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第19章 西根家の夜

 さすが大製薬会社元社長の通夜だけあって、駐車場はすでに車でごった返している。こんなとき小型の車は便利だ、通常の車では駐車不可のスペースを見つけ、理真(りま)はR1の小さな車体を滑り込ませる。

 車を降り、積んでおいた礼服を手にして、私たちは式場へ向かった。更衣室を借りて着替えを済ませ、ロビーに出る。受付に御霊前を渡し記帳を終えると、城島(じょうしま)警部の姿を見つけた。警部もこちらに気付いたようだ。当然礼服姿だ。


「理真くん、由宇(ゆう)くん、ご苦労さん。今日は西根(にしね)家に泊まるそうだね」

「はい、何か掴めないかと思って」

「あの、警部」私は訊きたいことがあった。

「何かな」警部が私に視線をよこす。

藍子(あいこ)ちゃんのお父さんは来ているんですか?」

「……いや、ここにはいない。仕事が忙しいからと出席を断ったそうだ。明日の葬儀にも来ないらしい」

「そうなんですか」

「恐らく仕事というのは口実だろう。(たもつ)さんとのわだかまりがあるんだろうな」


 私は藍子の姿を探したが、見つからなかった。遺族控え室にいるか、すでに会場に入っているのだろう。

 あちこちで談話していた人たちが徐々に会場へ向かって流れていく。通夜が始まるのだ。私たちも人波の後ろについていき。並べられた椅子の一番後ろの列に座った。棺の横の遺族席にいるのは、藍子と見知らぬ二名の男女だった。恐らく保の親戚だろう。藍子ひとりだけを座らせるのが忍びなく、もっとも血縁の近い親族が座ったのだと思う。藍子は終始俯き、時折すがるように参列客席に目をやる仕草が見られた。その先にいるのは、友美(ともみ)に違いない。


 通夜が終わると、私たちは西根家へ向かう。藍子に一声掛けていこうかと思ったが、親族や会社関係者と思われる人達に囲まれて対応に忙しそうにしていたので、すぐに会場を出たのだ。

 出口で佐枝子(さえこ)勝巳(かつみ)に呼び止められた。これから帰るところだという。樹実彦(きみひこ)は体調が優れないため出席しなかった。明日の葬式には必ず出るために、今日はゆっくり休んで体調を戻すと言っていたそうだ。当然佐枝子たちと私たちは別の車で行くため、先に家に着いていたら上がっていてほしいとのことだった。夕飯はすでに用意してあるという。それはありがたい。途中で何か食べてから西根家へ行こうかと理真と相談していたところだった。


 車に乗り込み、西根家へ向かったが、駐車場から出ていく車で式場周辺は局地的な大渋滞に見舞われた。夕ご飯にありつくには時間がかかるかも。私のお腹が鳴った。それを聞いた理真がにやりと笑う。喫茶店でカレーピラフを食べたのは正解だったかもしれない。



 西根家には、佐枝子と勝巳が先に着いていた。お邪魔して居間へ通される。

 カレーピラフを食べなかったのは、最終的には正解だった。西根家の食卓に並べられた料理は、予想を上回る質と量だった。テーブルの上はすでに、和洋中、ジャンルを超えた料理のバトルロイヤル状態と化している。

 勝巳が座布団の敷かれた上座の二席に手を向け、私たちに着席を促した。恐縮しながら腰を下ろすと、


「たくさん食べて下さい、お二人とも。友美がいなくて残念だけど」


 勝巳の言葉を聞き、理真の目が見開かれている。すでにおいしそうな料理に視線をロックオンしており、どれをどのような順番で食べるか、このバトルロイヤルの戦況を頭の中でシミュレートしているに違いない。

 ビールは固辞した。捜査中はアルコールを断つことを告げると納得してくれた。このあと、友美の部屋に泊まって事件当夜の状況を体感しなければならない。そのためにも素面(しらふ)でいなければ。見ると樹実彦のグラスの中身もジュースだ。医者から酒を止められているのかもしれない。


