2. メイドさんとご主人様
街の中心部から十五分ほど歩いた郊外の高台に、それはぽつりと佇んでいました。
暖色系のレンガを積み重ねたお屋敷で、石造りの中心市街の建物とは造りが異なっていました。
思えば、例の女の子を追いかけるときに、大きな川に掛けられた橋を渡りましたけれども、その前後で街の雰囲気ががらりと変わったような気がします。
前が「にぎやか」であるならば、こちらは「おだやか」という印象です。
思えば、わたしの故郷だって駅の中心は割とにぎやかでしたけど、その外側はひたすら「のどか」という感じでした。
お屋敷の裏側には深緑の葉をつけた木々が生い茂っていて、表には一面に芝生が広がっていました。
ところどころにあまり手入れされていない植栽もありました。
実は結構路地が入り組んでいることもあって、ここに来るまでに一度彼女を見失ってしまいました。
でもそんなときこそ、魔法の出番です!
「私利私欲のためには使わない」と約束をしてはいますが、「どうしても必要な時」は例外です。
大気中に漂う精霊や、精霊が宿る物質から探したい対象の行き先を尋ねる、いわゆる「探査魔法」です。
魔法を使えても生まれつき仲良くなれる精霊の種類というのは決まっているみたいで、わたしの場合は、光の精霊とコミュニケーションを図ることができました。
例の銀髪の少女の姿を鮮明に思い浮かべて、心の中で精霊たちに問いかけます。
光の精霊さんたち、あの女の子はどこにいますか?
「ミギ、マッスグ」
「ヒダリ、ソノアトミギ」
「カワゾイ、マッスグ」
外灯や、窓から漏れる光から次々と答えが返ってきます。
「みんな、ありがとうございます!」
わたしは道案内の通りに進み、そうしてたどり着いたのが、この大きなお屋敷なのでした。
石段を登り切ると広いお庭があって、そこには銀髪の少女ともう一人、別の方がいらっしゃるみたいでした。
とりあえず、ここがどういうお店なのか――お屋敷風の喫茶店か何かでしょうか?――を見極めたく、植栽の後ろに姿を隠すことにしました。
「ただいま戻りました、ご主人様」
件の銀髪の彼女は、木の円卓で白いマグカップを口にして、いかにも夕方のティーブレイクといった感じの少女に声を掛けます。
腰まで伸びた波打つ金髪と、紅い瞳が印象的で、コルセット付の黒いロングスカートと純白のブラウス、頭につけたフリル付のカチューシャが上品な感じを醸し出していました。
でもそれ以上にわたしの気を引いたのは――
「おかえりなさい、瑠璃。今日の夕飯は何かしら?」
「今日はシチューになります。それとパンとサラダです」
「ふふ、それは良かったわ。瑠璃の作るシチューは絶品だものね」
「ありがとうございます」
瑠璃と呼ばれた銀髪の彼女は、ご主人様と呼ばれた、わたしよりも明らかに幼い金髪の少女に深々と頭を下げました。
……?
