プロローグ 未来視という名の怪異
自分の未来を見たことで、その人が絶望することは容易に考えられる。
人により程度の差こそあれど、人は未来に希望を抱いて生きている。
今の間を努力するのも、辛いことを我慢するのも。未来に希望があるからだ。
学生は良い大学に入学するため、良い会社に就職するために勉強をする。その後は出世やボーナスを希望に努力を続ける。それが人生だ。
小説家、芸術家、役者、そういう人たちだって将来の大成を夢見て努力をする。
だけど、その理由で今まで頑張ってきた人が絶望の未来を見てしまったら?
出世できず、40歳でリストラの未来を見た従業員が真面目に労働するのか。
20歳に事故で死ぬという未来を見た子どもが、将来のために勉強をするのか。
絶対に小説家になれない、自身の著書が誰からも評価されないという未来を見た小説家志望が、果たして小説を書き続けられるのか。
人は未来が見えないから頑張れる。希望を抱き続けて前に進めることができる。
――だけど、もし人間に未来を見せるようなモノができたらどうなるか。
きっと大抵の人はそれを使うだろう。それなりの代償を払ってでも。
未来は希望であると同時に不安だからだ。その不安を払拭するため未来を見る。
そして……その結果、大抵の人間は絶望するだろう。自身が夢見る未来を、完全に掴める人間なんて。ほんの一握り、少数なのだから。
未来を見た人はどうなるか。未来を変えようとするか、堕落に走るか。
人で異なる以上、どうなるかはわからない。だけど、良い結果は生まれない。
これがフィクションのように特別な1人だけ生じるなら、まだ話は簡単だった。
だけど、世界中の人が、日常を生きている人が。自身の未来を見てしまったら。
――世界は、生活は、そして未来の日常は。どうなってしまうのだろうか。




