狼さんと老人と少女
老人が口を開く。
「随分と接続に時間がかかったな……。」
『申し訳ありません、巨大な魔力の乱れがその島で発生しており……恐らくあなた様の膨大な魔力が原因かと。』
「ほぉ、儂の責任だと申すか……。」
『い、いえ!滅相もありません!』
水晶から慌てた声が聞こえる。
老人の方が偉そうだな、相手は配下とかだろうか?
「まぁよい……。
貴様らからの贄は届いた、ご苦労だったな……。」
贄って……少女のことだよな。
まさか話している相手は妖精族の里のやつか?
初めから繋がっていたというわけか。
『それは何よりでございます。お気に召しましたでしょうか?』
「あぁ……心優しい良い娘だ……。己よりも兄を優先するとはな……。
これほど良いものはなかなかない、穢れなき者は極上の贄となる……。」
こいつ少女を監視していたみたいだな、ほぼストーカーじゃないか。気持ち悪いやつだ。
いや、そんなことよりも俺の存在が知られているかもしれないのか、ますます迂闊に動けなくなった。
『兄を?……生きているのか、面倒な。』
「その兄がどうなっているかは知らぬがな……。
そこらの魔物に劣るようなものなぞその辺で野垂れ死ぬであろうよ……。」
そこらの魔物は俺のことだろうか。もしそうなら警戒されてないようで嬉しいのだが。
『それよりもディアデュ様、約束通り我らは……。』
「約束?……あぁ、あのことか。
良いぞ、今すぐには滅ぼさずにおいてやろう……。」
今すぐには?
まさか……。
「一週間後にまた贄をよこせ、さもなくば貴様ら全てに死を与える……。」
やはりか、こいつは元から妖精族の里を滅ぼすつもりだ。
水晶から狼狽えた声がする。
『な……や、約束が違うではありませんか!
生贄を捧げれば我らの安全を保障するすると!』
「ああ、保障したぞ、一週間な……。」
『そ、そんな……!』
「貴様らに選択する権利なぞ無い、次の贄を決めておけ……。」
そう言うと老人は腕を水平に振った。
すると水晶が一瞬で消え去り、焦る声も聞こえなくなった。再び静寂が訪れる。
「クク……ハハハハハ!」
突然老人が大声で笑い出した。
ビックリして危うく魔法が解けるところだった。
「愉快愉快、あの耳長どものなんと愉快なことか!」
老人は立ち上がり、宙に繋ぎとめられた女性の前に歩み出た。そして醜悪な笑みを浮かべて話し始める。
「聞いたか!奴らのなんと愚かなことか!同胞を見殺しにしてまだ助かる気でいる!
なんと醜く、なんと滑稽な姿か!
これが貴様の作った種か、よくできたものだなぁ?」
さっきまでの消え入るような声は面影もなく大声で嘲るように喋る老人。
元気なものだ、血管が切れるのではないか。
「黙りなさい!彼らを脅し、このようなことを強いたのはあなたでしょう!」
女性が反論する。透き通った綺麗な声だがどこか苦しげだ、顔色も良くない。
「命の危機ほど本性がよく出るものだ、儂はその手助けをしたに過ぎぬ。」
「くっ……何故このようなことを……!」
「邪神にそれを問うのか貴様は?
敢えて答えれば存在意義そのものだからだ。
貴様が信仰されながら下界を見守り、下界の者共が貴様を信仰しながら生きることと同じだ。」
なんだか話のスケールが大きくなってきた。
というか今あいつ邪神って言ったか?
……猛烈に逃げ出したくなってきた。神様を相手にして生きて帰れる気がしない。
老人と女性の会話を聞きながら少女の様子を伺う。
まだ起きてはいないようだ、今ならバレずに連れて逃げれるかもしれない。
あの女性に関しては只者ではなさそう、というか老人と対等そうな感じだし大丈夫だろう、多分。
そろりそろりと少女に近づいていく。
――が、会話の雲行きが怪しくなってきた。
「まぁなんにせよ貴様にはもう何もできぬ、儂が世界を染め上げるのをそこで見ているがいい、我が花嫁よ。
――手始めに贄を平らげるとしようか。」
どんな年の差婚だ⁈
いや、そうじゃなかった、確かに気になるけど。
こいつ、もう少女を生贄にする気だ。
まだ俺は少女から離れている。どうする、ここから強引にさらっていくか?
