その144. 怒りが、憎悪が、理性が、
……え?
突然、振り向いたへーじは血相を変えてアタシの方に走ってきた。
いきなりの事にアタシは対処出来ずに、呆然としてしまっていた。
そのままへーじに思いっきり突き飛ばされた。
直後に大きな破裂音。
アタシは分けも解らずに尻餅を付いていた。
「なっによォ、いきなり〜……」
顔を上げた先に、丁度倒れようとしているへーじが居た。
え?
固い床に打ち付けられた後、胸から赤い物が溢れ出ているのが見えた。
「い……いきなり出てくるからだ……」
その声の方にゆっくりと視線を向けた。
カタカタと手が震えているアタシが倒した筈の覆面男。
銃口から出る煙。 目の前で倒れているへーじ。
これだけで理解出来てしまう。
だけど、理解したくなかった。
無意識に立ち上がる。
ショックで覚束ないのか、足がフラフラとする。
立ったままへーじを見下ろしていた。
胸から溢れる血は止まらない。
その溢れ方が、素人のアタシから見ても、とても危険である事が解った。
へーじと目が合った。
表情を作れない。
ねぇ、なんで撃たれたの? ねぇ、なんで血を流しているの?
ねぇ……。
言いたいことはいっぱいあるのに、声が出ない。
アタシをジッと見つめた後、満足したように目を瞑った。
何を満足したの? アタシが無事だったから? アタシを助けたから?
何で……
助けたの……?
躊躇いも無く、自らが傷つくのも惜しまない。
へーじは、そんな人間じゃ無いでしょ?
なのに、アタシを助けてくれた。
「ア……ア……」
声を振り絞っても、嗚咽の様な声しか漏れない。
「くそ! くそォォ!! お、女を撃ちたかったのに……こ、コイツが悪いんだ、いィィいきなり出て来るから……」
壊れた人形の様に、覆面の方に再び目を向く。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」
無感情だった心に、何も無かった心が憎悪で埋め尽くされる。
叫び声を挙げるように、悲鳴を挙げる様に、絶叫する様に。
全てを吐き出すように、アタシは声を出していた。
今、アタシの中にあるのは。
憎悪。
吐きだす声は、憎悪を吐き出そうと出た声。
それでも、アタシの中に渦巻く憎悪は消えない。
胸の中で掻き回される。
怒りが、我を忘れさせるには十二分であった。
お前が撃ったのか! お前が!! お前が!! お前が!!!
へ、へーじを撃ったのか!
こ、殺してやる! 殺してやる!!
悪党め! 悪党め!!
お前だけは許さない!!
へーじを! アタシのへーじを!!
また奪うのか! 悪党は全て持っていく!
アタシの大切な物を持っていく!
許さない! 許さない!! 許さない許さない許さない許さない!!!
「ヒ、ヒィィ!」
覆面の男がアタシを見て悲鳴を上げた。
何故悲鳴を上げたのかは知らない。
アタシがどんな顔をしていたのかなんて解るはずが無い。
無意識に、アタシは拳を丸めた。