第3章 現場検証と佐枝子の聴取
玄関を出て左の庭に入る。中野刑事の話にあった通り、庭道には砂利が敷かれている。足を踏み出す度、しゃりしゃりと砂利のこすれ合う音がして心地いい。左右に松の木や灯籠が配してあり、小さな橋が架かった池もある。中では当然鯉が泳いでいる。絵に描いたような日本庭園だ。
この庭を抜けるとすぐに直進と左に道が分かれる。直進する道はトンネルになっている。砂利道はここまで。トンネルの中はコンクリートで舗装されており、左の道は土が露出している。
「現場の倉庫は左の道です」と中野刑事は正面のトンネルを指し、「正面のトンネルは昔、私道だったそうなんですが、何十年も前に土砂崩れが起きまして、道が埋まっちゃったんです。それで土砂を取り除くよりは、トンネルを掘ったほうが早いってんで、トンネルを開通させたそうです。そうしたら、数年経ってまたこのトンネルの向こうで土砂崩れが起きちゃって。その頃には新しい道路が出来ていたので、もういいやって使わなくなったそうです」
「じゃあ、このトンネルは今は使われていないんですか?」
「いえ、ここの長男の勝巳さんが使ってるそうですよ。トンネルを抜けた先は土砂崩れで行き止まりなんですけれど、そこから山に入って山菜を採ったりするのに使ってると言ってました。秋には松茸も採れるそうです。この山も西根家の持ち物ですからね」
どうりで。使われていないにしては、入り口付近の雑草は刈られているし、いかにも人が通っている雰囲気があると思った。
トンネルは高さ二メートル、幅一メートル半くらいの小さなものだ。途中カーブなどなくまっすぐで、出口の向こうの景色もここから見える。トンネルの長さは十メートルといったところか。
道草をくっている場合じゃない。私たちは左の道へ向かう。ゆるやかな上り坂を上っていくと、死体発見そして殺害現場ともなった問題の倉庫にたどりついた。
右手は山、正面は林、屋敷に面した左手は下りの斜面、敷地内のどんづまり。確かにこの倉庫に用事がなければ、家人といえども立ち入る機会のない場所だろう。丸二日死体が発見されなくともおかしくはない。理真と中野刑事もそんな内容の会話をしていた。
「例の穴は裏側ですね」
理真はまず倉庫の裏側、屋敷に面した方向へ向かい、斜面の際に立つ。
倉庫の壁の下を見ると、地面との境に穴が確認できる。電灯の配線がされているのも写真の通りだ。穴から出た線は、破損を防ぐためだろう、屋外に出ると塩ビの管で覆われ、斜面を這って屋敷の壁に繋がっている。
この倉庫はちょうど屋敷の二階とほぼ同じくらいの高さに位置する。斜面を下った終わりと屋敷の間には空いた平坦な土地がある。屋敷建物とは、直線距離にして十メートルくらいは離れているだろうか。理真は鞄から写真を取り出し実物と見比べたりしている。昨日丸柴刑事からもらった現場写真だ。
理真は辺りを見回したり、屈みこんで配線の穴から中をのぞき込んだりしたあと、今度は倉庫内部を検分するため正面に回った。
出入り口のドアは死体発見時に警官が体当たりで破ったため、鍵の部分が壊れている。鍵はドアノブの中心に鍵穴があるタイプのものだ。内側はドアノブの中心につまみがあり、それを九十度回転させれば施錠される。
理真はドアノブやつまみをじっくりと観察している。現場はこのドアが施錠されており密室状態だった。鍵に細工をするのは密室殺人の常套トリックだ。理真の観察も力が入る。続いて理真はドアを閉めた状態で屈み込む。床とドアの隙間をチェックしているのだろう。
立ち上がり、もういい、と言うので、いよいよ倉庫内に入る。倉庫には窓がなく薄暗いため電灯をつけた。
「凶器となった武器は証拠品なので警察で保管していますけど、その他のものは全て残っています。鑑識が指紋を採ったりしていますので、位置まで何もかも死体発見時のままとはいきませんけれど」
中野刑事はそう説明したが、私が見る限り棚にしまわれた物の位置などは、写真と若干の相違しか見られないように思える。現場検証の後片付けもきっちり行っているのだろう。
理真は懐から取り出した手袋をはめて棚に歩み寄った。私も手袋をして棚に近づく。
段ボール箱には、雑多なガラクタのようなものが詰め込まれている。鍬、鎌の農作業用具、金属バット。そして、それら日用品の中で一際異彩を放つ物体が目に止まった。写真でも見た、剣だ。
