その140. 決着
うっすらと開く目が赤く染まった。
頭から血が流れている事を直ぐに理解した。
だが、だからどうした……。
もう、僕は動けない。
今更血が流れているから慌てる事も出来ない。
頭の良い僕は、体が完全に停止している事を解っていた。
「…………アァ?」
男の声が上から降ってくる。
「おい、もしかして終わりかァ? コラァァァ……」
男の呆れた様な声。
残念そう……と言った具合だ。
「んだよ、これからだろーがァ? フザケンなよ……」
そんな事をさ、言われても……体が動かないんだ。
ッチ。
忌々しい程に、怒りを込めて男は舌打ちした。
何度も言うけど、体が動かないんだ。
本当はもう一つ動かし方を知っている。 だけど僕はその動かし方をした事が無い。
男が僕とは逆方向を向く足音が聞こえた。
「もう面白くねーよ……」
もしかして……助かったのか?
頭はまだ痛む、血は流れ続けている。
でも、このまま男が立ち去れば、助けが早く来れば、助かるんだ。
良かった! 助かったんだ。
「あの女ァ犯してる方が楽しいだろーなァ?」
あの女。
あの女という言葉だけで誰の事か何て普通は解るわけが無い。
男の足首を掴んでいた。
動かなかった筈の体が勝手に動いたのだ。
もう動かない筈の体が、動いた。
初めて体が、感情で動いた。
少し体を動かしただけで、割れるように頭が痛んだ。
いや、実際に血が流れている時点で頭は割れているんだ、
本来は頭を動かさないように安静第一で血を止めて、
直ぐにでも手術を開始する事が大切だ。
なのに、僕は動いた。
ジッとしていれば助かったのに、男のなんとなしの言葉に反応したのだ。
「と……り……ひ、き」
掠れた声が出た。
声を出すだけで、頭が、痛い、痛い、痛い!!
だが……だからどうした!!!
「取引だ……クソ野郎」
あの子に手を出させるものか。
守るって言ったんだ。
絶対に、守るって言ったんだ!!
「……あァ?」
「取引だって言ってんだろーが……頭だけじゃなくて耳まで腐ったか?」
何処に力が残っていたのか、
それとも本当に最後の力を振り絞っただけなのか。
何にせよ……体が動く。
男は僕の言葉に足を止めた。
反応を示したのだ。
突発的に浮かんだ考えだが……今度こそ。
体を捩って何とか立ち上がる。
頭からダラダラと流れる血が邪魔だ。
動く手で血を拭う。
視線を上げると、男が僕を待っていた。
その瞳に、何か期待を込めているように思えた。
……期待に応えてやるよ。
僕はポケットに手を入れると、平たいプラスチック状の物を取り出した。
それを男に見せ付ける。
「んだァ そりゃァァ」
「最初に見せた金庫のカードだ、パスワードは0492だ、そこの金庫を開る事が出来る筈だ」
そこまで言ってから、男の様子を見る。
「アァ? で、なんだよ」
確実に興味を示しては居る。
うん、大丈夫だ。
「このカードを渡す代わりに僕を逃がせ、そして他の人質には手を出すな」
特に縁な。
ぶっちゃけ他の人質はどうでもいいのだが。
縁を名指しで手を出すな、とか言うとアレだ。
うん、なんかシャクだ。
「っは! テメェを殺して奪えばいいだろーが」
まぁ、そう言うだろうな。
カードを男に見せ付けるように軽く曲げて見せる。
「お前が僕を殺すのと、僕がカードを折るの……どっちが早いかも解らない能無しか?」
最初にも見せた脅し。
これが最後の最終手段。
男の表情が変わった気がした。
やっと解ったか。
「どうするんだ? 大金を逃すか?」
これみよがしにカードをヒラヒラと揺らして見せる。
「ヒ、ヒヒ、お前馬鹿か? 俺が約束を守ると思ってんのかァァ?」
「そん時は……そん時だ」
こいつが約束を守るとは思えない。
だが、今はこれ以外に術が無いんだ。
僕の言葉の後、男の目がとても楽しそうに輝いた風に見えた。
「いいぜ、乗ってやるよ! カードをよこせ」
あまりにもアッサリと乗ったな……、油断は出来ない。
「フザケンナ、カードが欲しいなら僕の言う通りにしろよ」
