第23章 逃走と消失
「理真! 警部! 丸柴さん! 犯人が!」
私はおろおろと顔を振って三人を見る。三人とも犯人が逃げ去った暗闇と地面の携帯電話とを交互に睨むばかりだったが、一番先頭にいた丸柴刑事が意を決したように動いた。ゆっくりと、音を立てないように携帯電話のそばまで移動して、腰をかがめる。携帯電話を拾い上げようということか。しかし、静寂が支配する夜のこと、少しの砂利を踏む音、服の衣擦れの音までもが否応なく耳に入る。その音が携帯電話に拾われてしまうのではあるまいか? 最近の携帯電話は高性能だからなぁ。
「動くんじゃない」
丸柴刑事の手が届くまであと数十センチというところで携帯電話から声がした。犯人の仲間? こちらも変声機を使ったか、ヘリウムガスを吸ったような声だ。さっきの犯人の声と聞き分けがつかない。
その声で丸柴刑事の動きが一瞬止まった。が、再び、今までよりもさらにゆっくりとした動きで丸柴刑事は手を伸ばし続け、素早く携帯電話を拾い上げた。同時にマイク部分をきつく指で押さえる。それを確認した城島警部は即座に犯人が逃げた方向へ走り出す。理真もあとを追い、丸柴刑事は拾い上げた携帯電話をハンカチでくるんでポケットへ入れると、
「須賀くん、懐中電灯持って追いかけてきて」
そう言い残して走り出した。須賀は玄関へ向かう。
私も三人のあとを追うことにした。月明かりがあるため走るのにそう難儀はしない。前方から聞こえる数人分の砂利を踏み走る足音。それにしても犯人はどこへ逃げるつもりなのか。この先は確か……。
足音のひとつが、砂利を踏む音から甲高い音に変化した。
「トンネルだ! やつはトンネルのほうに逃げた!」
前方から城島警部の叫ぶ声が。トンネル? 変化した足音が甲高い音なのは、トンネル内を覆うコンクリートに反響しているためか。犯人は逃走先として、第一の犯行が行われた倉庫へ向かう左の坂道ではなく、直進のトンネルを選択したというのか?
警部を始め丸柴刑事、理真もそのトンネルの前で立ち止まっている。おかげで私は三人に追いつくことが出来た。
「警部、あいつはトンネルの向こうに?」
私が訊くと、
「ああ、途中からやつの足音が砂利を踏む音から、コンクリートの上を走っている音に変わった。トンネル内に反響する音まで聞こえた。間違いない」警部はそう答え、「ここから先、うかつに飛び込むのは危険だ。理真くんと由宇くんは、ここで待ってろ」
城島警部はホルスターから黒光りする拳銃を抜き、私と理真に言った。丸柴刑事も同じように拳銃を抜いた。丸柴刑事のそれは、銃身が極端に短いシルバーの銃だった。スタイリッシュで似合ってるな、などと場違いなことを思ってしまう。
「おーい」
という声と砂利を踏む足音とともに、後ろから丸い光が近づいてきた。須賀が懐中電灯を持ってきたのだ。
「ちょうどいい、丸柴、それを持て」
警部の命令で丸柴刑事は須賀から懐中電灯を受け取る。
「須賀は戻れ。今、家には佐枝子さんと若い鑑識員しかいない。まだ犯人の仲間がいて、佐枝子さんが狙われないとは限らない」
「分かりました」
警部の指示に須賀は答え、来た道を走って引き返していった。
丸柴刑事が懐中電灯でトンネル内を照らす、十メートルほど先のトンネルの出口まで光は届かないが、照らされた範囲内に見えるのは、コンクリートの壁床だけだ。
「丸柴、この先はどうなっているんだ」
「土砂崩れに遭った旧私道です。今は四方を崖で囲まれた行き止まりの空き地ですけれど。――あ、梯子があります」
「梯子?」
「はい、山に登るための。犯人がそれを見つけたら山中に逃走される可能性があります」
