その154.光を失った暴力熱血女
暗い路地に入った。
縁を見逃して暫くになる。
辺りは暗く、既に太陽は隠れた頃だった。
運動音痴な私が縁に追い付くのなんて到底無理な話だ。
だが、それでも私は必死に縁を追った。
逃げるように縁は走っていた。
その後姿が、悪戯をした子供が逃げる様に見えて……いつも堂々としている縁らしくなかった。
やっぱり……へーじさんの事、気にしてるのかな。
あんなに怒った縁は、始めて見た。
それほどまでに、へーじさんが大切だったのかな。
縁は何処に行ったのだろう……?
暗い路地に入り込んでから、自分が何処に居るのかも解らなくなっていた。
道を聞こうにも、先程から私の横を通る人達は、あまり人が良さそうに見えない……。
横を通る度に私の方に嫌な視線を向けてくる。
ガラの悪そうな人ばかりだ……。
この場所では私は大分浮いて見える様だ。
こ、来なきゃ良かったかな……?
慌てて首を横に振った。
だ、ダメ!
怖がってる暇なんて無いんだから! 縁を探さなきゃ!。
出来るだけガラの悪そうな人達と目を合わせないように先を進む。
と、取り合えず縁ー……どこぉ〜?
若干半泣きになりながらも、私は必死で辺りを見渡す。
「よぉ〜、君何してるのォ〜?」
如何にもと言った具合のガラの悪そうな男が、声を掛けて来た。
は……話しかけられてしまった!
こ、怖い、どうしよう……お、お姉ちゃん。
無意識に姉の事が頭に浮かんだ。
いつも助けてくれる姉はいない。
弱すぎる私には、何も出来ない。
ガラの悪い男を無視して先に進む。
「おいおい、無視すんなよ〜?」
腕を掴まれた!
男の人の強い力で引っ張られる。
抵抗しようと引っ張り返そうにも、当然の様にそれは敵わない。
私が抵抗を示したのが解ると、ガラの悪い男が楽しそうに笑った。
な、何で笑うんですか……!
怖い。
「あ、あの、ごめんなさい……今人を探してるので……」
必死に逆の手で、掴んで来た手を離そうとする。
「いーじゃん別にー? 遊ぼうぜー?」
更に腕を引っ張る力が強くなる。
「ヒ、ヒィ……」
恐怖で悲鳴が漏れた。
「ヒィ、だってよー! 可愛いー!」
そう言ってガラの悪い男が笑う。
「おい、何楽しそうな事してんだよ、俺らも混ぜろよー」
ゾロゾロと、ガラの悪い男が後ろから出てきた。
ヤ、ヤダ。
どうしよう……!
「は、離してください!!」
恐怖で必死に腕を引っ張る。
私を囲むようにガラの悪い人たちは移動していた。
ニヤニヤと嫌な笑みを向けている。
逃げられないようにされているのが解った。
こ、怖い。
私は口が上手いわけでも、喧嘩が出来るわけでも無い。
おねーちゃん……おねーちゃん!
