第17章 再び関係者への聴取
警視庁の田町刑事は、もう新潟に相模健はいないと言ったが、そうですかと新潟県警が捜査をやめることなどありえない。さらに広範囲に相模の捜索が行われている。
事件現場周辺でのさらなる聞き込み、久慈村だけでなく、時坂保を殺害する動機を持つ人間の捜査も行われている。田町刑事の考えはどうあれ、犯行が相模によるものと立証されているわけではないのだから当然だ。
その田町刑事は、篠塚刑事と共に会議の翌朝に新幹線で東京へ帰ったと聞いた。向こうで相模健の復讐対象者への警護の計画を練るという。
私と理真は、原点に立ち返って、再び西根家にお邪魔した。今日は西根家に泊めてもらうことになっている。それも事件当夜藍子が泊まった友美の部屋にだ。久慈村の死亡時刻と同じ時間に同じ現場に居てみることで、何か掴めるかもしれないという淡い期待だ。今は丸柴刑事も一緒だが、泊まるのは私と理真の二人だ。
今いるのは、久慈村殺害現場の倉庫の裏側。月曜の昼下がり。折しも日曜日夜半から降り続いている雨のため、三人とも傘をさしている。
コンクリートの壁、被害者の右腕が突き出ていた配線穴、斜面の向こうの西根家邸宅。つい先日見たばかりなのに、なぜか違う風景に見えてしまう。天気のせいだろうか。何だかこの雨が事件の痕跡を洗い流し、風が事件の空気を吹き飛ばしてしまっているような気がしてしまう。ここだけではない、保が刺された新津駅前でも、横手病院でも、見落としていた証拠や、手がかりも何もかも消え去っていくような。
理真は足下にあった大人の拳ほどの大きさの石をレインブーツの先で小突き、斜面を転がした。石は転がっていき、斜面の終わりにあったさらに大きな石にぶつかって止まった。
「丸姉、ちょっと一緒に調べてほしいことがあるんだけど」
と眼下の石から視線を外して理真が言った。
「何? もう私はずっと理真に付いてていいことになったから、何でも言いつけてよ」
「保さんが刺された事件以降の西根家、時坂家全員のアリバイを確認したい。会議で大きいこと言っておいて何だけれど、本当に犯人が相模健なら、中野さんが言ったように私の出番はないと思う。警察のローラー作戦から逃げ果せられるとは思えないもの。私は別の観点から事件を見直すわ。物理的に調べて活路を見いだそうと思うの。動機はとりあえず棚上げして、まず、犯行が可能だったのは誰か。不可能だったのは誰か。はっきりさせたいの」
西根家邸宅に上がり、まずは佐枝子を探す。彼女は台所にいた。冷蔵庫の中身をチェックし、夕飯の買い物に出るところだった。
アリバイの有無を聞くとは、まるで容疑者扱いだが、嫌な顔せず答えてくれた。
保が刺された金曜日深夜はもう床についていた。樹実彦も同じだという。金曜日といえば、友美、藍子と食事をした日だが、それについて尋ねると、寝たのは十時すぎくらいだったため、友美が帰ってきたことは分からなかったという。保が刺されたことは、朝になって友美から聞いて知ったと語った。
「まず病院から藍子ちゃんに連絡が行って、藍子ちゃんが友美に電話したそうですね。深夜だったので、私や主人を起こすのを躊躇ったんでしょうけど、そんな大事なことなら叩き起こしてでも知らせて欲しかったわ。主人も同じことを言っていたわ。あの人、結局お見舞いに行かないまま保さんが亡くなってしまったので、悔やんでいるみたいなんです」
保の通夜は今日の夜、葬儀は明日に秋葉区内の式場で行われることになっている。
土曜日は友美、勝巳を伴って保の見舞いに行ったことは分かっている。勝巳は医院を臨時休業したそうだ。時坂家に出向き、お手伝いさんから荷物を受け取って、勝巳の車で出発したという。荷物は着替えに寝間着や洗面道具、常用している薬等。病院の売店で飲み物や菓子なども買っていったと語った。
話は続けて日曜日のアリバイに飛ぶ。
犯人と思われる怪人物から病院に電話が掛かってきた午前十一時過ぎは家にいたそうだ。証明してくれる人は、やはり家にいた夫の樹実彦と息子の勝巳だけだという。もっとも、部屋まで何度か行き来した樹実彦はともかく、勝巳は自室からほとんど出てこず、顔を合わせることも少なかったため、佐枝子がずっと家にいたという証言をすることは難しいだろうと言った。それは勝巳にとっても同じことになる。
