カルテ6:東の街
朝露が草の葉先を垂れる頃、薄暗い空を一台のバイクが走り抜ける。
「そろそろ路上走行でも良いかな」
『キィイイイイイイ――』
バイクから降りた二人は今から数十分前に高速を出てエレオスブルグの東端の街へと来ていた。
田舎っぽい農道と小さな商業地帯の風景が交互に切り替わるだけで、特に変わり映えの無い公道に杏里の付添で貫徹をしているマギアスの疑問は深まる一方である。
『カチャカチャ・・』
「もっと最新型のやつならボタン一つで脱着可能なのにね!でもこの味のある感じが良いんだよ」
寝不足で目を擦るマギアスとは裏腹に杏里の表情は徹夜を感じさせない程に明るい。矢沢先生からはよく精神疾患と勘違いされるが、素で元気なだけである。鼻歌を歌いながら近くのコンビニの駐車場でタイヤを取り付ける姿に迷いは無い。
「・・あのぉ、今更ですけど・・こんなに遠くまで来る意味って何かあったんですか?」
「ンフフ、もうすぐわかるよ」
ワクワクとした発音で杏里が何かを企んでいる。素早くタイヤを取り付けて作業を終わらせると空を見上げた。
「私は夜が明ける直前くらいのこの空や空気が大好きなんだ・・って言っても普段は寝てる時間だけど」
笑ってごまかしながら軍手をしまい終えて振り返る。
「・・空ですか・・・」
マギアスも同じ空を見上げていた。
真っ暗だった空は薄暗い濃紺へと変化し、トラックや一般車両が数台だけ通るだけの静かな道路に舞う空気は冷えている分、鮮明に時の流れを描写する。
「さて、もうすぐ着くから行こう!」
「あ、はい・・うっ」
自律神経失調症の症状が出たのか、頭痛薬を頬張ると再び眠そうな目を擦りバイクに飛び乗った。
ファミレスやアパレルショップが立ち並ぶ平凡な片側一車線の国道を走らせていると小さな曲がり角に入り、急に上り坂が訪れた。すると道は更に狭くなり、車2台横切るのも危うい細道と化して連なった古い民家が二人をどんどん挟もうとする。
「・・ちょ、狭くないですか?ちゃんと間隔取ってくださいね・・あ、ホラっ右に寄りすぎです!」
「あ、ふぁい!ふぁいふぁふぁい!・・右に左で・・俺がアイツであいつが俺で・・」
神経質なマギアスのナビゲートにキャパを越えてしまった杏里はグネグネと蛇行運転を繰り広げながら、上へ上へと早朝の小道を進んで行くと、だんだん上部に光が見えてきた。
「マギアスさん、もうすぐ巓だよ!苦難の末に登頂成功した人類は・・ごちゃ・・ごちゃ・・」
「・・あぁ、朝からこの人は・・でも、何だろう・・頂上に近づくにつれて匂いが変わりました?」
「わかる!ジャスミン的な感じのやつでしょ?」
「いえ、全く違います」
「なにぬねの!!?私は貴方をそんな子に育てた覚えはありません!!」
「貴方みたいなマッドナースを親に持った覚えはありません!何か塩というか磯?」
真相を確かめる前に疑問に覆いかぶさる様な巨大な塀が左右から現れ一体を囲む。一直線にレイアウトが取られているコンクリートの壁に沿って進むと高速道路の料金場の様な小さな関所が構えていた。そこにバイクを着けると中から中年のおじさんが顔出して来た。
「何?お姉ちゃんたち、こんな朝早くから海を見に来たの?」
「そう!モチーベションは常に100越えているからね!」
「おい姉ちゃん、それを言うならモーチベションだろ!ガハハ」
「・・・モチベーションです」
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「何?お姉ちゃんたち、こんな朝早くから海を見に来たの?」
「そう、モチベーションは常に100を超えているからね!」
「ID見せて」
「はい!」
