32. 新しい日常
砂穂ちゃんがお屋敷にやってきてからというもの、わたしたちの日常も変わりつつあります。
朝――。
小鳥のさえずりと共に、わたしと瑠璃さんは目を覚まします。
掛け時計の針は、まだ朝の五時半を指していますが、学生とメイドという二足のわらじを履くわたしたちにとっては、早朝のこの時間に起きなくてはいけないのです。
ですが砂穂ちゃんはまだ早起きに慣れていないのか、三つ並列に並ぶ真ん中のベッドですぅすぅと可愛らしい寝息を立てています。(使用人室を三人で使うことになるため、壁際の机を動かして、三人が並んで寝られるようベッドを再配置したのでした)
「起きてください、砂穂ちゃん。朝ですよー?」
体を揺すってあげると、寝ぼけ眼を擦ってようやく起き上がります。「おはよう」っていう挨拶を交わして、寝間着姿のまま洗面室に向かって顔を洗い、それからメイド服へと着替えるのでした。
朝の主なお仕事は、お掃除とお洗濯、朝食作りとお弁当作りになります。
これまではわたしがお掃除とお洗濯を、瑠璃さんが調理関係を全て受け持っていましたが、砂穂ちゃんが入ってきてからは、彼女がお料理のお手伝いを行うことが多くなりました。
何せ、わたしはメイドのくせにキッチン出入り禁止なのですから。
いつも忙しい瑠璃さんにとっても、新人が料理の手伝いをしてくれるのは助かりますし、どうやら彼女はなかなかにお料理上手なようで、入って一週間経たないうちに、朝ご飯の調理を受け持つようになりました。
時間が空いたときには、お掃除やお洗濯を手伝ってもらうこともありますし、なかなかに彼女は要領がいいみたいでした。
てきぱきと仕事をこなす様は、瑠璃さんにもよく評価されています。
……わたしの立場がなくならないように、頑張らないといけませんね!
ちょっと対抗心を燃やすのでした。
ところで、わたしは毎朝、お庭のお花に水を与えるのを習慣にしていました。
砂穂ちゃんは、元・お花屋さんなので、園芸のお仕事を是非!と考えていたのですが――
「それは私には向いていない仕事なのです」
わたしの提案を一蹴して、そっぽを向いてしまうのでした。
「えっ、でも砂穂ちゃん、お花好きなんじゃ――」
「好きです。でも……私はお花に嫌われているのですよ……」
低いテンションでそう語る彼女から詳しくお話を聞くと、「突然、花に触れると、ひとひら花びらが落ちてしまう体質になってしまった。だからお花は怖くて触れない」ということでした。
――呪い、です。
魔法使いが魔法の代償に被る、日常生活における機能不全。
まさかお花大好きな砂穂ちゃんが、そんな呪いを被っているとは思いもしませんでした。
わたしは正直に説明をします。なぜ砂穂ちゃんがそうなってしまったのか、を――。
はっきり言って、心苦しかったです。
彼女が大好きな花を愛でることができなくなったのは、半ばわたしの責任なのですから。
「……そうだったのですか」
しかし予想に反して、事実を知ることになった砂穂ちゃんは、おだやかな表情と声色をしていました。
「魔法を使えるようになった代償だったのですね」
「……ごめんなさい、砂穂ちゃん。わたしのせいで――」
「いいえ。大丈夫なのです。本当のことを知って、スッキリしました。確かに直接触れることはできませんけど、私には木の精霊のご加護があるみたいですし、その力を持って、お花を幸せに出来ればいいなって思ったんです」
砂穂ちゃんは、微笑んで言いました。
*
朝ご飯を食べて、九時前には学校に到着するようにお屋敷を出発します。
現在は、砂穂ちゃんも一年一組――普通クラスへと移動になりました。
入学してまもなく、普通クラスへと移動する例は滅多にないらしく、「魔法の才能が出るのはこれからだ。毎日努力を積み重ねれば結果は出る!」などとかなり引き留められたみたいですが、そもそも魔法が使えるようにならないことがクラス移動の理由ではないので、砂穂ちゃんの意志は変わることはありませんでした。
やはり、魔法訓練学校の情報が外部に出るのはあまり良くないらしく、クラス移動の際に、魔法クラスで見たこと・聞いたこと・経験したこと諸々を絶対に口外しないという書類を書かされたみたいでした。
それに、魔法クラスから普通クラスへの移動ということで、変なプライドを持っている魔法クラスの生徒は、砂穂ちゃんに「落ちこぼれの烙印」を押すようになりました。
とは言っても、直接的に何か嫌がらせをするとかではなく、廊下や校舎の外ですれ違った時、砂穂ちゃんを見下すような目で見る……といった程度ですが。
でもそんなの、彼女にとっては「馬耳東風」というものです。
絶対のナイショですけれども、何せ、彼女は本当に魔法が使えるのですから!