家族のアリバイ証言は証拠として採用できないが、佐枝子は、十一時二十分頃に友人から携帯電話に電話が掛かってきて三十分ばかり通話していたと語った。佐枝子の携帯電話の電波を拾った基地局が分かればアリバイになるだろう。犯人は間違いなく万代シティの電話ボックスから電話をしてきている。十一時三分に万代で電話を掛けて、病院へ行き保を殺害し、秋葉区の自宅まで戻ってくる。これを二十分でやることは不可能だ。佐枝子は続ける。
「午後一時すぎくらいに、警部さんから電話がありまして、ええ、保さんが殺されたというお電話でした。私、びっくりして……病院に行きましょうかと言ったのですが、まだ現場が混乱しているから、来ない方がよいと言われまして。家にいた主人と勝巳にもすぐに知らせました。ええ、二人ともに直接。私が日曜日に勝巳と顔を合わせたのは夕飯時を除いてはそのときだけですね。それで、二人とも驚いて。特に主人は気の毒なくらいでしたわ。友美は朝から外出していましたので、携帯電話で知らせました。そのあとは午後四時近くに友美と一緒に近所のスーパーまで夕飯の買い物に出ただけです。友美は三時前には帰ってきましたから。友達と買い物に行っていたそうなんですが、私からの電話を聞いて、予定を切り上げて帰ってきたんでしょう。勝巳もその日は外出しなかったようですし。夕飯は一家四人でとりました」
礼を言って、次に樹実彦に話を聞けるか尋ねてみた。起きていれば大丈夫だろうという。私たちは樹実彦の寝室に向かった。
果たして樹実彦は起きていた。理真と丸柴刑事は、まず保が殺害されてしまったことを詫びたが、樹実彦は表情を変えることなく頷いた。
「話を聞く限り、警察や探偵に落ち度があったとも思えん。仕方のないことだったんだろう。保。あいつが殺されるなら、殺されるだけの理由があったんだろう。最後にもう一度会って話がしたかったのが本音だがな」
樹実彦は薬害のこと、相模のことを知っているのだろうか。理真も気になるのか、樹実彦に尋ねる。
「保さんが殺害される理由というのを、ご存じなんですか」
「君たちも、もう知っているだろ。容疑者も絞り込んでいるんじゃないのかね。久慈村君のことも含めて……」
やはり相模のことを知っているような口ぶりだ。
「そちらの線も目下捜査中です」
「……そうか」樹実彦の細い目が少し見開かれたような気がした。「それ以外には皆目見当が付かん。久慈村君とあいつが殺される理由など……」
「そうですか。ところで、失礼ですが……」
「分かってる。アリバイを聞きに来たんだろ。こんな歩くことも難儀な老いぼれに人が殺せるとお思いかね……まあ、過去の不可能犯罪にはそんな事例は山ほどあるか……」
樹実彦は笑ってから、アリバイについて話してくれた。
土曜日深夜は佐枝子の言った通り、十時くらいに眠ったという。日曜日もずっと家にいたと語った。証人は佐枝子だけだが、樹実彦には電話が掛かってきても掛けてもいないそうだ。証明は不可能だが、彼を見ればとても一連の犯行は不可能と思って間違いないと言える。寝室のベッドにずっとひとりでいたため、携帯電話を使って人を動かしたりすることは可能だろうが。樹実彦の携帯電話の通話履歴も調べる必要がある。
「そういえば探偵さん、倉庫の屋根の件は解決したのかね?」
樹実彦のほうから質問された。
「はい、おかげさまで。ありがとうございました」
理真はそう答えはしたが、実質、密室の謎は解けていないのだ。それを聞いた樹実彦は、それはよかった、と言った。
「あの、樹実彦さん」と今度は理真が、「あの倉庫の屋根が一度取り替えられているということは、家の人は全員知っていたのでしょうか?」
「ああ、佐枝子、勝巳は工事のことを憶えているだろうし、当時はまだ小さかった友美にも、大きくなってから話したことがある」
「そうですか。ありがとうございました」
理真は、樹実彦との話はそれで切り上げた。
今日は月曜日、勝巳は休日のはずだ。佐枝子に聞くと、家にいるはずだというので部屋を訪れた。勝巳も在室していた。
部屋が散らかっているので、と応接間に案内された。勝巳自らコーヒーを淹れてくれるという。私と理真を応接室に残し台所へ向かった。勝巳はジーンズのパンツに麻の上着を羽織っている。