なんだか腑に落ちないところがあって、頭が混乱します。
「それはそうと――ねぇ、瑠璃、あなた気がついているかしら?」
満面の笑みを湛えて、金髪の少女は瑠璃さんを見つめました。
「な、なんでしょう、ご主人様……?」
「あなた、つけられてるわよ」
「つ、つけられてる!?」
瑠璃さんは、驚いて辺りをきょろきょろと見回しました。
でもわたしの驚きといったら、彼女以上でした。
心臓がバクバクします。
「ねぇ、そこの植栽の後ろに隠れているあなた? そこにいるのは分かっているわ。うふふっ、隠れてないで出ておいで?」
……完全に金髪の少女にはお見通しのようでした。
わたしは素直に立ち上がり、二人の前に姿を現します。
別に、悪いことをしにここにやってきたのではないのですから。
「お、お前は、たしか!?」
瑠璃さんは、瞳を大きく見開きました。
わたしは高鳴る心臓の鼓動を抑え、一つ呼吸をしてから、
「わたし、七菜・レナルミカっていいます。先ほど、こちらの女性に危ないところを助けていただきまして、それでお礼をしたいと思い、ここまでつけてしまったんです」
わたしは半分正直に、事情を知らないであろう「ご主人様」と呼ばれた女の子に告げました。
嘘は一切ついていません。
しかし彼女は不満げに、わたしに向かって不敵な笑みを浮かべるのです。
紅い瞳がわたしをねめつけました。
初めて目にしたときから、なんとなく「不思議」という印象を抱いていましたけれども、その直観は間違っていないようでした。
このわずか十歳くらいと思しき彼女は、わたしの本来の目的を見抜いていたようでした。
「それから――わたし、お仕事を探しているんです! それも住み込みで働けるお仕事を!」
だから正直に自分の気持ちを伝えました。
「こちらの瑠璃さんが、喫茶店みたいな制服を身につけていたので、もしかして人手不足かもしれないと思って、ここで働かせてもらえないかとこっそりついてきたんですけど――」
「ここは飲食店ではない」
しかし瑠璃さんはきっぱりと言い放ちました。
「じゃあ、もしかして宿では――?」
「宿でもない」
「そう。ここは瑠璃の言うとおり、飲食店でも旅館でもないわ。言ってみれば、ただの民家よ」
「民家……」
それを聞いて、わたしはがっくりと肩を落としました。
昔から思い込みが激しい性格でしたけれど、ここがただの民家だったなんて!
「そう、ここはただの民家。でも――あなたの要望を叶えてあげられなくもないわ。
なぜならここにいる瑠璃は、この屋敷に仕える『メイド』なのだから」
「メイド……さんですか?」
わたしは首をかしげます。
「あら、もしかしてメイドという職業を知らなかったりするのかしら?」
「いいえ、違います。知ってはいます。お料理とかお掃除とか、家事全般をするお仕事ですよね?
でもメイドさんっていうのは、小説の中だけの存在だと思っていましたから」
「たしかにあなたの言う通りね。家事の為だけに人を雇い入れるのは、この国では滅多にないわ。でも滅多にないということは、物好きがどこかにいるというものよ」
小悪魔のような笑みを浮かべて、金髪の少女は椅子から立ち上がりました。
そして小さな歩を進めて、わたしの目の前にやってくるのです。
頭一つ分小さい彼女は、わたしを見上げて、
「わたしは、玲櫻・ノルカワインデ・シャオズムレイネ。
あなた、ここのメイドになる気はないかしら?」
「「ええっっ!?」」
突然の勧誘に驚いたのはわたし――それから、瑠璃さん。
「ちょっと待ってください! どこの馬の骨ともしらないこの子を雇うおつもりですか!?」
馬の骨って……。あまりな言われように、わたしは気落ちします。
「あら、いいと思うのだけれど。若くて元気で体力もありそうで、しかも素直で正直そうじゃない? わたしはそういう子、好きよ」
「たしかにそうかもしれませんが……しかし普段の業務について言えば、人手は全然足りています。いたずらにこの子を雇っても、意味がありません。
むしろかえって面倒を起こすかもしれません。それにメイドの採用に関しては、私が任免権をいただいていたはずです!」
「でもそれは、わたしの任免権を放棄した事を意味しないわ。
それに――わたしは満足していないのよ、この屋敷の現状に」
「な……!?」
