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第13章 相模健という男

 翌日曜日。朝八時発上り新幹線MAXとき二階自由席の三列シートに私たちは座った。


丸姉(まるねえ)、今日のスケジュールは?」


 さっそく駅の売店で買い込んだお菓子を広げる理真(りま)。レジャーで行くんじゃないぞ。


「東京駅に着いたら錦糸町(きんしちょう)駅へ行くわ。十一時に駅近くの喫茶店で相模(さがみ)が所属していた会社の人と待ち合わせて話を聞かせてもらうの。総武線一本で行くよりは、山手線で秋葉原から乗り換えたほうが早いかもね」

「そういえば日曜日なのに大丈夫なの?」


 そうだ、今日は日曜日なのだ。曜日感覚のない仕事に就いているとこれだから困る。


「うん、会社が錦糸町駅の近くなんだけれど、仕事が忙しくて土日も結構出勤してるそうよ。息抜きにちょうどいいからとか言われたわ。そのあとは相模の住んでいたアパートを見せてもらうわ。こっちももちろん大家さんにアポは取ってあるわよ。何か訊きたいことがあったら、整理しておいてね」

「うん、分かった。由宇(ゆう)のほうはどうだった?」

「調べて来たよ」私は鞄からクリップで閉じた紙束を取り出す。「相模(たける)さんに関する情報」

「さすが名助手」

「基本的な情報は当然警察で調べてるだろうし、敵わないから、ちょっと視点を変えた情報を持ってきました」

「視点を変えた?」


 丸柴(まるしば)刑事が問う。


「はい。相模健さんの手がけた作品に関する資料です。(そう)くんにも手伝ってもらったよ。もちろん事件の容疑者というのは伏せてね。相模さんって業界ではわりと知られた名前みたいよ。宗くんも知ってて、サイキ大戦キリン以外のゲームもやったことあるって」

「では、説明をお願いします」


 と理真。私はそれに答えて、


「はい。ゲームシナリオライター相模健の関わった作品は全部で五本」

「意外と少ないんだね」

「そのうち本格的に関わっているのは三本。ゲームって作るのに時間がかかるし、相模さんはまだこの仕事をするようになって五年だから、結構頑張ってるのじゃないのかな。最初に携わったのは、キャットソックスという会社から出たパソコン用ゲームソフトの『リンク』というゲーム。これは、いわゆるノベルゲームと呼ばれるもので、画面にキャラクターの絵と一緒に文章が表示されて小説を読むように進めていくタイプのゲームね。そこはゲームらしく、途中に主人公の行動を決定する選択肢が出てきて、選んだ選択肢によって先のストーリーが変わるという要素もあるわ。相模さんはこのゲームでシナリオの校正のような仕事をしたの。大学の文学部を出たけれど、職を転々としていた彼に、アルバイトとして知り合いが紹介した仕事だそうよ。その次に同じ会社から出た『リンクアフター』聞いての通り、『リンク』の続編なんだけど、ここでも校正の仕事をするうち、自分でもゲームのシナリオを書いてみたくなったそうね。元々作家志望だったんだって。それで、じゃあ次の作品で一本書いてみるかと」

「いきなり作品を一本任されたの?」

「ううん、違うの。この手のゲームって、数人のメインキャラクターがいるの。最初主人公は全員と関わってるんだけど、ゲームを進めていくうちに、分岐によってそれぞれのキャラクターをメインにしたストーリーに絞られていくのがセオリーなんだって。相模さんはその中のひとりのシナリオを任されたそうよ。その相模健デビュー作が『フーズウィッシュ』このゲームの五人いるキャラクターの中のひとりのシナリオを書いたの」

「今まで出てきた三本とも聞かないタイトルね。私がゲームやらないから当たり前なのかもしれないけど、有名なゲームなの?」

「聞いたことなくて当然です。これら三本は、もともとパソコン用十八歳未満禁止ソフト、いわゆるエッチなゲームだからです」

「まあ! ……ちょっと待って。そのゲームを宗がやったことあるって?」

「……パソコンで出たあと、エッチな部分を省いて家庭用ゲーム機にも移植されたんだって。それで知ってたんじゃないかな」

「怪しいな。帰ったら尋問する。続けて」

「う、うん。そのデビュー作『フーズウィッシュ』で書いたシナリオが結構ゲームファンの中で話題になって、気をよくした会社と本人は、さっそく次回作の制作に取りかかろうとしたんだけれど、ここで会社社長から待ったが掛かったの」

