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第5章 密室の問題

 ひとまず関係者への事情聴取は終わった。

 友美(ともみ)が持ってきた理真(りま)の著書(こちらはデビュー二作目『南仏からの手紙』だった)にサインをしたのを最後に、とりあえず私たちは西根(にしね)邸を辞し、新津(にいつ)署に設置された捜査本部を訪れることにした。

 二階の会議室に設えられた捜査本部は空だった。全員聞き込みなどで出払っているのだろう。


「ところで、警察の捜査のほうはどんな具合なんですか」


 理真がコーヒーを炒れてくれている中野(なかの)刑事に尋ねた。


「被害者の勤めていた病院の職員及び関係者への聞き込み、これは久慈村(くじむら)に恨みを持つものがいたかどうかの調査が主です。それと犯行時刻に怪しい人物を見なかったか近所に聞き込みを行っていますが、昨日の段階では有力な情報は掴めていません。先ほどの皆さんの話と同じですよ。久慈村は特に人に恨みを買うような人間ではなかったとのことです。患者や知人とのトラブルもなかったようですし。財布が残されていたことから、営利目的の殺人でもないようですし。西根家近所への聞き込みも芳しくありません。怪しい人物を見たかと訊いても、夜はずっと家にいたから分からないという人ばかりですよ。昼間でも人通りの多い場所ではないですからね」


 中野刑事はトレイに紙コップを三つ載せて持ってきてくれた。クリームと砂糖もある。


安堂(あんどう)さんのほうはどうですか。何か分かったことはありましたか?」


 中野刑事はコーヒーに砂糖とクリームをたっぷり入れる。


「異様な事件だということは分かりました。それ以外はまだ何も。動機、容疑者はおろか、どうしてあんな時間、あんなところで、あんな凶器で殺されていたのか……」


 理真はブラックのままカップを口に付けた。


「理真。犯人は今日会った人たちの中にいると思う?」


 私はそっと聞いてみる。


「どうだろう。被害者の死亡推定時刻には、ほとんどの人がひとりでいたそうだし、あれだけ広い家、こっそり部屋を抜け出して犯行が可能だったと考えれば、アリバイは無意味ね。確実なアリバイがあるのは電車に乗っていた友美ちゃんだけ。でもそれにしたって動機がない。今のところ疑う理由がない」

「それに密室の謎もありますよ」と中野刑事がコーヒーのお代わりを注ぎながら、「まあ、こっちのほうは勝巳(かつみ)の部屋から鍵を盗み出していたのだとすれば、謎でもなんでもなくなりますけれど」

「ねえ、そう言えば理真、どうやって密室を作ったかよりも、なぜ密室にしたのかが問題とか言ってなかった?」


 現場の検分をした帰りにそんなことを言っていたはずだ。そのときは中野刑事の携帯電話が鳴ったため話は途中で終わってしまったが。


「うん、そう。別に今度の事件では現場を密室にする必要はないでしょ」

「そうですか? 死体の発見を遅らせる目的があったんじゃないですか?」


 と中野刑事。お代わりのコーヒーにも容赦なく砂糖とクリームを注ぐ。


「いや、そんな効果は望めませんよ。現場となった倉庫は、元々誰も近づかないような場所だし、事実死体が発見されたのも、勝巳さんの定期清掃の際、死亡して三日も経ってからでした。それに月曜日以前に誰かが倉庫を訪れたとしても、死体の右腕が配線穴から外に出ていたんです。これもまた倉庫が施錠されていることに疑問を抱いた勝巳さんが裏に回ることで発見されてしまっています。普段施錠されていないドアに施錠してしまうことはかえって不審を招きます。まあ、もっともこれは西根家の関係者が犯人だった場合の考え方ですけれど。流しの犯行なら、あの倉庫が普段は施錠されていないなんてこと知りようがないから、犯行後に鍵を掛けてしまうこともあり得る。でも、その場合犯人は勝巳さんが自室でなくしたという鍵を入手していなければならない。せっかく鍵を掛けたって、死体の右腕を穴から出したままなのはどうなんだ、ってなりますけど。また、殺害状態の異常性から、流しの犯人の仕業とも考えがたいです」


