第9話 魔女の予言
「……すっかり遅くなってしまったな」
何十年前にできたのか、よくわからないほどに廃れた街灯。その灯りにぼんやりと照らされている見慣れた帰路を、僕は歩んでいた。
ふとスマホを見てみる。夜の11時を示していた。絶賛飲み会から帰宅中だ。
部員の4名中3名が女性だけあり、夕闇倶楽部では飲み会でもあまり遅くならないが……今日は麻耶先輩がいたから、つい長くなってしまった。
先輩も先輩でヤケになって飲みまくるし、それに付き添うように僕たちも飲み続けて話し続けて……この時間というわけだ。
先輩も、雫も遠乃もすっかり出来上がっていたな。かくいう僕も飲みすぎて少しフラフラしていた。早く家に帰りたい。
「そこのお兄さん。ちょっと良いですかー?」
そんなことを浮かべていた時、不意に何処からか声をかけられた。
酔いが覚めない頭で素直に振り向くと、街灯に照らされる位置に声の主がいた。
「今ならタダであなたの未来を占ってあげますよー!」
「…………」
ローブを被った小柄の女性が小さな手を振りながら、酔ってなくても意味がわからなかったであろう言葉をかけてきた。
顔は光の反射具合に見えない。真っ黒な布で覆われた台座を前に座っている。
なんでこんな時間に、こんなに胡散臭いのが、よりによってこの住宅街という商売をやるうえで適していない場所と時間に占い屋をやっているのか、疑問に思ったけど、思考がまとまらなかった。
「どうですかー。タダですよー。タダほどホラーなモノはないですよー」
「……あなたは。いや、ホラーって、どういうことなんだ――」
「ぬぬぬっ。見えました! あなたは謎の美少女と結婚し、幸せな世界の終わりを過ごすでしょう!」
「謎の美少女と結婚だと!? もしやキミは……昨日の少女か!?!?」
そして、思い出してしまった。鈴が鳴るような声のトーンと、ふざけきった態度。この独特すぎる言葉の羅列は。
「覚えてくれてたんだ。嬉しいなぁ」
「あんなにも異様な出来事を忘れる方が難しいだろう」
1歩、2歩。近づいてきて、彼女の笑顔が見えた。気味が悪いほど純粋だった。
「キミが来ているこの紫色のローブ……これは。ストーカーがつけていた……」
「気づいてくれたんだ。そうだよ、ずーっとつけてたんだ。誠也くんをね」
「そんな昔から……どうしてだ? そんな生産性がないことを」
「誠也くんが好きからだよ」
バッサリ、と。心底嬉しそうに即答するこの少女。
率直に思った。なんでだろう。僕はこんなストーカーが付きまとうほど魅力はないし、女性から好かれてもいない人間だ。
そもそも僕は彼女を知らない。会ったことはないはずだ。人の記憶なんて曖昧なだけど、これは確証をもって思えたのだから間違いなかった。
だけど、彼女は僕が好きだと言った。数ヶ月にわたって僕たちに付きまとった。本当に、彼女の行動理由がわからなかった。
「そんなことよりも今日は楽しかった? 八百姫雫との異界旅行は?」
そして、不意を突かれたひと言に。胸を締め付けられるような驚愕に襲われた。
「なんで知ってるんだ!? あの公園でキミとは会わなかったはずだ!」
「予言が出来るんだよ、私。昨日の時点で誠也くんたちが怪事件を調べることも、2人が迷い込んでしまうことも、夜見麻耶の奢りで高そーな焼肉屋に行くことも。ぜーんぶ、わかっていたんだよ」
「…………」
”予言”。あの時も耳にしたな。本当に”予言”で僕の行動を知ったのか?