「会社って、さっき言ってたキャットソックスのね?」

「うん。社長も相模さんの次回作を作るのにやぶさかじゃなかったんだけれど、どうも社長の趣味に合わなかったらしいのね、相模さんの作風が」

「作風?」

「『フーズウィッシュ』には五人のメインキャラクターがいて、まあ全員女の子なんだけど、ヒロインって呼ぶんだって。辛い目に遭いながらも主人公の青年との交流を通して最後に感動的な結末を迎える、というのが、全員のシナリオのパターンなんだけど」

「相模さんの担当したシナリオはそうでなかった?」

「まあね。ヒロインの女の子が最後に主人公と一緒に死んでしまうという。他にもヒロインが行方不明になるとか、ぼかした表現の結末を迎えるシナリオもあるんだけど、相模さんの書いた話は、モロ死んでしまうと。しかも内容が全編通して暗いと。他のシナリオは適度にギャグを挟んだり、ほのぼのするシーンがあったりと、メリハリ付けているんだけど、そこのところが社長のお気に召さなかったらしいのね。おまけに最後主人公まで殺してしまったら続編作れないだろ、と」

「確かに」

「で、社長からね、もっと明るい大衆向けの話も書けるように他の会社に行って勉強してこいと命令が出てね。キャットソックスはパソコン用ソフトとか、大手の下請けでゲームを制作してる小さな会社なんだけど、社長っていうのが昔大手ゲーム会社にいて、結構ヒット作を飛ばした人なんだって。でも、本当に自分の好きなゲームを作りたいって独立してキャットソックスを立ち上げた人でね。その自分が昔いた会社に相模さんを入れたの。ここは老舗の大きな会社だよ、ビーサイクルっていう、私も知ってるようなゲームを出してるところ。ここで相模さんは、『特警機(とっけいき)ガンブロウ』っていうゲームのシナリオ部分を担当したの。これはキャットソックスにいたころのものとは百八十度違って、ロボットを操って敵と戦うアクションゲーム。もちろんパソコン用じゃなくて、家庭用ゲーム機のソフト。これも評判がよくて、しかも特に喧伝したわけじゃなかったけど、あの『フーズウィッシュ』の相模健がシナリオを書いてるぞと、ファンの間で広まって、普段こういうゲームをやらない層も買い求めたんだって」

「すごいね。ゲームもライターにファンが付くとかあるんだ」

「うん、社長の趣味には合わなかったけど、『フーズウィッシュ』の相模さん担当シナリオは、インパクトのある内容で、マニアの間では評価が高かったみたい。で、当時、大手ビーサイクルはロールプレイングゲームの企画を考えていて、ロールプレイングゲームって知ってるよね、『ドラゴンクエスト』みたいなやつだよ。社内からシナリオを相模さんに書かせては? という意見が出たの」

「その、ガンなんとかがそれほどヒットしたの?」

「出荷本数は目玉が飛び出るような大ヒットってのじゃなかったけど、ほとんど宣伝をしなかったゲームなのね。それが口コミで広まって買い求められていったから、宣伝費を全然掛けなかったわりに多く長く売れたって、要は儲かったゲームというので会社の印象はすごくよかったんだって。それを本人に話したら、相模さんも乗り気で、シナリオだけじゃなく、ゲームのシステムを決めるところから参加させてほしいと、かなりのやる気を見せたので、会社もゲーム制作にゴーサインを出したの。そこへキャットソックスの社長が来てね。そのゲームの制作下請けをうちにやらせてほしいと。ビーサイクルにしても、もともと下請けに出すつもりでいたし、社長が元社員、相模さんの伝手(つて)もあるということで、すんなり下請けに決まったの」

「じゃあ、そのゲームっていうのが」

「そう、『サイキ大戦キリン』」

「ロールプレイングゲームって言ってたけど、ドラクエとは全然違うよね」

「そうだね。ドラクエを始め、ロールプレイングゲームは中世ヨーロッパ風のファンタジー世界を舞台にしたものが多いけど、『サイキ大戦キリン』は現代日本が舞台なの。ある日突然超能力に目覚めた主人公、西条麒麟(さいじょうきりん)が同じく超能力を使う仲間を集めて悪と戦うという内容。相模はこのゲームに相当力を入れていて、さっきも言った通り、ゲームのシステムから、キャラクターデザインまで自分の意見を入れて作ったそうよ。その『サイキ大戦キリン』完成を経て、相模は元所属のキャットソックスに復帰したの」

