表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
I家の人々  作者: 語り部
1/5

I家の長い一日

 友人のIはトラブルメーカーである。何か気にくわないことがあると直ぐに自身のブログに罵詈雑言を書き、毎回、多くの敵を造っていた。今回も、相変わらず、父親の友人が持ってきた茶に「不味い」とケチをつけて父親の怒りを買っていた。

 困った男である。友人のIのことだ。また喧嘩したのだ。しかも売ったのはIの方だった。喧嘩と言っても一方的にいちゃもんをつけたようなもので、しかも相手は、よりによってIの父親の親友とも呼べる男だった。ことの発端は、この男が持ってきたお茶にIが「不味い」とケチをつけたことだった。

 お茶と言ってもただのお茶ではなく、中近東やアフリカで広く飲まれているもので、日本人の好みから言えば、やや変わった風味を持つお茶だった。紅茶よりもより赤みを帯びた色は、その一風変わった風味と共に、異国情緒漂う代物だった。

 お茶を持ってきた男は、「イカ銀」と呼ばれる某府立高校の元歴史教師で、現在は退官して兄の骨董品店を手伝っていた。「イカ銀」の綽名の由来は、かつて中国を旅行していた時に「景徳鎮」と信じて購入し、その後、得意げに骨董仲間や店を訪れる客に自慢していた絵皿を、本職の鑑定士の兄に「贋作」だと証明されたことに由来する。本名の銀次郎をもじって、いかさまをつかまされた銀次郎。すなわち、「イカ銀」というわけだ。ちなみに、この綽名をつけたのは店の常連客の1人だったIの父親である。

 たまたまだった。先日、中東はパレスチナまで足を運び、旅行先で買い付けた骨董品数点と共に買ってきたお茶っ葉を土産にIの実家を訪れていた。現地で買い込んだ骨董品を見せびらかしに来たのと土産話、そしてお茶を飲みに来たのだった。父親の方も心得ていて、この場合はいつもの虎屋の羊羹ではなく、近所の洋菓子店で買ってきたロールケーキを御茶うけに出した。そして、イカ銀の持ってきた十字軍時代の騎士が持っていたとかいう首飾りか何かを前に、その由来と共に、現地の様子を話し、お茶とケーキを2人で食べていたところへ、運悪くIが起きてきた。昨日は夜遅くまで仕事だったため、久々の休日ということもあり、昼過ぎまでゆっくり寝ていたのだ。昨日、同僚と仕事帰りに飲み歩いたこともあり、まだ、疲れは完全に抜けておらず、頭もややボウっとしていた。

 久しぶりに会った珍客に型通りの挨拶をした後、「眠気覚ましにどうだい?」と、イカ銀が自分の持ってきたお茶を勧めたのだ。初めは、遠慮していたIだったが、父親の勧めもあり、おそるおそる飲んだ後の一言が「不味い」だった。客の前で言ってはいけない一言を口走った後、「何ですか、この不味いお茶は?色も血の色みたいに赤くて気持ち悪い。いちごシロップじゃあるまいし。それに濃い。こんな濃いお茶は胃に堪える」と嫌悪感を露骨に顔に出して言い放った。味にはうるさい・・・というよりは、味の好みや食生活がかなり偏った男なのである。

 さすがに、この横柄な物言いには、イカ銀も色をなしたが、相手が自分の兄の経営する骨董品店の常連客であり、しかも親友の息子である。ならぬ堪忍をグッと堪え、温顔を造って我慢した。そして大人の度量を見せて、口に合わなかったことを軽く謝り、話を骨董の話に移して、その後はお茶の話には一切触れず、親友相手に、新しく買い込んだ骨董品にまつわる逸話の類や現地の様子などを、面白おかしく語った。父親の方も、せっかく気を使ってくれた親友の心遣いを無駄にせずに、その場では温顔を造って話を合わせていた。そして愚息の非礼に対する詫びのつもりで、イカ銀の持ってきた異国の骨董品の1つを、その場で買い、更に、虎屋の羊羹を土産を持たせて帰らせた。