「急ぐぞ!」
二人はトンネルに飛び込んだ。
「私たちも行こう」
理真もトンネルに飛び込む。そうなったら私も行かないわけにはいかない。警部と丸柴刑事はトンネルの出口まで辿り着いており、トンネルの壁に背を付け向こう側を窺っていた。私たちがついてきたのを見た警部が叱責でもしようとしたのか、怖い顔をしたのが月明かりに映ったが、
「警部!」丸柴刑事の声で再びその顔は空き地へ向けられた。丸柴刑事の声は続き、「梯子がありません!」
「何?」
懐中電灯がトンネルの外を照らす。丸柴刑事が何度か手を左右に動かし、空き地全体を丸い光がサーチライトのようになめる。確かにそうだ。右手に木造の小屋は見えるが、それ以外は全て土が剥きだしの崖だ。記憶で梯子が立てかけてあったはずの場所も、ほとんど垂直に切り立った土の壁が見えるのみだ。地面もいつかの昼間に見たのと同じ、短く刈り取られた雑草が生えているのみで梯子が置かれている様子はない。
「由宇、勝巳さんだ」理真が小さく呟いた。「勝巳さんがテレビのアンテナを直すため梯子を持っていったんだよ。確か昨日の夕ご飯のときに言ってた」
理真の指摘で私も思い出した。勝巳は医院の務めから帰ってきてから屋根の上のアンテナを見ると言っていた。今日の夕方にはもうここの梯子は外されていたということか。それを聞いた警部と丸柴刑事は拳銃を握り直す。
「だとしたら……」
警部の視線が一点に集中した。警部だけではない、そこにいる全員の視線も同じものに集まった。右手方向に佇む小屋に。丸柴刑事は最後に懐中電灯の光を左右に散らし、外には誰もいないことを改めて確認した。
「丸柴、援護しろ」
そう言って警部は姿勢を低く保ち、トンネルを出て小屋に向かった。
「ここから動かないでよ。でも、何かあったら真っ先に逃げるのよ」
丸柴刑事は私たちにそう言って、警部のあとに続いた。
丸柴刑事が入り口ドアの前にしゃがみ、警部が小屋の外を一周して戻ってきた。警部の手には黒いシーツのようなものが握られていた。あれは犯人が着ていたローブなのではないか? 小屋のそばに落ちていたのだろうか? ということは、犯人は?
警部は手にしたローブを地面に置くと、しゃがみ込み、右手に拳銃、左手にドアノブを握る。二人は顔を向け合い、何かタイミングを合わせるような素振りをし、一気に行動に出た。警部が勢いよくドアを引き開け中へ飛び込む。同時に丸柴刑事は警部の背後から銃口と懐中電灯の光を小屋の中へ向ける。犯人との格闘、銃撃音も覚悟し、私は身をこわばらせたが……。
「理真!」丸柴刑事が小屋から飛び出してきた。「救急車を呼んで!」
救急車? どういうことなのか? 犯人か警部が負傷したのか? それにしては何の物音もしなかったが? 理真は何も尋ねず、すぐに携帯電話をダイヤルした。理真は救急車の手配を終えると、「行ってみよう」と小屋へ走った。私もついていく。
丸柴刑事はすぐに小屋の中へ引き返していた。
「丸姉――」
理真も小屋に飛び込み、呼びかけるが、すぐに絶句したように言葉はかき消えた。私も小屋に入り、その理由を理解した。絶句したのは私も同じだった。
城島警部が床にしゃがみ込み、床に仰向けに横になっている誰かの上半身を抱き起こしている。女性のようだ。その隣にも女性が倒れており、丸柴刑事が同じように抱き起こしている。こちらも女性、まだ少女のようだが……。
「友美ちゃん! 藍子ちゃん!」
私は叫んでしまった。抱き起こされている二人の女性は、誘拐されていた友美と藍子だった。
「由宇ちゃん、安心して、二人とも無事よ」
