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I家の人々  作者: 語り部
2/5

私、記憶がないんです。

 Iの父親がソファーで酔い潰れて寝ていると、横で何者かが、それを見つめていた。一風変わった姿恰好をしている異形の者。そして、この突然の訪問者には、それまでの記憶がなかった。

得体のしれないところに私はいた。遠い遠い昔に眠りについた後、いましがた、長い眠りからばかりだった。ソファーの上では、太った男が高鼾で寝ていた。食器でも箱に入れてガチャガチャ振っているような音だ。辺りは未だ暗く、夜明けにはまだ時間があるようだった。とりあえず、家の中を歩き回ってみることにした。リビングを抜け、台所を通ると階段があった。そこを昇っていく。階段を昇り終えると、廊下に出て左右に部屋が見えた。「おい、お前何やってんだ?」廊下で突然、後ろから呼び止められた。年寄りの皺がれた、しかしドスのきいた声だった。

振り返ると目の前に白装束の年寄りがにらみつけるような目で私を見ていた。頭には白い三角の布きれをバンダナのように巻いていた。「何してるのかって聞いてんだよ」ドスのきいた声でもう一度聞いてきた。目はかなり殺気だっている。「気が付いたらここにいたんです」そう答えるのが関の山だった。「気が付いたら?ここにいた?はあ?訳の分からねえこと言ってんじゃねえ。ヒトサマの家に勝手に上がり込んで、何が気が付いたらここにいただ!ふざけんじゃねえ!とっとと出て行け!ぶちのめすぞ!てめえ!」拳を振り上げて大声で怒鳴りつけられ、殴りかかられそうになり、這う這うの体で階段を駆け下り、取るものも取らずに玄関から出ていった。なんなんだ?ここは?

得体のしれない年寄りに突然、怒鳴りつけられ、這う這うの体で家から出てきたものの、行くアテなど当然ない。ただ、ふらふらと放浪するように夜の街を歩き続けるしかなかった。夜の街といっても一軒家らしき建物やアパートらしき建物が立ち並ぶ住宅街だったが、それでも、私には不気味な光景に感じられた。見慣れない建物の群れを前に漠然とした不安が胸をよぎる。そもそも私自身自分が何者なのかわからないのだ。おぼろげな記憶をたどろうにも膨大な時間の霧に覆われているのか、全くと言っていいほど思い出せない。そのうち、頭が痛みだしたので、私は記憶をたどるのをやめて目の前の景色に注意と意識を向けた。改めて見ると、やはり私が訪れたことのあるどの街とも違うのが分かった。薄暗い街灯がアスファルトの道路を照らす。月は出ておらず、空は真っ暗だ。新月というわけではなく、どうやら雲が月を覆っているらしい。

しばらく住宅街の中を歩いていると街灯の薄明かりの中を向こうから大勢やってくるのが分かった。街灯の乏しい明かりの向こうからゆっくりと長細い影がこちらに伸びてくるのが見える。それはやがて、急速にこちらに近づいてきた。始めはザッザッザという足音が、そして次には異形の者どもの姿形となって私の前に現れた。どれもこれもが、私のかつて知るいかなる者とも違っていた。まっすぐ道を進む、その異形の大群を前に私は、道の端に寄り、ただただ、その姿を見続けることしかできなかった。

我が物顔で道行く大群の中の何人かが、私の方を見ていた。ある者は、怪訝そうな、敵意に満ちた目で、また、ある者は興味深そうな目で、こちらを見たが、それもわずかな時間だった。すぐにその連中は乏しい街灯の光の中を進んでゆき、やがて闇の向こうに消えていった。どのくらいの時間が経っただろうか?徐々に空が白み始め、辺りが明るくなり始めたのに気が付いた。夜は終わったのだ。闇に消えた異形の群と共に。

徐々に明るさを増してくる住宅街の中で、私は、先ほどまで目の前で繰り広げられた異常な光景を頭の中で反芻するように思い返していた。あれは一体なんだったのか?そして、自分はなぜ、こんな得体のしれない場所にいるのか?全てが謎のままだった。記憶をたどろうにも、相変わらず、深い時間の霧に包まれているようで全く思い出せなかった。いや、思い出そうとすればするほど、頭の中が真っ白になり、思考自体が停止する。頬を汗が一筋、私の困惑、焦り、苛立ちを象徴するかのように下に伝って流れていった。

