第3話 誠也のドッペルゲンガー
――秋音から正体不明の電話を受けた、僕たち。
何が何やらわからない状況だけど、ひとまず彼女の元に向かうことに。
行き先は、夕闇倶楽部の部室から離れた場所に位置する4号棟。
“文学棟”と呼ばれているそれが、秋音たち文芸同好会の活動場所だった。
「まったく、あの文系ネクラ女。変なことで呼び出して…!」
「頭おかしい誠也先輩が変なことをしているとは。どうなんでしょうか?」
「知らないわよ、そんなこと!! んで、そういえば。あたし、ほとんど4号館を利用したことないんだけど。何があるのよ、あそこ」
「あそこは文学部の講義があるところだ。僕としては馴染みのある場所だな」
基本的に文学部の学生は、専門科目はここで講義を受けることになる。
図書館とは目と鼻の先だし、教授のオフィスに近い場所だから必然なんだろう。
ただ問題点も多い。老朽化がとんでもないとか。正門から距離が離れているから始業時間ギリギリに来ると遅刻するとか。
当然、学生の人気は低い。他科目で別の館に向かうと天国に思えるくらいだ。
「うわっ、古くさ。改築した3号館と比べてボロっちいわねぇ」
「何度か通り過ぎることはあったけど……す、すごいよね」
「1番、僕たち自身がそう思っているよ。文芸同好会の活動場所は地下だ」
基本的に彼女たちは図書館か4号棟の学生ホールで活動をしている。
電話で聞いた限り、今日は学生ホールにいるみたいだ。中に入り、視界に現れた小さな螺旋状の階段を使って地下に降りる。
「ち、地下なんて、緊張するね。けっこう広いし」
「そうよね。って、葉月。アンタまで来る必要なかったのよ?」
「それは、そうだけど。成り行きというか、見てみたいというか」
「ふーん。アンタがそうなら良いんだけどね」
電球色の照明に照らされた、古めかしい地下通路に辿り着いた。
どこか湿っぽい空気が流れる、この場所は狭かった。鉄扉で閉ざされた部屋のほとんどは研究や講義で使うための資料が詰め込まれているらしい。
講義で使用する部屋どころか、空き部屋すらない空間。そんな中、唯一の存在価値である学生ホールに向かうと……確かにそれらしい集団が見えた。
「来たぞ、秋音。いったい何があったんだ――」
「うそっ!? 本当に誠也くんは夕闇倶楽部にいたの!?」
「あれれ、青原先輩!? こんなことが、本当に!?」
見えたのは、驚いた様子の秋音。それと知り合いの皆さん。
――そして。
「さーて、覚悟してもらうわ。文系ネクラ女め――」
喧嘩腰で足を踏み入れた遠乃が、急に口を詰まらせる。
僕も、遠乃も、後ろの雫も千夏も葉月も、衝撃で全身が固まった。
「やあ、初めまして。夕闇倶楽部のみんな。噂通り、美少女ぞろいだね。」
どこか軽い感じで挨拶をする、1人の男性。
中くらいの背丈に、やや細い体形。全体的に清潔感がある見た目。
真面目で、頑固そうで、毒にも薬にもならない人間を自称していそうな。
本来なら、絶対に僕の目の前に現れるはずがない彼。鏡でも、無い限り。
おかしいと、何度も否定しようとしても……現実がその行為を無駄にさせた。
「僕が……なぜ、こうなっている?」
「嘘でしょ、なんで?」
「と、とおのん、ちなっちゃん。……あれって」
「え、ええ、そうでしょう。――誠也先輩が、目の前にいます」
そうだった。“僕”がいたんだ。青原誠也、その本人が。
間違えるはずがない、顔、声、背丈、仕草、あらゆるものが僕だった。
だけど、絶対にありえない光景。ようやく事態を認識することができた僕は、次に何が起きているのか気になった。
「ちょ、ちょっと良いか!? 秋音。それと永代くんに北山さん?」
「聞かれても答えられないわよ。私たちもさっぱりだから」
「そうだな。いきなり現れて、いつもの青原と違うことしてきたんだよ」
「私たちも混乱しているんですよ。何が何やら。桐野さん以外は、ですけどねぇ」
「そ、そうなのか……」
秋音に、他に面識がある同好会の人にも話しかけたけど……この反応だ。
彼女たちも何が何だかわかってない。それもそうだ、僕も訳が分からなかった。
「あれ、キミ可愛いね。元気で、凛々しい黒髪のキミ。」
「……はぁ? いきなり何よ、誠也もどき」
「誠也もどきじゃないよ。正真正銘、僕なんだよ。青原誠也さ」
そして、いきなり、なんなんだ。この人は何をしてるんだ。
女性を口説き始めた? 僕が? よりにもよって遠乃なんかを?
