第5話 公園の裏世界へ
怪事件が起きた公園で、不穏な黒い影を見つけて。それを追う僕たち。
草が生い茂り、光は木々で覆い隠され、足の土をぬかるんでいる。明らかに人が通るようにできない道を、ひたすらに駆け上がっていた。
「はぁ……はぁ……!! なんなんだ、あれは……!?」
「ひぃ……ひぃ……ひぃ……ま、待ってよぉ……」
正直のところ、僕も何故これを追いかけているのかわからなかった。
わざわざ公園の道を外れ、人が歩くことを想定されていない道を必死に駆けて。
別にあんな影を追いかける必要はないのに。今すぐ引き返しても良かったのに。
危険なものに足を突っ込んでいると、そう思いつつも……足を止められなかった。
”……アアアァ……アアアァ……イギャイィ……イギャァイィィィ……”
”……ゴゴボォ……グホォ……グルイィ……グウイィ……グゥシィヨ……”
”……アアアァ……オオエェ……タスケテェ……タスケテェ……タスケテェ”
そして、唐突に聞こえてきた呻き声。1人じゃなかった。それが四方八方から飛んできた。このまま影を追って良いのか、嫌な汗が滲み出た。
周りの景色も、肌が感じる風と空気も、次第に形容し難い異様なものに変化してきている。文字通り、危険なものに足を踏み込んでいる気がした。
「アイツ、どこまで逃げるんだ……!?」
だけど、未だに僕たちは変な焦燥感に駆られていたんだ。
硬い土と小さな植物をかき分けて、黒い影を追い続ける。それしかなかった。
――瞬間にして、世界が変わった。
思わず、足を止めた。僕と雫が肩で呼吸をしている音が静かな空間に響いた。
呼吸を整えながら、なんとか場を見渡してみる。今までいた公園じゃなかった。
先ほどまで耳に入った生物の音が聞こえない。風も、木々が揺れることもない。
ぱっと周りを見ても明確な変化はなかった、けど。変わり果てたのは確かだった。
「なんだ……辺りが、少し暗くなった……!?」
「暗くなったも何も……ここ、夜になってるよ! 月が昇っている!」
「ほ、本当だ……。空が真っ暗だし、月も星も浮かんでいる。……おかしいな」
見上げてみると、雫が言ったように暗い空に月が輝いていた。
木々の中は暗闇に包まれていて、道の向こうでかろうじて光る公園の街路灯。
何処の誰が見ても、この光景は夜だと判断するだろう。おかしいのは、今まで真っ昼間の公園が、嫌に物音がしない夜の空間に変わってしまったこと。
……だけど、この不可解でしかない目の前の事象。僕には既視感があった。
目に映る不可解な光景。肌を撫でる嫌な空気。心臓の鼓動を奏でさせる恐怖。
そうだ、忌児の廃寺、異界団地、炎失峠に、例の廃病院、その時と同じだ。
この世とは思えない現象。常識に囚われなければ、これを説明してくれる単語は。
「もしかして、ここは異界なのか……!?」
僕の答え合わせのような微かな呟きに、雫は身を押し黙るだけだった。
――異界。
人々が暮らす日常と常識から隔離された、怪異が存在するという世界。
非日常が跋扈し、時として迷い込んだ人間を無常に殺す空間でもあった。
僕たちは怪異の調査の中で何度かそれに遭遇することがあった。そして、今回も。
「い、異界!? なんで、こんな場所で、なんで!?」
「僕も信じ難いけど。そうじゃないと説明できないからな。この現象を」
「う、うん、そうだよね。だけど、こんなにも突然に来ちゃうなんて……」
それは、その通りだった。本当にいきなりの出来事で、僕も驚いていた。
今までは何の変哲もない自然溢れる公園だった。日常の一部分だったんだ。
あの黒い影を追ううちにそれが切り替わった。何かスイッチが入れられたように。
と、同時に……この公園、麻耶先輩が言うように怪異が絡んでいるとも思えた。
怪事件に関連しているかは定かではないが……少なくともこの公園には何かがあるかもしれない。調査が進んだと言う事実”だけ”なら良いことだ。
「ど、どうしようか……?」
「このまま、この場に居座っても解決しないだろう。動くしかない」
「そうだよね……それしかないよね……」
とは言ったものの。現状でやらなきゃいけないことは異界からの脱出だ。
今までの異界と違い僕たちは何も知らない、用意がない状態で迷い込んでいる。
脱出するには手がかりを見つける必要がある。そして、手がかりを見つけるには。
そうして結論を出した僕は、とにかく足を動かすことにした。
周りは灯りがないから暗闇に包まれている。スマホの懐中電灯機能を使って前を照らす。その際に連絡を取れるかも確認したものの……やはり、圏外だな。
ゆっくりと坂を下り、外れる前の道に戻ろうとする。滑らないように、慎重に。
そうして進み始めた、と同時に。すぐに予想と違った世界が見え始めていた。
「あ、あれ? ここ、前の公園だよね?」
「見た限りではそうだな。ここの坂の先を見てくれ。ほら、さっきの道だ」