「捜査のほうは芳しくないようだな」樹実彦が軽い料理に手を付けながら呟くように言った。「いや、探偵のお嬢さんを責めているわけではない。難しい事件なんだろう。警察と名探偵が揃って手をこまねいているというからには」


 理真は一旦箸を止め、


「はい。しかし、まだ公表はできませんが、色々と手掛かりは掴んでいます。着実に捜査は進行しています。ご安心下さい」

「さが……容疑者の手がかりは掴めているのかね」


 相模、と言いかけてやめたようだ。やはり樹実彦の中ではこの事件の犯人は相模健以外にはありえないのだろう。


「……お答えは出来ませんが、暗中模索の状態では決してないと言わせて下さい」

「すまんな。せっかくの食事どきに。どうも年寄りの話は暗い話題になりがちでいかん。友美がいなくて残念だ。藍子ちゃんもな」


 警察からは、相模健のことはもちろん、病院の屋上での顛末も一切公表されていない。保の死因がシアン化カリウムの嚥下によるものというのは発表されたが、それが冷蔵庫のウーロン茶に混入されていたことは未公表だ。警察発表の事柄だけを見ていれば、捜査の進行が芳しくないという印象を受けるのは仕方がない。いや、事実それほど変わらないのかもしれない。しかし、容疑者の絞り込みというのでは、理真が言ったように進展はある。その人物が、今、樹実彦が口にした藍子であるなどとは言えないが。

 樹実彦のグラスにジュースを注ぎながら佐枝子が、


「お通夜でも藍子ちゃん元気がなかったわね。心配だわ」

「大丈夫だろう。友美が付いているんだし。あの二人は本当に仲がいいから」


 こちらは手酌でビールをやりながら、勝巳が言った。それを受けて理真は、


「ええ、友美さんが励ましたりしてくれているようです。あれから私たちも一度藍子ちゃんと話をしましたけれど、普段と変わりはなかったですよ」


 多少の嘘を理真は交えた。


「そうか、あの子も色々あったからな。幸せになってほしい」


 独り言のように言ったのは樹実彦だ。


「この山菜の天ぷら、おいしいですね」


 沈みかけた場の空気を引き上げるように、理真が頓狂な声を上げる。その声に嬉しそうな顔で反応した勝巳は、


「でしょう。それ、僕が山から採ってきたものなんですよ。天ぷらを揚げたのは佐枝子さんですけど。よければ、お裾分けしますよ。まだまだたくさんあるから」

「あ、そうだったわ、勝巳さん」佐枝子が口を挟む。「明日にでもテレビのアンテナを見てくれません? 何だか朝からテレビの調子が悪くて。映像が止まったりするんですよ」

「そうなんですか? どれどれ」


 勝巳はテーブルの上のリモコンを手に取り、テレビに向けてボタンを押した。映像が映し出されたが、画面の動きはぎこちなく、ノイズが発生したりしている。音声もほとんど途絶えた状態だ。それを確認した勝巳はスイッチを切った。


「本当ですね。今朝の雨風でアンテナがずれたかな? 明日の朝に見てみますよ。そうか、梯子がいるな。入山口から持ってこなくちゃ」

「朝は忙しいでしょうから、医院から帰ってきてからでも結構ですよ」

「分かりました。じゃあ、明日帰ってきたら見ます」


 家でただひとりの若い男手の勝巳は、色々と重宝されているようだ。



 そして、食事は終わった。思い返してみれば、全ての料理の半分近くが理真ひとりの胃袋に入っていった気がする。カレーピラフひと皿など、理真の腹にかかったら前菜程度にもならないというのか。お客だからと、手伝おうとした食器の片付けを拒否されたため、私と理真は居間に置いていた荷物を持って友美の部屋へ上がることにした。


