、神隠しだなんて」
にやり、と遠乃が嫌に嬉しそうな様子で口元を釣り上げた。
「不謹慎な奴だな。人が行方不明になってるんだぞ」
「ふっふーん。怪異の調査なんて基本的に不謹慎なものよ。それに」
「それに?」
「神隠しだったなら、あたしたちが怪異を暴けば助けられるでしょ?」
「……頼もしいな」
現在進行系で二日酔いになって頭を抱えている人間の言動とは思えない。
呆れたように首を振った僕に遠乃が噛みついてきて、話が進んでいく。
そして、そうこうしている内に集合場所の広場へと到着した。
「あ、あの2人がそうじゃない?」
どうやら僕たちより先に千夏と伊能さんが来ていたみたいで。
設置物がなく開放感の溢れ出ている広場の端にあるベンチ、そこには千夏を相手に自慢そうな様子で話している伊能さんと。
「ち、ちなっちゃんの目が死んでる……」
そして、それを虚ろな雰囲気で聞いていた千夏が座っていた。
底なし沼のような瞳で、昔のおもちゃのように首を動かしている。
……思わず恐怖を感じた。人間はここまで思考を止められるというのか。
「集合時間ギリギリとは良い度胸だね。一流のビジネスマンは――」
「おーい、千夏! あたしたちが来たわよ~!」
「あ、ああ。た、助かった……」
「こなっちゃーん! 元気出してー! 何でもするから!」
「えへへ、しずくせんぱいだいすき~」
「ま、まずいわ! 幼児退行を起こしてるわよ!」
「ちょっと待って君たち! 自分のことを無視するんじゃない!!」
声を荒げた、相変わらずの伊能さん。
「まったく、せっかく君たちにアメリカのエグゼクティブが愛用する“完全無欠コーヒー”のすばらしさを教えてあげる予定だったんだが、やる気を失くしたよ」
「“完全無能”が、何を言ってるんだか」
あの遠乃が冷静になってるとは。もはや凄いレベルだ。
「ぐっ。……良いだろう。今日こそ君たちを論破してやる」
「はいはい、行きましょうか。ロリコンさん」
「だから千夏のことが好きじゃないと言っている!」
「ナチュラルに人をロリ扱いするの、やめてもらっていいですか」
そんなわけで、僕たちは目的に向かい始めた。
道を行く内に団地の住民らしきご高齢の方とすれ違う。
……睨みつけられてるような。まあ平日に、知らない複数人の学生が歩き回ってる姿を見たら警戒されるのは必然だが、露骨すぎないか?
「しかし、この団地って老人が多いわよね」
「高齢化だからな。社会全体がそうだし、この地域は特にだ」
遠乃の何気ない呟きに、待ってましたと言わんばかりの伊能さんが口を出してきた。……おい遠乃。誰が見ても分かるくらい嫌そうな表情をするのはやめとけ。
「昔はたくさんの家族が所狭しに住んでいたようだが、その親だって年を取る。だけど子どもは独り立ちして出ていくから、結果的にお年寄りしかいなくなる」
「へぇ、よく知ってるのね。あんたもちゃんとやればできるのかしら」
「それはどういう意味だ。……とりあえず、今はこんな見てくれだが1970年代の頃には最も賑わっている団地と言われていたようだな」
「ふぅん。あっ、1970年代といったらオカルトブームよね~!」
「高度経済成長を忘れ、オカルトに傾倒した時代か。嘆かわしいものだ」
「むしろ真っ当じゃない? 気づいたんでしょ、この世には自分の知らない世界があることに。自分たちが生きる世界の全てを知ることができないことに」
悪いことばかり宣う遠乃も、今だけは良いことを話していた。
日本の繁栄を象徴する高度経済成長が終わって、自分たちは何でもできると信じてやってきた人々は一気に暗い現実に直面することになる。
更には公害に学生運動とテロ、冷戦と名状しがたい恐怖が現実のものになりつつあった時代が――オカルトブーム、特にノストラダムスの大予言を引き寄せた。
他にもUMA、宇宙人、超能力など異能のものが世間で受け入れられたのだ。