理真がそれを手に取った。私も近づいて眺めてみる。精巧に作られた見事なものだ。理真が剣を手渡してきたので、私も柄を両手で持つ。結構重い。予想していた以上の重量だったため、私の両腕はがくりと下がった。それを見た中野刑事が、
「当然レプリカですけれど、結構重量がありますから、気を付けて下さいね」
私は、はい、と答えて、両手で持ったまま剣を高々と掲げてみる。頭の中に『ドラゴンクエスト』のテーマ曲が鳴る。いかん、真面目にやらなくては。
「あ、他にもあるよ」
理真が剣が除けられた棚の奥に腕を入れて、何か引っ張り出した。
「斧、だね」
それを見た私は言った。斧と言っても、薪割りに使うようなものではなく、半月のような形の刃が柄の両側に付いた、ゲームや映画などで見られる戦闘用のものだった。理真はその両刃の斧を装備し、
「うん、手頃だな……」と言って、斧を二、三回振った。
「手頃って……」私は剣を元の棚に戻して一応訊いた。
「……人の頭を叩き割るのに」
理真は、ぼそりと答えた。やはり。理真はさらに棚を見回して、
「他にも、鍬、鎌、金属バット、人を殺傷する凶器として使えそうな物はたくさんある。首を絞めるのに恰好なロープもあるわ。でも……」理真は斧を棚に戻して、懐から取り出した写真をかざし、「実際に凶器に使われたのは、これだった」
写真に写っているのは、モーニングスター。
「コレクションの武器の類は、これだけですか?」
理真が棚や籠をのぞき込む。
「ええ、剣、斧、そして凶器に使用されたモーニングスター。特に気に入っていたこの三つだけを残して、他はもう処分したと勝巳は言っていました」
理真は室内を歩き回り、壁をチェックしている。角材を組み上げて構築された壁には、角材の継ぎ目が水平に走っている。こういったログハウスは丸太を組んで作られたものが多いが、角材を使っているものは珍しい。丸太と違い、角材だと壁面がフラットとなるため、実用的な倉庫などとして使うにはちょうどよいのだろう。
「天井が高いですね」
理真が天井を見上げた。確かに。天井までの高さは三メートル以上あるだろう。
理真は懐から携帯用のメジャーを出して、壁の角材の寸法を測った。角材一本の高さは約十九センチだった。理真は指をさしながら、井桁に組み上げられた角材の数を数えている。私も同じように数えると、角材は十六本積み上げられていた。そこから上は寄棟作りの天井の裏側が中央に向かって斜めに付いている。
「十九センチ掛ける十六で……三百四センチ。約三メートルね」
理真が計算結果を口にして天井を見上げた。
次に理真は屈み込んで配線用の穴を見た。配線用というより、この事件としては、被害者が右腕を出していた穴、といったほうがいい。穴は、最下段の角材をドリルか何かで削って加工され空けられたようだ。理真は死体と同じように俯せに寝そべって右腕を穴に突っ込む。腕を抜き、今度は左腕を穴に入れようとしたが、
「これ、左腕を入れるには、仰向けにならないと駄目ね」
理真の言った通りだった。穴は壁を正面から見て左寄りの位置空けられている。よって、左側の壁が邪魔をして、俯せ状態では左腕を穴に入れることは出来ない。左腕を穴に通すのであれば、仰向けになるしかない。で、
「それが?」思わず口にした。
「ううん、ちょっとそう思っただけ」
理真は起き上がって、服に付いた汚れを払い、ぐるりと倉庫内を見回すと、
「そろそろ戻りましょうか」
「死体発見時、確かにドアは施錠されていたんですね?」
倉庫内の検分を完了した帰り道すがら理真が尋ねた。
「ええ、それは間違いありません。勝巳と、駆けつけた近くの交番の制服警官二名も証言しています。だから安堂さんに出馬願ったんですよ。密室殺人ですよこれは」
「ドアを調べてたよね。糸や針金の通る隙間はあった?」
私の問いに理真は、
「ドアと床にはちょっと隙間があったけど、糸や針金が引っかかったような跡はなかったわ。当然、鑑識も確認済みですよね?」
理真に問われて中野刑事は、
「ええ、そういったトリックを施したような形跡は見られないそうです。被害者が腕を出していた穴からも。もちろん、年月の経った建物ですから、傷や角材の端が磨り減っているような箇所はたくさんありましたけれど、昨日今日付いたような真新しい傷はなかったと」