「ホントだ。確かあそこから影を見つけて、探してたらここに迷い込んだんだね」
「ああ、そうだな。黒い影も見失ってしまったな。結局、アレはなんだったんだ」
ちょっと歩いただけで外れる前の、整備されている公園の道に戻ってこれた。
あれだけ黒い影を追いかけて、長い道を走った……と思っていたのに。もしかしたら、アレを追いかけていた時点で現世と異界の境界線を踏み越えていたのだろうか。
いろいろ考え込みながら通路の境目になっている古びた木の境を飛び越える。どうやらここの形状は公園と配置が変わっていなかった。
見渡した限りだと、おそらくこの異界。ほとんど前の場所と変わってないはずだ。
異界は元の公園をベースに構成されていると、なれば。やることが思い浮かんだ。
「いいか、雫。ここから公園中央にある湖に向かう」
「公園中央の湖……? そこに何かあるのかな……?」
「異界が生まれるには理由がある。その理由がある可能性が最も高いからな」
異界があるなら怪異がある。怪異を生み出しかねない要因は怪事件だろう。
もしも今回の怪事件から怪異が生まれ、異界が形成されていると考えるなら。事件が起きた場所、すなわち集団自殺が行われた湖に何かあるかもしれない。
連想ゲームに近い、思いつきでしかない話。だけど、今はそれしかなかった。
「い、行くの……? せ、誠くん。怖いよ……ごめんね……」
足をガタガタ震わせながら、僕の腕を割と強い力で掴んでくる雫。
そうだよな、僕たち異界に迷い込んでるんだもんな。雫はそりゃ怖いだろうな。
「で、できれば、このまま一緒に歩いてくれない、かな」
「構わないよ。僕にしっかり捕まってくれ」
僕が小さな声で答えると、雫は僕の腕を抱きしめる力を強めた。
腕越しに伝わる柔らかい感触と温かい人の体温。この状況では安心感の象徴だ。
この感触がある限り僕は1人じゃない。現世と繋がっている。そう思えるほどに。
頼るものを手に入れた僕は、さっきより辺りを見渡しながら歩みを進めた。
僕の警戒心を欺くように、公園は暗闇の静寂に従うように何も起きていない。むしろ僕と雫の足音や息をする音がうるさいと感じてしまうほどに。
それが逆にこの空間に対する異様な不安を煽ってしまう、ものの。今すぐに危険に晒されているという心配はなかった。
そうして少しずつ心を落ち着かせつつ、何事も変わらない異界の探索が過ぎる。
あと数歩で公園中央の湖に到着する。目的地に近づくと一緒に、視界を塞ぐ枝木の群れが外れて、湖の全容が見えた――その時だった。
「な、なに、あれ……!?」
ここは異界。何が起きてもおかしくない。むしろ起きて然るべきだ。
そうして身構えていた僕の思考を、一挙にして破壊するものが見えてしまった。
――微かな霧が立ち込め、水面は黒に沈み、怪しい雰囲気が漂っている。
――そして、その湖には。ぽたりぽたりと、不気味な水音を立っていた。
――音の主は、きっと湖を中心にして周りを囲んでいるヤツらなんだろう。
――ぎ、ぎ、と。そんな音が聞こえそうなほどぎこちない様子で歩くバケモノ。
最初に見た時、初めて抱いた感想は「何が起きている」だった。
死体がある、バケモノがいる。それなら”ある意味”説明はできる。この空間は人の理解を超えた異界で、13人の人が自ら命を絶った場所。おかしいことはない。
だけど、これは説明ができなかった。こんな非現実、いや”現実の非”という概念で説明して良いのか疑問に思ってしまった。それくらいに、異常だったんだ。
目を覆いたい惨状に、必死に目を凝らすと。僕は”ある事実”に気づいてしまった。
「こ、これは、人か? 人なのか?」
「私もそう見えちゃった、けど……!! どこかおかしいよ……!!?」
「あ、ああ。ぶよぶよとして、生気がなくて、これは人じゃない。死体か……!?」
そうだった。バケモノと呼称したけど、よく見たら人だったんだ。
しかも、この醜態は。ブヨブヨとした肢体に、濡れた髪と衣類の成れの果て。
そう考えると生理的な嫌悪感が脳の奥底から込み上げて、何かを吐き出したくなる。だけど、引っかかっている理性がそれを引き止めてくれた。
これは死体でも……溺死体だ。まるで、川や海、湖などで溺れて死んだような。
”ここが8月末の深夜0時に、13人が一斉に自殺すると予言された場所よ”
”そんなにも大人数の人間が同じ時間帯に、一斉に公園の中央にある湖に飛び込んで、沈んで行って……溺死したのよ”
”自ら溺死っておかしいわよね。つまり湖に飛び込んで、そのまま沈んで死んでいったワケなんだから。正常なら生存本能で水面に上がるでしょうに”
公園に向かう前、調査中にも聞かされたこの公園で起きた怪事件の情報。
目の前の光景と混じった時、僕の頭の中が最悪の結論を導き出してしまった。
「……この人たちは、この異界で死に続けているのか?」




