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第15章 侵入手口

「病室も準備できたわよ」


 丸柴(まるしば)刑事が携帯電話から耳を離してストップウォッチを構え、


「よし、行け、中野(なかの)


 城島(じょうしま)警部が声を掛けた。


「ちょ、ちょっと待って下さい。まだ心の準備が……」


 中野刑事は手すりの向こう側にいる。腰にはロープが巻かれ、その端は手すりに結ばれている。要は命綱だ。手すりにはその横に三枚を繋いだ白いシーツの一端が結ばれている。


 犯人侵入の手口はこうと考えられた。犯人は屋上に上がり、干されていたベッドシーツ三枚を対角線同士で結び合わせ、一本のロープ状にする。時坂保(ときさかたもつ)の病室窓の真上の手すりにその一端をしっかり結びつける。あとは外に垂らしたシーツを伝って窓から侵入。保を殺害せしめ、今度はシーツを伝って屋上へ戻る。後はシーツを解いて屋上に置いてあった段ボール箱に詰め、退散した。というものだ。今から行われようとしているのは、その犯行の再現である。本当に可能なのか。また、どれくらいの時間を要するのか。病室にも保役の刑事がベッドに入り、確認のため何人かの刑事や鑑識員もスタンバイしている。


 この再現を行ってみようと提案された際。何人かの屈強な体力自慢の刑事が次々に犯人役に名乗りを上げ、最後に中野刑事も立候補したのだ。恐らく理真(りま)にいいとこ見せようとしたのだと思われる。まさか本当に自分が任命されるとは露ほども思わなかったに違いない。しかし最後に中野刑事が挙手した直後、どうぞどうぞとばかりに他の刑事たちは辞退した。まるでコントだ。新津(にいつ)署の刑事らは本部の刑事に見せ場を譲ったのだし、本部の他の刑事らは若く格闘技経験も豊富な中野なら任せられると判断したのだろう。しかし、いざ屋上の際に中野刑事を立たせてみると、これだった。


 未だ躊躇する中野刑事。ちらと下を見下ろす。命綱をしているとはいえ、真下には万が一を考慮し、飛び降りの救助の要領で数名がシーツの端を持って広げている。病院のベッドシーツを数枚借りて作った救命具だが、屋上の高さから落下してくる中野刑事の体をあんなもので受け止めきれるかは疑問だ。真下は植え込みのため、何人かは無理な体勢でシーツを掴んでおり、いざ落下してきた体の衝撃に耐えきれず、手を離してしまいそうで危うい。シーツを掴むひとりに鑑識員の須賀がいる。楽しそうにニヤニヤと笑顔を浮かべているのがここからも分かる。


「お前! しっかり持ってろよ! もし俺が落ちても絶対受け止めろよ! 絶対離すなよ!」


 中野刑事が下に向かって叫ぶと、


「え? 何? それは〈振り〉なの?」


 下から須賀が返した。


「てめえふざけんじゃねえよ!」

「さっさと行かんかー!」


 城島警部の一喝で中野刑事は覚悟を決めたか、シーツを強く握りしめ、壁を伝って下り始めた。丸柴刑事もストップウォッチのスイッチを押した。



 中野刑事は手すりを乗り越えるや、屋上床に倒れ込み大の字になった。顔中汗まみれだ。


「まだだ中野、シーツを解く作業が残っている」


 城島警部の声で中野刑事は起き上がり、手すりに結ばれたシーツを解きにかかる。苦戦している。レスキュー隊のような離れ業をやってのけた直後の疲労に加え、中野刑事の体重を受け続けた結び目はきつく締まり、容易には解けそうにない。やっとの思いで手すりからシーツを解くとすぐさまシーツ同士の結び目を解く作業に移る。シーツは三枚とも解かれた状態で見つかったため、そこまで再現しなくてはならない。ようやく全てのシーツをばらし、段ボール箱に詰めた。


