第2話 願いと呪いの本
大学の、三号館201教室。
主に理系の学部が使う場所で、文学部の僕は訪れる機会のない場所。
構造は同じなのか、見慣れた形の大教室では、講義明け直後で未だに人がいた。
耳を澄ますと、昼はどうしようとか来週のテストが面倒とか聞こえてくる。
そういった学生らしいところは、文系理系共に同じようだ。親近感が湧いた。
「えっと、とおのんは……。あ、いた!」
雫が示した方向に目を運ぶと、お馴染みの姿を見つける。
――比良坂遠乃。夕闇倶楽部の部長だ。
しかし、今は講義という名の催眠術を受けてお眠りのご様子だが。
「おい、遠乃。起きろ」
「……くかー、くかー」
近寄って軽く声をかけたが、うつぶせのまま動かない。
……起きろよ。早く起きないと、強引にでも――
「ほら、遠乃ー。旦那のお迎えだよー」
「どこの、誰が、旦那よっ!」
「あ、起きたね。おはよう」
と思っていたら、隣に座っている人に起こされた。
理系女子。ステレオタイプに合わない、ボーイッシュな雰囲気の女性だった。
……別に、僕はこいつの旦那になった覚えはないが。
抗議の視線に気づいたのか、遠乃に向けた笑みを変えずにこちらへ向き返った。
「えっと。あなたは……」
「宮守友梨だよ。よろしくね。青原くん、だっけ?」
「そうだ、よろしく。宮守さん」
「遠乃から話は聞いているよ。……旦那様?」
だから旦那様じゃない。にやにやした目で見られても困る。
しかし、宮守さんは僕の困惑なんて気にせず、僕の隣にいる雫を見つめていた。
「そこの、雫ちゃんだっけ。あなたもよろしくね!」
「あ、はい。よろしくお願いします。八百姫雫です」
「……遠乃の言ってた通りで、可愛いなぁ」
「えっ。あ、ありがとう、ございます……!」
突拍子もなく褒められ、顔を赤く染めた雫。
一見すると微笑ましく見えるような、この光景。
何故か宮守さんの目が不気味に輝いたのが気になった。
……いや、気のせいだよな。そう自分に言い聞かせている、そんな時だった。
「あ、そういえば! なんで今日に限って千夏が休むわけ!?」
さっきまで眠たそうだった遠乃が、沈黙を破った。
「取材のため、らしいぞ。グループトークにもあっただろ」
「そんなことは知ってるわよ!」
「じゃあ何でだ」
「ちょうど今日、あいつに言いたいことがあったの!!」
感情が高ぶらせて、ある新聞を僕たちに見せつけてきた。
……大学新聞。この大学の新聞部が発刊したものみたいだ。
「ここ見て、ここ!!」
遠乃が強く指した箇所に、僕と雫の二人が視線を向ける。
そこには『大学内ベストカップルランキング』という記事が掲載されていた。
そんなもの僕たちには関係ないだろうに。そう思ったが、記事に目を通す。
……あっ。記事の中にとてつもなく嫌なものを発見してしまった。
『4位 青原誠也&比良坂遠乃カップル』
「はあぁぁっ!?」
「ええぇぇっ!?」
驚きで、僕と雫二人で変な声を出してしまった。
「何で、お前とカップルにされてるんだ……!?」
「知らないわよ! むしろ、あたしのセリフよ!!」
知人から夫婦みたいだと冗談半分で言われることはあったが……。
学内新聞という公の場でこのような扱いをされるとは夢にも思わなかった。
「ちなみにこれは序の口よ。ひどいのはここからなんだから!」
正直のところ、あれを見た段階で気は進まない。
しかしそんなに強く言われると、読まざるをえなかった。
読み進めると選考理由も書いてあった。……どれどれ。
・幼馴染でグッド。おまけに二人共美男美女とかお揃いカップル。
・典型的な喧嘩ップル。その後でめちゃくちゃヤッてそう。
・動物園にいる猿と飼育員を見ているようで、ほっこりします!
