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第7章 密室の抜け道

 所在なげに居間を見回した私は、「あ、あれ」と戸棚の上にある、額に入った大判の写真に目を止めて、


「あの写真、この家を撮ったものですね」


 指をさした。理真(りま)丸柴(まるしば)刑事も、その写真に目を向ける。写真は、今私たちがいる屋敷を、ちょうど玄関前の駐車場の辺りから写したものだ。


「この家が建てられた記念に写したものみたいね」


 写真を見て丸柴刑事はそう評した。確かに、玄関も外壁も、私たちが見たものよりはずっと綺麗だ。丸柴刑事はさらに、


「この写真が撮られたときには、まだ門と囲いは作られていなかったみたいね」


 と続けた。なるほど、よく見れば、撮影位置からして、玄関と駐車場を隔てている門と壁が写っていないのはおかしい。


「でも、現場となった倉庫はもうあるわね」


 さらに丸柴刑事が言う通り、写真右上隅に写り込んでいる高台の上、これもまだ整備されきっていない広い庭の向こうに、小さく角材を組み上げて作られた倉庫が建っているのが分かる。この家が築何十年かは知らないが、そのときに建てられた倉庫が殺人事件の現場になるなど、当時の人は考えもしなかったに違いない。

 突然、理真が立ち上がった。戸棚の前まで歩いていった理真は、その写真立てを両手で掴むと、一心不乱に凝視し始めた。


「どうかしたの? 理真?」


 丸柴刑事から掛けられた声に、数秒ほど経ってから理真は、「……丸姉(まるねえ)由宇(ゆう)も」と写真を持って私と丸柴刑事の間に座り込んだ。理真は写真を座卓に置いて、


「ねえ、殺害現場の倉庫なんだけど……」

「うんうん」私は頷いた。

「あの倉庫、もしかして、屋根が固定されていないんじゃない?」

「え? どうして?」

「だって、見て」理真は写真に小さく写った倉庫を指さして、「屋根が、今のものと色が違う」


 私と丸柴刑事は額を寄せて写真を睨む。……確かに、私たちが見た倉庫の屋根はあずき色だった。しかし、この写真の屋根は、


「……木で出来てるみたいね」


 丸柴刑事の言った通り、色あいからして壁を構成している角材と同じく木造屋根のように見える。同じ寄棟造の形状ではあるが、少なくとも色はあずき色ではない。


「倉庫の屋根は一度取り替えられている?」


 丸柴刑事が理真を見た。理真は頷いて、


「由宇、密室の謎が解けるかも」

「それって、もしかして……」

「そう、恐らく、この倉庫の屋根は壁に固定されていない。犯人は屋根を持ち上げて、その隙間から出入りしたんじゃ?」


 理真は家の主人、樹実彦(きみひこ)に連絡を取った。久慈村(くじむら)の通夜と葬式に出席するため、妻、佐枝子(さえこ)とともに東京に向かっていた樹実彦だったが、すでに東京に到着して、喫茶店で一服していたそうで、携帯電話はすぐに繋がった。


「もしもし、樹実彦さん。安堂(あんどう)です」

「どうしたね、探偵さん」


 理真は私たちにも会話内容が聞こえるように、携帯電話をスピーカーモードにして通話している。


「樹実彦さん、伺いたい事があり、お電話しました。現場の倉庫のことなんですけれど。あの倉庫、一度屋根を取り替えたことがあったんじゃないですか?」


 理真は一気に捲し立てた。理真の声に押されたのか、樹実彦はしばらく無言のままだったが、


「……ああ、その通りだ。もう十年以上前になるが。建てたときは屋根も含めて全て木造だったんだが、台風で屋根に穴が空いてしまってな。鉄製の屋根に取り替えたんだ」

「やはりそうでしたか。で、そのとき、屋根は壁と固定しなかったのではありませんか? 想像ですが、屋根を組み上げておいて、クレーンか何かで吊って倉庫の上に被せただけなのでは?」