「確かに瑠璃の作る料理は最高においしいわ。掃除だって、いつも隅々までピカピカ綺麗。真面目で勤務態度も良好よ。
でも――そうね、ねぇ七菜?」
「は、はい!?」
ちょっと険悪なムードの中、突然名前を呼ばれてビックリします。
「あなた、笑ってみせて」
「わ、笑うですか?」
「そう。わたしのような嫌らしい笑いでなく、下品な大笑いでもなく、ただ好きな事をしていたり、好きな人と一緒にいるときに自然に浮かぶような笑顔よ」
「自然な笑顔、自然な笑顔……」
突然の要求に困ってしまいます。
ですが「好きな人と一緒にいるとき」と言われて、わたしはかつての思い出を呼び起こしました。
友達と大好きなバドミントンで遊んだときのこと、それからお姉ちゃんにいろいろなことを教えてもらったときのこと――。
自然と口元が緩んでいくのが分かります。
「ふふっ、素敵な笑顔よ。とても暖かい、まるでおひさまのような微笑み」
「あ、ありがとうございます!」
気がつけば、彼女から高評価をいただくことができました。
でもわたし、いったいどんな顔をしていたんでしょうか。
お日様なんていう仰々しい比喩に、照れくさくなってしまいます。
「じゃあ、次は瑠璃」
「わ、私ですか?」
「ええ、さっきの七菜をお手本に、笑うだけ。簡単でしょう?」
笑うことは確かに簡単です。
何も知らない生まれたての赤ちゃんだってできちゃいます。
でも瑠璃さんは――
「で、できませんっ」
顔を赤らめて、拒絶するのです。
「できないことはないでしょう」
「ですが――」
「じゃあ――業務命令よ。笑いなさい、瑠璃」
「…………!」
業務命令と告げられて、瑠璃さんは逃げ道を奪われたようでした。
数秒の沈黙の後、顔を赤らめたまま硬い表情を崩し、白い歯を見せてにっこりと笑います。
背中の天使の羽根と相まって、本当に天使のよう――そんな印象を受けました。
でもそれはほんの一瞬のきらめきで――
「そ、それでは失礼させていただきます! わ、私はこれから夕飯を作りにキッチンに向かいますのでっっ!!」
顔を真っ赤にして、慌てて屋敷の中へと消えていくのでした……。
「あはははは、ねぇ、七菜、見た? 今の瑠璃の姿! あんな風に慌てるあの子の姿、見るのは本当に久しぶりよ!」
爆笑する玲櫻さんでした。
わたしは笑っていいものなのか判断できずに、乾いた笑いしか出ませんでした。
「あの子はね、意地っ張りなの。悪い子じゃないわ。それにさっきも言ったけど家事はカンペキよ。でも日々の作業に追われて、感情を表現する機会がどんどん少なくなっていったのよ。さっきみたく、笑うことすら拒絶するように……」
「そうなんですか……」
「七菜、あなたがここに来たのは偶然じゃない。わたしは運命だと思っているわ。あの子は人手は足りているなんて言っているけど、全くの強がり。いまはあの子の時間を全てわたしなんかのために捧げているような状態だから。
だからわたしはあなたに期待をしているの。新しい風となって、あの子の心を開いてあげて欲しいの。
そしてわたしを満足させて欲しいのよ。さっきの笑顔みたいに、あなたにはなんだか不思議な力がある――そんな気がしてならないわ」
不思議な力なんて――と、わたしは首を横に振ります。
「うふふっ、ごめんなさいね、わたしの気持ちばかりが先走って。
そういえば、まだ聞いていなかったわよね、イエスかノーか。七菜、あなたがここで働くかどうか」
半ば答えは決まっていました。
なんていったって、望んでいた住み込みのお仕事なのですから。
懸念するところは、家事の経験があまりなく、あまつさえお料理に関しては、(なぜか)お姉ちゃんからキッチンに入ることすら禁じられていたので、全くのド素人であるというところでした。
まあでも、メイドさんのお仕事ってご飯を作るだけじゃないですもんね。
はい、大丈夫ですよね、たぶん!
それに何より、こんなにもわたしを評価してくれるのなら、その期待を裏切るわけにはいきません。
四年ほど畑仕事をやってきて体力には自信がありますし、頑張ればうまくやっていけるんじゃないかと思い込み始めていました。
だから満面の笑みでこう答えたのです。
「わたし、一生懸命頑張ります! 頑張って必ずご主人様を満足させます。だからここで働かせてください、ご主人様っ!!」