私はいつも姉と一緒に居た。
姉は何があっても私を守ってくれていた。
自分がいかに過保護にされていたかを痛感する。
無力な自分が、悔しく思えた。
「ゲァ!」
後ろでガラの悪い男の一人が妙な声を挙げた。
掴まれた手を気にしつつ振り向いた。
そこに、倒れた男と、
縁が居た。
「縁!」
私は声を挙げていた。
見つかった喜びで胸が弾んだ。
「あ? んだコイツ」
私の腕を掴んでいた男が不満そうな声を向けた。
「……」
縁は何も言わない。
そこで私は、一つの疑問が浮かんだ。
いつもなら悪党と認識した瞬間に妙な熱血論を挙げるのだが……。
いつもの縁らしくない。
「……あ? 何だお前も可愛いじゃん」
私の腕を掴んでいた男は何を見ていたんだ。
なんと呑気な事を言っているのか、と私は無意識に思ってしまった。
縁が男を倒したとは思っていないのだろう。
確かに、普通はそう思わないかもしれない、女性が男性を気絶させたとは、普通なら思いもよらない。
こけた、程度にしか思っていないのかもしれない。
だけど縁は、こけた、じゃ済まない力を持っている。
そして、気になるのが、今の縁はどこかおかしい事。
下を向いたまま動かない縁が、妙に怖い。
「ゆか、り?」
私の言葉に反応したのか、縁が顔を挙げる。
光の無い、死んだ様な瞳が、私を見ていた。
縁の目じゃない。
私の知っている輝く瞳が、そこには無かった。
「……くれるの?」
「……え?」
縁はボソボソと唇を動かした。
だが、小さな声で、最後しか聞き取れなかった。
何も知らない男が一人縁の肩に手を置いた。
「ねぇ君も一緒に遊ばない?」
当たり前の様に、縁の肩に手を置いた男が倒れた。
暗い路地のせいもあるかもしれないが、早すぎて何をしたのか見えなかった。
「ウ、ウグ……」
倒れた男は分けが解らいままに苦しそうな声を挙げる。
縁は一瞬視線を男に向け、目を細めた。
縁は、足を上げると、男の顔面を思いっきり踏みつけた。
グチャ! という生々しい音で、『打ち付けた』のでは無く、『潰れた』のが解った。
踏み潰した男の顔から血が広がっていく。
確実に歯や鼻は砕けたのだろう。
「ヒ、ヒィ……」
今度の悲鳴は私の声でなく、私の腕を掴んでいた男。
呆然としている男の手が私から離れた。
私は慌てて男から離れようとするが、
立ち止まった。
親友である縁の方に走ればいい、走れば良い筈なのに、足が竦んでいた。
親友の筈なのに。
生気の無い瞳を向ける縁を、『怖い』と思ってしまった。
「ネェ…………」
あまりにも、冷たい声が、路地に響く。
一本道の路地で、私は前にも後ろにも逃げれず、壁に張り付いて身を屈めていた。
恐怖で震える私の耳に、感情の灯らない冷たい声が入り込む。
「後、何人、悪い人間を倒したら、アタシは、良い子に、なるの? アタシは、許される、の?」
言い聞かせるように、ハッキリと、一言一言を分ける言い方。
その言葉の一文字一文字が、体の芯にまで響く気がした。
いつもの熱血漢を思わせる姿は無い。
大袈裟に言ってしまえば、いつもの縁が光の様な存在なら、今の縁は何処までも暗い闇に見えた。
正義! 正義! と大声を挙げる縁は居ない。
虚ろな瞳で、まるで只倒す為だけの様に、ロボットの様に、感情が見えない。
心の底から、恐怖が湧き出す。
足音で、縁が動き出したのが解った。
恐る恐る顔を挙げる。
ガラの悪い男達も、縁が只の女の子では無い事は解った様だ。
空気が。
凍っていた。
縁が暗がりから前に出る。
暗がりで良く見えなかった縁の全体が映された。
体全体が見えた時、
寒気が走る。
暗がりで見えなかったが、縁の体は血だらけであった。
大怪我の様子は見えない。
全てが返り血なのだと理解した。
折角の綺麗な格好は、血で汚れていた。
脳裏に、姉の姿が浮かぶ。
へーじさんと出かける時の服を選んだのは姉だ。
楽しそうに、縁には何が似合うかを私に聞いていた姉を思い出した。
姉も、私と同じ様に縁を好いていた。
それを知っていた分、私の心は締め付けられた。
縁……縁……!
お姉ちゃんは、そんな事の為に服を選んだんじゃないよ……
縁が、へーじさんと、仲良く出来る様にって、選んだ服なんだよ……
私の思いは届かない、声も、届かない。
「っひ、うぇ……」
嗚咽が零れる。
知らず知らずに涙が出てきた。
今の縁なんて見たくない、私の知っている縁を返して。
何も出来ない自分が悔しかった。
私の涙で止まってくれるのなら私は幾らでも涙を流す。
だけど、私の涙に価値何て無い。
暗い路地には、殴る音が響き続いていた。