「それだけ思い入れもあり、見立て殺人のモチーフに使うには十分な理由がある、か」


 ゲームの話から一気に現実の殺人事件に心を引き戻された。そう、これは殺人事件の捜査なのだ。



 定刻通り東京駅に着き、駅構内の店で早めの昼食を済ませた。

 しかし東京駅に来るたびに思うが、ここは改札を抜けた構内なのだ、言ってみれば切符を買って電車に乗る人だけが居られる場所だ。それなのにこれだけの店が軒を連ねており、また商売が成り立っているというのが凄い。駅構内に限らず、大都会東京の威容はいつも私を圧倒する。駅、街、人、すべてのスケールが私の住んでいる新潟とは比べ物にならない。人も金も物も、すべては東京に集まり、東京から発信される。東京は日本の中心ではなく、東京こそが日本なのだと思い知らされる。


 錦糸町までは、丸柴刑事の言った通り、山手線で秋葉原駅まで行き、総武線に乗り換えたほうが早いと判断された。錦糸町駅近くの待ち合わせた喫茶店に入りウエイターに話をすると、すでに相手は到着して奥の席で待っているという。一番奥のボックス席にいたのは、二十代後半くらいの二人の男性だった。


「初めまして、私、キャットソックスの池上(いけがみ)と申します」


 そつのない動作で名刺を渡される。こちらの方が年上で上司のようだ。清潔感のある短髪に薄い青のシャツ、グレーのスラックス、日曜日だというのに割合きちんとした服装だ。

 もうひとりは小宮山(こみやま)と名乗った。こちらはTシャツにデニムのパンツというラフな出で立ちだ。名刺には池上が常務、小宮山は係長とある。

 私たちも自己紹介する。名刺を出したのは丸柴刑事だけで、理真は探偵、私はその助手とだけ名乗った。


「申し訳ありません、日曜日にお呼びだてして」と丸柴刑事が話を切り出す。

「いえ、日曜関係なく仕事ですから、お気になさらないで下さい。会社もここから歩いて五分程度の場所にあるので。こちらも警察の方や探偵の方とお話できるなんて、滅多にないことですから、何か作品のネタにできることがあるんじゃないかという下心もあります。それにしても、刑事さんが女性だとは伺っていましたが、大変な美人で、しかも探偵さんもその助手さんもこんな美人の女性だなんて、うれしい誤算でしたよ」


 池上、こいつ口がうまいな。


「池上さん、今はそういう発言、セクハラになるんですよ」


 と横から小宮山が突っ込む。よいよい。美人と言われて腹を立てる女性がいるものか。


「別の下心が出そうですね」


 余計な一言を言って小宮山は池上に頭を殴られていた。お前のほうがセクハラだよ。 

 私たちの注文したコーヒーが運ばれてきたのを合図に、丸柴刑事の質問が始まった。答えるのは池上だ。


「お電話でもお話しましたが、相模健さんのことについて伺いたいのですが。どんな人物でしたか」

「おとなしい奴でしたね。最初にうちのソフトのテキスト校正として雇ったんです。友人から作家崩れのフリーターがいるんだが、何か仕事はないかと紹介されてね。文章に強いんならとやらせてみたら、よく働いてくれて。校正作業だけじゃなくて、しっかりテキストも読み込んで、うちのライターが知らない慣用句表現とか教えてくれたりね。真面目なやつでしたよ。まったく、今頃どこで何をやってるんだか」

「相模さんがいなくなる際に、何か兆候のようなものは見受けられましたか? 様子がおかしいとか」

「特には何もなかったと思いますよ。小宮山は何か気づいたことあったか?」


 上司から話を振られた小宮山は、


「さあ、あんまり自分から喋りかけるやつじゃなかったですからね。ああ、仕事のペースが早まったようには感じましたね。自分の手がけてるパートをいつまで仕上げればいいかって、頻りに気にしてました」

「相模さんの手がけた『サイキ大戦キリン』について伺いたいのですが、あれは相模さんにとって特別なゲームだったんでしょうか」

「ああ、そうだと思いますよ」答え手は再び池上に戻っている。「多少のヘルプは入りましたけど、ほとんどひとりで膨大なテキストを書き上げましたからね。会社としても気合いの入った作品でしたよ。今時据置ゲーム機でオンライン要素のないスタンドアロンのRPGなんて時代錯誤ものですけどね。うちの社長の夢だったんですよ。大作RPG作るのが」


 ここで丸柴刑事から質問が入り、スタンドアロンとはインターネット接続を介さない昔ながらのひとりで遊ぶタイプのゲームということ、RPGとはロールプレイングゲームの略称ということが説明された。