私があまりに取り乱したように見えたのか。丸柴刑事がやさしくそう声を掛けてきた。
落ち着いてよく見たら、二人とも呼吸に合わせて胸が上下しているのが分かる。服は所々土で汚れているが、見たところ外傷はない様子だ。よかった。いや、しかし……。
「犯人は?」
私は疑問を口にして小屋の中を見回した。畳まれたブルーシート、スコップ、木材、鉄パイプ、草刈りカッター等がしまわれている。懐中電灯は床に置かれ、明かりは十分でないが、見たところ以前来たときと何も様子は変わっていないようだ。
「二人の他には誰もいないわね」
理真も中を見渡してそう言った。
私は再び友美と藍子に目を落とす。よく見ると、二人の下にはタオルケットのようなものが敷かれている。直接床に寝かせられているのではない。
藍子の上半身をゆっくりとタオルケットの上に寝かせた丸柴刑事は、懐からハンカチの包みを取り出した。犯人が残していった携帯電話だ。まだ通話状態は保たれているようだ。丸柴刑事はそれを耳に近づけ、
「もしもし」と、スピーカーに話しかけた。
「もしもし」若干遅れて小屋のどこかから声がした。たった今発した丸柴刑事の声だ。私は床の懐中電灯を拾い声のした方向へ向ける。そこには携帯電話が落ちていた。理真がそれをハンカチで拾い上げ、耳に当てる。
「丸姉」理真の声が、今度は丸柴刑事の持っている携帯電話から聞こえた。二人は顔を見合わせ携帯電話を切った。
「これ、藍子ちゃんのよ」
理真は手にした携帯電話を見て言った。
友美と藍子は、佐枝子と丸柴刑事の付き添いで救急車に乗せられ搬送された。救急隊員が応急で看たところ、外傷や発熱などはなく、意識を失っているだけであることが分かった。今すぐにでも事情聴取を行いたいところだが、体力の回復と精神的なショックを考慮して、明日、自然と目を覚ますまで待つことにした。とうとうこの家の住人がひとりもいなくなってしまった。
友美と藍子の発見は、警部によって捜査陣に知らされた。これより目的は逃走した犯人の追跡、捜査に変更される。
須賀はさっそく鑑識部隊を呼んで、二人が監禁されていた小屋の調査を行う。大型の照明等の機材が続々とトンネルの中へ搬入されていく。私と理真も鑑識のあとについていった。空き地はそう広くないため、照明の光が投げかけられると、たちまち隅々まで昼間のような明るさになった。警部が小屋の裏で発見したローブは鑑識に預けられた。
「警部」須賀が私たちに駆け寄ってきて、「犯人がこっちに逃げたのは間違いないんですか? いえ、警部を疑うんじゃないですけど、ここはごらんの通りですし……」と辺りを見回した。
「ああ、確かにトンネルの中を走る音が聞こえたんだ。しかし、俺の耳がおかしくなったのかと思い、さっきトンネルの前の左へ行く坂道も見てきたんだがな……」警部は神妙な顔で、「夕方頃ひと雨あっただろ」
急に天気の話をしだした。きょとんとする私たちをよそに警部は続ける。
「向こうの路面は土が剥きだしでな。雨で洗われた地面は水を含んで柔らかくなっていた。誰かが通ったら必ず足跡が残るはずだ、しかし……」
何を言わんとしているか分かった。警部の話の続きを待たずに、私の背中を悪寒が走る。
「足跡は、なかったんだよ。だから犯人はこっちに逃げたはずなんだ! おいみんな!」警部は周囲にいいる鑑識員たちに大声で語りかけた。「何か身を隠せるような場所、抜け道がないか、徹底的に探してくれ!」そして私たちに向き直り、「理真くん、由宇くん、犯人がここから抜け出す方法は何か考えられるか?」
私と理真は顔を見合わせた。何かないか?
