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第9章 名探偵談義

安堂(あんどう)さん、今までどれくらいの事件を解決されてきたんですか?」


 友美(ともみ)からされた質問に、理真(りま)が考え込む。


「どれくらいだろ。一応今までの事件の資料は由宇(ゆう)がファイルしてくれてるから、家に帰って調べれば分かるけれど」


 理真は私を見るが、私も正確な数は把握していない。


「安堂さんの事件も、他の名探偵みたいに本にして出版すればいいのに。私読みたいです。私、有名どころの名探偵の有名な事件の本は結構読破してるんですよ」


 読書家の友美らしい意見だ。


「それはいずれ由宇がやってくれるんじゃない?」

「わー、江嶋(えじま)さん期待してます」

「いやいや、私なんて、文才ないから……」と私は顔の前で手を振る。

「私も読みたいな。人が死んだりする小説は怖くて苦手だけど、安堂さんのなら大丈夫かも」


 と藍子(あいこ)も言ってくれた。


「そう考えると凄いですね。私、今、小説に書かれているような名探偵と食事してるんだ。金田一耕助(きんだいちこうすけ)とか明智小五郎(あけちこごろう)と食事しているようなものですね」


 友美が感慨深げな顔をした。


「いやいや、私のような若輩者が偉大なレジェンドのお歴々と並び称されるなんて、恐れ多いことですよ」


 理真は手刀を切るように右手を目の前で振る。


「私、神津恭介(かみづきょうすけ)先生に一度会うのが夢だったんですよ」


 友美の目がキラキラと輝いた。ような気がした。漫画だったら間違いなくそうなっていた。天才神津恭介か。イケメンでインテリ、レジェンド探偵随一の完璧超人だ。


「安堂さんは誰か他の名探偵の方に会ったことってあるんですか?」と友美はさらに尋ねてくる。

「それがないのよねー。この業界狭いようで広いのよ。ま、私なんかまだまだ駆け出しのペーペーだからね」

「警部が一度警視庁に行ったときに、吉敷竹史(よしきたけし)刑事をちらっと見たことがあるって自慢してたよ」


 と、丸柴刑事が言った。ほう、それは初耳だ。


「藍子ちゃんはあまり名探偵の本、ミステリ小説は読まないから、よく分からないかな?」


 話題に置いて行かれていると思ったので、話を振ってみた。


「ううん、そんなことないですよ。私、金田一耕助さんが好きです」


 おお、意外な。


稲垣吾郎(いながきごろう)さんがやってるドラマを見ました。すごくかっこよかったです!」


 それは金田一じゃなくて、お前が吾郎ちゃんを好きなだけだろ!


「でも、女性の名探偵って珍しいですよね?」


 と藍子の名探偵への興味は尽きない。


「そんなことないよ、ねえ」


 またしても理真は私に振る。


「うん、結構いるよ、有名なところでは、ミス・ジェーン・マープルとか」

「ジェーン・マープル! かっこいい名前ですね!」藍子が反応した。「ブロンドをなびかせてライダースーツを着てバイクに乗ってそうですね!」


 口に含んだジュースを吹き出しそうになった。


「ミス・マープルって、お婆さんよ」


 と、友美がむせながらつっこむ。彼女は少し吹き出してしまったようだ。


「マープルさんてお婆さんなんですか? そういうんじゃなくて、安堂さんみたいに若くて美人なかっこいい女探偵がいい」


 藍子、どういうイメージを頭の中で描いているのか。


「ペイシェンス・サムとか、コーデリア・グレイとか、若いころから活躍した女探偵もいるよ」

「えー、友美ちゃん、その人たちの本持ってる? 私読みたい」

「今度私が貸してあげるよ」


 友美が首をかしげたので、代わりに私が答える。


「ペイシェンスって言われてもピンときてないだけじゃない?」理真が会話を受け継ぎ、「友美ちゃん、きっと読んでるよ。『Zの悲劇』と『ドルリー・レーン最後の事件』に出てきたレーンの相方の女探偵がペイシェンス・サムよ」

「あー、そういえば出てきましたね。読んだのは昔だったんで、名前までは忘れてました」


 理真の的確なフォローに答える友美。


「そうなるといきなり『Zの悲劇』から読むのは邪道よ。やっぱり『Xの悲劇』から読まないと」


 突然話に割り込んできたのは丸柴(まるしば)刑事だ。


「えっ? XとZってことは、もしかして……」


 藍子が指を折って数える。わざわざ指を折るほどの計算か?


