第30話 カーテンコール
あれから電車を降りて、みんなと別れて。
僕は最寄りの駅に降りた。容赦ない日差しが僕に降り注いだ。
風や木陰がない都会の道を、大量の荷物を抱えながら歩く。……振り返ってみると、あちらの暑さはなんてことなかったと思い返されるな。
銭湯のおじさんみたくタオルを首にぶら下げ、疲れた表情で家の扉を開いた。
「……ただいま」
「……っ! ……っ!」
「うぉっ!? って、依未か。大丈夫だよ、お兄ちゃんはここにいるから」
3泊4日。ちょっと時間を開けて、眺める我が家は新鮮に思えた。
見慣れた玄関に見慣れた通路、見慣れた部屋。それに見慣れた家族。
……まあ、帰宅した後は、料理とか洗濯物とか家事をやらされたり、兄に会えなくて泣いていた依未を宥めたりするのにも苦労したけども。
帰ってきた喜びと、何気ない日常に向けた感謝も。旅行の醍醐味なのかもな。
『みんな無事に帰ってこれた~?』
『とうぜんでしょ、あたしたちは夕闇倶楽部なんだから!』
『高校生の3人も無事に送り届けました』
『今日は楽しかったです!今年の夏の言い思い出になりました!!』
『まあ撮影が全部終わったわけじゃないがな。これからもよろしく頼むよ』
『終わったら改めて打ち上げしようよ! ノンさんの奢りでパーっと!』
『……何で私が奢るハメになるんだ?』
スマホを見ると、帰りの電車で作ったグループが賑わっていた。
4+4+3だから11人。かなり人数多い。これだけの人と生活を共にしたのか。
そう考えてみると感慨深い。雨宮さんじゃないけれど……何が起ころうとも喉元過ぎてしまえば、良い思い出になってくれるんだろう。
こうして僕たちは帰ってこれた。いろいろあったけど、何も起きなかった。
明日、明後日、夕闇倶楽部はお休みだ。溜まった疲労はそれで癒すとしよう。
――そして、帰宅してから明後日の正午。僕は葉月が告げた場所に向かった。
「来てくれたんだね、誠也くん」
「ああ、約束だからな。それに徒歩で行ける範囲だしな」
昼下がりの夏の日。ほどほどの暑さと、ほどほどの風の気候だった。
時間帯だからか、“この場所”だからか。お年寄りが行き交うのが見える。
約束通り、目的地には葉月がいた。神妙な顔つきで、やって来た僕を迎えた。
それにしても、ここだったとは。ここは僕の近所の――精神病院だ。
過去を思い返すと、この病院で調査に向かう前日。葉月の姿を見たな。
あの時は何で葉月が、と思ったけど。今なら“その理由”がわかっていた。
「ここに、お姉さんが?」
「……うん。もう十年になるんだ。ここに入院させられて」
「入院させられて、か」
「“医療保護入院”だって。昔、お母さんが言ってたけどわからなかった」
電車内部で聞かされた事実。葉月の姉、弥生さんはここに居るらしい。
10年前。弥生さんが帰ってきた後、彼女は錯乱していたという。
家族の制止にも耳を傾けず、何かを喚き散らし。挙句、いきなり暴れ出した。
手が負えなくなった家族は病院に入院させることに。病名は付いたようだ。
そして、10年間。彼女は、ずっとこの病院に入れられているらしい。
両親の方針で葉月の家からは遠い場所の病院。理由は……わかる気がする。
「それにしても大丈夫なのか。部外者の僕が会っても」
「病院内の中庭なら会えるみたい。症状自体は回復してるから。だけど」
「……だけど?」
「きっと無駄に終わると思うよ。会うだけ、損することになるはず」
底知れない諦めが込められた葉月の呟き。僕には疑問が浮かんだ。
「それなら、どうして僕に会わせるんだ?」
「誠也くんなら何とかしてくれる、そう思ったから。だから会わせるの」
それだけ話すと、葉月は僕の反応を待たずして病院に向かった。
……弥生のお姉さん。どういう人か気になるな。調査と抜きにしても。
なんて思いながら、後を追いかける。葉月が受付で手続きし、奥に。
暖かみがあるアイボリーの色をした壁。それで構成された通路を抜けた。
そんなに時間がかからずに到着したのは、病院の中庭。
あるのはベンチに、オブジェクトに、成人男性くらいの背の木々が何本か。
それほど立派で大きいものでないにしろ、休憩スペースと見れば、良さげだ。
「ここで、待ってて」
葉月に言われた通りに、僕は木陰で待つことに。
リラックスできる雰囲気に心地よい風と、微かな草と土の香り。
患者や外来の人、お見舞いの人の憩いの場だろうけど……僕は落ち着かない。
というのも、僕は病院という閉鎖的な空間が苦手だったりするんだ。
原因は分からない。だけど、どこか形容しがたい悲しい気持ちに襲われる。
ただ感じるよりも……心の内側から何かがこじ開けてくるような、強烈な感覚。
「…………」
何故か耐え切れなくなった僕は、葉月に貰った“あるもの”を見ていた。
ところどころ黄ばんだ、かなり古いスケッチブック。それに描かれた絵の数々。
被写体は花や鳥、といった自然の風景が多かったかな。芸術的なことはわからないけど、繊細な描かれ方をして、とても魅力的だと僕は思った。
