第28話-1 神林の呪術
「葵、待ってくれよ!!」
陰鬱な黒と気色悪い赤で構成される世界を必死で駆ける。
目の前は葵、周りはこの病院の患者、兼“怪物”。襲い掛かってくる奴らを避けつつも、葵を追いかけていると……俺は“あること”に気づいた。
――アイツラ、葵を避けてるのか?
俺を襲うのは躊躇わないのに……奴らは、葵には絶対に近寄らない。
興味がない、どうでも良いというより、恐れを感じているという様子だった。
……訳わかんねぇ。確かに葵は呪術師だけどさ。怪物が呪いを怖がるのかよ?
「楓!!?」
なんて、不可思議なことを浮かべていると、葵が病室に侵入した。
俺も後を追いかけるように、病室に入る。……大丈夫だよな、ほんとに。
息が詰まるような不安を振り切って、部屋を見た。中は。不気味な赤と黒で染まっていたものの、カジュアルな雰囲気で纏まっていた。
見覚えがある。何故かはまったく理解できないけど、ここは楓の部屋だ。
そして、それを認識した瞬間。俺は想像を絶するモノを目の当たりにした。
「瀬川……!」
『こんなところまで来るなんて、お前も馬鹿だなぁ』
部屋の中には濁った瞳をした楓と……ギラついた瞳をした瀬川拓哉。
気味が悪い表情のアイツに、俺は胸を急激に締め付けられた錯覚を感じた。
瀬川拓哉。以前、新聞部の調査でここを訪れて――行方不明になった知人だ。
“開けろ、開けろ、開けろ、開けろぉぉぉっ!!! ぎゃあああああっっっ”
錯乱したアイツの、あの時の悲鳴は今でも鮮明に思い出せた。
そのまま姿がわからなくなり捜索も打ち切られたアイツ。それが、ここに。
「……テメェ。何してるんだよ」
『何って楓と仲良ししてるんだよ。やっと俺のところに来たからな』
「つまり、お前が楓を引き込んでいたのかよ!? ふざけんじゃねぇよ!」
『ふざけてねぇよ。なあ、楓?』
「うん。私が悪いんだ。私が悪いから瀬川くんは死んで、2人も悲しんでるんだ」
「マズいわね。怪異に、幻死病に取り憑かれてる。あのままだと取り込まれるわ」
搔き消えそうな、葵の呟きに俺の心臓が変な高まりを見せた。
……取り込まれるって、どうなるんだよ。コイツに楓を取られるのか?
怒りと恐怖が心の奥底から湧いてくる。それを止めたのは……楓だった。
「ごめんね、アキ。アキのことが大好きなのに、見捨てるような真似して」
「そういうこと言ってる場合かよ……!? 別に楓が戻ってきたら良いんだ!! そして、帰れば良い。俺と葵となつねぇ、それに先輩たちと!!」
「……わかってる。わかってるんだけど、体が動かないんだ。体だけじゃない、気持ちも。心が悲鳴を上げて、重苦しいの。どうしちゃったんだろう、私」
『どうやら俺たち、相思相愛みたいだなぁ? いい気味だな、小山!!』
俺たちに話している彼女の表情は暗かった。どこまでも、どこまでも。
……普段の楓じゃない。葵の言っている通り、怪異に呪われるのかよ。
じゃあ、どうすれば良いんだよ。俺たちはフィクションで出てくるようなお坊さんや霊能力者なんかじゃない。怪異を払うなんてできやしない。
瀬川のニヤニヤとした笑みを、今すぐぶっ飛ばしたいのに。それができない。
……どうすれば良い。どうすれば楓を助けられる。
考えていると、楓の視線は葵に向けられた。葵は悲しそうな表情していた。
「葵ちゃんもごめんね。私のこと迷惑だったでしょ、振り回して」
「そんなこと、思ってないわ!!」
「……葵ちゃん」
「私はあなたと一秋くんに救われた。救われたの、呪術しか能のない、現実に生きるみんなと相容れない私が、たくさんの人に出会えて、たくさんの贈り物を貰えた」
「…………」
葵の本心。初めて聞けた気がする。こんなに思っていたなんて。
怪異に取り込まれようと楓には届いたのか、真剣な目つきで葵を見た。
「これもそう。落ちた、より落としたんでしょ。居場所を知らせるために」
葵が見せたのは……病院の1階で拾った、髪飾り。
そういえば、楓が持ってた白い花の髪飾りってアオイの花だったな。
確か葵の誕生日に一緒に買いに行ったんだっけ。それで楓からは、カエデのキーホルダーをプレゼントして……大切に持っていた。
「あなたが何を思おうと、あなたは――私の、最高の親友なんだから!!」
「……葵、ちゃん」