 理真の言い分を聞いた中野刑事は、


「あ、鍵を掛けたのは犯人じゃなくて被害者の久慈村だったということもあり得ますよ。犯人に襲われた久慈村は倉庫に逃げ込み、追撃を逃れるために内側から鍵を掛けた。……違うか。凶器は部屋の中にあったんだし、第一、久慈村は即死です。……いや、配線用の穴を使って糸や針金で外から施錠し、凶器は後から倉庫内に入れたということも。……凶器の鉄球の直径は約十センチ、穴の短いほうの辺の長さも十センチです、ぎりぎり通る。ああ、駄目だ。穴は被害者の腕で塞がっている!」


 浮き沈みの激しい中野刑事の独白は終わった。


「配線穴が空いていても無理ですよ。鉄球自体の直径は確かに十センチ程度ですけど、あの鉄球にはトゲが付いているんですよ。それを寸法に入れたら、あの穴からは出し入れ出来ません」


 と理真が冷静に突っ込んだ。


「うーん、でも何かしらの方法で、糸や針金を使うやらして、外から内側の鍵のつまみを操作して施錠することは全く不可能ではないですよね。ここは犯人がそうやって密室を作ったという前提で推理を進めてみてはどうですか」

「それなんですけれど」理真は腕を組み、「そもそも犯人が犯行現場を密室にするメリットは何か。それは殺人を事故や自殺、自然死に偽装できるということ。鍵の掛かった部屋で死体が見つかって、真っ先に他殺を疑う人はいません」

「確かに」

「うん」


 中野刑事と私は頷いた。続けて私は、


「じゃあデメリットは?」

「それ以外全部」

「なんと」

「密室で他殺体が発見される事の説明と密室を作り出す労力を考えたら、これほど骨の折れる仕事もないでしょ。壁を通り抜けられる怪物だとか、幽霊だとか、はたまた呪いによる殺人であるとか、超常的な何かによる犯行に思わせるために密室をわざわざ構成する例もあるけど、今度のはそういう路線じゃないっぽいし」

「さ、さすが名探偵、見事な密室講座です」


 中野刑事が感心した声を出した。


「ほとんど、ヘンリ・メリヴェル卿の受け売りですけど」


 きょとんとする中野刑事。レジェンド探偵ヘンリ・メリヴェル卿を知らなくても無理はあるまい。なにしろ金田一耕助(きんだいちこうすけ)しか知らないのだ。確か『白い僧院の殺人』事件で披露した講釈の要約だ。

 中野刑事はさらに、


「事故。それでは今回の事件は事故なんでしょうか。俺にはとてもそうには見えません。穴から突き出た右腕、その先に落ちていた携帯電話、前代未聞の凶器。何もかも異常です。第一、事故なら、なぜドアが施錠されていたのかという謎も残ります」

「H・M(ヘンリ・メリヴェル)はもうひとつ密室が構成される可能性を説いています」

「そ、それは?」

「偶然。何かの要因で偶然、犯人も意図しない密室が作られてしまう場合」

「偶然ですか? それこそちょっと考えられないな。あの状況が偶然作られるなんて」

「結論はまだ出ませんよ。私たちはまだ事件の入り口に立ったばかりです。これから少しずつ謎を解明していくしかありません」


 理真が決意も新たにコーヒーを飲み干したその時。


「お、やってるな理真くん」入り口から聞き知った声がした。

「警部! お疲れ様です!」


 中野刑事、即座に立ち上がって最敬礼。私と理真もおじゃましてますと頭を下げる。

 新潟県警捜査一課、城島淳一(じょうしまじゅんいち)警部の登場だ。若干薄くなってはいるが、綺麗に撫でつけられた髪、精悍な渋いマスク、背広姿で片手に提げたロングコート。丸柴(まるしば)刑事は刑事に見えないのと対照的に、城島警部ほど刑事に見える人もそうそういないと思う。警部の写真を見せて、この人の職業は何だと思いますか? と質問したら、十人中九人は「刑事」と答えるのではないだろうか。もしくは、「名前は出てこないけど、よく刑事役を演じている俳優」と。