まず、私たちがトンネルの入り口で待機していた間に、暗闇に乗じて犯人が外へ抜け出したというのはどうだろうか? いや、ありえない。あのときは月明かりもあったし、四人もいて、トンネルから出てきた人間ひとりを見逃すなどということがあるはずがない。
トンネルの中で犯人が身を潜めていて、私たちが気づかずに通り越してしまったということは? これもない。トンネルは幅約一メートル半、人ひとりとすれ違って気がつかないはずはない。懐中電灯の明かりもあった。繰り返すが、こちらは四人もいたのだ。
この空き地に出てからはどうか。ローブを脱いで身軽になった犯人は、身を伏して雑草の陰に隠れており、私たち全員が小屋に入っている間に逃げたというのは? 難しいだろう。雑草はカッターで刈られている。人ひとりが身を伏したところで、隠れられるだけの高さはない。小屋の背後も城島警部が確認している。犯人はローブの下に迷彩服のようなものを着ていたのだろうか? そうであったとしても、犯人が草をかき分けて逃げる音が聞こえてもおかしくはないのだが、そんな音がした記憶はない。しかし、あのときは小屋に友美と藍子がいたことの衝撃で、外部の音など耳に入っていなかったかもしれない。それを警部に話すと、意外なところからこの可能性は否定された。須賀だ。
「……そうすると、警部たちをやり過ごした犯人はトンネルを抜けて庭のほうに逃げた。玄関まで戻ったということになりますよね」
須賀の言う通りだ。トンネルを抜けて倉庫のある坂道へ向かったのだとしたら、足跡がなかったことの説明がつかない。必然、犯人は庭へ戻って玄関の門から逃走するしかない。
「……それはありません」須賀が否定する。なぜだ。須賀は続ける。「あのとき、懐中電灯を丸柴さんに渡したあと、言われたとおり俺は家に戻ったんですけど、中には入らなかったんです。というのも、俺たちがあんまり戻ってこないんで、佐枝子さんが玄関まで出てきていて、俺はそのまま佐枝子さんと一緒にずっと玄関の前にいたんです」
「ということは」
「そうなんです。もし犯人が、今、理真ちゃんたちが言ったように逃げたとしたら、必ず俺と佐枝子さんの前を通ったはずなんです。だって他に逃走可能な経路はないんですから。でも、断言しますけれど、庭からは誰も来なかった。警部や理真ちゃんたちが戻ってくるまで、誰ひとり」
「玄関に須賀さんたちがいることが分かり、庭に潜んでいたというのは?」
「だとしたら、犯人はまだ庭にいることになります。警部たちが戻ってから、救急車が来て、鑑識部隊が来て、あれから玄関前がガラ空きになった時間はありませんからね。犯人が逃走する機会もないということに……」
「いや、それはないな」今度は城島警部が否定した。「左へ行く道を見たあと、念のため鑑識を何人か借りて庭も捜索した。誰もいなかった」
沈黙が流れる。耳に入ってくるのは、鑑識の人たちが忙しなく働く音だけだ。
「……一番最初に戻ってみたらどうでしょう」私は最後の可能性に賭けて言った。「犯人が友美ちゃんの携帯電話を地面に置いて、逃走した直後です。犯人は奥に逃げたと見せかけて、実際は庭に隠れていたということはありませんか? 松の木や灯籠の後ろにでも。そして私たちが犯人を追い、須賀さんが懐中電灯を取りに家の中に入った瞬間を狙って門から逃走した」
「……駄目だな」警部が苦い顔で否定した。「犯人を追っていた先頭は俺だが、あのとき、確かに俺の前を犯人が走っていた。月明かりに僅かにあのマントのようなものがはためくのを見たし、砂利を踏みながら走る音も聞こえていた。途中で砂利道を外れて身を隠したということはありえない。その足音は途中で砂利を踏む音から、コンクリートの床を走る音に変わったんだ。トンネルの中で反響する音も聞こえた」
「警部の後ろを走ってたけど」と理真も、「私にも犯人の足音は聞こえていたわ。警部の話した通りよ。丸姉も同じことを言うはず。由宇も聞こえてたんじゃ」
と、フォローを入れた。私は頷いた。そうなのだ、私もコンクリートを踏む足音をこの耳で聞いている。