「……そうだったかもしれん。昔のことだから、よく憶えておらんが。工事をしたのは近所の工務店だ。そこに訊けば、まだ当時の資料が残っているかもしれん」

「その工務店を教えて下さい」


 樹実彦が教えてくれた工務店の名前を私はメモ帳に控えた。理真は礼を言って電話を切る。丸柴刑事は廊下の電話台から電話帳を持ってきて、めくったページの一部を指さし、


「ここじゃない?」


 理真は工務店に電話を掛けた。応対した事務員らしき女性に用件を伝えると、十数秒のクラシックの保留音のあとに、初老と思しき男性の声に変わった。



 工務店を訪れ、当時工事に携わった社員に話を訊き、残存していた当時の資料を見せてもらうことが出来た。

 確かに西根(にしね)家の倉庫は築造当時は総木造で、台風被害で穴が空いてしまったという。そこで鉄製の屋根を新造し、かけ直していたのだ。

 さらに、理真の読みは当たっていた。工事の概要は、木造の屋根を一度全て撤去してから、外壁にすっぽりと被さるような屋根を造り、クレーンでそれを吊り上げて小屋に被せてしまうというもの。屋根自体にある程度の重量があるため、屋根と壁との固定はしなかったという。私たちは工事図面のコピーをもらい、礼を言って工務店をあとにした。


「密室は、実は密室じゃなかったってことね。過去の不可能犯罪にも、同じような方法で密室殺人を仕掛けた事件があったように記憶してるけど」


 帰りの覆面パトの車内で、ハンドルを握りながら丸柴刑事が言った。固定されていない屋根を持ち上げて、その隙間から出入りして犯行を行う。確かに過去にそういった手口の不可能犯罪は起きている。


「屋根を取り付けたのと逆の手順で屋根を外すことは無理だね」


 後部座席に座った私は、隣の理真と一緒に図面を睨みながら言った。理真も、うん、と頷く。

 図面では、屋根を取り付けたクレーンは、今、新棟が建っている場所に据えられていたからだ。その当時は西根家の居間で見た写真のように、まだ門と壁も作られておらず、西根家本棟の横を通って、現在新棟が建っている位置までクレーンが進入して工事を行ったという。もっとも、犯行時刻の夜中にクレーンなんて動かしたら、騒音により一発で家中の人に気付かれてしまう。しかしながら、代わりに現状で屋根を持ち上げる方法が何かないか、工務店の人から教えてもらってきた。現実的な方法はただひとつ。


「ジャッキアップ、ねえ……」


 運転席の丸柴刑事が、その方法を口にした。そう、クレーンで上から吊ることが不可能なら、ジャッキで下から持ち上げるしかない。


「でも」と続けて丸柴刑事は、「工務店の人も言ってたけど、個人でそんな屋根を持ち上げられるくらいのジャッキ設備を用意できるとは思えないわよ。ああいう機器って、ほとんどレンタルだから借りたら足が付くし、購入するにしたって、どこででも買えるような代物じゃないから、購入者の特定は容易いわよ。犯人がそんな真似するかしら? まあ、一応警察で業者を当たってはみるけれど」

「そうね、私もそう思う」と理真は、「でも、屋根を完全に持ち上げる必要はないでしょ。人ひとり通り抜けられる隙間さえ出来ればいいんだから。ジャッキだって、身近にあるものを使えばいいのよ」

「身近にある?」

「そう、ここにもあるはずよ」

「あ、分かった」


 私の言葉に、理真は、にやり、と笑って、


「そう、車のタイヤ交換に使うジャッキよ」



 西根家に戻った私たちは、覆面パトに積んであるジャッキと、西根家の物置から借りた脚立を持って倉庫に向かった。

 途中、坂とトンネルの分かれ道で、私たちは倉庫のある坂道ではなく、トンネルをくぐった。屋根を持ち上げるのに必要な道具を取りに行くためだ。

 工務店の人も言っていたが、高い位置にある屋根を直接ジャッキで持ち上げることは不可能だ。やり方としては、ジャッキを地面に置いて、屋根の(ひさし)とジャッキとの間を、長く丈夫なシャフトのようなもので繋いでやる必要がある。ジャッキがそのシャフトをジャッキアップし、シャフトを通してジャッキの力が屋根に伝わって持ち上がる。(図4)