 誰もいないことは分かっているが、お邪魔します、と声に出してドアを開ける。ドアのすぐ脇に見つけた電灯のスイッチを入れる。蛍光灯が瞬き、室内を照らし出す。

「へえ」と、思わず声を漏らしてしまった。

 正面はカーテンが掛かった窓、その隣に机、右の壁に作り付けのウォークインクローゼット、その手前には少しスペースを空けてベッドが置いてある。そして左の壁は背の高い本棚と階段状のラックで占められている。ラックにはそう大型ではないテレビとお洒落な小物などが配されている。ベッドとラックの間には、円形のラグがフローリングを切り取り、中央に猫足の丸いテーブルが置かれている。洒落た部屋だ。少なくとも、私や理真の部屋よりは。

 窓際の机の上には、閉じられたノートパソコンや化粧箱、鏡などが置いてある。その横にブックカバーが掛かった一冊の文庫本が。開いてみると『女には向かない職業』だった。さっそく買って読んでいたとは。

 理真は窓の前に立っていた。カーテンを開け放ち、外を見ている。その視線の先には、久慈村(くじむら)殺害現場となった倉庫があるはずだが、部屋の明かりはそこまでは届かず、倉庫を視認することは困難だ。微かな月明かりのおかげで、倉庫らしきシルエットがおぼろげに確認できるだけだ。曇っていたらその存在はまったくかき消されてしまうことだろう。私も目を凝らして倉庫のほうを見ていると、一階で話し声のあと、階段を上がる足音が聞こえてきた。


「こんばんは」ドアが開けられるなりそう言って入ってきたのは、やはり西根友美だった。礼服姿で手にはハンガーに掛けたスーツと鞄を持っている。


「ごめんね。勝手に部屋にお邪魔しちゃって」


 と理真が声を掛ける。足音が聞こえた段階でカーテンを閉じ、すでに体はドアのほうを向いていた。私も挨拶する。


「いえ、いいんです。変なものはクローゼットの奥にしまったから大丈夫ですよ」友美は笑って鞄を床に置き、「安堂(あんどう)さんが私の部屋に来てくれるなんて、感激です」


 友美は、クローゼットを開け部屋着に着替え始めた。ちらと見たが、クローゼットには服が掛かっているだけだ。もちろん冗談だと分かってはいるが。友美は理真が机の上の本に目を向けたのに気が付き、


「今、読んでるんですよ、『女には向かない職業』安堂さんのおすすめなだけありますね。すごく面白いです。まだ半分くらいですけど」

「よかった。勧めた本を読んでもらえるのって、嬉しいもんね」

「分かります。私も藍子ちゃんによく本を勧めて貸してあげるんですけど、面白かったって言ってもらえると嬉しいです。おかしいですよね。自分が書いた本でもないのに」

「価値観を共有できる人がいるって、それだけで嬉しいものよ」

「そうですね。藍子ちゃんとは、たまに価値観が合わないときもありますけど。ちょっと読んだだけで、怖いからいいって突っ返される本もあります。まあ、ミステリ小説なんですけど」


 友美は部屋着に着替え終え、礼服から、黄色いチェックのパジャマ姿へ変身した。


「夕ご飯どうでした? お母さん、張り切ってたでしょ」

「おいしくいただきました」


 と礼を言う。全料理の半分近くが理真の胃袋に消えたとは言えない。


「お二人ともお風呂まだですよね。今沸かしてきますね」と友美はドアへ向かう。

「え、今から沸かすの? お母さんや勝巳さんは?」私の疑問に、

「この部屋の隣にもお風呂があるんですよ。改築するときに、付けてもらったんです。お客が来たとき用のお風呂という名目で。本館のほうのお風呂は古くて狭いから、こっちのほうが断然いいですよ。お母さんたちはあっち。隣のお風呂はなし崩し的に私専用ですよ。藍子ちゃんが泊まるときも使いますけどね。先に見ます?」