「もちろん、『Yの悲劇』もあるわよ」

「えー、ペイシェンスさんまでの道のりは遠いですね!」

「何を言っているの、『Yの悲劇』を読まずにミステリーは、名探偵は語れないわよ!」


 どん、と音を立てて持っていたグラスをテーブルに叩き置く……ような勢いで丸柴刑事は語った。熱いな。うん、でも確かに『Yの悲劇』は一度読んでおくべき。


「うむむ、じゃあ、先にもうひとりの女探偵さんのを読みます」

「コーデリア・グレイでしたっけ? こちらはちゃんとした主役探偵? うーん、私、それは読んでないな」


 友美の守備範囲にはなかったらしい。


「デビュー事件の小説のタイトルが最高にイカすのよね」


 理真が笑みを浮かべた。そう、これは彼女のお気に入りの一冊なのだ。


「何て言うタイトルなんですか?」

「『女には向かない職業』」


 理真がぐいとアイスティーを煽った。



 女三人寄れば姦しい。などと言うが、私たち五人はほとんど喋り倒しだった。会話の声の人数が減るのは、誰かしらがトイレに立っている最中だけだった。今は友美がトイレに立っているため、四人分の声がテーブルに入り乱れている。


「あ、薬飲まなきゃ」


 藍子は会話を中断してハンバーグとご飯を掻き込んでいた箸を置き、鞄の中をまさぐり薬袋をテーブルの上に出した。市販のものでなく薬局で処方されたものだ。

 ふと見ると、袋から出された錠剤薬は、変わった飲み方をされていた。その錠剤薬は2×6の一ダースで一パック構成されている。藍子のそれは四錠消費されている。普通は端から消費していくものだと思うのだが、藍子の錠剤は一列に沿って四錠分が空になっていた。パックは二錠ごとにミシン目が入っており、消費して空になった分は二錠ごとに切り離してしまえる。端から消費していけば、四錠消費した時点では空になった2×2分を切り離してコンパクトに出来てすっきりすると思うのだが。普通はそうする、と思う。藍子に訊いてみた。


「ああ、これですか。こうすれば、手ぶらで出かけるんだけど、一錠だけ持ち歩きたいとき、こうやって」


 藍子はパックを切り離し、片側が空になった二錠分の錠剤パックとした。


「これを持ち歩けば、薬飲んだあと殻を捨てられるじゃないですか。二錠残ってると、ずっと持っていなきゃならなくて、結構邪魔になるときがあるんですよ。一回で二錠飲む薬だと意味ないんですけど、これは一回一錠なんで」(図6)

挿絵(By みてみん)


 なるほど、袋に入れている分には、多少の殻が残っていても別に邪魔にはならない。いい考えかもしれない、薬を飲む機会があったら真似をしよう。


「おじいちゃんが教えてくれたんです」


 そう言って、藍子は視線を少し落とした。藍子と祖父、時坂(たもつ)との関係は丸柴刑事から聞いた。保は血の繋がっていない孫である藍子のことを、あまり可愛がっていないという話だったが、薬の効率のいい飲み方を教えるような交流があった時期も存在したのか。保のほうから藍子を遠ざけるようになったのか、藍子が敬遠しだしたのか、それともその両方なのか。


「何の薬なの?」私は訊いてみた。

「喉の薬です。もうほとんど直ってるんですけど、私、出された薬は飲みきらないとイヤなんです。もったいなくって」


 偉い、と言っていいのか。確かに私は医者から出された薬を飲みきったことがない。どうして医者はあんなに多く薬を出すのか。藍子は薬袋を鞄にしまって、箸を手に取り、再びご飯とハンバーグを掻き込みにかかった。もしかして。


「藍子ちゃん、薬の飲み方の〈食間〉って、そういうことじゃないよ」

「ええっ?」



「もうこんな時間。そろそろお開きにする?」


 丸柴刑事が腕時計に目をやり言った。理真と友美も腕時計を見る。私も自分の腕時計を見ると、午後十時半だ。


「私はまだ大丈夫ですよ。今日お爺ちゃん、新津駅前のなじみのお店でお酒飲んでるんです。東京から友達が来たとかで。帰りはどうせ午前様だから、遅く帰っても叱られません」