「ヒヒ……! 何すりゃぁいいんだ?」
男は楽しそうに言う。
「まず武器を捨てろよ……んで、僕がドアまで離れたらカードをあんたに投げる、これが取引だ」
「良いぜ、それで大金が手に入るならお前なんざ用済みだ」
男はそれだけ言うと、鉄パイプを捨てた。
鉄パイプの金属音が部屋に木霊する。
僕から離れていくと、男は金庫に背を預けた。
僕に視線を戻し、ムカつく視線を僕に向けてくる。
……それで良い。
僕もドアの前に移動した。
男との距離は約5m程だろうか。
距離は空いた、僕は男に向けてカードを投げつける。
「壁際にカードを指す所と、番号を打つ所が有ると思う」
男は目をギョロ付かせながら僕の投げたカードを慌てて取った。
荒い息がここまで聞こえてくる。
「ヒ! ヒヒ! これで薬に困る事も無くなるなァ……ヒヒヒ!」
男が番号を打ち込んだ後、成功の音を確認せずにカードキーを差し込んだ
ピ、ピピピ。という機械音が聞こえた。
そして、その後にすぐさま透き通った機会音が響いた。
カードガチガイマス
女性の録音された感情の篭っていない声が再生された。
その無機質な声が事実を応えていた。
呆然としている覆面の男に向けて笑みを向ける。
ク……ククク……馬鹿め。
「ブァァァァァァァァカめがぁぁぁぁ!!! 普通に考えろよビチグソ! 幾ら僕が命の恩人でもカードや暗証番号なんざ教えるわけ無いだろーが! そんなのも解る脳も無いなんざ、可哀そうになってくるねェ! 笑いが止まらないよ!! アッハッハッハッハッハ!!!」
僕はワザとらしく思いっきり大袈裟に笑って見せる。
呆然としていた男に沸々と怒りが湧いて来ているのが解る。
そう、カードは偽者。
子供が使うような玩具のカードだ。
パッと見は銀色のプラスチックカードだ、遠目から見れば解り難いだろう。
しかし上手くはまってくれた。
所詮金目当てで強盗をする様な奴等だ、
こういった金関連の騙しに弱いのだろう。
そしてワザと挑発させた言い方にも意味が有る。
「糞ガキがァァァ!!!!!」
男は叫び声を挙げながら僕に向かってくる。
血走った眼は僕しか見ていない。
感情に任せた怒り狂った行動だ。
同時に僕も最後の力を振り絞って走り出す。
頭から今も血が流れているがそんな物は気にしない。
目標は僕と男の丁度中間にある鉄パイプ!
あれを取れば、幾ら貧弱で負傷中の僕でも覆面の男を倒す可能性は上がる。
だが、残念な事に怪我をしている僕の方がどうしても遅くなる。
走りながら男の視線が僕から鉄パイプの方を向いた。
鉄パイプの存在に気づきやがった!
僕がそれを狙ったのも直ぐに解ったのだろう。
再び僕の方を向いた男の目は寒気を思わせる様な笑みを込めていた。
クソ! 怒りに任せて殴りかかってくると思ったんだが、やはり頭は切れる方なのか。
男が鉄パイプを掴もうとしゃがみ込む、僕が鉄パイプを取るにはまだ5歩程足りない。
ポケットに入れていた重い鉄の塊を取り出した。
先程の拳銃だ。
その拳銃をしゃがみ込んだ男の頭に向けて思いっきり投げつけた。
ガン! という子気味の良い音と、男が悲鳴を上げて仰け反ったのが見えた。
ざまぁみろ!
その間に鉄パイプを取ろうと急ぐ。
後一歩!!
「ッ!」
男は仰け反りつつも鉄パイプに手を伸ばしていた。
「さ、せ、る、かァ!!」
僕は声を荒げながら鉄パイプを思いっきり蹴った。
鉄パイプは金属音を立てながら固い床を滑って遠くへ飛んでいく。
こいつに取らせるくらいなら蹴り飛ばした方が良い。
男が再び鉄パイプを使えば、もう避けられる気がしない。
流石に限界だ。
男の手は鉄パイプには届かずに空を切る。
そこで我に返った。
鉄パイプを目当てで走った僕だが、その鉄パイプは自分で遠くへやってしまった。
目の前の男が立ち上がろうとしている所で今から取りに行くの危険だ。
拳銃は投げた! 鉄パイプも無い!! 武器が何も無い状況だが、男は目の前に居る。
どうする、どうする!!