老人はゆっくりと少女に歩み寄っていく。老人の瘴気のような魔力が右手に集まり、一本の杭を作った。
「やめなさい!」
女性が激しく鎖を揺らす、しかし鎖はビクともしない。むしろ締め付ける強さが増してしまっているようだ。
「ぐっ……!」
「無駄だ、弱った貴様ではその鎖は砕けぬ。
そこで大人しく見ていろ……。」
老人が少女の目の前に立つ。
「起きよ、贄よ……。」
「う……、ここは……?」
少女が目を覚ました。額を押さえながら上体を起こし、老人を見上げる。しばらく見つめてから状況を飲み込めたのか、目がハッキリと見開かれた。
老人は少女を見下ろしながら喋る。
「贄よ、最期の時だ……。」
少女は肩を震わせたが、しっかりと老人を見据える。
その目に怯えは見えなく、決意を秘めた目をしていた。
「……つまらん……。」
老人は一言つぶやき、手に持った杭を少女の足に突き刺した。
「うぐっ……ぁ……!」
少女が押し殺した悲鳴をあげる。
老人が杭を引き抜き、血が飛び散る。
(!、あいつ……ッ⁈)
俺は飛び出そうとしたが、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
(まさか、まだビビっているのか俺は……。)
あの老人の強さは未知数だ、しかもどんな手を隠しているかも分からない。
その事実が臆病な俺の体を引き止めていた。
心に焦りが広がっていく。
少女の傷は深い、このまま放っておいても失血死してしまうだろう。
しかし体は動かない。臆病な本能が足を凍らせる。
少女は目元には涙を溜め、唇を血が出るほど噛んだ。しかし目に浮かぶ決意は変わらない。
老人はそんな少女が気に入らないのか再び少女に話しかける。
「……なぁ、贄よ……。何故そこまで潔く受け入れられる。貴様は同胞に見捨てられたのだぞ……?」
「私がっ……ぃ……生贄となれば……里が救われる……っ……それで、十分……です。」
「……そうか……。」
老人の口の端がつり上がる。
「貴様が贄となろうとも儂は一週間後にまたやつらから贄を求めるが……?」
少女が息を呑む。
穴の空いた足からはとめどなく血が流れ、顔は少し青白くなってきている。首が力を失ってカクリと俯く。
「貴様の死は無駄となるぞ……?さぁ、助けを乞え……。無駄死にはしたくないだろう……?」
老人はニヤニヤと笑っている。
少女の顔は俯いていてよく見えない。
(今なら、今ならまだ間に合う。)
老人がトドメを刺す気がないうちに助けなければ。
そう思っても足は固まったまま動かない。
「血を失いすぎたか……?何も話さぬのはつまらん……。」
そう言って老人は少女に手をかざして何かを唱える。すると少女の足の出血の勢いが少し抑えられた。簡易な回復魔法のようだ。
顔を上げるほどの体力はないのか少女は顔を上げない。しかし、俯いたまま小さな声で声を出した。
「かまいま……せん……私の命が……一週……間の、自由……を、里……に……与え……られ……た、なら……。」
老人の顔から笑みが消えた。
「もうよい、貴様はつまらん……。」
血に濡れた杭が振り上げられる。尖った先端は少女の頭を狙っていた。
(まずい!)
気持ちは少女に向かっているのに体はこの場に留まり続けている。頭と体が切り離されたようだ。
足先から感覚が無くなっていく。
息が荒くなり、心臓の音が頭でガンガンと響く。
焦燥、躊躇、恐怖、色々な感情が混ざって思考が出来ない、変に冷静な部分が姿を消していた魔法が解けていくことを感じた。
無表情で杭を振り上げている老人と俯いたままの少女。
色の落ちた視界の中でゆっくりと杭が振り下ろされていく。
杭の先端が少女の頭上に刺さろうかといった瞬間、少女の顔が少し上がった。
そして――
少女と目が合った。
俺は随分と間抜けな顔をしていただろう。
刹那の瞬間、少女は俺を見て――感謝と諦念が入り混じった泣き笑いのような表情を浮かべた。
(そうだ、何のためにここに来たんだ俺は……!)
一気に視界に色がついた。
頭と体が繋がる。
全身に魔力を巡らせ、全力で地面を蹴り飛ばす。
宙で体を少しひねり、右肩を前に出す。
巨大な一つの砲弾となった俺の体は一瞬で老人を吹き飛ばした。
老人は俺から受けた速度そのままに壁に激突し、砂けむりで見えなくなる。老人のぶつかった部分は大きく凹み、蜘蛛の巣のようなひび割れが壁一面に走った。
爪を地面に突き立てて速度を殺し、少女の前を少し通り過ぎて止まる。
『すまない、遅れてしまった。』
振り返ると、少女はあっけにとられていたが俺を見て涙を流しながら笑った。
「いえ……、ありが……とう……ございま……す……狼さん。」
お読みいただきありがとうございました。