「うちの社長、大見得切ってビーサイクル飛び出したのはいいけど、最初はパソコン用のノベルゲームくらいしか作る規模がなくてね。ああいった(たぐ)いが一番お金掛からないから。……あ、うちのゲーム、ご存じです?」


 池上が急にかしこまった。存じあげてますよ、と丸柴刑事。エッチなゲームですよね、とは言わなかった。


「今はもうあんまり作ってませんよ。大手の下請けがメインです」

「池上さん、何をそんなに卑下してるんですか! エロゲーだって立派なゲームですよ。特にうちのはエロなしでもシナリオで十分勝負できるクオリティだと自負していますよ。現にエロ抜きのコンシューマ版だってヒットしたじゃないですか!」


 突然、小宮山が持論を池上に浴びせた。誇りを持ってゲーム作ってるのは分かったよ。誰もそんな責めたりしてないよ。エロゲーって何? エロいゲームの略称? 真っ昼間の喫茶店でそんなにエロエロ叫ばなくても。ほら、ウエイトレスが見てるよ。


「落ち着け小宮山。俺だってそんなつもりで言ったんじゃない。ま、まあ、そんなこんなで少しずつ実績を重ねて、ビーサイクルからRPGの下請け取ってきたんだから、うちの社長も大したものですよ。今になって考えると、相模の才能を見抜いてビーサイクルに送り込んだんでしょうね。こうなることを想定して」

「ゲームはヒットしたんですよね」

「ええ、おかげさまで。ネットゲーム全盛の今の時代でも、やっぱりひとりで遊ぶRPGの需要はあるんですよ。テレビの前に座って、ゲーム機の電源を入れて、画面に映し出されるタイトル。コントローラーを握って、さあ、これからひとりの世界にどっぷり漬かって遊ぶぞというあの高揚感はネットゲームや携帯ゲームじゃ味わえないです。休日の前夜だったら最高ですよね。相模も喜んでね。次回作も頑張るって張り切ってたのに、何があったんだか……」

「相模さんが失踪した状況を教えてもらえますか」

「まったく突然ですよ。ある日出社すると、直接の上司である私の机に封筒が載せてあって。中身は相模の書いた退職願ですよ。前の日、あいつひとりで遅くまで残業してたから、帰り際に置いていったんでしょうね。アパートももう引き払っていました。預けていた会社の鍵は後日郵送で届けられましたよ」

「ご家族はいなかったんですか?」

「ええ、両親は学生のころに病気で亡くなっていて、兄弟もいませんでしたから。親の残した財産とバイト代で大学に通っていたそうです。両親の実家は長野って言ってたな。祖父母が長野に今もいるのかは分かりません」

「失踪した理由も、どこへ行ったかも見当がつかないんですね」

「ええ。まあ、会社として助かったのは、今作ってるゲームのあいつの担当部分だけは仕上げていったということですね。今から思えば、さっき小宮山も言った通り、締め切りはまだ先なのに、急にピッチを上げて仕事をしだしてましたね。もう失踪することを考えて仕事だけは終わらせていこうと思っていたのかも」

「それはどれくらいの時期からでした?」

「うーん、いなくなる二週間前くらいからだったかな」


 相模に健康診断の血液検査結果が知らされた頃だ。


「相模が何かやったんですか?」


 神妙な表情になった池上から、丸柴刑事が逆に質問を受けた。


「ごめんなさい、その辺の事情はお話できないの」

「あ」と小宮山が声を上げ、「最近新潟で不可能犯罪が起きましたよね。もしかしてそれですか? 新潟県警の刑事さんだっていうから」

「相模が不可能犯罪?」池上も目を丸くする。

「私の口からは何も言えないから、察して下さいね。理真は何かある?」

「そうね……」と理真が考えたとき、

「……安堂(あんどう)理真さんて、作家さんですよね? どこかで聞いたことあると思った」小宮山が理真の正体に気づいたらしい。「作家で探偵、しかも美人! ワトソン役も相棒の刑事も美人揃いですか。これはいいネタになります。うちでゲーム化しませんか? 大丈夫です。エロゲーにはしませんから! いや、皆さんさえよければ、それはもう!」


 お前はまだ仕事の途中だろ、と、小宮山は池上に帰されてしまった。



「これが相模の履歴書です」


 池上が一枚の履歴書を出す。同時にテーブルの上には、相模が会社に残していった私物が並べられた。筆記用具、メモ帳、ガム等の駄菓子もあった。理真が了承を得てメモ帳をめくる。手袋をするのを忘れない。私も横から覗き込むと、打ち合わせ予定、シナリオのネタのようなもの、雑多な書き込みがされていた。お預かりしても? の丸柴刑事の要望に池上は了承した。相模の指紋を採るためだろう、丸柴刑事は用意してきたビニール袋にそれらを詰めた。