とりあえず、これからどうするか?自分でもわからなかった。とりあえずは、自分のネグラ探しから始めなければならなかった。頼るものなく、右も左も分からない。唯一、私にわかることと言えば、ここの住人が話している言葉だけであった。先ほど、私を怒鳴りつけ、殴りかかって来ようとした白装束の年寄りの言葉を、文化も習慣も全く違うことは相手の格好を見れば一目瞭然だが、それでも相手と会話を交わすことだけはできた。

会話ができるということは、情報を集めることが出来、その情報をもとに自分の身の振り方を決めることが出来る。上手くいけば、元いた場所に、つまり私の故郷に帰ることもできるかもしれない。そう考えた時、私は、朝の光が目の前で徐々に明るくなり始めたのと、ほぼ同じくして、ようやく胸の中に希望が出てきたように感じた。左右の口角が上がっているのをはっきりと感じた。

徐々に明るくなっていく住宅街を横切り、そのまま進んでいくと、巨大なコンクリート造りの建物が目に入ってきた。アイボリーに塗られた建物はやや古くどうやら現在は使われていないようだった。不思議と門の表札の文字が読めた。『古都中小学校』という廃校だった。何も考えず、門をくぐり、私は、元は小学校だった建物の敷地に入っていった。

色が落ちて、さびが浮かんだ年代物の門を潜り抜けると、校舎の玄関口が見えた。そこを入っていくと履物を入れる棚のようなものが規則正しく並んでいた。ところどころ痛み、色の剥げ落ちた棚の列は往時の賑わいを静かに物語っているかに私には見えた。そうこうするうちに足を進めると廊下の破れ窓から朝の光が入り、外の景色が見えた。その朝の光に照らされて一匹の大きな蜘蛛の死骸が足元に見えた。身体の後ろ半分を、おそらくは逃げる最中に踏み潰されたのであろう。前足の一本は宙に伸びていた。まるで、あと、ほんの一歩でも先へ進もうとするかの如く。身体の後ろ半分のまき散らした干からびた臓物が、すさまじい勢いで追ってきた何者かの存在を証明していた。

「何者かがいるのかもしれない。そいつはどんなやつだろうか」頭にいろいろ推理を張り巡らせて入るが、はっきりとしたイメージは浮かんでこない。1階を見終わり、2階、3階と見終わったが、あるのは埃だらけの廊下と蜘蛛の巣だらけの天井、そして鍵の掛かった大量の開かずの間であった。自分以外に気配は感じない。唯一感じるとすれば、虫くらいなものだ。猫の子はおろか鼠一匹いない。私は適当な部屋を見つけ、簡単な掃除に取り掛かった。水とバケツは廃校近くの民家から調達してきて、雑巾は2階の部屋にあったものを使った。簡単な拭き掃除だけだったが、やらないよりはましだった。とにかく自分が生活するスペースだけでも最小限の清潔さは保っておきたかった。

あれこれ建物内を物色した後、自分の居場所を掃除をしたり、違う階から役に立ちそうなものを運んだりするうちに日はどんどん傾いていき、やがて夜になり、辺りが真っ暗になった頃、徐々に気配のようなものが感じられ始めた。何かがいるのだ。自分がいるこの建物の中に。

 それは、始め、ミシミシという音となって上の方から聞こえ、その存在を誇示し始めた。やがて、ミシミシっという音は、激しくなり、建物の中で何かがぶつかり合う激しい音になり、やがて私のいる場所も含めて建物内の全ての教室のドアがぎーっと開く音が聞こえた。そして音が消えた時、気配だけがこちらに近づくのだけがわかった。急速に得体のしれない何かが私のもとに近づいてくるのが感じられた。