不安な情勢の中、未知なるものは恐怖の一方で、魅力的に映ったのだろう。
でも、同時に現在の社会はどうだろうか。大量の情報に繋がる今。
知らない、分からない、理解不能の世界が、自分がいない場所で広がって。
現代の人々は、世界を見れているのだろうか。多くの情報の渦に飲み込まれて“忘れ去られているもの”はないのだろうか。そんなことを二人の会話から思った。
「というより、君はこの場所の情報を調べてないのか? 部長なのに?」
「あたしがやらなくとも、誠也や千夏が調べてくれてるし」
「ああ、来る前にあらかた調べておいたよ。無駄になったが」
「私もです。事前情報がないと真っ当な調査ができませんから」
「なるほど。千夏はもちろん、君も優秀な人材のようだ。あの馬鹿女と違い」
「……そ、それはどうも」
何故か伊能さんに気に入られたところで、目的地が見えてきた。
「ここが、誠也の言ってた場所ね」
光が届いていない、鬱蒼とした暗闇を前に見据える。
草木は無造作に生い茂って、外部から何かを隠すようだった。
聳え立つ柵や縄はこの場所と世界を隔てる境界線へと化していて。
得体の知れない、不気味で立ち入ろうとは考えないある意味での神域。
この空間と同じような場所を思い出した。“八幡の藪知らず”。
千葉県の、江戸時代から存在するといわれる禁足地。この藪に足を踏み入れてしまうと二度と出てこられなくなる、という神隠しの伝説があったりする。
それと、この場所と同じく立ち入りを禁止する柵、空間を守る祠があって。
こう観察してみると共通点が見受けられる。だからといって、この空間がそれと同じだとは思わないが……何か不吉なものを注がれる気持ちは隠しきれなかった。
「よいしょっと」
「おい、何をやっているんだ!?」
「やってるって何がよ。無能野郎め」
「君たちは、それが不法侵入だってことを知らないのかい?」
「不法侵入ごとき、気にしてたら怪異を暴けないわよ!」
何の躊躇いもなく、遠乃があの中に入っていった。
人に指摘できる立場ではないが、ドヤ顔で言うことじゃないぞ。
不法侵入罪という、れっきとした犯罪なわけだし。
「ほら、あんたたちも早く来なさいよ!」
内から大きく手を振る遠乃を見て、僕たちも渋々入る。
い、意外と柵が高いな。侵入を防ぐものだから当然だが。
「あっ、シズは大丈夫?」
「う、うん。動きやすい格好できたから大丈夫だよ」
「うわぁぁっ。私の1万円もしたジーンズに泥や草がぁ!」
「何でそんな見栄張るだけのために買った代物、着てきたんですか」
入ると、落ち葉と泥濘んだ土を踏む感触が僕を襲った。
足を動かしてみると草木に阻害される。奥に進ませないように。
……調査は難航しそうだ。顔に尖った枝が掠ってしまって痛い。
「暗いわね。それにけっこう広いかも」
視界も最悪だった。濃緑の葉の針葉樹に周りが覆われて見えにくい。
不自然に光が塞がれる暗闇に目が慣れるのは時間がかかりそうだ。
「…………」
あと、この場所に入った瞬間に変な感覚が僕を襲い始めた。
それは、今までの怪異に接していく上で何度か味わった感覚だった。
――この世ならざる空間が持つ、纏わりつくような違和感。
根本的な原因はわからない。本当に怪異なのか、ただのバイアスなのか。
考えようと頭を動かそうとするが、うまく回らなかった。頭が揺れる。
何だ、寝不足だからか? 今までは大したことなかったのに?
「よーし、夕闇倶楽部、調査開始よ!」
「何で掛け声をあげなきゃいけないんだ、君たちは」
「やんないと、なんか締まらないのよねぇ」
「あはは……。あれ、ちなっちゃん。大丈夫? 顔色が変だけど」
「……いえ、大丈夫ですよ。どっか無能のせいで疲れてるだけです」
だが、とりあえず今は調査だ。
一抹の不安を抱えながら、草木を掻き分けて林の中に進んだ。