勝巳が運んできたコーヒーは、インスタントではない、豆を炒っている本格的なもののようだ。仕事場近くの喫茶店から豆を購入しているのだという。多趣味な人だ。
理真が、やっぱり香りが違うなどと言い出したので、私も、そうだね、と言っておいた。実はいつも飲んでるインスタントとあまり違わないなと思ったのは内緒だ。
「あ、そうそう、倉庫の鍵が見つかりましたよ」と勝巳。
「どこにあったんですか?」
理真よりも私が先に口を出してしまった。理真は鍵にはあまり興味がないようで、まだコーヒーの香りを楽しんでいる。
「押入の奥に入れた整理箱の中にありました」
そう言ってズボンのポケットから鍵を取り出しテーブルに置く。同じ鍵が二本、金属製のリングで繋がれている。鍵にはどちらも透明なラバーが被せてあり、未使用であることが窺われる。
「これが入っていた箱は、当分使うことはないものをまとめていたもので、押入の奥にしまっていました。埃の積もり具合から、誰かが僕の知らない間にこれを持ち出したとは考えられないですね。今部屋が散らかっているのは、これを探すためでもありまして」
ちょっと拝見、と私は鍵を手に取る。理真も覗き込んできた。確かに、鍵を包むラバーは変色し、金属の鍵と癒着しかかっている。もし勝巳が犯人だとして、やっと鍵が見つかったというのが嘘だとしても、この鍵が使われたことがないのは本当のようだ。つい最近ラバーから鍵を抜いたのであれば、こうなってはいないだろう。一応鑑識に見せてみよう。私は勝巳から了解を得て、鍵をハンカチで包み、鞄に入れた。
「何だか今日は江嶋さんが探偵みたいですね」勝巳が笑う。
「じゃあ、本来の役割に戻って……」理真がコーヒーカップを置いて、「単刀直入に聞きます。金曜夜から日曜日までのアリバイを教えて下さい」
「そうくると思ってましたよ」
勝巳は金曜夜は早めに床についたという。土曜日は午前中のみ医院を開けるからだ。
「その日の夜は、友美がごちそうになったそうですね。ワリカン? でもあいつ喜んでたでしょう。藍子ちゃんも。うちの看護師の女の子も安堂さんのこと知ってましたよ。そうだった。本を預かってきたんで、サインお願いできますか? ああ、アリバイでしたね」
勝巳が腰を浮かせて本を取りにいこうとしたので、理真が制した。
友美が帰ってきたのが分かったかと聞いたが、佐枝子と同じ答えが返ってきた。もう寝ていたので分からないという。保が刺されたことを知ったのも、佐枝子と同じく翌朝になってからだったと語った。医院を臨時休業したというのも佐枝子の言葉の通りだ。
「そんなに繁盛している医院でもないのでね。予約の患者さんもいなかったし」そう言って勝巳は笑う。「で、土曜日は佐枝子さん、友美と一緒に時坂さんのお見舞いに行きました。時坂さんの家に寄って色々道具を積んでから。そのときに友美が藍子ちゃんも一緒に行かないかと誘ったんだけれど、疲れているからと断られたみたいだね」
藍子は日曜日に見舞いに行ったそうだが、土曜日は病院には行かなかったのか。当然、あとで藍子のアリバイも確認することになる。
「病室に運び入れた道具にはどんなものがありましたか」
「うーん、洗面道具とか、着替え、寝間着。時坂さん、自分のパジャマじゃないと寝られない性分だったそうです」
「常用している薬もありましたね」
「ええ、ありました。入院中に切れるようなら、病院で同じ薬を処方してもらうなんて言ってましたけれど……」
その必要はなくなってしまった。
「病院の売店へ食料なんかの買い物に行ったそうですね。これは勝巳さんが?」
「いえ、それは友美が。保さんは、いいって言ったんですけど。佐枝子さんが何か必要になったときに誰もいないと買い物に行くのも大変だからと、友美に適当にお菓子や飲み物を買いに行かせました」
「どんなものを買ったか憶えていますか?」
青酸カリが混入していたペットボトルのウーロン茶は、病院の売店でも取り扱っている銘柄だということは分かっている。
「うーん、よくは憶えてないなあ。せんべいとか団子とか、飲み物はお茶やミネラルウォーターばかりだったかな。病人の、しかも老人が口にするものとして購入してますからね。友美本人に訊いてくれれば憶えてるかも」
毒がウーロン茶に混入されていたことは、まだ発表されていない。露骨に、何々という銘柄のウーロン茶を買いましたか? と聞けないのが歯がゆい。勝巳の話は続く。