こんなの、なおさら僕じゃない。ナンパをするなんて、遠乃を選ぶなんて。
「誠也先輩。双子の兄か弟はいらっしゃいますか。それもナンパ野郎の」
「いるわけないだろう! 僕の兄弟は依未だけだ!!」
あんなの覚えはない!! 何かの間違いだ、そう思いたいけど!!
実際問題、僕たちの視界には彼がいる。ニタニタと気味悪い笑みを浮かべた。
いったい彼は誰だ。見た目に加えて、僕の名前まで名乗りだしたけど!
当たり前の話だけど、僕はここにいる。こうして話して、動いて、考えている。だから、僕が違う場所にいるはずがないんだ。
「ほら、私が主張した通り。ここに誠也くんがいて、頭おかしいでしょ?」
「わ、悪かったわね。まさか、こんなことが起きてると思わなかったのよ」
「そうだな。だけど、こんなの予想できるわけ――」
「あっ~! 本物の青木ヶ原くんなの~! なのなの~!!」
「うぉっ!?」
話を遮るどころかぶっ壊す、舌ったらずの声が聞こえた。
身構えたけど遅かった。背中に、かなりの勢いで飛び掛かってきた。
強烈な衝撃で床に倒れる僕。めちゃくちゃ痛い。なんで、こんな目に。
「あ、ああ、桐野さん?」
恐る恐る振り返ると、やはり彼女がニコニコ顔で僕を凝視していた。
こじんまりした体形、それを包む見るだけで敬遠しそうなゴシックドレス。
整った顔立ちではあるものの、赤と青のオッドアイに、濃いメイクと、童話みたいなふわふわヘアーで、どこかメルヘンチックな感じがするような。
「え、えっと、誠くん!? こ、この人は誰かな!?」
「いきなり抱き着いたとは……かなり仲がよろしいようですが」
「……誠也くん。ちょっとだけ、お話できるかな? かな?」
「いや、誤解だって!! 彼女は――」
「青木ヶ原くんと運命を約束した人です。私たち、愛し合ってるの!」
強烈な眩暈と頭痛が襲う。なぜ彼女は騒動を起こしたがるのか。
実際に――夕闇倶楽部と葉月の女性陣が、軒並み驚いた顔をしていた。
「10年前、お互いに結婚の約束をしたなの!!」
「う、嘘!!? 結婚の約束ぅ!?」
「……ダウト。10年前に会ってるなら、あたしにも会ってるはずよね」
「ぶー。夢がないなんてつまらないわね!! ルリルリ、ショック!」
「それで、アンタは。頭おかしいオッドアイには嫌な思い出があるのよ」
どうやら遠乃と桐野さんは、すこぶる相性が悪いようで、
互いに険悪なムードを醸し出しつつ、桐野さんが向き直った。
「桐野瑠璃。ルリルリと呼んでも良いよ。それと、これはカラコンよ!」
「よろしく、桐野。それで、あの誠也もどきだけど。あんたは――」
「そういえば夕闇倶楽部ってオカルトサークルなんでしょ!? すごーい!!」
桐野さんの唐突な話題変更。遠乃もタジタジな様子だった。
いつもなら遠乃が相手側だったはずなのに……どこか新鮮な感じがした。
「すごいよねぇ。黒魔術とか、悪魔召喚とか、毎日行ってるんでしょ~」
「やってるわけないでしょ!! そういう怪しい集団とかと一緒にしないで!」
「……何の拘りよ。傍から見たらオカルトサークル」
「じゃあ、魔術師の知り合いは!? 霊能力者は!? 呪術師は!? 」
「魔術師、霊能力者は知らないけど、呪術師は知り合いにいるわね。おそらくアンタのご期待に沿えるような子じゃないけどね」