「そうですか。ドアの鍵は確かに勝巳さんが持っていると?」
「ええ、そう言ってました」
倉庫の鍵は勝巳が部屋でなくしてしまったとかいう話だった。
「犯人が鍵を持っていたというなら、密室でもなんでもなくなるけど、それはあまり問題じゃなくて、問題なのは、『なぜ犯人は現場を密室にしたのか』という……」
理真がそこまで言ったとき、中野刑事の携帯電話に新津署から連絡が入り、事情聴取が終わり西根勝巳らが家に到着するのは一時くらいになると知らせが入った。当初の予定通りだ。
それまでの空き時間に、私たちは近くの食堂で中野刑事におごってもらい昼食をとり、一時ちょうどに西根邸に帰ってきた。駐車場には初めてみる車が駐まっている。事情聴取組はすでに帰宅していたようだ。
ノックの音が。どうぞという中野刑事の声に、ドアを開け私たちが待つ応接室に入ってきたのは、西根樹実彦の妻、佐枝子だった。
上品な黒のワンピースに紺色のカーディガンを羽織っている。少しだけパーマをあてたショートヘア。スタイルもよく美人だ。四十九歳ということだが、若く見えるという類ではなく、歳相応の美人といった印象だ。今でこれなら、若い頃はとてつもない美人だったのだろう。樹実彦のじいさんうまいことやったな。
佐枝子は湯呑みを三つ乗せたお盆を持参していた。私たちは礼を言いながら、出されたお茶に口をつけた。
「先ほどはどうも。改めまして安堂理真といいます。よろしくお願いします」
理真は立ち上がって挨拶した。
私たちは到着後、全員が集まった居間に出向き、ひとりずつ応接室で話を聞きたいと申し出た。そのひとり目が佐枝子というわけだ。順番は単純に年齢順と理真が決めた。
「西根佐枝子です」声まで上品だ。「探偵さんがいらっしゃるというから、どんないかつい男の方がお見えになるかと思っていましたのに、綺麗なお嬢さんで驚きましたわ」
言われた理真は、ぺこりと頭を下げる。
「助手の方もかわいい女性なのですね。昔は探偵といえば男同士のコンビが当たり前でしたのに」
いえいえ私なんか。理真と同じように頭を下げてしまう。しかし理真も私も決して綺麗かわいいと言われたのを否定していないのが厚かましい。いや、理真は十分美人だ。中野刑事の態度にも如実に現れているし。
私はどうなんだろう。佐枝子の評は、理真は〈綺麗〉で私は〈かわいい〉だった。そのニュアンスの違いはどうなんだ? いかん、余計なことを考えてる暇はない。仕事に徹しなければ。メモ帳とシャープペンシルを持つ手に力を入れる。
「見た目も綺麗ですが、大変優秀な方ですよ。金田一耕助にも負けませんよ」
中野刑事の鼻息が荒い。理真は、言い過ぎですよ、と、たしなめる。
しかし若い中野刑事でも、例えに出すレジェンド探偵は真っ先に金田一耕助なのか。さすがレジェンド中のレジェンド。
「さっそくですが、事件のことや、亡くなった久慈村さんのことなどお聞かせ下さい。警察でお話になったことと重複するかもしれませんが、ご容赦を。まず久慈村さんが亡くなったのは金曜日の深夜だということはもうご存じですね。その金曜日の夜のことをお聞かせ願えますか」
「はい。安堂さんのほうでもすでにご存じかと思いますが、金曜日の夜は簡単な食事会を開きました。家のものと久慈村さん、藍子ちゃんもお呼びして。藍子ちゃんは早めに来てくれて、六時頃から準備の手伝いをしてもらいました。勝巳は六時頃には帰ってきていて、自室にいました。友美と久慈村さんは、二人とも七時くらいに家につきました。その時間にはもう準備はできていましたので、勝巳と、自室で寝ていた主人を呼びにいって、食べ始めました。その日は友美が東京に行くと言っていたものですから、八時半頃に久慈村さんが友美を駅まで送ってくれました」
「その友美さんの予定は皆さんが知っていたんですか?」
「はい、久慈村さん以外は。家のものは前から聞いていましたし、藍子ちゃんも食事の準備のときに、自分も友美みたいに泊まりがけで東京に行ってみたいと話していましたから、友美が話していたんでしょうね」
「久慈村さんだけが知らなかった」
「はい、そのように見えました。最初の乾杯のときに勝巳がジュースを持っているのを久慈村さんが見つけて、『勝巳さん、このあと、どこかに出かけるんですか』と訊きました。それで勝巳が八時半に友美を駅まで送ってやらなきゃならないから、と言うと、だったら僕が送りますからと、ビールを勧めたんです」