この時マギアスは心の中で、面白いボケが出来ずにツッコんでしまった事を酷く悔やんでいた・・。
「・・『お餅、イノベーション』・・違う、キレが無いな・・ボソ・・ボソ・・」
「え?マギアスさん・・?どうしたの??」
「いいえっ!・・何でもありませんっ!早く出してください!!」
『ドスっ』っとマギアスの握拳が杏里の背中に入る。
「ぐえっ!」
『――ブロロロロォオオオ』
急かされるように関所を潜り抜けると海風と共にカモメの声が同調した。
「もうすぐかな?」
「・・・・・・」
強くなってきた磯の匂いと共に気になる世界がすぐそこまで来ている
「あ、見えてきたよ!」
「・・・・・・・あっ」
坂の折り返し地点にて、反対側の景色が迎えに。
――――そして少女は景色と出会った
一瞥するは道路の向こう側に霞む巨大な水平線・線の奥から黄金色の太陽が昇り始めている。
「・・これが海と呼ばれるものなんですか!」
まるで未知の生物を見たような、いかにも不思議そうな声をだしてうねる波を見ていた。
「ん?マギアスさん海は初めて?」
「はい。自分の街から出たことがありません」
下り坂をバイクで走らせてガードレールすれすれの所まで幅をよせれば断崖絶壁の岩場が底深く少女の視線を招きよせた。
「うわぁ!波が集まってしぶきを上げてます」
「こういう景色ってサスペンスドラマで良く見るよね!」
「あぁ、普段その時間って勉強か訓練中なんで・・・」
「そうなんだぁ・・ドラマの中じゃ、こういう崖に犯人が追いつめられて刑事さんとトリックのMCバトルを始めるんだよ」
「嘘をつかないでください。さすがにそれが嘘だってことくらいはわかります」
杏里とのやりとりにも慣れて来たのか話の2/3は仕訳して流せるようになって来た。
「そうかぁ・・もうすぐ着くよ」
「え?」
T字路を右折し、なだらかな坂道を下ると誰も居ない砂浜に出た。
『キィイイイ――』
ワクワク感を心の内に溜めながら冷静にバイクを適当な場所に止めて、目の前に広がる巨大な海を二人で眺める。
するとマギアスは深呼吸をしてキラキラとキャラに無く子供の様に目を輝かせる。
「わぁあ・・」
「やっほぉおおおおいっ!!!」
初めての景色に感激したマギアスの隣で先に勢いよく砂浜へと走り出したのは杏里だった。
数メートル先には大海原が広がりその上を進む船の汽笛が鳴り響き、空には貨物用の飛行船がゆっくりと飛んでいる。
「マギアスさんもおいでよ!」
「はい・・」
ニーハイと靴を脱ぎ素足で波打ち際まで来ると恐る恐る波の先端に足を付けてみる。
『ザバァアアア』
「きゃぁっ!」
突然触れた冷たい水にマギアスは反射的に足を上げて急いで砂浜へと逃げた。
「アハハハ、大丈夫だよ」
「ぅぅう―――」
計算の範囲内で暮らしてきたマギアスにとって初めて経験する出来事に対しての感動と杏里に負けている悔しさがジャブジャブと心の中で波打ってしまっている。
「わ、私だって・・」
もう一度つま先を『チョンっ』と波の先端に付けてみた。
「あ、大丈夫かも・・」
もう一歩足を杏里の方へと進める。
『シャリ・・』
「え?」
足が水の中の砂に埋まり、柔らかな砂利に包まれる独特の感覚を覚えた。そこを波が通る。
「ひやぁっ!」
データを越える自然の摂理にマギアスの方程式は破綻していた。
そもそもクラス内での人間関係だって本人の計算が綻びていた結果である。
つまり計算式そのものがずれてしまっていたのだ。
ボーっと自分の足元を見つめるマギアスの手に突然触れる温かみ。
「大丈夫だよ!」
「え?」
顔を上げると自分の手を握ってニコニコと笑っている杏里の姿が目に前に。
「初めての海はどう?大丈夫でしょ!」