 イカ銀が帰った後は、当然、家の中は修羅場になった。こともあろうに、客の面子をバカ息子が、自分の目の前で潰したのだ。それも自分が常日頃から懇意にしている親友の面子をである。父親の怒りは凄まじかった。騒ぎを聞きつけて奥から出てきた母親が止めても止められるものではなく、壮絶な親子喧嘩となった。ただ、喧嘩と言っても気の弱いIは言い返すことすらできず、父親が一方的にIを痛烈に面罵したものだった。そして、怒った父親に散々罵倒され、泣きべそをかいたIは、その夜、夕食が済むと父親に捨て台詞を吐いて家を飛び出した。

 行く当てのない旅だった。旅と言っても明日は朝から仕事がある。ほとぼりの醒めた頃に、こっそり家に帰るつもりだった。母親には、こっそりラインでメールを入れ、自身は漫画喫茶に入り、そこでほとぼりがさめるまで待つつもりだった。

 「あのおっさんが妙な茶を持ってきたから、こうなったんだ。あんなくそ不味い得体の知れん茶なんか持ってきやがったから」涙声と怒りが半分ずつ混じった声でIは一人呟いた。手にはスマホを持ち、画面を右手の人指し指でなぞっている。熱心に見ているのは自分のやっているミニブログである。客の持ってきたお茶にも平然とケチをつけるほど味にうるさいこの男は、実家で生活しているおかげで、少ない月給の割には、あちこち食べ歩いくことができるため、いっぱしの「食通」を気取っていた。そのため、自分が食べたもの、飲んだものについては必ずと言っていいほど、自身のブログに批評を書き込むのが、半ば習慣と化していた。始めは他者の運営するグルメブログに記事を投書したり、書き込みをしていたが、その横柄で粘着質な性格と激烈な批評によって、あちこちのブログからアク禁を喰らい、ついには、某掲示板で住人を怒らせて、さらしあげにされたトラウマから、自身のブログで細々と記事を書くようになった。

 しかし、細々と記事を書くといっても、内容自体は更に過激さを増していき、特に自分の気に食わないことがあると、私怨がらみの記事をもっともらしく書き、名前などは極力ぼかしながらも名誉棄損すれすれの内容さえ、平気で書いた。本人は批評のつもりであったが、第三者から見れば、罵詈雑言を並べ立て、下品な言葉で自分の気に食わない店や個人を叩いているようにしか読めないしろものであった。

 現実世界では気が小さく、話をする時には相手の目すらまともに見れないIであったが、食に関することにだけは、別の人格が現れるようで、どんな時でも、どんな相手にも不味いものには、はっきりと不味いと言い、そのために、行った先の店でもよく料理人や常連客などとトラブルを起こしていた。

 もう1年ほど前のことになるが、市内某所にある某創作料理屋に取材と称して食べに行った時などは、店の客に自分から喧嘩を売るような行為までした。特に店のメシが不味かったとか店の雰囲気が悪かったとかいうわけではない。トラブルの原因は些細なことで、たまたまカウンター席の隣に座った客が注文した豚キムチ丼にマヨネーズをかけたことにIが激怒し、客の胸ぐらをつかんだことから始まった。その時のIは瓶ビールを5杯ほど飲み、相当酔っているというよりは、完全な泥酔状態だった。酔った勢いで完全に理性を失っていたIは機嫌よく横で豚キムチ丼を食べようとしていた客につかみかかっていった。客にすれば、完全にいちゃもんに近い、というより完全に難癖をつけ、口を極めて面罵した。

 本来なら警察沙汰になってもおかしくないことだが、Iにとって幸運なことに、この時の客が、たまたま冷静で温厚な人だったために大きなトラブルにはならずに済んだ。災難にあった哀れな客は、Iの罵倒を冷静になだめながら、ゆっくり時間をかけてIの難癖を1つずつ論破していった。最後には酔いが醒め、理性を取り戻したというよりは、完全な泣き上戸になったIが泣いて平謝りするところで終わった。ただ、泣き崩れ、醜態を晒すIはみっともなかった。オンオンと大声をあげて奇声を上げながら泣き崩れ、相手にしがみついた。泣きつかれた客は「もう勘弁してくれよ」と言いたそうな苦笑いを浮かべてカウンターの右隣の連れ2人を見た。連れの2人のうち、一人が半ば呆れ顔で冗談交じりに、「あのにいちゃん、これか?」と頭の横で人差し指をグルグル回しながら言うと、もう一人の客が、苦笑いしながら、悪乗りして「いやいや、そうやないやろ。これやこれ!」と頭上でかぶりを振った後、自分の左腕に注射器を打つマネをした。この日の騒ぎ以降、Iが、その創作料理屋を出入り禁止になったことは言うまでもない。