「そうですか。あ、続けて下さい」
「久慈村さんは、友美を送った脚でそのまま帰宅するからと言って、友美と二人で八時半に家を出ました。私と藍子ちゃんは食事の片づけを始めて、勝巳は自分の部屋に戻りました。主人はあの通りの体ですので、八時前に自室に戻って休んでいました。
片づけが終わったのが九時少し前くらいでした。藍子ちゃんはその日この家に泊まることになっていたので、友美の部屋へ行きました。家に泊まるときはいつも友美の部屋で一緒に寝るんです。その日は友美がいなくてひとりでしたけど、いつものように友美の部屋を使いました。
私は居間でテレビを観ていました。九時四十分くらいに友美から電話が来まして、新幹線に無事乗れたからと。それから十時までテレビを観て。お風呂に入って十一時くらいに就寝しました」
「九時以降はずっとおひとりだったということですね」
「片づけが終わったあとと、就寝する前に主人の様子を見に行きました。どちらももう眠っていましたし、友美からの電話以外は誰とも会っていませんから、アリバイを証明してくれる人はいませんね」
「ご自分でおっしゃっていただき、恐縮です」
警察で一度話しているのだろう。その辺りも心得たもののようだ。
「久慈村さんの死亡推定時刻は警察からお聞きでしょうが、午後九時から数時間の間なのですが、何か変わったことや、物音を聞いたということはありませんでしたか?」
「いえ何も心当たりは。あの倉庫と私の寝室は離れているものですから、何かあっても余程大きな物音がしない限り気がつかないでしょうね。それにしても、金曜日の夜から、月曜日の昼に勝巳が発見するまで、久慈村さんの遺体はずっとあの倉庫にあったということですね……。それを考えると、かわいそうというか、恐ろしいというか……」
そう言うと佐枝子は口に手を当て、目を伏せた。
「翌土曜日から月曜日の昼まではどうされていました?」
佐枝子が再び視線を上げるのを待って、理真は質問を再開した。
「土曜日は朝ご飯を食べたあと――あ、藍子ちゃんも早起きして料理を手伝ってくれました。家の掃除をして、午後からは車で市内の大型スーパーへ買い物に行きました。行くついでに藍子ちゃんを家まで送りました。すぐ近くなんですけど、ちょうど出る時間が一緒になりましたので。夜は勝巳が友達の家に泊まりがけで遊びに行ったので、主人と二人で夕食をとり、就寝したのが十一時くらいでした。
日曜日は一日友人たちと会う約束をしていましたので、朝食のあと、主人の昼食を用意して車で出かけました。夕食は主人が自分で何か簡単に作ると言っていましたが、勝巳が夕方に帰ってきていて、二人で食べたようです。私は八時過ぎに帰宅しました。東京に行っていた友美が九時前に新津駅に着くというので、勝巳が車で迎えに行き、九時十五分くらいに二人で帰ってきました。就寝はやっぱり十一時くらいでした。
月曜日は主人と二人で朝食をとりました。勝巳は月曜日がお休みなので、ほとんど朝起きてはきません。昼食のあと居間で本を読んだりしていましたところ、血相を変えて勝巳が飛び込んできまして、それで事件を知りました」
一度警察で話して整理できているのだろう。滞ることなく佐枝子は語った。
「殺害された久慈村さんについて訊かせてもらっていいですか。どんな人物だったのでしょう。食事会に招かれたということですが、そういうことはよくあったんでしょうか」
「久慈村さんは主人のお弟子さんのような方で、主人が引退してこちらに戻る際に付いてきてくれて。主人が心配だからと。いい方です。友美が病気になったとき看てもらったこともありましたし。食事にお呼びすることはよくありました」
「殺されるような人物ではないと」
「ええ、お仕事でのことは分かりませんが、私の知る限りでは、とても人から恨みを買うような人では……」
「殺害現場となった倉庫なのですが、普段家の人でも滅多に立ち寄らない所だとか」
「そうですね。毎週月曜日に勝巳が掃除に入るくらいですね。私を含め他のものには用事のない場所ですから」
「久慈村さんがあそこにいた理由に何か心当たりはありますか?」
「いえ、まったく。あの場所に倉庫があるということは知っていたようですけれど」
そこまで聞くと、理真が礼を言って佐枝子の聴取は終わった。