 そう言えば、藍子から話を聞いたとき、そんなことを言っていたっけ。私と理真は友美のあとについて風呂場へ向かった。といっても、本当に部屋の隣だ。洗面の付いた広い脱衣所。磨りガラスの引き戸を開けると、これまた広い浴室が目に飛び込んできた。この広さなら、二、三人は一緒に入れそうだ。友美はバスタブの蓋を開け、壁面の操作パネルのボタンを押した。お湯を張る旨の電子音声が流れ、バスタブが熱いお湯で満たされていく。風呂を沸かすといっても、今はボタンひとつでいきなりお湯が出てくる。沸かすも何もない。

 風呂場を出た私たちは、友美に連れられ、改築された家の中を案内された。ここがトイレ、ここが物置、ここは空き部屋、と、どうやら改築された棟は、ほとんど友美の城と化しているようだ。ひとしきり案内が終わり、友美の部屋へ戻った私たちは、テーブルを囲んでラグの上に腰を据えた。


丸柴(まるしば)さんも来てくれればよかったのに」


 と友美が言うと、理真は、


丸姉(まるねえ)――丸柴刑事も忙しいから。あんまり素人探偵のお守りばっかりしてられないのよ」

「丸柴さんのことを、丸姉って呼んでるんですね、安堂さん。古いお知り合いなんですか?」

「うん、ちょっとね。他の刑事さんのいる前では、なるべく自重してるんだけど。昔からの癖でね」

「いいなあ、私、そういうの憧れます。私にもお姉さんがいたらよかったのに」

「友美ちゃんには勝巳さんがいるじゃない」

「やっぱり、男兄弟は違いますよ。それに、お兄ちゃんとは、お母さんが違うし。あ、私、そういう話題全然気にしませんよ」


 私と理真の触れていいのかどうかという戸惑いの空気を察したのか、友美は目の前で両手を振り、


「そんなことより安堂さん。お兄ちゃんに誰かいい人紹介してあげて下さいよー」などと言いだし、三人で雑談が始まった。



 軽快なチャイムが聞こえ、お風呂が沸きましたとのアナウンスが壁の向こうから聞こえた。お風呂が沸いたんじゃなくて、正確にはお風呂にお湯を張り終えた、だ。


「安堂さん、どうぞ、一番風呂へ」友美が浴室方向に手をやる。

「いやいや、それは恐縮するわ。友美ちゃんからどうぞ」


 屋上での中野(なかの)刑事を思い出す。そのあと何度か、どうぞどうぞを繰り返してから、結局理真が立つことになった。


「じゃあ、時間短縮のため、由宇も一緒に入ろう」


 え? まあ、あれだけ広いお風呂ならいいか。



「一番風呂って、新しいお湯に皮膚から栄養が流れ出しやすいから、実は体にはよくないんだって」

「へえ、そうなんだ」


 理真と私は二人同時に向かい合ってバスタブに体を沈めている。それでも窮屈という感じではない。実際に浸かってみると、その大きさに驚く。セレブだ。セレブの風呂だ。口からお湯を吐くライオンはどこにいるのだ。

 窓を背にしていた理真は、立ち上がり、窓を開けた。春の夜風が浴室に流れ込み、火照った体に心地よい。理真はそのまま窓の外を見つめている。その先には、


「どう、倉庫見える?」


 私も立ち上がって窓に寄ったが、今は眼鏡を外しているので、よく分からない、ただ暗闇が見えるばかりだ。


「見えない。月が雲に隠れちゃったわ」


 理真は答えた。理真は脱衣所でも、窓を開け倉庫のほうを見ていたな。


「友美ちゃんの部屋からも見てたよね。こっちから見ることで、何か新しい発見があったの?」

「うーん」と唸るような声を出して、理真は窓を閉めて再び湯船に体を沈めた。

「もしかして、ここから倉庫にいた久慈村さんを殺害するトリックを考えてるとか?」


 久慈村の死亡推定時刻に、藍子は友美の部屋にいたということだ。この十メートルほどの距離を超えて相手を殺害せしめるトリックがあるのか。そんなことを考えていたとき、脱衣所のドアが開く音がした。磨りガラス越しに見慣れたシルエットが浮かび、浴室のドアがゆっくり開き、友美が顔を出した。