予想はしていたが、理由がアレだ。
特に最後。いくら何でもひどすぎないだろうか。
それに僕は飼育員なのか。他の人間からそう思われているのか。
というか何故、知らない人からこんなことを言われなくてはならないのか。
大衆の意見という名前の理不尽に、やり場のない怒りを感じていた時。
「だいたいねぇ、あんたと結婚するくらいなら!」
感情が高ぶった遠乃が、僕の方を見据えて、言葉を放つ。
「シズと結婚した方がいいわよ!!!」
――さらに変な噂を巻き起こしかねない発言をしでかした。
途端に周りからの騒々しさが、一層強くなった。
はい、そこの男子学生諸君。立ち上がらない。
遠乃や雫にそんな趣味はないし、いかがわしい関係だってない。
夕闇倶楽部は異性間恋愛……いや、同性間恋愛でも健全なサークルなのだから。
だから僕たちをそんな目で見ないでほしい。お願いするから。
「……あれ、どしたの」
「「「…………」」」
「みんな、そんな顔をして。何かあったの?」
ああ、あったさ。どっかの馬鹿が頓珍漢な発言をしたな。
無自覚だったらしい。……ちょっとは己を客観視してくれ。
「遠乃っ! それって本当なの!!?」
僕たちの沈黙を破るように宮守さんが、何故か半ば強引に問い詰めた。
鼻息も荒い。この人の瞳がさっきより増して怖くなったような気がする。
「本当に、雫ちゃんと結婚したいの!!?」
「え、ああ、そうね。この馬鹿と結婚するくらいなら」
「応援するよ! 可愛い女の子のカップルが増えるなら超超超大歓迎!!」
「え、ええぇ……」
面識のない宮守さんにこんなことを思うのも何だが。
君は、やっぱり遠乃の友人だ。
興奮しながら遠乃にしがみつく姿を見て、そう思ってしまった。
「「「「…………」」」」
ふと、僕たちに向けられた奇異の物を見る目に気づく。
それはそうだ。こんな変な騒ぎを起こしていたら当然のことだろう。
この場をどうしようか考えていると、空腹を感じた。もうお昼だったな。
「……なぁ、そろそろ食堂に行かないか?」
「それもそうね! 早く行きましょう、お腹が空いたわ!」
よかった。これで何とかこの教室からおさらばできる。
僕は三人を連れて、逃げるように人の波を抜け、教室を後にした。
……出て行く時も、変な視線やひそひそ話は絶えなかったが。
「ねぇ、あなたたちは何を注文したの? あたしはカレーよ!」
多数の生徒が利用する学生食堂で、僕たちは注文した料理を食べ始めていた。
ちなみに宮守さんも一緒だ。他の友達はみんな用事があるのだとか。
「僕はオーソドックスに、ミートソースだ」
「ウチはうどんだね。うどん最高!!」
「私は野菜炒め定食。ダイエット中だから」
「そうだよね。そんな立派な物をお持ちなら重くもなるよね。……揉んでいい?」
「えっ!? 駄目だよ!!」
「いいじゃ~ん。もしかして、愛しの彼に残しているとか?」
「そ、そういうのじゃないからぁ!!」
……その類の話は、ぜひとも僕抜きでやってほしかった。
というか男として、関わりづらい話にはどう反応すればいいんだろうか?
話を振られないことを祈りつつ、黙々とミートソースを食べる。美味しい。
「あ、そういえば、思い出した。誠也やシズを呼んだ理由だけど」
唐突だな。こいつなら、いつものことだが。
「……また、何かを変なものを見つけたのか?」
「ふっふーん、その通り! 新たな怪異が見つかったのよ!!」
「新たな怪異、ねぇ」
どうやら彼女の知的好奇心をくすぐる何かを見つけてしまったらしい。
……あの小箱のことも未だに解明できていないのに。忙しい奴だ。
そんなことを思いながら、スパゲッティを口に運ぼうとする。
「その名も――『呪いの本』よ!」
「「本っ!!?」」
食べるのを止めて、二人で顔を見合わせた。
何故ならつい先ほど、本は雫の夢で話題になったばかりだから。
心臓の動きが高まるのを感じながら、遠乃に質問を投げかけた。
「それって、とおのん! 読んだ人は死んじゃうとか……!」
「中から影が飛び出してくるってことはないか!?」
「……? 別にそういうものじゃなかったけど」
僕たちからの問いに、意味がわからないと言いたげそうな様子。
ただの早とちりだったか。それを聞いて僕たちは安心して息を吐く。
「じゃあ、呪いの本というのはどんなものなんだ?」
「書いた内容が呪いとなって現実化する、夢のような本よ」
単語の響きからは想像もしていなかった内容に驚きを覚えた。
そして雫と食事の片手間で話を聞いていた宮守さんが、途端に反応しだした。
「それじゃ、可愛い女の子の楽園を作りたいとかは!?」
「痩せたい……とかは!?」
「できるんじゃない? そう、怪異ならばね!」
願いを叶える本。……何とも、でたらめな話だ。
ただ僕も興味がないといえば、嘘になる。しかし、気になる点もある。
「夢のような本だというのに、呪いなのか?」
「元々願いと呪いは紙一重だから。そうじゃない?」
「……それもそうだな」
確かに、遠乃の言っていることは一理ある。
恨めしいから殺したいという呪いも見方を考えれば、正当な願いになるのだ。
境界線が曖昧だとするならば、夢を叶える本も呪いの本になっておかしくない。
「あとは叶える手段が呪いに類するものという可能性もあるな」
「うーん、と?」
「説明が足りなかった。例えば、雫の願いなら――雫より痩せている人間を皆殺しにするとか」
「なにそれ、怖くない!? 夢も欠片もないじゃない!!」
……宮守さんの言う通りで、夢を持てなくなるな。
創作物でも、願いを叶える方法がろくなものではないというオチは見られる。
楽して叶う願いなんてないというのが、人類の共通認識なんだろうか。
「ま、そういうことはこれから分かっていけばいいのよ」
そう言って遠乃がカレーをスプーンで掬い、最後の一口を入れる。
ごちそうさまと軽く呟くと、口の周りを拭いて、立ち上がった。
「というわけで、早速! 夕闇倶楽部――調査開始よっ!!」
「おお、オカサーっぽいね~」
場を鑑みない大声に、宮守さんが軽い拍手を送っている。
宮守さんは遠乃のノリについて来れる明るい性格の持ち主のようだ。
「そうと決まったら出発よ! ほら誠也、早く食べる!」
遠乃に急かされるまま、何とか最後の一口を飲み込む。
胃の中にある食事の消化を待たず、調査に連れていかれることになった。
……そういえば調査と言っていたが、どこを調べるのだろうか?