「三分二十四秒」


 丸柴刑事がストップウォッチを止めた。


「ご苦労だったな、中野」


 城島警部がいつの間に用意していたのか、ペットボトルのスポーツドリンクを差し出す。


「ど、どうでしたか……」


 中野刑事はスポーツドリンクを一気に半分以上飲み干し、トライの結果を尋ねる。

 中野刑事の犯行再現トライは実は二度目だ。最初に病室に侵入した際にアクシデントがあった。繋いだシーツをそのまま窓の外に垂らしたままで病室に入った際、風でシーツが窓から手の届かない位置まで吹き流されてしまったのだ。風が止むのを待ったが、三十秒近くかかり、タイムロスになるためやり直した。二回目のトライでは、病室に入る際、窓にシーツを挟んでおくことで対応した。


「三分半か、最初にシーツを設置するのに一分かかったとして、四分半。部屋まで下りて、屋上まで戻ってくる実作業の時間は?」

「約一分強ですね。結び目を解く時間のほうが長くかかりましたね」


 城島警部と丸柴刑事が再現の総括をしている。


「本当はシーツを解いたりしないで、さっさと逃げ出したいところだけどな」

「でも実際にシーツは解かれて段ボール箱に入れられた状態で発見されましたからね。少しでも犯行手口の発覚を遅らせようと考えたんでしょうか。屋上の手すりにシーツが結んであったらバレバレですからね」

「いや、実際すぐに手口は露見してしまっている。いくら段ボール箱に詰めてシーツを目に付かないようにしたとはいえ、こんな無造作に置いておいたんじゃな。発見されるのは時間の問題だ」

「理真はどう思う?」


 丸柴刑事は理真に振った。一連の流れを無言で見ていた理真は、うーん、と唸ってから口を開いた。


「相当な博打よね。これは」

「どういうこと?」

「病室の窓が施錠されていたら終わりよ」

「あ」

「ガラスを割って侵入しようにも、そんな音を立てたらドアの前で見張りについている刑事に聞かれてしまうわ。何より先に、保さんに気づかれなかったのかしら。見張りの刑事さんは、物音は何もしなかったと言っていたわ。突然窓の上から垂れてきたシーツ、それを伝って下りてくる犯人、あまつさえ窓から侵入してくる。そんな状況を目撃して保さんが声ひとつあげないなんて考えられない」

「保さん、眠ってたんじゃない?」

「それこそ博打第二弾よ。窓が施錠されていなくて、保さんが眠っている。この二重の博打に犯人は勝たないといけないのよ。リスキーすぎるわ。不可能犯罪において、犯人がギャンブルを行うことはままあるけれど、こんな勝算の低いギャンブルにはまず手を出さないわ」

「どこかから窓に鍵が掛かっていなくて、保さんも眠っているのを確認してから犯行に及んだのかも」


 丸柴刑事が言うと、病室の見張り担当だった相田(あいだ)刑事が一歩進み出て発言の許可を申し出た。


「私は医師の診察の際、何度か病室に入ったのですが、時坂さんは、明るいうちはずっと窓を開けていました。病院の空気が苦手だとかで。それを知っている人間であれば、窓の施錠の問題はクリアできると思います」


 そう言われてみれば、私たちが話を聞きに行ったとき、丸柴刑事が窓を閉めようとして保に止められていたのを思い出した。


「そうですね。窓が開いているのは、外から確認しても分かりますしね……」理真も納得したようなことを言う。「でも、窓から離れた位置のベッドにいる保さんが眠っているかを調べるのは無理よ。病室と同じ高さから、双眼鏡でも使って見てみないことには。病院の周辺には、五階と同じ高さの建物はないわ。保さんが眠っているかを調べるには、実際に病室に入ってみないと分からない」