 そのシャフトの役割を果たす道具が、このトンネルの向こうの小屋にあるのを理真が憶えていた。


「丈夫だし、長さも申し分ないね」


 理真は小屋に入って、置かれている鉄パイプを手にして言った。長さは三メートル程度ある。ジャッキと脚立を理真が持ち、鉄パイプは私と丸柴刑事が二人で運ぶ。


「じゃあ、いくよ」


 理真が地面にセットしたジャッキのレバーを掴んで言った。ジャッキのセット位置は、出入り口のすぐ横にした。ジャッキの上面には、鉄パイプが立てられており、そのパイプは私と丸柴刑事の二人で支えている。

 私が丸柴刑事の顔を見て頷くと、「いいわよ」と、丸柴刑事が理真に合図した。

 理真がジャッキのレバーを回していくと、縮んだ状態だったジャッキはどんどん伸びていき、パイプの根本を押して、屋根の庇とパイプ頂点との間隔を狭めさせていく。

 やがて、手応えがあり、パイプの頂点は屋根の庇に達した。パイプはジャッキと屋根に挟まれた状態となった。


「ここからは慎重に……」


 理真はそこからは、ゆっくりとした動作でレバーを回していく。事故防止の意味合いもあるが、今までと違い、屋根、パイプの反力があるため、レバーを回転させるのに抵抗がかかるためだ。

 私はパイプを握ってみた。今や完全にパイプはジャッキと屋根との間に挟まれ、びくともしない。


「どう?」理真は屋根を見上げて言ったが、

「ううん、全然。隙間も見えない」私も見上げて答えた。

「屋根が壁の上にただ乗ってるだけじゃなくて、〈かぶり〉があるから、ちょっと持ち上げただけじゃ隙間は出来ないわよ」(図5)

挿絵(By みてみん)


 丸柴刑事の言う通りだ。


「よし」と理真はレバーをさらに数回回して、「由宇、丸姉、もう限界かも」

「こっちも限界だよ、理真。何だか、屋根がミシミシ言ってる気がする」


 理真が限界と言うまでレバーを回してジャッキを上げ、私も屋根と壁が擦れる嫌な音を耳にしたが、屋根と壁との間は、わずかの隙間が空いただけだった。丸柴刑事が脚立の上に立ち、定規で隙間の寸法を測る。


「……一センチ五ミリ」

「それだけ?」理真は、何だよ、という声を出して、「丸姉、代わって」ジャッキレバーを丸柴刑事に託した。よし、と腕まくりをした丸柴刑事がレバーを握って回して、


「……どう? もうさすがにこれ以上は本当に無理」


 丸柴刑事に代わって脚立の上に立って定規を当てた理真は、


「……三……いや、二センチ五ミリ。サバを読んでも三センチ」


 こんなところでサバを読まなくともよい。丸柴刑事はレバーから手を離して息を吐いた。


「理真、壁の外側にかぶさっているっていうこの屋根の構造上、これ以上は無理よ」

「でも、三センチじゃ、人間が出入りできるわけないわ」


 正確には二センチ五ミリだ。


「丸姉」理真は尚も、「一箇所だけで持ち上げるから、反対側で軋轢が生じて、ある程度以上持ち上がらなくなるわけでしょ。四隅同時に持ち上げたら?」

「ジャッキとパイプを四セット用意して? 人間が出入りできるくらいの高さまで屋根を持ち上げる? 無理よ。現実的じゃないわ。第一、ジャッキのストロークがそこまでないわよ」

「そうだよ、理真。一箇所を一気に持ち上げられないんだよ。四隅を交互に少しずつジャッキアップしていく必要があるんだよ。時間が掛かりすぎる。犯人が四人いれば時間は短縮できるかもしれないけど」


 私も四箇所ジャッキアップ説に反論した。


「そうよね……」理真は冷静になったのか、ため息をついて、「四人の共犯。それこそ無理があるわ」

「考えがたい、ってことよ。不可能ではないと思うけど」


 慰めようとしてくれたのか、丸柴刑事が理真に言ったが、理真は首を横に振って、


「ありがとう、丸姉。でも、根本的な問題が」

「根本的な問題?」


 丸柴刑事の言葉に理真は頷いて、


「そう、犯人が四人組で、屋根の四隅をジャッキアップする。もしくは、ひとりで頑張って少しずつ屋根を上げて、人が出入りできるだけの隙間を作ったとしよう。ジャッキのストロークは、一旦持ち上げた屋根をストッパーか何かで固定しておいて、ジャッキの下に台を置いてジャッキアップし直す、という作業を繰り返せば可能。で、首尾良く久慈村さんを殺害して、ドアに内側から鍵を掛けて、倉庫を抜け出してジャッキを下げて屋根を元に戻して逃走したとしよう。でも……」

