表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
I家の人々  作者: 語り部
5/5

安らぎ

私は、この地に生きることになった。断片的な記憶しかなく、生まれ故郷に帰ることが出来るかどうかも分からない現状では、この運命を受け入れるしかなかったのだ。

「ああ、良い朝だ」そういうとIはベッドから起きて洗面所に向かった。先日の自分の不始末で、父親の怒りを買い、その後、意を決して父親に謝りに行ったが、その父親は、ことのほか、上機嫌で、数日前に、あれだけ怒り狂っていたのが、嘘のように、昨夜は仲間との酒盛りと骨董談義を楽しんでいた。

つまり、自分は無罪放免。平穏な日々を再び取り戻すことが出来たわけだと一人悦に入っていた。下の方ではなにやらいい匂いがし始めた。おそらく母親が大好物の小倉トーストとコーヒーを作っているのだろう。

「さあ、今日も一日元気に働くか」そう言いながら階段を下りていった。いつもより、階段を降りる足が軽く感じられた。もう怖いものは何もない。そう思うと、急に空腹をおぼえてきた。そういえば、昨日はあまり食べてなかったなあ。そう思いながら、階段を下りて洗面所でいつものように顔を洗い、歯を磨き、その後、母の作った朝食を食べるために台所に向かった。

台所では母がすでに朝食の支度を整えていた。思った通りの小倉トーストにコーヒーの朝食だった。食事に時間は掛からなかった。むんずと2つに切られたトーストの一つを僅か数口で食べたかと思うとコーヒーを飲み、次に残りの半分もぺろりと平らげ、コーヒーの残りを一気に飲み干してしまった。

「一気に食ってんじゃねーよ」声が聞こえたかと思うと、頭上から強烈な痛みがIの平穏な朝を襲った。兄の拳骨がIの頭に落ちたのだった。この兄は、子供のころから口より先に手が出るタイプの人間で、特にIに対しては、そうだった。Iは、この兄を心の底から毛嫌いし、兄の方も同様だった。趣味嗜好が、完全に異なるこの兄弟は、幼いころから仲が非常に悪く、仲良くしていることなど皆無だった。

仲の悪い弟を殴ってすっきりしたのか、兄は、そのまま、ドアを開け、玄関に向かっていき、そのまま靴を履いて仕事に行ってしまった。いつものありふれた日常の一コマだった。

同じころ、I家から遠く離れた、とある場所では、儀式が始まっていた。

「では、これより、この者を我が屋敷において、新しく守り神の一員とすることを承りました」厳かな声で、こう言った老人の表情は、一様に硬くなっていた。無理もない。突然の勅命だった。相手は、もちろん、自分が常日頃から畏敬の念を抱き、絶対の忠誠を誓った「総鎮守様」である。突然の大命降下に、しばし、茫然となったほどだった。

しかし、相手は、この地を治める「総鎮守」であり、その命令は彼を含め、この地に棲み続ける者たちにとって絶対的なものだった。こうして、私は、突然、住処を与えられ、同時に、その地を守るものとなった。あの凶暴な老人と一緒に住むことは不安だったが、私は観念することにした。自身の運命を受け入れることにしたのだ。もはや、故郷に戻れるという保証もないうえに、未だに断片的な記憶しかない私にとっては、自身に降りかかってきた運命を、それがどのような結末が待っていようと、現時点では受け入れるしかなかったのだった。

総鎮守様の屋敷からの帰り路、老人は言った。「どうやら、総鎮守様から聞いたところ、お前も、もとは、どこかの土地の鎮守様だった様じゃないか。まあ、仲良くしようか」いつになく、穏やかな表情だった。家に帰ると、太った中年の女がソファーにごろんと横たわり、スースーと寝息を立てて寝ていた。見るからに幸せそうな表情は、その狸に似たユーモラスな体型と相まって、不思議な落ち着きと安心感を私の心にもたらしていた。

「こっちだ」声の方に行くと、小さな木製の家の模型のようなものが、私の身長より、高いところにある棚の上にあった。老人に手を引かれたかと思うと私は、瞬きする間もなく、部屋の景色が一変しているのに気付いた。木造の清潔な部屋の中は新鮮な木の香りに満ち、清潔な空気に満ちていた。私が、ここに来て初めて感じた平和で、安らかな時間だった。新しい住処で、私は新しく生まれかったのだ。I家の住人に。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