無邪気な視線を送りつける桐野さんと、ドン引きした様子で答える遠乃。
「すっごーい!! 紹介して!! バンバン呪ってもらいたいの~。あっ、そういえば。はづきん、有名な絵師さんなんでしょ!?」
「い、いきなり、人も話題も変えてきたね。そうだけど、何かな」
「私の作品のイラストを描いてほしいの~! ヒロインの臓器を奪い取って、どれだけ生命維持できるか、ワンダフルな実験のシーンを書いてもらいたいの!」
そして、相変わらず……とんでもない作品を仕上げているようで。
文章を聞くだけでも恐ろしい内容に、葉月は怯えた様子で首を振っていた。
「ひ、ひぃ。ご、ごめんね。R-18はエロもグロもお断りしてるんだ」
「……こんな奴がいるのに、よくもあたしたちをバカ扱い出来たわね、秋音。って、そんなことよりもっ!!! 問題は、あの誠也もどきなのよ――」
「あぅ。ルリルリ、元気ないの。貧血なの~」
「大丈夫かい、ハニー。ほら、キミを安心できる場所まで連れていくよ」
話を戻そうとした途端に、よろめく桐野さんにそれを支える僕(偽)。
どうやら彼女と僕(偽)の仲は良いみたいだ。これは北山さんの話通りか。
それにしても、桐野さんが現れてから話が進まない。完全に彼女のペースだ。
「に、偽物だけど、誠也くんにお姫様抱っこされてる」
「流石に羨ましいとは思わないけど……複雑な気分、だね」
そして、僕(偽)が、女性をお姫様抱っこする光景。見ていて辛いな。
それを雫や葉月、北山さんが妙な眼差しで眺めている。それも恥ずかしい。
「はぁ……もう、流石のあたしでも付いていけないわよ」
「んで、コイツをどうしてくれるの? 引き取ってほしいのだけど」
どこまでも嫌そうな表情で、僕(偽)を見た秋音が僕たちに問いかける。
お互いに顔を見合わせる夕闇倶楽部+葉月。引き取るたって、なにもなぁ。
「知らないわよ。誠也は面倒見れるけど、もどきは見きれないわよ」
「それは困るんだけど。誠也くんにそっくりなのに、まともな文章を書けないのよコイツ。はっきり言ったら中学生レベル。作品を一つも仕上げられない、最悪な文章力の馬鹿を文芸同好会として認めたくないのよ! あんたら、どうにかしてよ!」
「それは、ご愁傷様。だけど、あたしたちには怪異の調査があるの。じゃあね」
遠乃の言った通りで、こちらから何かできることはない。
可哀想だけど、僕たちは臭い物に蓋をするように、この場を離れたのだった。
それにしても、彼の正体は何なんだろうか。
他人の空似、そっくりさん、それで片づけられないほど僕に酷似する。
だけど、もし僕に似た彼がいるのなら、もっと早く話題になるはずだ。
最近、転入してきたのだろうかと考えたけど……この時期に? 今は1月だ。そろそろ後期も終わりを告げる。転入する時期じゃないはずだ。
――もしかしたら、怪異。それもドッペルゲンガーの類じゃないか。
だけど……何が生み出したのか、誰が生み出したのか、なぜ生み出したのか。
僕の偽物を製作する、何の価値がない行為だ。こんなことをする意味がわからない。それに、どんな怪異が絡んでいるかもわからない。
答えが出そうにない問いを。頭の中で延々と繰り返していた時だった。
「怪異だって、馬鹿らしい。そんなものあるわけないじゃないか」
背後からの僕(偽)の言葉が聞こえて、遠乃の足が止まった。