「もっと単純に、犯人は梯子を使うことなく斜面を登って山中に逃げ込んだのでは?」と須賀。
照明を四方の斜面に近づけ観察した。斜面は土が剥きだしで、誰かしらが足を掛けてよじ登ったような痕跡はどこにもない。そもそも人間が何の道具もなしに登れる勾配の斜面ではない。
「山中にさらに仲間がいて、ロープか何かで犯人を引き上げたというのは?」
須賀はさらに犯人逃走の手段を考え口にしたが、
「斜面に何の跡も残さずに引き上げられるか? 第一、人ひとり引き上げるなんて、相当な重労働だぞ。そんな時間があったとも思えん」
城島警部が否定した。私たちがトンネル入り口に辿り着き、この空き地に入るまで、長く見積もっても一分掛かってはいないだろう。
「勝巳さんのものとは別に、犯人が梯子を用意していたというのはどうですか?」私も思いついた意見を言ってみる。「梯子は、登り切った犯人が引き上げて持ち帰った」
「俺たちが追うのを阻止するために、だな」
城島警部の言葉に私は頷いた。
「ちょっと待って」理真が口を挟んで、「犯人は、どうしてわざわざ梯子を用意していたの?」
「それは」と私は理真に、「ここに梯子がないと分かったからだよ。逃走手段として」
「じゃあ、犯人が梯子を調達したのは、勝巳さんがここから梯子を引き上げたのを見て、もしくは、そうなった状態を確認してから、ってことよね。勝巳さんが梯子を持って行ったのは、仕事から帰ってきてからだから、早くても午後六時くらいのはず」
「そうだね」
「脅迫状が玄関に置かれたのが、午後八時。そんな短時間で梯子って調達出来るもの? そこらのスーパーやコンビニで売ってる代物じゃないわよ」
「あ、勝巳さんが持って行った梯子をまた持ってきたっていうのは?」
私の言葉を聞いた城島警部は、すぐに捜査員に梯子の捜索を命じた。
梯子は母屋の裏の軒先に掛かっていた。やはり勝巳がテレビのアンテナを直すためにここから持ち出していたのだ。その報告を聞いた城島警部は、
「これで、もし、犯人が梯子を使って逃走したのだとすれば、その梯子は犯人たちが用意したものということになるな。とりあえず、梯子を使って斜面の上に行ってみるか」
城島警部は鑑識に梯子を持ってこさせて、斜面に立て掛けた。警部を先頭に何人かが梯子を上り、勝巳が山に出入りしている小道へ入っていったが、
「駄目だ」すぐに城島警部の声がした。「ここも土が剥きだしの小道になっている。雨に濡れているが、足跡がない」
勝巳が山菜採りに利用する道のため、草などを取り除いたのだろう。
「勝巳さんが使う小道以外に、入り込めるようなところはありませんか」
理真が見上げて声を掛けた。その声を受けて、城島警部は四方の斜面に梯子を立て掛け直し、逐一上って調べていく。照明も上向きにされ警部の観察を手伝っている。
「……駄目だ。どこも草や木がびっしりと生えていて、人が入ったような形跡はない。人が出入りできるのは、あの小道だけだ」
ひと通り調べ終えた城島警部は戻ってきて言った。
「逃走経路はない……」理真は呟いた。
「だとしたら、どうなる? 犯人はどこへ消えた?」
城島警部が珍しく両手を広げる大きなジェスチャーを交えて言った。
「遺留品をひとつ残していきましたね」
理真が言った。犯人が身を包んでいた黒いローブ。
「それに」理真は続ける。「消えたのはひとりだけじゃないわ」
「どういうこと?」と私。
警部は何か気づいたらしい、あっ、と小さな声を漏らした。
「犯人の話では、友美ちゃんと藍子ちゃんの監禁場所には仲間がいると言っていたわ。確かに一度犯人が逃走したあと、残された電話から声がした。あれが犯人の仲間の声だったのなら……人質の監禁場所はそこだった」理真は小屋を指さし、「中にいたのは友美ちゃんと藍子ちゃんの二人だけだった。でも、通話に使われた携帯電話は残されていた。私たちが追った犯人と、あの小屋の中にいた犯人の仲間の二人が、この場所から消失したということになるわ」