「保さんはトイレに行っていたというのは? その隙に犯人は忍び込んで、ベッドの下に隠れていた」


 丸柴刑事が閃いたように言った。


「どうですか、相田さん」


 理真の呼びかけに、相田刑事は手帳を開き、


「時坂さんが最後にトイレに立ったのは十時五十分ですね。ですが、保さんはまだひとりでは歩くことはおろか、満足に立ち上がることも出来ない状態でした。トイレの時は看護師を呼び、体を支えられながら歩いていました。その間、病室のドアは開けたまま、私は廊下と病室内を見ながら番をしていたんです。ですから、犯人がその間に窓から侵入したとは考えられません」

「そうだったんですか。しかも、十時五十分といえば、犯人は万代シティで電話を掛ける直前の時刻ね。病院にいるわけがないわ。……ということは」


 丸柴刑事は理真に結論を促す。


「この方法で侵入したというのは、ちょっと疑問が……」

「そ、そんな……俺の苦労は……」


 体力が回復したのか、起き上がりかけた中野刑事だったが、再び倒れ込んでしまった。


「それじゃあ、これは?」


 と丸柴刑事はシーツを手に取った。


「一度さっきやったように本当に結んですぐに解いたものを置いておいたのかも。病室への侵入方法を錯誤させるために用意された、ニセの手掛かりの可能性が高いわ。それとまだあるわ。警部、捜査本部はこの事件の犯人も、相模健(さがみたける)だと考えているんですか」


 城島警部は頷いた。


「でしたら、完全にこの方法は不可能と言っていいと思います。私たちが今日聞いてきたのですが、相模は運動はまったく駄目で、体力は人並み以下だということです。そんな人物にこのアクロバティックな侵入が可能でしょうか? 屈強な中野刑事でもこれほど苦労したというのに」

「しかしですね」中野刑事が立ち上がり、「ドアの前には相田刑事が離れることなく見張りについていたんですよ。窓から以外に、今俺がやった方法以外に病室に侵入して再び脱出する手がありますか? 五階まで届く梯子なんてありませんよ。あったとしても、そんなものを持ち出したら誰かの目に付かないはずがない」


 中野刑事が珍しく息巻いて反論する。自分の決死の犯行再現を無駄にしたくない気持ちがあるのだろう。


「付け加えるが」と城島警部が、「保の部屋の左右隣室にはずっと患者がいた。どちらも個室だが、十一時四十五分頃に昼食が配膳されてから、一度もベッドを離れていないそうだ。うち片方は見舞客もいた。どちらも怪しい人物が入ってきたようなことはないと証言している」


 隣室から侵入という線はないということか。


「犯人はドアから堂々と入ったのかもしれないわ」と理真。

「今日病室に入ったのは、医師、看護師の他は見張りの相田刑事と、お見舞いに来た藍子(あいこ)ちゃんとお手伝いさんだけですよ? まさか藍子ちゃんが犯人だって言うんですか?」


 中野刑事の言を受けて丸柴刑事も、


「時間が合わないわ。藍子ちゃんがお見舞いに来たのは十時、保さんの死亡推定時刻は十二時から十二時半よ、二時間以上も時間差がある」


 刑事二人で藍子を庇う発言をする。そんなことは分かっている、藍子が犯人であるはずがない……。


「落ち着いてよ二人とも」理真はなだめるように両手を前に向け、「藍子ちゃんが犯人だなんて言ってないじゃない。何か見落としがあるはず。だいたい、犯人が保さん殺害手段に使ったのが毒だというのが解せないわ。犯人がこの方法で室内に侵入したのなら、保さんは眠っていたはずよね。ナイフか何かで心臓をひと突きで事は済むわ。なぜ毒殺? 眠っている人間に毒を飲ませるなんて、難しいと思うけど。中野さんはさっき下に下りて、室内でも犯行の再現をしたんですよね。保さん殺害の動作をどんな風に行いましたか?」