「・・・・・・」
すると急に黙り込んだマギアスの目が充血して赤くなってきた。
「・・私、大丈夫じゃないんです」
「んっ?」
「・・全然大丈夫じゃないんです・・ちっぽけで、無知で結局は人として何一つ完璧じゃない」
「ま、マギアスさん??どうしたの!!?」
「・・ぅう・・うわああああああん―――」
海水みたいな綺麗な涙を流し、再びキャラに無い顔を見せるマギアス。そもそもキャラという模倣を自身で作って本物との間に壁を立ててしまっていた。
理想の中に居た少女の断片は誰にでも笑顔で対応して、良い成績を取って、社会的役職でも昇格を果たした。
しかし、その理想が描いた現実には中身が無いのだ。
スカスカの笑顔を繕って見せて、紙切れにレール上の答えを模写して、誰かの指示通りの地位に就いた。
単純な話、そんな人間を見て周りは”凄い”と思っても”好き”だとは思わない。
ただ・・・
目の前の人間はその計算式の枠の外に居た
「ゆえに大丈夫なんですよ!」
「・・?」
「泣いて、怒って、たまに可愛い笑顔見せて、そのバランスがあれば完璧じゃなくても大丈夫なんです」
「可愛くないです、それに完璧じゃなきゃ・・私の居場所は!?」
「一生懸命生きてさえいれば、其処が居場所なんですよっ!」
理想像というのは案外側面は脆く崩れているアンバランスな幻想像である。
ならばマギアスの相対側に居る杏里の様に計算桁から外れて一定の輪に収まりきれないサイクルというのは実にアナログで逆に正常さで言えば理にかなっている。
「・・こんな能力を持った私にも居場所なんてあるんですか?」
「はい!在りまクリスティーナです!」
「それ誰ですか?・・」
「はい、在りまクリスティーナは・・」
「すいませんやっぱその事はどうでも良いです…ぐすん…やっぱり教室に戻ればまた独りだし、過ぎて行く毎日は全くもってノーフューチャーですよ」
「教室の中でまだぼっちでも居場所なら此処に在るじゃないですか」
そういうとニコニコ顔で自身を指さす杏里。
「・・貴方が?」
「そう、その力で私を一生懸命助けてくれたんです。私はマギアスさんに感謝してるし、優しい恩人さんと是非仲良くなりたいです」
「あの時は・・何でだろ?勝手に、今の私なら絶対出来ない・・」
「マギアスさんは自分の判断で動いて、自分の判断で此処に居るんです。あの時のマギアスさんが選んでくれた未来が今、此処に在るんですよ!」
「私が選んだ未来・・」
少女の足元には既にデジタルでも魔法でも予測しきれなかった場所が開けて居た。
「ね、超絶的においでませ!」
そういうと杏里は改めて手を差し出す。
「・・やっぱり、ダサいです」
『――ギュっ』
マギアスの中で嬉しい気持ちが憎まれ口に変わり、恥かしそうに笑みを隠しても涙と共に零れてしまう。袖で目を拭きながら杏里の手を取った。
「これでもうマギアスさんは独りじゃないでしょ?」
杏里の言葉に心臓の辺りを感情が土石流の様に詰まりそうになる。
時間と共に融かされていく心の壁、窮屈で視野を狭める疎外感を薄めていく水の音、東はそろそろ陽が昇って行く。そしたら交感神経と副交感神経は再び混乱をきたすかもしれない・・。
それでも、
「頭が痛い」と相談できる人が居て、「一人が好きなくせに本当は孤独が恐い」とわがままを言える。
混乱した自分をニコニコと笑って受け入れてくれる人が居て、それを嬉しいと感じる今が在るなら、万物の元になる”神気”と生きるために必要な代謝の通り道である”経絡”が合わさった”神経”はその意味を成せる。
そして、神経の切り替わりにより鋭敏になって行く意識の中でマギアスはある疑問に辿り着いた。