05 出来ないものは仕方ないです
「……ということで、説明は以上です。 解らないことがあったら聞きにくるように」
メガネをかけて、黒く光る長い髪を光らせた先生の、抑揚の少なく機械的な言葉に、
子供たちは『はい』と声を揃えて、妙に間延びした甲高い返事を返します。
説明の内容ですか? 忘れました。
――いえ、聞こうとはしたんですよ? でもね、さすがに睡眠時間が足りていないんです。
さすがのわたしも、ここまで強い眠気には打ち勝てませんでした。
むしろ、実習が始まる直前に目覚められたことを褒めてほしいくらいです。
「では……開始してください」
その言葉を合図にして、一斉に動き出すクラスメイトたち。
「ほら、行くぞ奈月!」
「あ――」
わたしも神奈ちゃんに右手を引かれながら、幾つかあった中の、いちばん近い列の最後尾に並びました。
何を待っての行列なのかを把握しようと、前で実習を行ってる真っ最中の子を目で追おうとします――が、
この低身長が祟って、見えるものは微妙に統率が取れないまま並んでいるクラスメイトたちの背中だけでした。 ……だから寝かせろ、っていっつも言ってるんですけどね。
でも、こんな時の為の大親友です。
ずっと憧れてましたもの。 神奈ちゃんみたいな子と友達になれたら……って、それはもう物心ついた頃からずっと――。
今、わたしの隣にいるのは『みたいな子』ですらありません。
月舘神奈、張本人なんですから。
「……ね、神奈ちゃん。 これって何するための列なんですか?」
「え――聞いてなかったの?」
「え、えへへへ……」
困ったら笑って誤魔化せ。
お母様が、昨日の夕飯の際に口にしていた言葉です。
「えーと……。 ほじょきぐ?――が置かれてるから、それを持ってみろ――って言ってたけど」
「そうですか――。 ありがとうございます、神奈ちゃん」
やたらと名前を呼びたくなるのが、『嫁』を前にした悪役令嬢の運命です。 仕方ないんです。
――補助器具。
幼児向け……だなんて銘打っている物もありますが、騙されちゃいけません。嘘です。
アレはマトモに動かすだけでも、わたしの致死量の三倍の魔力は食らい尽くす魔の道具ですから。
ふと顔を上げると、もう順番がそこまで迫ってきていました。
「……あ、神奈ちゃん」
「ん――もう順番か」
高級そうな、褐色の机の上に置かれた――何でしょうか、ピストル型のおもちゃのような物。
恐らくはこれが『補助器具』とやらでしょう。
……えっ、本当に発砲したりしませんよね?
そんなわたしの不安をよそに、神奈ちゃんは石灰で描かれた白色のラインまで歩いて行くと、
軽くピストルに指をかけ、直線上に設置された的――五メートルも離れていませんが――に向けました。
「……もう撃って良いのかな?」
「良いんじゃない、でしょうか――?」
周りの人たちはバカスカ撃ちまくってますし。
わたしがそう答えると、神奈ちゃんはこっくりと頷いて、もう一度的のほうを向きました。
彼女が手に力を籠める様子には、まるで歴戦の勇者のような風格が伴っていて――。
「――っ」
思わず息を呑んだ瞬間、
そのピストルから、巨大なシャボン玉のような物体が、的に向かって飛んで行きました。 ……一瞬だけでしたが、ギリギリちゃんと見えましたよ。
周りのざわめきが、少しの時間だけ収まったと思えば、
また煩いほどの歓声が、子供離れした技を見せた彼女に降り注ぎます。
――ぐっ、ハードル上げないでくださいよ……っ。
こんな恐ろしい玉撃っちゃうんだったら、わたしが先に行かせてもらえば良かったです。
「……あの、神奈ちゃん? だいじょうぶ、ですか――」
「う……あ、うん! 多分、ね……っ」
目をまん丸にして、かなり驚愕しているような様子の神奈ちゃんに、
クラスメイトや、指導していた先生の数人が、一気に勢いよく駆け寄ってきます。
凄いね、かっこいい、やっぱり神奈ちゃん可愛い、そんな言葉が浴びせられ……ん? 可愛いって、もしかして弥勒院が――――無視です、無視。
対して先生がたは、少し心配そうな様子。 ……ですよね、あそこまでぶっ放しちゃったら。
わたしが解りやすく例えてあげましょう。
水鉄砲で遊んでいるところに、突如戦車が現れてバカスカ大砲を撃ち始めたくらい――普通の人と比べれば、そのくらい威力が違うんです。
――そして、(神奈ちゃんが)その人の波に揉まれまくること十分と少し。 ……そんな怪しい意味じゃありませんよ?
「……はいはい、じゃあ最後は茅野さんの番ですよ――」
「はっ、はい――」
神奈ちゃんの後じゃ、さすがにちょっと荷が重いですが。 がんばります。
――えっ、最後……?
「……ムリしないでよ、奈月」
「う――」
ごめんなさい神奈ちゃん、それはちょっと無理かもしれません。
先生、『最後は』と仰いましたよね。
――嫌な予感がして振り向いてみると、そこには既に体験を終えたであろう数十人のクラスメイトと、数人の先生がたが、ニコニコしながらわたしを眺めていました。
……駄目です、これはもう終わりました。
「ええい――どうにでもなれ、ですっ!!」
不器用なりに、全力の魔力を両手の先に込めてみましたが、
結果手に入ったものは、異常なほどの吐き気と、誇張無しに米粒サイズで透明無色のシャボン玉だけでした。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
そう、前世でもこんな感じだった気がします。
何となくの憶測でしかありませんが……、なぜか身体が覚えてるんです。 周りに付いていけずに、一人で運動場の隅に座っているこの感じを。
……でも、今のわたしはただのサボりとは訳が違います。
「……奈月」
「――だいじょうぶです、多分……」
体調不良という、学生のさぼ……休養の大きな味方が付いてるのですから。
死にはしません。 こんなところで死ねるものですか――っ。
……結果から言いましょうか。
家柄的に、大いに期待されていたであろうわたしでしたが。 ――でしたが。
我が失敗により、授業は若干ヒンヤリとした空気で終わってしまいました。
神奈ちゃんの件で、あれだけ盛り上がっていた授業が。
クラスの男子に言われた言葉、きっと一生覚えてます。
『お前ってコケ方は綺麗だよな』
『芸人にでもなれば?』
……次からは気を付けます。
何をって? 笑われないように、もうちょっと自然にコケることですよ。