「あの、私も入っていいですか?」と告げる。


 私と理真は顔を見合わせる。理真は友美のほうを向き、


「よし。みんなで一番風呂と行きましょう」


 さすがにセレブのバスタブといえど、三人はきついので、理真が湯船からあがり体を洗い始めた。


「何だか修学旅行みたいですね」と友美は笑みを浮かべる。

「修学旅行かー、何年前の話だー。あの頃は若かったなー」


 体を泡だらけにしながら、理真が遠い目をした。


「何言ってるんですか、安堂さん十分若いじゃないですか」

「いやー、もう年だよー、四捨五入したら三十だからね。おばさんかなー、もう」

「理真ー、それだと同い年の私もおばさんになる」断固抗議だ。「だいたい、よく聞くけど、年齢の四捨五入って意味ある? それをやりだしたら、世の中十歳単位でしか年をとらないことになるからね。十歳の次はいきなり二十歳だからね」

「いいじゃない。十五歳からお酒は飲めるし、車の免許も取れるでしょ」

「わけわからん」


 そんな私と理真のやりとりを聞いていた友美が、小さく笑い出した。


「ほら、友美ちゃんに笑われたよ」

「ふふ、おかしい」友美は湯船からお湯をすくい上げ顔を洗い、「いいな、安堂さんは」

「何が?」と理真。体を洗い終え、洗髪に入っている。

「何でも話し合える江嶋(えじま)さんみたいな同年齢の友達がいて、頼りになる丸柴さんのようなお姉さんがいて、美人で職業は作家、おまけに探偵だなんて。ずるいです」

「年下のかわいい友達が二人も出来たしね」


 理真は顔を友美に向けて微笑んだ。


「安堂さん……」


 友美は、突然頭まで湯船に沈め、完全にお湯の中に浸かった。波打つ水面越しに、膝を抱えた友美の裸身がゆれる。


「ぷはっ」と勢いよく顔を出した友美は、顔に張り付いた髪をかき上げる。

「由宇、チェンジ」と声が聞こえ、見ると理真は洗髪も終えて湯船のそばに仁王立ちしていた。私は理真と入れ替わり、体を洗い始めた。


「安堂さん。事件のほうはどうなっているんですか」友美が事件の話を振ってきた。「……犯人の目星くらいついてるんですか」

「それについては、捜査上のことだから、友美ちゃんでも話せないの、ごめんね」

「もしかして、犯人は、案外近くにいるって考えてるんじゃないですか」


 体を洗う手を一瞬止めてしまった。理真は、ごめんね、とスルーした。友美も、それ以上言及することはしなかった。


 会話は日常の話題へとシフトした。友美の会社のこと、学生時代のこと、高校生の藍子相手にはしないのではと思われるような際どい話も友美は口にして私たちは笑いあった。クローゼットに隠したものをあとで見せてよ、などと理真が囃す。あれは冗談ですよー、と友美。理真が、由宇が持ってるやつはいいやつだよね、と根も葉もないことを言ってきたので、脳天にチョップを食らわせる。


 同時に風呂をあがった私たちは、パジャマに着替えて友美の部屋に戻った。三人で客用の布団を友美の部屋に敷く。布団を二組敷いたら、もう友美の部屋はいっぱいになった。ラグも丸めて隅に置いてある。私たちは早速各々の布団とベッドに入った。