「でも?」

「どうして犯人はそこまで手間を掛けて密室を作らなければならなかったの?」

「それは……」


 最初に理真が言った問題に立ち返ってしまった。密室の理由。

 黙ってしまった私と丸柴刑事に理真は、


「二人とも、今ここで考え込んでも仕方ないよ。それに、謎は密室だけじゃないわ。久慈村さんが穴から腕を出していた理由。そもそも、こんなところで殺された理由。凶器にあんな武器が選ばれた理由――あ、凶器といえば、丸姉」

「何? 理真?」

「私、まだ(じか)に凶器見てないわ」



 私たちは、凶器も含めた証拠品が保管されている新津(にいつ)署の証拠品保管室を訪れた。

 室内では、中野(なかの)刑事と須賀(すが)鑑識員が証拠品の整理をしてるところだった。


「あ、理真ちゃん」


 入室するなり、パソコンと睨み合っていた須賀鑑識員が顔を向けた。


「安堂さん、こんにちは」と中野刑事も笑顔になり、そして、「お前、いつも思うけど、安堂さんに対して、その馴れ馴れしい呼び方やめろよな」


 中野刑事は、理真に見せたものとは正反対の形相になって、須賀に抗議した。


「別にいいだろ、友達なんだから。お前もそう呼べばいいじゃん」

「そんな失礼な真似できるか。お前は失礼だぞ」

「そんなことないよね、理真ちゃん」

「須賀さん、証拠品見せて下さいね」


 中野刑事と須賀をスルーして、理真を先頭に私たちは奥の棚へ向かう。


「これね」


 棚から下ろした箱を開き、理真と私は中を覗き込む。

 実物は迫力が違う。殺人に使用された凶器だという先入観があるためそう感じるのだろうか。理真は愛用している手袋をはめ、その凶器、モーニングスターを手に取る。


「うん、結構重い」


 理真は柄を右手、先端のトゲ付き鉄球を左手に持ち上げる。


「鉄球部分はムクだからね。結構な重量でしょ。十分人を殺せるわ」


 丸柴刑事が解説してくれる。


「あれ?」凶器を見回していた理真が声を出す。「ここ、ここが当たったってこと?」


 理真が指さしたのは鉄球のトゲの一つ、赤黒く染まっているからすぐに分かる。ただそのトゲの位置だ。鉄球は鎖で柄と結ばれている、その鎖が鉄球と繋がった位置の正反対側、ちょうど鉄球を半周した位置のトゲが理真が指さしているものなのだ。モーニングスターを一直線に伸ばした頂点の位置のトゲ、それのみが赤黒く、被害者の血で染まっている。


「そう。血が付いていたのはそのトゲだけよ」

「でも、これだとおかしいわよね」

「うん、捜査本部でも問題にされたけど」


 二人の言わんとしていることは分かる。

 この凶器を使って人を殺そうと思ったらどうするのか。当然柄を持って、標的に向かって振り下ろすか、振り回して横から命中させるかだろう。この手の武器に疎い私でもそれくらいは想像がつく。しかし、その場合どちらも、今血が付いている頂点のトゲが標的に命中するということはないのではないだろうか。血が付くなら、鉄球の側面のトゲ、鎖との接合部から四分の一周の位置のトゲになるのが普通ではないだろうか。


「突くようにして命中させたってこと?」


 私は理真に問うたが愚問だ。鎖で繋がれたこんな武器で相手を突くなど出来るわけがない。しかも致命傷を与えるほどに強い一撃を放つなど。


「犯人は鉄球部分を直接手に持って、被害者の後頭部に叩きつけた、捜査会議では一応そういう結論が出たわ」


 丸柴刑事の答えに私も理真も納得した。しかし、もちろんこれが正解とは限らないが。

〈着信音1〉が鳴る。誰だいったい、と悪態をつきながら携帯電話を取り出した理真は、ディスプレイに表示された発信者名を見るなり、やべっ、と狼狽えた。

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