「私の手に触れて。大丈夫、あなたがどんなに怪異に侵食されてても助けられる。猛毒を持ってる蛇はね、ちょっとやそっとの毒じゃやられないのよ」
どういう理屈かわからないけど、葵なら楓を救えるようだ。
楓は――嬉しそうに頷くと、瀬川の制止を振り切り葵の手を取った。
そうした楓は、まるで今までの重りが取れたように立ち上がる。
……良かった。後は先輩2人と合流して、ここから逃げるだけ。それと。
「ごめんね、瀬川くん。君のことは私の責任、だけど。行かなくちゃ」
『ふざけるな、俺から離れるなんて許さねぇぞ!!!』
「勝手にキレてんじゃねぇよ。楓を無理やりどうこうしたんだから、当然だろ」
『元はといえば、お前らが心霊スポットの調査とか言ってここに来たのが元凶だろうが……!!? そのせいで俺は、俺は!!!!』
コイツが残っていた。案の定、発狂していやがる。
しかも、病室の外では怪物たちが集まっている。目的はわかりやすかった。
「ええ、楓にも一秋くんにも責任はあるわ。もちろんアイツの孫の私にも
『お前も同罪だ、七星。ムカつくことをガタガタ抜かしやがって』
「だけど、楓をあなたに渡さない」
楓の前に立ち、呻き声を上げる怪物どもを睨みつける葵。
眼には、悲しみと侮蔑と――嫌な予感を思わせるほどの決意が含まれている。
……何をする気なのか。行動に移す時間も余裕もないけど、気になった。
「私たちは生きている。現実の世界に生きているの。異界に囚われているような人間に――怪異に、どうこうされる筋合いはないのよ」
『オマエ……!』
「だから、楓を、私の大切な友だちを返しなさい。これは最後の忠告よ」
――最後の忠告。
意味深な単語に、俺が覚えた嫌な予感が加速して大きくなる。
だけど、対峙する瀬川は、怪物は、俺たちに向ける敵意を変えなかった。
『フザケルナ、フザケルナ、ナンデオマエナンカニサシズ』
「……瀬川くん」
『マエカラキモチワルイトオモッテタンダ。オマエハカエデニハフサワシクナイ。オマエモ。ソコノゴミヤロウモ。ミンナコロセバカエデハオレノモノダ』
もはやアイツが何を話してるのか。俺には分からない。
だけど、この状況がこれ以上ないほどピンチなのは事実だった。
逃げようとしても、触発された怪物たちが病室の外にたむろしているから。
『オマエハジュジュツヲツカエルンダロ。ナラヤッテミロ。オレニハカテナイ』
俺の思考が追いつく前に、奴らの1人が部屋の中に侵入した。
全身を血で汚れた包帯で巻いた、怪物が葵に迫り――そして、苦しみ始めた?
「なら、瀬川くん。1つだけ教えてあげましょうか」
――葵から、とんでもないモノが出てきた。
視界に現れない、姿も見えない。だけど、確かに存在する。
……俺の体中が凍えそうなくらいの寒気に襲われて、体が震えだしたのだから。
異界に来てから、4階に来てから感じた怪異なんて比較対象にならない。どこまでも深い、鋭い、冷たい闇が、肌から、感覚から侵入する。
相対する瀬川が、怪物が、恐れを為した。その反応が更に場の恐怖が増した。
何が起きているんだ。何歩も遅れて、単純な疑問が脳裏によぎった。
これが葵の力? こんなの、術や呪いより……怪異そのものじゃねぇか?
「本来、私の呪術は出鱈目に扱えない。厳格な契約と手続きから行われるの」
『ヒィィィィィィッッッ!!!?』
「だけど、1つだけ例外があるわ。……私が、こうして危険に晒された時。術者の生存を最優先にしないと契約もあったものじゃないからね」
『アアア、アアアアア、アアアアアアアアァァァァァッッッ!!?』
「そして、あなたは私を危機に晒した。我が呪術は、あらゆる存在に凶星をもたらす。怪異だろうと例外はなく、むしろ怪異を喰らうことこそ真髄なり」
凛とした声で、場に声を響かせる。その度に怪異が悲鳴を上げる。
葵の眼は紅く染まり、口元を吊り上げている。普段の様子とは違う彼女。
楓が、震える俺の手をぎゅっと握った。滲んだ冷や汗。楓も怖がっていた。
「この世から永遠に抹消されたくないのなら。怪異を撒き散らす悪霊として、この異界であるとしても縋っていたいのなら――この場から立ち去りなさい」
……友人が、怪異を追い払う。……その怪異を遥かに越えた力で。
もはや何が何だかわからないほどに異常な光景を、俺たちは俯瞰していた。