「その後は家に帰ってきて本を読んだりしてました。遊びに行く気もなかったんで。日曜日も同じです。家で本を読んだり勉強したりしていました。臨時休業したら文句を言われるような医院にするためにもね。でも、午前中はほとんど携帯電話で仲間と喋ってましたけど。本格的に勉強を始めたのは午後からです。まあ、一時くらいに保さんが殺されたって佐枝子さんから聞いて、結局勉強は全然手に付かなかったんですけれど」
勝巳の携帯電話の記録も調べる必要が出てきた。
「家に居て佐枝子さんや樹実彦さんと顔を合わせることはありましたか?」
「ほとんどなかったですね。それこそ保さんが殺されたってのを知らせに来てくれた時に佐枝子さんと会っただけです。夕飯はみんな一緒でしたけれど」
最後に勝巳の持ってきた本に理真がサインをして、私たちは時坂家へ向かうことにした。
時坂家を訪れるのは初めてだ。こちらも西根家に負けず広い家である。玄関チャイムを鳴らすと、エプロン姿の女性が扉を開けて顔を出した。柔和そうなおばちゃんだ。
「まあまあ、この度は色々ととんだことで。まあ、上がってくんなせ」
語尾に方言が残る喋りで私たちを迎えてくれた。時坂家のお手伝いさんで福田好子と名乗った。
「今、藍子嬢さんを呼んできますっけ」
私たちを応接間に通し、お手伝いさんの福田は、パタパタとスリッパの音を遠ざけた。
藍子は、人数分のお茶をお盆に載せて持ってきた福田と一緒に応接間に現れた。通夜の準備があるため学校は休んでいるのだろう。そうでなくとも普通に通学できる精神状態ではないと思える。身近で立て続けに殺人事件が起きたのだ。しかもその被害者のひとりは祖父である。
藍子は薄い青色のトレーナーにチェック柄の入ったグレーのスカート姿だ。簡単な普段着なのだろう。その表情は暗い。数日前、友美も加えたこのメンバーでおかしな話を語りあったときとは別人のようだ。福田はお茶を置くと応接室を辞した。
「藍子ちゃん、ごめんね、こんなときに」
理真の声に、藍子は黙って頷いた。
「今日は、藍子ちゃんのことを聞かせてもらいに来たの。土曜日と日曜日に何をしていたかを。犯人を捕まえるための参考にしたいの」
「それって……いいですよ」
藍子が口を噤みかけたあと、何を言いたかったのか分かる。アリバイを調べているんですか。私が犯人じゃないかと疑っているんですか。
そうなのだ。私はさっき藍子が殺人事件の、祖父が殺害されたショックで暗くなっているのだと思ったが、もし藍子が犯人なら、それは演技となる……いや、今は、そんなことは考えるべきではない……。
「土曜日は、ずっと家にいました。疲れていたので眠りたかったんです。友美ちゃんたちがおじいちゃんの荷物を持っていってくれたそうですね。そのとき、友美ちゃんが一緒にお見舞いに行かないかって誘ってくれたんですけど、私は日曜日に福田さんと行くからと断ったんです」
勝巳の証言通りだ。藍子は続ける。
「それで、日曜日は福田さんに運転してもらって車でお見舞いに行きました。病院に着いたのは十時くらいでした。おじいちゃんとは十分くらい話をしました」
「病室の警備に付いていた刑事さんの話だと、最初はお手伝いさんの福田さんと一緒だったけど、福田さんは五分くらいで病室を出て、藍子ちゃんとおじいさんの二人になったそうだけど」
「そんなことまで憶えてたんですか、あの刑事さん」
藍子は少し笑った。
「誰が病室に出入りしたか記録しておくのも仕事だからね。差し支えなければ、おじいさんと何を話したか教えてもらえるかな」
「事件に関係あるとは思えませんけど。いいですよ。何か特別な話をしたわけじゃないですよ。福田さんが勝手にひとりで部屋を出ただけです。別に気を遣ってくれなくてもよかったのに……私とおじいちゃんが仲悪いって知ってるんですよね」
藍子は私たち三人を順に見た。
「一応、事件関係者のことは調べなくちゃいけないから……」
理真より先に丸柴刑事が答えた。
「いいんです。本当のことだし。だから私のほうから話すことなんてなかったんですけど、おじいちゃんは、学校はどうだとか、聞いてきました。安堂さんのことも。あの人はお前の好きな作家さんなんだろ、会えてよかったな、とか」