「駐車場に理真くんの車が駐まってるのが見えたからね、来ていると思ったよ。中野、きちんと説明は出来たのか?」

「は、はい。それはもうばっちりです」

「ばかもん、それを判断するのは理真くんだ」

「助かりましたよ、中野さん」


 理真が微笑みかける。


「そ、そうですか? いや、うれしいな」

「デレデレするな中野」

「そうだそうだ」


 ん? またしても聞き知った声が。


「何だ、お前も来てたのかよ」


 中野刑事の視線の先にいたのは、城島警部に続いて部屋に入ってきた鑑識の須賀洋佑(すがようすけ)だった。


「理真ちゃん、由宇(ゆう)ちゃん、どうもー」


 そう挨拶して手を振る。軽い、相変わらず軽い。ちょっとだけ着崩している鑑識の制服、鍔を後ろに被った鑑識帽から覗く茶髪。隠しきれない滲み出る軽さ。隠すつもりないか。


「理真ちゃんも由宇ちゃんも、久しぶりだね。事件とか関係なくホントいつでも遊びにきてよ。前から言ってるじゃん」

「須賀!」と警部の一括。

「不真面目だぞお前」中野刑事も釘を刺す。

「お前に言われたくないよ。とっておきの情報を持ってきてやったんだぞ」

「情報?」


 一連のやりとりに関与しまいと存在を消しかけていた理真だったが、その言葉を聞いて前に出てくる。


「そうです。被害者、久慈村要吾(ようご)の正確な死亡時刻が分かったんです」


 須賀は確認するように城島警部の目を見る。警部が小さく頷き、それを合図に須賀は話を続ける。


「解剖の結果から分かりました。金曜日からの気温が低かったため死体の損傷が進んでおらず、あと、被害者が夜八時半まで食事をしていたことから、胃の内容物の消化具合を見て死亡時刻の範囲を狭めました。ナルさんの受け売りですけど」


 ナルさんとは、司法解剖でいつもお世話になっているの鳴海(なるみ)医師のことだ。


「久慈村の死亡推定時刻は十三日金曜日の午後九時から九時半の間です」

「早いな」


 中野刑事が声を上げる。理真も、うーん、と唸った。


「この時間の幅が前後三十分でもずれてたら俺はこの仕事辞めるよ。あ、これもナルさんの台詞」

「久慈村が友美を駅に送り届けたのが八時四十五分、家を出たのは八時半だから、片道十五分、すぐとんぼ返りしても到着は九時ちょうど、もっとも長く見積もっても、殺されるまで三十分しか猶予がない」


 と中野刑事の素早い計算。計算ってほどのものでもないか。ナルさん、九時まで生きていたことは確実らしいので、死亡推定時刻が前にずれることはないよ。


「もう一つある。久慈村の車が見つかった」と、これは警部だ。「西根家の裏手にある路上に停めてあった。普段、車も人もほとんど通らない道なので、捜索するまで誰にも発見されなかったとみられる。その道から脇の林に獣道のような分け入った跡があった。それを辿るとな、あの殺害現場の倉庫がある土地に出るんだよ」

「なんですって?」


 中野刑事は頓狂な声を上げる。城嶋警部は続けて、


「これで事件当夜の久慈村の行動がほぼ見えたな。友美を新津駅に送り届けたあと、とんぼ返りして西根家の裏手の道へ。車を置いて獣道を通って倉庫へ行き、そこで殺された。懐に入っていた懐中電灯は、夜中にその獣道を通るために使ったんだろう」

「あ、被害者の靴が汚れていたのもそのためか」

「ああ、林の土と靴に付いていた土は同じもので間違いない」

「車から獣道を通って倉庫まで、どれくらいの時間が掛かるんですか?」


 これは理真からの質問だ。


「捜査員が通ってみたら二分かかった、夜で暗闇だったとしても三分もあれば十分だろう。金曜の夜は晴れていて月明かりもあったしな。それから、車を停めた道は西根家から少し離れている。道も狭く曲がりくねっているから、プラス車での移動で二分はかかるだろう」

「移動時間で五分マイナス、到着から殺されるまで最長で二十五分」


 中野刑事の計算が更新された。


「最短での時間だな。少し手間取ればもう二、三分くらい楽に消費するだろう」

「何だか、ますますわけが分からなくなっちゃいましたね、安堂さん」

「いえ、新しい情報が出てくることはいいことです。確実に真相解明に向かって進んでるはず。警部、私たちは一旦帰って作戦を練って、明日また西根家を訪れたいと思います。今聞かせてもらった獣道とかも見たいですし」

「よし分かった、明日は丸柴を同行させよう。十時に西根家でどうだ」

「分かりました。由宇もいい?」


 異論があるはずがない、私は、もちろん、と頷く。


「俺、明日も安堂さんの付き添いでも全然かまいませんけど」

「こっちがかまうんだよ、中野、お前は明日はずっと俺と一緒だ」

「ぷぷ」


 須賀が口を押さえた。

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