第1話 天狗の駅と寒いギャグ
夕闇倶楽部の四人を乗せた、電車は走っていく。
今日は休みの日だからか席は空いていて、僕たち以外の人は数えるほどだった。
大抵は何かしら聞こえてくる誰かの話し声も、右隣にいる比良坂遠乃と八百姫雫の楽しそうな会話以外には、何も聞こえなかった。
静まり返った状況を利用して、僕は図書館で借りた本を読んでいた。
やっぱり電車の中では読書に限る。いや、電車の中でなくてもそうだけど。
「先輩、ちょっといいですか?」
僕に話しかけてきたのは倶楽部の後輩、小山千夏。
首から下げている大きなカメラが目立つほどの、小柄な少女だ。
「ん? どうかしたか?」
「先輩たち、様子が変じゃないですか? いつもよりしっかりしてるような」
まるで普段はしっかりしてないような物言いだな。事実だけどさ。
しかし、僕たちの様子が変だという千夏の意見はある意味で合っていた。
「そりゃ今回の調査は“あの人”が同行するからな」
「へぇ~。先輩たちにも頭が上がらない人はいるんですね」
それも確かだ。あの人は怪異に関して僕たち以上のことを知っている。
しかし、実は僕たちの緊張はそれだけの理由ではなかった。
それはあの人に会えばすぐにわかること。それまでの楽しみにしておくか。
「そういえば千夏、カメラ変えたんだな」
「気づきましたか。……実は私の愚弟がカメラをぶっ壊しやがりまして」
苛つきを隠せない様子で吐き捨てた千夏。
そ、それは災難だったな……。何があったんだろうか。
「ま、弟にも色々あったので、半額弁償で許しましたけど――って、そろそろ着くみたいですよ」
『終点――駅~、終点――駅~。お降りの際は――』
気づいたら、僕たちを乗せた電車は目的地に到着している。
減速する電車。僕はこれから起きるであろう出来事に思いを馳せていた。
「わぁ~。天狗さんだ~」
駅に着いた僕たちを迎えてくれたのは天狗の顔像。
思わず圧倒されてしまうくらいの大きさと厳つさだ。
どうやらこの地は天狗伝説に縁があるらしい。
よく見ると、そのことを綴った石版が像の裏に付け加えられていた。
「なるほどな……」
そして、僕はこういった民俗的なものに興味を惹かれてしまう。
帰ったらこの地域のことを詳しく調べてみようかな。
「しかし、馬鹿みたいな像と違ってホームは狭いわね。本当に東京なのかしら」
「通勤ラッシュとか、どうしてるんでしょうかね?」
「住んでいる人や降りる人が少なそうだし、何とかなってるんじゃないかなぁ」
この駅は東京と千葉を走る路線の終点で、山梨に向かう際の乗り換え地である。
なのだが、驚いたことに大きな役割とは見合わない駅の大きさだった。
向こう側に見える街の風景も、都心部と比べれば灰色に染まっていなかった。
もし何も知らずに東京の駅かと言われたら、思わず首を傾げてしまうだろう。
でも、都会に緑が映える空間が存在していたことが嬉しいのも事実だった。
こういう雰囲気も嫌いではない。こんなところで人生を過ごしたいものである。
そんなことを思いながら、僕たちは階段を登って狭い通路に出ていった。
「あ、案内板だ。……ここって、霊園多いんだね」
「本当に!? 調査のしがいがありそうね!」
前言撤回。ここに住む人たちには申し訳ないが、考え直すことにしよう。
これまた小さめの駅の改札を、僕たちは出ていく。
外は規模の小さいバスターミナルに、何店かのお店だけが広がっていた。
だからか、すぐに建物の壁に寄りかかっているあの人を見つけた。
透き通るような夜空色の髪に、精錬された大人びている顔立ち。
古めかしい懐中時計を片手に物思いにふける姿は、触れがたいミステリアスな雰囲気を醸しながらも、童子のような印象を与える空気を感じさせた。
「ま~や~先輩~! 久しぶりです!!」
人目を気にしてないような恥ずかしい大声で、遠乃がその名前を呼ぶ。
それに気づいた先輩が僕たちに振り向くと、優しそうな笑みを浮かべた。
そして――
「こんに『ちわわ』~。今日は『ワン』ダフルな1日にしましょう!」
「……はぁ?」
そんな僕たちを、極寒の風で吹き荒らした。
……ああ、わかっていた。この先輩と会う以上、警戒はしていたさ。
でも、開口一番でやらかしてくるとは夢にも思わなかった!