 藍子が胸を張って答える。午前様なんて言葉、どこから憶えてきた。

 時坂保くらいの人物なら、新潟市内の繁華街、古町(ふるまち)に馴染みの高級店が何軒もあってもおかしくないが。近場の穴場の店を紹介したかったのかもしれない。


「駄目よ藍子ちゃん。あんまり遅くならないうちに帰らないと」と友美。

「えー、せっかくのチャンスなのにー。そのための金曜の夜でしょ」


 藍子はテーブルにしがみついて口を尖らせる。


「じゃあ、十一時までね。友美ちゃんもそれでいいでしょ」


 丸柴刑事の提案に、少し考えたあと二人とも頷く。いい妥協案だ。



 会計は藍子を除く四人で割り勘とした。

「ごちそうさまでした!」と深々とお辞儀をした藍子は友美の車の助手席に乗り込む。フロントガラス越しに友美が会釈をして、車はファミリーレストランの駐車場を滑り出ていった。こうして食事会は終わった。


「事件に関する話、ほとんど聞けなかったね」

「まあ、しょうがないわ。そんなに期待していたわけじゃないし。これはこれで楽しかったわ。明日からまた頼むわよ、理真」

「そうね。いい息抜きができたわ。丸姉もお疲れ」


 丸柴刑事はこれから署に戻ってまだ仕事があるという。車に乗り込み颯爽と帰って行った。本当にお疲れ様と言いたい。

 私と理真はアパートへの帰路についている。ハンドルを握っているのは理真だ。


「どうする、まだ行く?」


 と理真。車内の時計を見ると十一時半前だった。


「行っちゃおうか」

「決まり」


 アパート近くのコンビニエンスストアに立ち寄り、飲み物とつまみを買い込む。アルコールはやらない。名目上は捜査会議だ。それに、いつ何時警察から新事実発見や、もしかしたら……新たな事件発生の知らせが来ないとも限らない。車の運転が出来なくなるため、事件に関わっている期間は、基本的に飲酒厳禁と決めている。昨日の夜理真が買ってきたのがノンアルコールカクテルだったのもそういう理由だ。

 アパートの駐車場に車を停め、軽くシャワーだけ浴びようということで、一旦自室に戻り、二十分後理真の部屋に集合とした。


 理真の部屋のリビングルーム。白い壁を間接照明が照らしている。気分だけでもと買ってきたノンアルコールビールをグラスに注ぎ、軽く乾杯。私は一杯空けたらすぐにオレンジジュースに代えた。

 まだ半乾きの頭にバスタオルをかぶせた理真がおつまみの柿の種をかじる。他に身につけているのはベージュのバスローブだけだ。私もパジャマ姿。(理真の部屋まではコートを上に着てきた)今日はもう理真の部屋で寝るつもりだ。捜査会議と銘打ったが、二人とも何もしゃべらない。食事会で疲れたこともあり、あまりしゃべる気分じゃない。だったら集まるなよという気もするが、こうしてリラックスする時間も大切なのだ。


 理真はソファの背もたれに頭を預け天井を見つめている。私は、湿った前髪がおでこに貼り付いている理真の顔を見上げた。

 名探偵の活動は孤独だ。丸柴刑事を始め警察組織が協力してくれるとはいえ、あくまで部外者だ。報酬を得るわけでもない、仕事にメリットがあるわけでもない。(理真が推理作家ならよかったのだが。やはり理真の活躍を世間に知らしめるのは私の役目か?)


 理真はシャーロック・ホームズのように、日常の退屈を紛らわすために不可解な謎を求めている求道者タイプでもない。純粋な社会正義としての使命感というものもないわけではないだろうが、私は過去に理真にどうして事件の捜査をするのか訊いてみたことがある。

「必要とされたいから」確かそんな答えが返ってきた。二杯目のジュースをグラスに注ぎ、ふと見ると、理真は目を閉じていた。かすかに寝息も聞こえる。髪も乾かさないで。さっきつまみを食べていたが、歯は磨いたのだろうか。私もメガネを外し、クッションを枕にしてカーペットに横になる。間接照明を消さなければ、と思ううちに、私の意識はまどろみの中へ沈んでいった。

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