 改めて履歴書に目を落とす。そこに貼り付けられていた写真で、私たちは初めて相模健の顔を知った。肩にかかるくらいまで伸ばした髪に、痩せた顔立ちは、いかにも文学青年の印象を与える。目鼻立ちも整っており、とびきりのハンサムというほどではないが、安心感を与えるタイプだ。長野県内の小学校卒業とある。田舎が長野というのに間違いはないらしい。中学校の途中で東京都内に転校している。それからは大学までずっと東京だ。趣味は読書としか書かれていない。志望動機などは空欄だ。キャットソックスには、ほとんど縁故採用で入ったようなもののため、形だけの履歴書なのだろう。


「この写真は何年くらい前のものですか?」理真が尋ねた。

「ここに入ったときだから、約五年前ですかね。でも今とほとんど変わりませんよ。一番新しいものはこれですね。去年沖縄に社員旅行に行ったときのものです。うちの女性社員が、のべつまくなしに撮りまくってた中に写っていました」


 そう言って数枚のL版写真を出した。海岸、ホテルのロビー、首里城(しゅりじょう)などで撮られた写真の中に相模が写っている。なるほど、履歴書の写真とほとんど、髪型まで変わらない。どれも数名の男女と一緒のものばかりで、相模単独で写っている写真はなかった。


「相模さんの身長はどのくらいでしたか?」

「百七十センチくらいでしょう。私が百七十ちょうどで、同じくらいの背丈でしたから」

「体力はあったほうでしょうか? 何かスポーツをやっていたとか聞いていますか?」

「いや、ずっと図書委員とか文芸部だったそうです。彼、体を使うことに関しては、からきし駄目でした。彼がビーサイクルに出向するとき、必要な資料を持っていくため段ボールに入れた書類を運んだんですけど、会社の中から表に駐車した車まで、段ボール一箱運んだだけでへばってましたからね。距離にして十メートルもなかったのにですよ」


 先ほどの社員旅行の写真でも、半袖の開襟シャツから覗く腕は細く白かった。私でも腕相撲をしたら勝てそうである。

 理真はもう聞きたいことはないということだったので、礼を言って私たちは喫茶店を出て別れた。帰り際にキャットソックスのパンフレットだの、ゲームのグッズだのをお土産にいただいた。半裸の美少女キャラクターが描かれた紙袋に入れてもらったが、私はそれを無理矢理自分の鞄に詰めた。宗のお土産にしよう。

 その足で相模が住んでいたアパートへ向かうことにする。場所は錦糸町から一駅の亀戸(かめいど)駅近くだ。



 相模の住んでいたアパートは亀戸駅から徒歩十分の立地だった。亀戸駅からの道すがら丸柴刑事が大家に電話しておいたため、到着するなりすぐに部屋に通された。物件は1Kの風呂なし。ここの住人は近くの銭湯を利用するという。当然部屋は空っぽ。大家の話によれば、部屋を引き払う際リサイクル業者が来て、家具調度の類はほとんど持っていってもらい金に換えたようだという。引っ越し先などは口にしていなかった。一応私たち三人で押し入れや台所の作り付けの戸棚などを調べたが、なにも発見できなかった。


 相模から解約の申し出があったのは二ヶ月くらい前。失踪した時期を考えるに、アパートを引き払ったあとも会社に通っていた期間があるため、その間はビジネスホテル等を利用していた可能性がある。近所付き合いはほとんどなかったが、顔を会わせたら挨拶を交わす、おとなしい青年だったという。苦情が来ることも出すこともなく、ゴミ出しのマナーなども遵守する優良店子だったようで、退去してしまったことを惜しんでいた。同じ管理人としてその気持ちはよく分かる。


「あとで鑑識が正式に色々調べるんだけど――」


 丸柴刑事がそこまで口にしたとき、携帯電話のメロディーが鳴った。着信音1でもダッタン人の踊りでもない、丸柴刑事のものだ。ちょっとごめん、と丸柴刑事は携帯電話を取り出し耳に当てる。


「はい、丸柴です……えっ? そんな……はい、はい。……分かりました……」


 閑静な住宅街とはいえ、さすがに携帯電話のスピーカーからの声は聞こえない。通話を終えた丸柴刑事は、神妙な表情で携帯電話を懐に戻した。


「丸姉?」そのただならぬ気配を察したのか、理真がそっと声を掛ける。

「……やられたわ。時坂保(ときさかたもつ)が、殺された」

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