どうしようかと遠乃と雫に助けを求めたが――二人も目を泳がせていた。
困惑する僕たちを気にせず先輩は、呆然とした千夏に不思議そうな顔だった。
「おかしいわね。誠也くんから、新入生は犬が好きだって聞いていたのだけど」
「……それは事実です。でも面白くも何ともないギャグでは笑わないです」
千夏の意見に、完全に同意だ。
というか、先輩の発言は全世界の犬好きに対する侮辱とも受け取られかねない。
「そ、そんなに面白くなかったかしら?」
「ええ! ふざけてるようにしか思えません!!」
「……そう」
だが、どうやら先輩の中では渾身の自信作だったようだ。
千夏に堂々と言い切られて、ショックを受けてように肩を落としていた。
そんな先輩に顔を引きつらせた千夏は、僕に視線を向けてくる。
「誠也先輩。本当にこの人が、頭の上がらない“あの”先輩なんですか?」
「信じたくないだろうが、本人だ」
「……ははっ」
そう。この人が僕たちの先輩にして、夕闇倶楽部の元部長。
夜見麻耶先輩だ。
誰もが認める美人で、なおかつ博識で頭も回る優秀な人なのだが……。
どこで何を間違えたのか、趣味はお笑い、そして聞く人の全てを凍えさせるようなオヤジギャグを好んでいて、思いつき次第使ってくるのだ。
黙っていれば美人という言葉がぴったり当てはまる、そんな人である。
「そういえば自己紹介をしてなかったわ。私は夜見麻耶。ここの元部長よ」
「あ、よろしくお願いします。私は小山千夏と申します」
「よろしく千夏ちゃん。私のことはあの子達から聞いてるかしら」
「はい、雫先輩から」
「そういえば、この前教えたよね~」
「ええ。何でも――美人で大人っぽくって頼りになるけれど、何を考えているのかわからない、とっても変な人だと聞いてます。まさか、ここまで変とは思いませんでしたけど」
「……私は後輩から、なんと思われてるのかしら?」
「雫が言った言葉通りですよ」
「シズと誠也に同意です」
「…………」
むしろオブラートに包まれすぎてるくらいだ。
「……そ、それは置いときましょうか。今日は晴天。絶好の怪異日和ね」
「怪異に絶好も日和もあるんですね」
「ええ。なんて言ったって『ハレ』の日ですもの」
「「「……えっ?」」」
……僕の肩に重りが乗っかったような錯覚を覚えてしまった。
これは説明をしないといけない。三人は呆然としてるし、先輩も首を傾げてるし。
「補足すると、ハレは民俗学上の言葉で非日常ということを意味するんだよ」
「ああ、晴れとハレかー。いや、つまんないですよ」
「わかりにくかったわね」
「……そ、そうね。なら、もう一度気を取り直しましょう」
「その気を悪くしたのは先輩ですけどね」
「……さっそく、調査に出かけたいところなのだけど」
自ら作った話題を強引に変えてきた麻耶先輩。
二回連続でつまらないと言われたためか、綺麗な目には涙を浮かべていた。
そんな姿を見る度に言わなければいいのにとは思ってしまう。
まあ可哀想に感じるのは確かだけど。
「でも初めにお茶にしましょうか。千夏ちゃんとお話してみたいし」
「私はいいですけど。先輩たちは?」
「僕は構わないぞ」
「あたしもシズもOKですよ!」
「なら、決まりね」
駅の側にある喫茶店へ入っていく麻耶先輩に、僕たちもそれに続いた。