男が立ち上がろうとしている。
考える余裕は無い!
男が立ち上がった瞬間に、僕は逆に身を屈めた。
武器は、僕自身だ!
「ウ、ァ、ァ、ァァァァァァァ!!!」
叫び声を上げながら男に思いっきり体当たりを決めた。
丁度腹に入り込んだのか、男がゲホォ、と苦しそうな声が聞こえた。
力の無い僕は様々な武器を工夫して使っていた。
だが、力の無い筈の僕が最後に使ったのは。
貧弱な僕自身。
そのまま男を思いっきり押していく。
足を踏ん張り押し上げる様にしながら走った。
これが、これが本当に最後の力だッ!!
体制を崩していた男を押すのは簡単だった。
僕の力に抵抗出来ずに男はそのまま後ろへと下がっていく。
そのまま巨大な金庫に激突した。
ガン! という音は、金庫に激突した音では無く、男が思いっきり頭をぶつけた音の様だ。
男の鳩尾に肩を減り込ませ、肩を突き刺している形になっている。
僕はゆっくりと男から離れると、その場で尻餅を付いていた。
もう動けない、もう無理だ……。
目の前の男は崩れる様に倒れた。
頭を強くぶつけたのだ、もしかして気絶してくれたのか?
「ゲッホ! ゲホ!」
そこまで上手くは行かない……か。
男の苦しそうな声と共に、覆面から液体らしき物が漏れているのが解った。
胃液か、唾液かは解らなかったが、吐く程に苦しかったらしい。
「ガ……ガキがァァァァ!!!」
苦しそうに悶えながらも、血走った目が僕の方を向いている。
体が恐怖で竦む。
流石に、感情でもどうこう出来ない位に体が限界を感じている様だ。
クソォ……だが、相打ちにはなった。
これで、縁には手を出させない。
そう思った。
安心した、安心した筈だったのに。
男が、壁を伝いながら立ち上がろうとしていた。
「っな!?」
相打ちに持ち込んだ筈なのに……!
「ヘ……ヘヒヒヒ! こ、殺してやるよガキィ」
男の脅威的な精神力に驚いていた。
まだ動けるのか!? 頭を思いっきり打っていた、そして鳩尾に肩が思いっきり食い込んだ。
そんな状態で立ち上がるこの男はどうなっているんだ。
男の血走った目は白目になり、覆面から漏れる液体も量を増している。
「こ、ころ、ころひゅ、ヘヒヒ」
呂律が周っていない。
男自体は限界なんだ、只、狂っている。
何がそこまでさせるのかは解らないが、僕はそろそろ休ませて欲しいんだけど……な。
……だけど、立ち上がるなら。
僕だって立ち上がろう。
振るえる体にムチを打つ。
ガクガクと揺れる足に手を掛けて立ち上がろうと力を振り絞る。
人の事は言えない、僕はもう動けない筈なのに、何が僕を駆り立てる。
……そんなのは解ってる。
だけど言わない、シャクだから。
パァン。
突然の乾いた破裂音。
僕はその音を今日何度聞いただろうか。
目の前で白目を向いていた男の胸から突然血が流れ出した。
ボタボタと流れる血を呆然と見ていた。
男は何も言わずにゆっくりと倒れた。
勿論、僕は何もしていない。
銃声音がした後ろを、振り向いた。
そこに八木が立っていた。
無表情な八木の手に持つ拳銃は先程まで男が居た所を向けられていた。
銃口から薄っすらと漏れる煙が物語っていた。
八木が男を撃ったのだ。
……頼むから、休ませてくれよ。
っしゃぁぁぁぁ!! 今回も私頑張ったんじゃね!?この小説の始めての5000文字!
短いのでは? という意見を聞いたので長めで書いてみました!!
うん、これはこれで有り……かな?
でもやっぱり更新が少し遅れるのは気が引けますね^^;
ちなみに皆さんは自分の糧になる物ってありますか?
作中の覆面達にもそれぞれ何か糧があったのには気づいたでしょーか?
最初の男は家族の為に、二人目はスリリングな展開を求めて、今回の三人目は薬が糧となっていました。
どんな形であれ、何か糧がある事で人は行動できると私は思っています。
私の小説を書く糧は、本作を読んでくださっている、読者の方々でございます。140話もお付き合いして頂きありがとうございます。
まだまだ続きますが、これからもこの小説を宜しくお願い致しますm(−−)m