「安堂さん、今日は事件の捜査に来たんですよね。何か収穫はありましたか」

「うん。でも捜査というよりは、事件の起きた時刻と同じ状況を体感してみたくてね。事件の夜、この部屋には藍子ちゃんがひとりで泊まっていたのよね」

「そうです。でも、あの倉庫で何か起きても分からなかったと思いますよ」

「直線距離で十メートルくらいしかないよね。静かな夜だったら、何か物音くらいは聞こえるんじゃないかと思ったんだけれど」

「藍子ちゃんは何て言ってるんですか」

「何も聞いたり見たりはしていないって」

「そうですか……」


 友美は何だか安心したような声を出した。藍子が疑われていることを感づいているのだろうか。


「とりあえず電気消しましょうか」


 友美がベッドから半身を起こし、電灯から吊り下がったひもに手を掛ける。


「私、真っ暗にして寝る派なんですけど、安堂さんと江嶋さんは大丈夫ですか?」


 ちょうどよいことに、私たち二人も真っ暗派だ。異論はない。友美がひもを引く度、明かりは明度を落としていき、部屋は暗闇に包まれた。カーテンの隙間からわずかにこぼれる月明かりが、とたんに存在を主張しだした。

 闇は光を奪う代わりに、音を際立たせる。体をよじる音、布団の衣擦れの音のような、普段であれば全く気がつかない音さえもが、はっきりと耳に入ってくる。


「安堂さん、起きてますか?」


 布団の衣擦れの音のあとに、友美のささやくような声が聞こえた。


「起きてるよ」理真の声がすぐに答える。

「江嶋さんは?」


 私の状態も確認してきたので、起きてるよ、と理真と同じ返事を返した。


「安堂さん。ちょっと訊いてもいいですか」

「何?」


 二人とも小声で話すのはやめている。この場にいる全員が起きており、誰にも気を遣う必要がないのだから当然だ。


「家族とか、友人とか、親しい誰かが殺人犯だということが分かったら、その家族や友人はどんな気持ちになるんでしょう。安堂さんなら、そんなケースを何度も目にしているんじゃないですか?」


 何という質問をぶつけてくるのだろう。理真が布団の中で身をよじる音が聞こえた。


「悲しむわよ、当然。でもそれは私だけが知っていることじゃなくて、友美ちゃんもミステリ小説という形で、味わっているはずよ。人を殺した人間が、周りの人をどれだけ悲しませてきたか。犯人自身がどれだけ不幸になったか」

「……でも、犯人の側に理がある犯罪もありましたよね。私、そういう事件を読むと、名探偵が憎くなってくることがあるんです。あなたが余計なことをしなかったら、全部丸く治まってたのにって。悪い人は死んで、犯人は目的を遂げたんだから、もう人を殺すこともない。このまま幸せに暮らしていけたのに、探偵が謎を解いたばっかりに、その幸せが壊されて……」

「私はそうは思わないな。私が探偵をやってるから、自分を擁護するとかじゃないわよ。仮に警察や探偵が事件の謎を解けなかったとして、もしくは、探偵が事件に関与しなくて、完全犯罪をやり遂げたとして、そのあともずっと、犯人の幸せは続くのかな」

「……」ベッドを上で体を動かす音がした。恐らく友美が理真のほうを向いたのだろう。


「人を殺すって、とても重いことよ。法的な意味だけじゃなくてね。犯罪を遂行した犯人が、警察や探偵の目をすり抜けて逃げ果せたとしても、いつかその重さに耐えきれなくなる日が必ず来る。そのときになって思うの、あのとき警察や探偵に捕まって、さっさと罪を償っておけばよかった。そもそも人殺しなんてしなきゃよかったって。だから、警察や探偵は犯人を絶対に捕まえるの。被害者や遺族の無念を晴らすために。犯人を救うために」

「……じゃあ、この事件の犯人も救われますか?」

「もちろん……」


 再びベッドから身をよじる音が。友美は反対を向いてしまったようだ。それきり、会話が成されることはなかった。私もいつしか睡魔によって夢の世界へと連れ込まれていった。

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