「逃げろ」本能が囁くと同時に私は廊下に飛び出し、そして全速力で暗闇の中を駆け出していた。暗闇の中、廊下を破れ窓からさす月の光がかすかに照らす。必死で出口への道を頭の中で思い出しながら走り抜けた。全力で廊下を走り抜け、階段を駆け下り、ひときわ明るい破れ窓目指して走り抜け、もう少しで破れ窓に手が届いた瞬間、背後から強烈な力で締め上げられた。背後からの締め付けで胸部が圧迫され、息が出来ない。そのうち、意識が遠のいていき、やがて私は深い意識の底に落ちていった。「ここは私の家だ」意識が落ちる直前、怒り狂った声を聴いたような気がした。男とも女ともわからない中性的な声だった。

どのくらい時間が経っただろうか?気が付くと私は、元いた場所でずうっと寝ていた・・らしい。明るい室内灯の下で、ソファーには先ほど民家らしき場所で寝ていた男が今度は起きて何事かを話していた。この男以外にも何人かいて、そのうちの一人が興味深そうに話に耳を傾けていた。

「で、その悪魔の宿ったペンダントとやらがそれかい?」客の一人が半ば呆れたような口調で話した。もう半分は明らかに小馬鹿にした口調だ。「ああ、現地の古物商の話によるとね」違う男が答えた。どうやらこの男がこの満座の主役のようだ。「そんなバカな話があるもんかい。あんた、またガラクタを掴まされたんだよ」呆れた口調で、さらに3番目の男が話す。「まあまあ、イカ銀も珍しいものをせっかく土産に持って帰ってくれたんだ。悪魔の宿ったペンダントなんて魔除け代わりにちょうどいいじゃないか」「魔除けねえ?あんなまがい物が役に立つのかねえ?」先ほどの男が嘲るような口調で話す。「いや、これは私の鑑定では限りなく本物の可能性が高いよ。それに兄貴の知り合いの西洋美術の専門家に鑑定してもらっても同じ結果は出た。間違いなく十字軍時代の騎士の持ち物、もしくはその時代に造られた代物さ」自信たっぷりにイカ銀が話す。「そんなもんかねえ?」別の一人が眉を顰めながらそう答えた。

「十字軍・・悪魔の宿った?」男たちの会話をその場で聞いていた私は、彼らが話していた単語のいくつかを無意識に呟いた。「十字軍・・悪魔・・十字軍・・悪魔・・十字軍・・悪魔・・」何かがその単語に隠されているように思われた。しかし、残念なことに単語をいくら呟いても、頭に靄のようなものがかかり、どうしてもその靄を振り払うことが出来なかった。そうこうするうちに客たちも帰り、この家の主人と思しき男も、階段を昇って自分の部屋に行ってしまった。暗闇の中、私はまたも一人孤独に取り残されることになった。それにしても、私は一体誰なのだろうか?思い出そうにも何一つ思い出せないし、何かをするにも何一つ出来やしない。そう考えると自分自身の無力感に絶望すら感じ始めた。

「また、てめえか?」聞き覚えのある声がした。振り返ると後ろには、未明に私を怒鳴りつけ、殴りかかろうとした老人が立っていた。顔つきは厳しいが、初対面の時より声は幾分和らいでいるように感じた。「す、すいません。でも、私、本当にわからないんです。自分がどこの誰で、どこから来て、何をしてたのかも。自分が何でここにいるのかすら本当にわからないんです。でも、あなた方に危害を加えたり、何かするようなことは一切ないので、それだけは約束します」不安と懇願が言葉となって一気に胸から口の外に流れていった。「ああ、先ほどから見ていたが、どうも、お前さんは悪い奴じゃなさそうだな。姿恰好はおかしいが、だが、悪い奴じゃねえのは確かだ。どうせ行くアテもないんだろ?だったら、しばらくうちに居な。他の連中には俺から話しとくから。ただ、お前さんがどこの者か、俺は知らねえが、ここに来た以上、『郷に行けば郷に従え』だ。ここの仕来りは教えてやるから、それだけは守りな!いいな?よし、じゃあ、まずは挨拶回りだ。ついてきな!」そういうと老人は後ろを向いてスタスタ歩き始めた。その後を私も歩いた。どうやら一人ではなくなったようだ。居場所もできたようだ。不安の中に少しだけ明るい光がほんのりと灯ったように感じた。記憶が戻るまでここに居よう。そして、新しい生活に慣れるようにしよう。そう決めた瞬間、なにやら身体が軽くなった気がした。


第2話です。まだ続きます。

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