いや、そんなことはありえない。それに彼女はストーカーだ。今回も僕たちに気づかれないように後をつけて知ったと考える方が妥当だろう。
だけど、そう一蹴できないほど。彼女は理解しがたいナニカを持っていた。
「それだけじゃないよ。これから、明日も同じように一連の怪事件を追って、怪異の謎を暴こうとあがき続けて。そして、誠也くんの大事な夕闇倶楽部のみんなが破滅することも予言されているんだよ」
「……なんだと?」
「だから辛い思いをしないためにも、私と一緒になろうよ。そうすればアイツらが死に絶えたところで誠也くんは悲しくないでしょ? 一緒に、世界がめちゃくちゃになるところを見て楽しもうよ」
「キミと一緒になる気はない。みんなを破滅させもしない」
「さどうだろうね。その先には絶望しかないから諦めた方が良いけどなぁ」
「そもそもキミは誰だ。何者だ。僕はキミの名前すら聞いたことないが」
「異世界からやってきた魔法少女です! と言ったら信じてくれる?」
まさか、信じられるわけがない。そんなメルヘン染みた話。
僕が一段と眉間に皺を寄せたのを見て、彼女は察したのか口元を吊り上げた。
「まあ、そんなことはどうでも良いことなんだけどね!」
そして、強引に話を切り替えられた。
この少女は――本当に、何がしたいんだ。何もかも掴めない彼女の行動。
疲労、酔い、理解しがたい状況の拒否反応。それらが僕に頭痛を起こさせた。
「どうでも良いならこれで話は終わりか? なら僕は帰らせてもらうよ」
「ひどーい! せっかく、私が3つの未来を予言してあげようと思ったのにー!」
ああ、また”予言”か。今度は何を話すんだ、この少女は。
世界が破滅するだの、夕闇俱楽部が破滅するだの。突飛かつ抽象的な言葉が多すぎて、話を聞くだけで嫌悪感が湧いて仕方がない。
「未来を予言してあげるだと? よりによって3つ?」
「そうだよ。3つはとってもキリの良い数字だからね。2じゃ少ないし4以降だと多すぎる。三すくみ、三権分立と、いろいろバランスの象徴とも扱われているね」
「……僕はそういうことを聞いているわけじゃないんだが」
「こういう時にウンチクを言いたくなるの、誠也くんもわかるでしょ?」
「さっぱりわからないな」
「まずは1つ目。これは良い未来だよ」
僕の話を聞いているようで聞いていない。流れるように少女が話を続けた。
果たしてこの少女は何を予言するのか。また世界の終わりだとか破滅だとか言い出すのだろうか――
「誠也くんの最愛の妹、依未ちゃんにお友だちが出来ました〜! パチパチ〜!」
と、思いきや、拍子抜けしてしまった。その内容に。
「あれ〜? 誠也くん、嬉しくないの?」
「嬉しいけど」
「依未ちゃんは昔、黒鴉の男に誘拐されてから人が怖くないんだもんね。そんな子にようやくお友だちが出来たんだから嬉しいよね」
「……キミは、どこまで知っているんだ」
「それで、2つ目だけど。3日後、また世にも奇妙な怪事件が起きちゃいます!」
「怪事件だと?」
「これからも起きるよ。言ったじゃない。世界が終わる予兆なんだよ」
「怪事件が、世界に終わる予兆だと? 確かに」
「確かにその辺でいくら人が死んだところで世界は変わらない。だけど、今度は本格的に終わちゃうよ。今度はみんなが震え上がっちゃうよ! 楽しみだねー!」
年相応な笑みを浮かべながら、物騒極まりない内容を並べる少女。
”怪事件”。予言の他にも彼女の口から出てきた言葉だ。偶然にも、僕たち夕闇倶楽部が調べ始めた怪異と似通っている点がいくつかある。
これが偶然とは思えない。もしかして。この一連の怪事件とブログの予言は、この彼女と関係があるのか?
僕が疑念を抱いたと同時に、少女があくびを1つして、再び口を開いた。
「最後に、3つ目。これは2つ目と比べたらどうでも良いかな」
「どうでも良いならさっさと教えてくれ」
「あのね――八百姫雫が死んじゃうんだよ。怪異に殺されて」
軽々しく呟かれた声を聞いた瞬間。頭の中で光のようなモノが弾けた。
「し、死んじゃうって、いつだ、いつなんだ!!?」
「今日の11時10分……あと1分だ。もうちょっと早く教えなきゃだった」
「それは本当なのか!? 本当に死んでしまうのか!!?」
雫が死ぬ。しかもあと1分で。最初は何をするべきかわからなかった。
少し間をおいて呑み込めた。とにかく早く伝えないと。スマホを取り出した。
「あれ、現実を受け入れられるよう予言してあげたのに無駄なことするんだ」
「未来なんてまだわからない。それまでに行動してやるさ。それに」
「それに?」
「キミが仮に予言ができたとして、僕はそれで諦めたりなんかしない。未来がどうなるかわからないんだ、変えてみせるさ!」
「――そうだね。未来は変えられるよ。すべて犠牲にして、死ぬ気になれるなら」
少女から返ってきた答えは意外なものだった。
今までの無邪気で意味不明な彼女とは違う、信念みたいな何かを感じたそれ。
そして、彼女はスカートのポケットから何かを取り出して――ちょっと待て、あれはガラケーか? ガラケーで何を見ているんだ?
「この時間の八尾姫雫の未来は――と。ようやく最寄り駅に到着した頃だね」
「最寄りの駅前なら遠乃と一緒か! アイツに伝えたらまだ希望がある……!」
彼女の行動に驚きつつも、その答えにほんの少しだけ安心した。
遠乃と雫は同じ学生寮に住んでいる。だから帰り道も同じだ。もしアイツが一緒なら雫を助けてくれるはずだ!!
震える手を抑えてスマホを握りしめる。アイツよ、出てくれよ……!!
「じゃあね、誠也くん。キミが頑張っている姿が本当に愛らしくて大好きだよ」
彼女が借る足取りで立ち去る足跡と、意味がわからない言葉を背に。僕は遠乃に電話をかけたのだった。




