07 こんな日があってもいいんです
――そういえば、大事な用事もないのに外へ出たのって初めてかもしれません。
普段死に掛けながら走っている川沿いの道も、学校より向こう側にある、不気味なほど高い山も、ちょっと頭にくるくらい晴れ渡った空も、
こんな穏やかな気持ちで見たら、意外と美しくて見惚れちゃいます。
ええと、確か待ち合わせの場所は――。
「おーい!」
「奈月ちゃ……じゃなくて様ーっ!」
麦さんと神奈ちゃんの声が聞こえたのは、数十メートル先の、大きなレンガ造りの橋の下。
「……お待たせしました、メイドさんの説得に手間取って――」
急いで日陰まで駆け込むと、わたしはちょっと言い訳じみた言葉を口にして、そのまま神奈ちゃんの隣に座り込みました。
「――何する?」
「……宿題とか、でしょうか」
「私持ってきてないけど――」
「あたしも――」
「わたしもです――」
「……なんで提案したの?」
神奈ちゃんの突っ込みに、思わず堪え切れなくなって、
わたしたちはちょっとだけ目配せしながら、声を上げて笑いました。
「あははは……っ。 ――えっと、じゃあ何を……」
何をするんですか、と続けようとして隣を見ると、二人はまだ楽しそうに笑っていて、
「――ん、えっと……」
一度はまたちっちゃな会議を再開しようと、麦さんが口を開きましたが、
わたしの顔を見ると、また両手で顔を隠して、大声で笑い始めます。
「……い、いい加減やめてくださ――」
……駄目です、何故かわたしまで面白く――――っ。
結局そのあとは、ただただ笑い続けるだけで、時間があっという間に過ぎていきました。
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「はー、楽しかった!」
「ツッキーも奈月様も、ほんと何しに来たの……っ」
そう言いながらも、麦さんはまだ一人だけ、口元を抑えて肩を震わせています。
「――ねえ、麦さん」
「どーしたの」
「なんでわたしのこと、『様』って呼んでるんですか?」
大方、親御さんの影響か何かでしょうけれど――。
でも気になるんです。
あの性格だった茅野奈月が、ゲーム中で異様なほど女子生徒に支持されていた理由が。
『様』なんて呼ばれて、教室女王などという信じられないネーミングセンスの異名を持っていた訳が――。
「……なんでだろ、ママたちがそう呼んでるから?」
「確かに奈月って、なんか近寄りがたいイメージあるし――」
「え、嘘!?」
「やっぱ様、様って呼ばれてるとねー」
「ねー」
「むぐぐ……」
何やら結託して、わたしのことをからかう二人――。
「クイーンって感じだよね、奈月様は」
「なんかわかる気がする」
「解らなくていいんですっ!」
やめてください、クイーンはホントにやめてください――っ。
わたしはあの奈月と一緒の異名で呼ばれるとか……その、何ていうか、生理的に無理なんです。
「……じゃあですね、麦さん。 クイーンとしての命令です」
「ははーっ」
「――その、わたしのこと『様』って付けるの、やめてください」
「……じゃ、ナツッキー?」
「解りにくっ……」
「私がツッキーなのにナツッキーって――」
これ以上ないくらいの酷評が、麦さんを集中砲火で襲います。
「じゃあナスビ?」
――スとビの字がどこから出てきたのか、疑問でしかありませんが……まあナツッキーよりはいいです。
「……ん、じゃあそれでいいです」
「いいの!?」
そう言いたくなる気持ちもわかります。
でも、諦めたほうが賢明な気がしてならないんです――。
――ふと見上げた空は、見事な夕焼けに染まっていました。
鳥の声が鳴りやんで、静かで綺麗な空気の中を、さーっと暖かな風が吹いていきます。
並んで動かす足を、少しの間だけ止めて、
「……その、今日は楽しかったです」
数歩先の位置から、くるりと振り返った二人に向かい、気持ちのままにふっと微笑みました。
「――そうだな」
「だね――」
ああ、家に帰りたくないです――とっても。
今まで特訓漬けの毎日だったぶん、こんな日常が、とっても大切に感じられました――。
――不幸中の幸い、って言葉が、良く似合う状況ですね。
……決めました。
わたし、いつか絶対反逆してやります。 お父様に歯向かって、絶対あんな軍人みたいな生活から抜け出してやるんです――。
「……じゃ、また今度あそぼーね!」
「ん――次こそは何かしよ、な!」
「はい、ありがとうございました」
こうして、わたしの穏やかな日常は、また数年間の眠りにつくのでありました。
――どういうことかって?
…………魔術分野がこの成績であるにも関わらず、外で遊び歩いている事実。
お父様の耳に、ちゃっかり届いてしまったんですもの。