「ポケットから毒が入っているという設定の瓶を取り出して、ベッドに寝ていた保さん役の警官を仰向けにして口を開かせ、中身を流し込むふりをしました」

「それでドアの外にいる刑事に全く気付かれずに殺せるでしょうか? 毒の種類にもよるでしょうけれど、保さんはベッドのリクライニングを四十五度程度起こした状態だったんですよね。その状態で口を開いて何かを口内に入れるとなると、真っ先に舌に触れます。味に刺激のある青酸カリなんかだったら、すぐに飛び起きてしまうと思うのですが」

「しかし、保さんが毒殺されてしまったのは事実なんですよ。一体どうやって殺したっていうんですか。室内に入りもしないで、物音ひとつ立てないで、まるで超能力者です」


 中野刑事も言ってから、あっ、と思ったのか、さっきまでの体を動かしたあとの汗とは異質の汗が頬を伝った。丸柴刑事と城島警部を始め、刑事たちの表情も一様に強ばった。

 淀んだ空気を払うように、理真が口を開く。


「今、何に毒が混入されていたかも調べているんですよね。推理するのは出来る限りの材料が揃ってからにしましょう」


 鑑識の結果を待ってから、改めて殺害手段の捜査をやり直そう。そんな趣旨の言葉を城島警部が言って、ひとまずこの場は解散となった。院内の捜査、周辺への聞き込みなど、各自の持ち場へと刑事たちは散っていった。


 屋上を出る間際に理真が城島警部を呼び止め、保殺害の報を藍子や西根(にしね)家に知らせたかと質した。死亡確認の後、午後一時過ぎに城島警部自ら電話したということだった。まず時坂家に電話をしたが、お手伝いさんしかおらず、藍子には携帯電話で知らせた。西根家への電話は佐枝子(さえこ)が出て、彼女の口から樹実彦(きみひこ)勝巳(かつみ)友美(ともみ)へ知らされたはずだという。

 屋上から刑事たちの姿が消え、私と理真の二人だけとなった。


「私、他人の推理を否定してばっかりで、何の突破口も見いだせてないね」


 自嘲気味に理真が微笑む。


「なに弱気になってるの。探偵が諦めたら駄目だよ」

「犯人が相模だったら、じきに逮捕されるわ。ここまで特定された個人が警察の組織力から逃れられるとは思えないもの。最初から私の出番はなかったのかもね」

「でも相模にこの犯行は無理って、たった今理真が推理したじゃない」

「失踪してから体を鍛えたのかも。それに何が何でも保さんに復讐するという鉄の意志があれば、さっきのアクロバットだって出来るんじゃない。窓の施錠と保さんが眠っていたのも、相模が賭けに勝ったのよ。物音ひとつ立てずに毒殺する方法だって、全くないわけじゃないと思う」

「理真……」

「それとも、賭けをするまでもなく、どこかから窓の施錠と保さんが眠っていることを確実に知る方法が何かあったのかも。まあ、今は鑑識の結果待ちね。ところで由宇(ゆう)、今度の殺人も見立てだと思う?」

「え、『サイキ大戦キリン』の? うーん、分からないな。遠隔で人を毒殺する敵なんて出てこなかったと思うけど……」


 私はあれから『サイキ大戦キリン~コンプリートファイル~』に目を通して、ゲームの内容をおさらいした。だから、あのゲームについての大抵の質問には答えられる。


「路地裏で背後から人を刺すような場面もなかった?」

「保さんが最初に襲われた事件だね。うん、そんなのも記憶にない。警視庁の田町(たまち)刑事は、見立ては最初の一回で十分だったから、と推理してたけど。理真は見立てにも否定的だったね」

「そうね。頭ごなしに否定するわけじゃないんだけど」


 理真は手すりに肘を乗せた。一陣の風が吹き付け、長い髪を揺らす。


「事件の形が全然見えてこないわ。何か大きな錯誤をしてるんじゃないかしら、私たち」

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