 しかし、これに懲りることなく、Iのグルメ批評は続いていた。あいかわらず趣味のブログに記事を書く時には、横柄になり、その傲慢で偏見に満ちた書き込みによって、多くの敵を作っていたのだが、Iがそれに気づくことはなかった。

 そして、その日も自身のグルメブログに、今回の自分の災難の原因となったお茶のことを書き込んでいた。中身は、やはり私怨と偏見に満ちた罵詈雑言である。お茶の味など大して分かりもしないうえに、中東の食文化さえ全く知らないくせに、一方的に偏見に満ちた文章で中東のお茶や食文化を論じ、最後には、『今回の災難の最大の原因』である(と信じている)イカ銀への罵詈雑言で締めくくった。もちろん、名前はわからないようにぎりぎりぼかしてある。

 ブログに猛り狂ったような記事を書きなぐった後、すっかり満足したというよりは、憑きものでも落ちたような状態になったIはスマホの時計を見た。もう時刻は23時を18分ほど回っていた。激怒した父親に面罵され、這う這うの体で家を飛び出たのが20時になる少し前で、机の上のレシートを見ると3時間パックで入室時刻は20時35分と印刷されていた。つまり、ブログを3時間近くかけて書いていたわけである。

 「やばい。そろそろ時間だ」急いでスマホをポケットにしまい、店を出た。退室時間は23時23分09秒。料金は3時間パックで1080円(税込)だった。執筆の間、漫画や新聞、雑誌の類は全く読んでいなかったが、執筆の合間に無料ドリンクを大量に飲み、ある程度、元は取っていた。

 急いで帰宅の途に着くIだったが、家には怒り心頭に達した父親が玄関の電気を煌々と点け、反省もせずに夜遊びに耽る(と彼には思えた)バカ息子の性根を叩きのめすために木刀を持って寝ずの番をして待ち構えていた。家の玄関の煌々とした灯りを見たIは、今夜は家に帰るのは無理だと瞬時に悟り、その場を静かに立ち去った。疲れがどっと出て、足がやけに重く感じられた。

一方、Iの帰りを今か今かと木刀握って力んで待っていた父親だったが、そのうちに徐々に怒りが面倒くささに変わり、やがて退屈を紛らわすのに困り果てるようになった。Iが家に帰るのを諦めてとぼとぼ来た道を戻り始めていた時だった。玄関では煌々と輝く灯りの下で、父親は酒を飲んで高鼾で寝ていた。いい気分で酒をあおり、そのまま酔いつぶれて寝てしまったのだ。やはり、蛙の親は蛙である。親友の面子を潰した後に、説教途中でトンズラしたバカ息子をぶちのめすために護身用の木刀まで用意して玄関で待っていたのも1時間ほどで、後は、暇を持て余していた。そこへ、奥さんがコップと瓶ビールを盆にのせて持ってきたのだ。始めは家長としての威厳をかけて突っぱねていたものの、怒鳴った後に喉の渇きを覚えたのをきっかけに、ほんの一杯飲んだのが、すぐ2杯目になり、3杯目になり、バカ息子の帰りを待って2時間を過ぎるころには、当初の目的などすっかり忘れて酔い潰れていた。

 すっかり酔い潰れていたところへ、頃はよしとばかりに奥さんが声を掛けた。「あなた、どうせなら玄関じゃなくてリビングで飲んでくださいな」少し強めの口調で言う。この方が、呑兵衛には効くのだ。「う~んん!母さん?ああ、そうだね」言われたとおり、ふらふらとリビングに向かい、ソファーに寝ころんだかと思うとそのまま高鼾で寝てしまった。

「ほんと、手が焼けるわね」怒りもせずにこりともせず、そう呟きながら、高鼾の旦那の体にタオルケットをかけてやり、空のビール瓶とコップののった盆を片手で持ち上げて台所で洗った後、木刀を元あった場所に戻した、その後、ラインでIに連絡を取った。その頃、Iはマンガ喫茶で漫画を読んでいたところだった。こうして日付が変わったころ、Iと父親の長い長い一日はひとまず終わったのだった。


今回。コメディーを書きます。ご意見、ご感想などお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