元・クラスメイトに煽られて、魔法を実際に使ってしまう……みたいなことも、もしかしたら起きてしまうかもと実は少し危惧していましたけど、砂穂ちゃんは割と落ち着いた精神の持ち主らしくて、それは杞憂に終わりました。
ところで、砂穂ちゃんは手紙を書いて、クラス移動をした旨を故郷にいるお母さんに伝えたみたいです。
クラスが変わって寮も出たので、学費その他諸々の負担が減るということ。
そして、肝心の魔法に関しては、師匠様を見つけて、彼女に師事して学んでいるということ。
だから、将来のことは安心して欲しいということ――。
彼女の、そんなお母さん思いなところを見ていると、わたしもお姉ちゃんのことを思い出します。
六花お姉ちゃん、ピロリアフィオナで健康でやっていますでしょうか?
それに四埜お姉ちゃんも旅に出てしまいましたが、無事でやっていますでしょうか?
手紙を出すと言っていたのに、まだなしのつぶてなので、少しばかり心配になるのでした。
*
授業が終わり、お屋敷に戻ってから。
三人目のメイドのおかげで、だいぶ時間的な余裕が持てるようになりました。
何せ、彼女がいないときは、帰宅してから夕飯が終わるまで、わたしはお掃除・洗濯物の取り込み、お庭のお手入れ、ご主人様のお相手と、瑠璃さんも買い出し、夕食の準備、机仕事などなど、ひっきりなしにお仕事に没入しなければいけない状態でしたから。
砂穂ちゃんがやってきてくれて、そうしたお仕事の一部を任せることができるようになりました。
今では午後の四時頃に、ブレイクタイムを挟むことができるようにもなりました。
この時間になると、ご主人様は決まって庭のテラスへと顔を出します。
「ご苦労様。今日のお菓子は何かしら?」
庭に集まった三人のメイドが、ご主人様を迎える――そういう習慣になっていました。
「今日はマドレーヌなのですよ」
テーブルには、四人分のココアと紙のカップに入った焼きたてマドレーヌが用意されています。
バターの香しい匂いが鼻腔をくすぐって、香りだけでよだれが出て来てしまうほどです。
そうです、最近、砂穂ちゃんはお菓子作りを担当するようにもなりました。
どうやら彼女は、お菓子作りが得意なようでした。
瑠璃さんも孤児院時代に下の子のためにお菓子を作ってあげることがよくあって、それでお菓子作りが得意だと言っていましたが、彼女もそれに負けず劣らずという腕前でした。
最近は、休みの日なんかも、平日にできなかったお仕事を片付けている瑠璃さんがお菓子を作る余裕もなくって、ブレイクタイムには街で買ってきたお菓子を食べているような状態でしたが、砂穂ちゃんのおかげで改善されました。
やっぱり作りたてのお菓子って、本当においしいんです。
あったかくて、ふわふわして、ほどよい甘さで――作り置きのものとは全然違いますから、わたしは、最近毎日開かれる午後四時のブレイクタイムが大好きでした。
「そういえば、ご主人様」
ちょっと気になっていたことがあったんです。
ブレイクタイムはご主人様との距離がとても近い時間ですから、ここぞとばかりに尋ねてみます。
「どうしたの、七菜?」
「一つ質問なのですが、わたしたち、このまま学校に通ってもいいんでしょうか?」
「あら、どうして?」
「メイドさん探しが一段落ついたからです。もともと、それが目的だったんですから」
「そうね。それが最大の目的で、砂穂という素敵なメイドを雇うことができたのだから、もう学校へは行かなくてもいい……。そうも考えられるわね。
でも初めはそれが最大の目的だったとしても、二人はもう気づいているんじゃないかしら? 学校に通うことが、学生であるということが、自分の中で大きな存在になっているということに」
「そうですね。学校に通って、メイドとしての仕事をして――忙しいですけれども、それ以上に充実しています。学校の中で新しい出会いがあったり、授業で学んだ会計学が予想以上に面白くて、しかも実務で役に立ったり、と」
会計学は、選択科目の一つでした。
瑠璃さんは仕事に役立ちそうだからとそれを選択し、わたしは科学を選択しています。
「だから私は、できることなら学校に通い続けたいです」
強い口調で瑠璃さんは主張します。
「……わたしもです。授業で学んだことが、新しい魔法の開発に繋がったり、砂穂ちゃんみたいな素敵な友達だってできました。それに――まだメイドさんって募集されていらっしゃるんですよね?」
「当然よ。若くて可愛くて、素敵な才能を持つ子なら、誰だっていくらでも大歓迎よ」
「はいっ! やっぱりわたし学校に通い続けたいです。これからもいろいろなことを学んで、そして素敵なお友達が見つかればいいなって思うんです」
「あなたたちが望むのなら、それでいいわよ。わたしだって、今の学校のある生活は気に入っているし、何よりあなたたちの満足が、わたしの満足に繋がるのだから」
「「ありがとうございます!」」
「それにしても、このマドレーヌは絶品ね。夕ご飯の後にも食べたいくらいだわ」
「それでしたら、まだ焼いていないのが冷蔵庫に入っているのですが」
「まぁ!」
手を叩いて、瞳を輝かせるご主人様です。
「それは素敵だわ。ふふっ、食後のデザートにお願いするわね。……食べ過ぎてちょっと太るとか、おいしいマドレーヌを食べられる幸せに比べたら、そんなの気にもならないわよね?」