「連れて、来たよ」
感動していると、背後から葉月の小さな声が聞こえてくる。
驚いてスケッチブックを後ろに隠すと、彼女“たち”に向き直ることに。
――車椅子に座った大人の女性と、彼女を連れてきた葉月。
伏し目で、虚ろな表情だけど……葉月をそのまま大人にした女性。
儚さと、空虚と、見え隠れしている狂気。彼女が鳴沢弥生さんなんだろう。
「えっと、鳴沢弥生さんですよね。僕は青原誠也と言います」
「…………」
「葉月の友人でして。今回、呪いの映画の話を拝聞したく伺いました」
どこか畏まりすぎた物言いに、もう少し間に開けるべきだった質問。
マズい。妙な緊張と雰囲気で、訳が分からないことを口走ってしまった。
だけど、当の彼女は微動だにせず、沈黙したままだった。
質問がわからないとか、僕が理解できないとか、そうした類ではない。
――僕が、葉月ですら、この世界に存在しないかのような。どこまでも空っぽで、僕たちは幽霊に話しかけようとしているような、世界の隔たりを感じさせた。
反応に戸惑った僕が助けを求めると、葉月は首を横に振るだけだった。
「お姉ちゃんは風間隼人以外の話を聞かないの。そう教育されたから」
「風間、隼人。いや、なにも、彼はもう――」
「うん、伝えたよ。だけど、聞かないの。風間隼人以外の人の話は聞こうとしないから。例え風間隼人が死んだという内容の話でも」
「……それは」
「もしかしたら聞いてる上で、わざと聞こえないフリをしてるのかもね」
葉月が嘲笑うように告げた、その時。弥生さんの顔が僕に向けられる。
彼女と目が合い、悠久に思える時間が流れて、重苦しい空気に包まれて。
――そして、彼女の眼に、口に、顔に、色が付いた。不気味なほどに。
「あー、ハヤトくんだぁ」
「……えっ?」
ハヤトくんって。僕に、言ったのか?
何で、弥生さんは? この反応、僕を風間隼人だと思ってるのか?
「いや、僕は……んぐっ!!?」
「スキ……スキ……んっ、んんっ、れろっ、んちゅっ、ぺちゃ、ちゅっ」
否定しようとした口は――車椅子から飛び出した彼女の口で閉ざされた。
僕の口の中に、彼女の舌が侵入した。生き物特有のぬめりと温かさを感じる。
混乱と、息苦しさ。そして、どこか恍ける感覚を振り払うように、僕はもがいた。
「ん、んんっ、ぷはぁ! や、止めてください弥生さん!!」
「お姉ちゃん、止めて!! 私から誠也君まで奪わないでよ!!!」
「……あ。あ、あああ」
葉月の必死な声で我に返った弥生さんを、とにかく2人で引き離す。
呼吸ができるようになって、僕は真っ先に酸素を吸った。なんとか助かった。
何だったんだ、今のは。僕が風間隼人と間違われて、彼女にキスされた?
と、なると。僕は風間隼人に似ていた……いや、ない。映画で見たけど違った。
「はぁ、はぁ、はぁ。葉月、こんなことってあったのか?」
「ちがう、ちがう、こんなこと、初めてで、何が起きたか、意味わかんない」
「ど、どうして、どうしてどうして、ハヤトくんと引き離された。私がハヤトくんに従い続ければ、ハヤトくんは受け入れてくれる、原因があるから結果がある、だから私は劇を、映画を完成させた、“アイツ”の命令にも従ったのに、隼人くんはわたしを引き離した、おかしい、だけどハヤトくんはいる、私はどうしたら救われる」
息が回復して、真っ先に視界に入り込んだのは錯乱した弥生さんだった。
「や、弥生さん? お、落ち着いて……どうしたんですか」
「……これは、何度もこうなるの。だから退院させられないの。お姉ちゃんを」
「おかしい、これはおかしい、おかしいのに、私は呪われている、そうなんだ、アイツに、でも、そんなことない、だからアイツに、ハヤトくんは、ハヤトくんはハヤトくんは、私は、私は私は、私は、私は、ハヤトくんのために、私は」
なんとか彼女から情報を聞き出したいと、切実に思うものの。
出鱈目に具が詰め込まれて、グチャグチャに混ぜられたサラダのような。答えられない、理解できないという次元を超えた言葉の集合体を浴びせられる。
言い回しは……まるで戯曲を思わせるもの、独特でリズミカルな様子で。
先ほどの混乱も相まって。この状況で、僕は何をしたら良いのかわからなかった。
「と、とりあえず、落ち着いてください。話があるんです」
「ひぃ!? ご、ごごご、ごめんね、ごめんね、ハヤトくんを怒らせて!!」
「い、いや、あなたは悪くありませんから!! 僕の話を聞いてっ!!」
「わ、わかった、わかった。そうだよね、ハヤトくんの話だもの、聞かないと、呪われる、私は呪われるんだ、アイツに、大丈夫、助かるんだ」
とりあえず彼女は話をしてくれるようだ。僕を……風間隼人と勘違いして。
彼女の誤謬を、狂気を利用するのは気が引ける、けど。今は我慢するしかない。
「……改めて。10年前の、呪いの映画製作で起きた事をお聞かせください」
僕の問いかけに、弥生さんは無邪気な笑みを浮かべて話してくれたのだった。