藍子は保のことになると、ことさら詰まらなそうに話す。しかし、保が襲撃された金曜の深夜、あんなに心配そうにしていたではないか。目に涙を溜めて祖父の名前を呼んで。私はそれを言おうかと思ったが、それより早く藍子が話を再開した。
「それで、お見舞いが終わると、福田さんに新潟駅まで送ってもらいました」
「新潟駅へ?」
理真がオウム返しに問う。
「はい、友達と買い物したり遊ぶ約束をしてたので。着いたのは十時半すぎくらいでした。友達は十一時半くらい到着の電車で来ることになっていたので、駅中のお店を見たりして時間をつぶしていました」
「そのお友達は秋葉区から?」
「はい、来た友達は二人です。電車が到着して、三人揃ったら駅のお店でお昼御飯を食べました。食べ終わってもお店にいておしゃべりしてたんですけど、そうしてたら携帯が鳴って、警部さんからでした。それで、おじいちゃんが亡くなった、殺されたって聞いて……私、病院に行きたいと言ったんですけど、まだ捜査中で混乱してるから、とりあえず家に戻ってほしいと言われて。福田さんに迎えに来てもらおうと考えたんですけど、電車のほうが早いなと思って、電車で帰りました。福田さんには新津駅まで迎えに来てもらいました。結局その日は病院には行けなくて。今日も行ってないんですけど、もうおじいちゃんの遺体はないし、今更行っても仕方ないですね」
藍子はまた俯いてしまった。沈黙の時間を破り、理真は質問を続ける。
「そうだ、藍子ちゃん。金曜日のことも聞かせてくれる? ファミリーレストランで私たちと別れたあと、友美ちゃんに送ってもらったのよね」
「はい、まっすぐ私の家まで送ってもらいました。着いたのは十一時二十分くらいでした。お風呂に入って、少し本を読んで、十二時半くらいに寝ました。そしたら、携帯の着信で目が覚めて、こんな時間に電話なんて、誰だろうと思って怖かったんですけど、おじいちゃんの携帯からだったんですぐに出ました。でも相手はおじいちゃんじゃなくて、警察の人だって名乗って、おじいちゃんが襲われたって……私、びっくりして友美ちゃんに電話したんです。夜遅かったけど、友美ちゃんはすぐに電話に出てくれて、事情を話したら、迎えに行くから一緒に病院に行こうって言ってくれました。病院から帰ってからはすぐに眠ってしまいました。もちろん病院からは、友美ちゃんに送ってもらいました」
保が刺されたときのこともまだ訊いていなかったのか、と改めて思った。あれから事件は急に動き始めたのだ。しかし、実際は何も前進していないに等しい。相模の行方は杳として知れず、捜査会議では理真が大きな口を利いたが、他には容疑者のひとりも浮かんできていない。トリックのひとつも解明できてはいない。
「……友美ちゃんは大丈夫ですか?」
しばしの沈黙のあと、藍子のほうから尋ねられた。
「友美ちゃん? どうして?」
「なんだか最近、友美ちゃん、疲れたような表情することが多い気がして。私の前じゃそんな素振り全然見せないんですけど、二人でいて、私がトイレに立って戻る直前に、頭に手を当てて俯いてるのを見たことがあります。多分、私が見てるって気付いていなかったんでしょうね。私が、友美ちゃん、て声掛けると、普段通りの顔にすぐに戻してましたから」
「それはここ最近のこと?」
「うーん、そうですね、最近目立つようになってきたかな。友美ちゃん、今度の事件で私のこと気遣ってくれて、とても嬉しいんですけど、ショック受けてるのは友美ちゃんも同じはずだから、自分の体も大事にしてほしいなって」
「そうなの……」
理真は意外そうに答えた。私も友美のそんな様子は見たことがない。丸柴刑事も同じだろう。親友の藍子に対してからそうなのだ。昨日今日知り合ったばかりの私たちに、そんな顔を見せる隙を作るとは思えない。
「あ、でも、友美ちゃんに会っても、私がこんなこと言ってたなんて伝えないで下さいよ。友美ちゃん、私に心配かけまいとしてるみたいだから、私が気にしてるなんて知ったら、ますます無理しちゃうかも……でも友美ちゃんのことは心配だし……」
「分かったわ。私が心配してるってことで、それとなく言っておく」
「ありがとうございます、安堂さん」
今日初めて藍子の笑顔を見た。その笑顔を合図のように、理真が暇を告げる言葉を口にした。藍子に訊く話はこれで終わりということか。私たちは藍子に礼と励ましの言葉を掛け、時坂家を辞した。