第6話 怪異の黒い影
「い、行ってみましょう!! あの橋の上よね!!!」
――唐突に聞こえた、女性の絶叫。
何かに突き動かされるよう、僕たちは声が聞こえた場所に向かった。
場所は向こうの橋。普段は歩行道となる、大きめの古びた橋。
全速力で駆けだしたことで息切れしつつも、目的地に辿り着いた瞬間。
老朽化からか点滅を繰り返していた、街灯に照らされた――人体を見つけた。
「い、いた!! あの人ね!!」
「だ、大丈夫ですか!? い、今すぐ、救急車を!?」
電話を片手に、すぐさま被害者の元に駆け寄った僕たち。
分厚いコートを着ていた、僕たちと同じ年齢の、女性。丸っこい顔、幼げな顔立ち、平均より低めの背丈に……僕は、見覚えがあった。
「せ、誠也先輩。こ、こここ、この人って……!?」
「き、北山さん……!?」
そうだ、彼女だった。文芸同好会で別れたはずの彼女だ。
その彼女が……怪物に襲われたのか、自身の血の上で倒れている。
北山さんが被害者だったなんて。なんで彼女がここに? なんで襲われた?
次々と飛び交う疑念に頭が混乱していると、彼女が力なさげに目を開いた。だけど、僕を見てすぐに安堵の笑みを浮かべていた。
「あっ、あっ、あっ……青原せんぱ、い……」
複数個所を鋭利な何かで引き裂かれていた、無残な腕が僕に伸びた。
だけど、彼女の傷口から血が流れていない。無残に刻まれた、服の隙間からは紅い肉と皮膚とが露出していたというのに。血が無かったのだ。
やはり彼女。あの怪異にやられたというのか。それで、こんな状態に。
「と、とにかく、大丈夫だ! 今すぐ救急車を呼んで――」
「――誠くん、危ないっ!!!」
背後からの、雫からの声が聞こえた。
純粋な疑問で振り返った時――大きな力で、僕の体が宙を舞った。
「がはっ!?」
そして、そのまま……地面に叩きつけられた。
ケガはない。痛みは大したことない。それより突然の出来事の驚きと。
「黒い、影……!?」
僕の前に存在する、黒い影が僕の感覚を支配していた。
部室に見せられた動画の、あの怪異。それと同一の存在が目の前にいる。
――男性の、人型だった。黒い砂嵐が全身を覆っていた。
彼が黒い物体で構成された眼で僕を見ると、手の“あるモノ”を向けた。
あれは……銀色の、ナイフ!? アレで北山さんが……!?
そう思考している内に、それが、僕の胸に差し迫って――そして、ついに。
――怪異。――黒い影。――ナイフ。
殺されてしまうと感覚が告げた時。“とある記憶”が鮮明に浮かんだ。
“物語に従わないあなたに教えてあげる。脇役は“主人公”に勝てないの”
“あはっ、これで完璧なHappy endだわぁぁああはははははぁっっっ!!!!!”
“禁呪の魔本”。あの時の、狂花月夜の黒い影が脳裏をよぎった。
もしかして、もしかすると。今回の怪異――その正体は、まさか……!?
「あ、あれ」
真理に辿り着こうとした瞬間、黒い影が虚空に霧散する。
本当に一瞬で直前の出来事で。身構えた体が、急激に和らぎ地面に倒れた。
……何だったんだ、今のは。理解できず、すべてを投げ出して呆然としていた。
「だ、大丈夫なの、誠也!!?」
「あ、ああ……。なんとか」
遠乃の声で、一気に現実に引き戻された。そうだ、北山さんが!?
「ぶ、無事なら、それよりも救急車を呼ばないと!!」
「先ほど私が呼んでおきました。それまで北山さんも持ちそうですよ」
「よ、良かった……本当に」
静寂な深夜に起きた事件。被害を受けた北山さんに、あの怪異。
これから何が起きるのか、起きてしまうのか。後ろの柱に寄り掛かった。
――次の日、午後の夕闇倶楽部の部室にて。
部室に集まった僕たちは……みんな、疲れたような表情をしていた。
「はぁ……。昨日は散々な目に遭ったわね」
「寒空の下で凍えて、重体の北山さんを見つけて、誠くんが怪異に襲われて」
「挙句の果てに、警察の方から事情聴取ですか。救急車を呼んだら、そうなることはわかってましたけど……今日はゆっくりしたいです」
あれから僕たちは救急車と、一緒に来た警察の人から事情聴取を受けることに。
犯人と間違われるようなことはしてない。きちんと話をしたら開放してもらえた。
だけど、やはり警察の人から事情聴取されると緊張するな。数時間に及んでしまったし。おまけに満足な睡眠を取る時間も貰えなかったわけだし。
「唯一の救いと言えば、北山って人が生きてたことくらいかしら」
「まだ予断を許さない状況みたいですけど。それは良かったですよね」
「……だけど、本当に怪異の仕業なのかな。警察の人には内緒にしたけど」
そして、肝心の被害者、北山さんは生きていたみたいだ。良かった。
あと、もちろん怪異に関することは4人で口裏合わせをして、警察の人には言わないようにしていた。信用されない、どころか逆に怪しまれるから。
「どうでしょうね。誠也はどう考えてる?」
「僕は……アレは怪異だったと思うけど。あんなの人ができるわけない」
「まあ、そうよね。肝心の正体はわからないままだけど」
しかし、昨日の怪異――本当に“禁呪の魔本”が関係しているのか。
確かにあの本は、使用者の女性が持ち去って以来、行方不明だったけど。
ほとんどページも破かれて、何処にあるかもわからない。そもそも“願いを叶える本”を用いて、あんなことをする意味がわからなかった。
うーん、考えがまとまらないな。眠いからかな? コーヒーを口に運んだ。
「それで。これから僕たちはどうしようか?」
「調査をする気力は湧かないし、するとしても夜からよね。今は休みたいわ」
「私としては、もう行きたくないですね。犯人と間違われたくないですし」
「わ、私も、ちなっちゃんと同意見かな……」
確かに、僕もあの場所に向かえるだけの気力は持ち合わせてないな。
できることなら、ゆっくりしたい。けど、僕にはやるべきことがあった。
「なら、僕は文芸同好会に行ってみるよ。秋音の様子を確認したいんだ」
こんな状況でも僕には気がかりだったことが、秋音のことだ。
北山さんが被害に遭ったことは彼女も聞いているはずだ。北山さんを大切な部員だと思っているだけに、今回の件で落ち込んでないか不安だった。
それに、今回の怪異に“禁呪の魔本”が関係しているとしたら。
もしかしたらアレを解決できるかもしれない。歪なアレを、その正体を。あの魔本ならできるはずだ。僕とソックリの偽物を作り出せるなんて。
そんな僕の発言に、初めに反応を返したのは遠乃だった。意外なことに。
「それなら、あたしは付き合ってあげる」
「じゃ、じゃあ、とおのんが行くなら、私も行こうかな。ちなっちゃんは?」
「ここまで来たら私だけ、とは言えないでしょう。行きますよ」
それから結局、雫と千夏も来ることになって。
こうして僕は秋音の心配をしつつ、彼女がいるであろう場所に向かった。




