カルテ5:気体を燃やす炎
「はぁっ・・はっ」
一歩走る事に息が上がり、心臓が激しく鼓動する。
石造りの路上に月明かりが照らされる中、少女はありったけの不安を胸に抱いて一心不乱に駆け出していた。
「どうか、無事で居てっ!」
先の見えない轍の様な夜道を踏破する願いはどんどん杏里の元へと導く。
――その頃、杏里は数百メートル程離れた道の途中で謎の武装集団に取り囲まれていた
辺りは燃え盛り近くに路上駐車されていた車へと引火すると、自動車は次々と爆発を起こして更に周りの温度を上げる。
少し遅れて訪れた杏里は難を逃れ、乗っていたエアバイクを丁寧に止めた。
『ぎゃぁああああっ―――』
ヘルメットを外して辺りを見回すと奥の方から逃げる人々の悲鳴と、警棒で殴りつけようと追いかける男達が迫ってくる。
「キャッ――」
逃げる集団の中、幼い子供の足が石段で出来た道路の繋ぎ目につまづき転んでしまった。
「うぅっ・・」
起き上がろうとする女の子の膝に出来た擦り傷は痛みと恐怖感を煽り、今にも泣きそうになっている姿が傍にいた杏里の眼光に映りこむ。
・・・・・
・・
「大丈夫だよ!はいっ!」
看護師の端くれとしてポケットに入れてあった絆創膏を貼り、安らかな笑顔で背中を摩り続けた。
「――ウチの子!」
女の子の母親と思われる人物がいきなり杏里から引き離すと、パニックを起こして脱出路と逆方向に走ろうとする。
「ダメっ、そっちは!」
「主人がまだあっちの方に」
「!!?」
幼女を抱きかかえた女は人の波に逆らって進もうとするが、警棒を持った物騒な男が立ちふさがった。
「い、嫌ぁ・・」
「逃げんなっオラァアアアッ!!」
反射的に娘を庇おうと背を向け縮こまった女へ、大柄の男は警棒を握ったまま太い腕を力の限り振り下ろそうとする。
「きゃぁああああああっ!!!」
「危ないっ!!」
『ドスンッ――』
間一髪で杏里が捨て身のタックルを入れて男を反対側の壁へ吹き飛ばす。
「早く逃げてっ!」
「あぁ・・・」
いきなりの事に母親が固まっている間に倒された男が首をブンブン振りながら起き上がった。
「痛てぇなこの女・・」
「早くっ!!!!!」
杏里に促された母子は泣きながらも素早く人混みに紛れて上手くその場を後にする。しかし男と一緒に蹲っていた杏里本人は、駆け付けた数人の男たちによって取り囲まれてしまった。
「一体全体・・車爆破のお出迎えって過激過ぎない?私の夢はかぼちゃの場所のお迎えだったのに、あれはビタミンEやβ-カロチン が豊富に含まれているから乗っても食べても二重に美味しいのよ!」
「黙れ!お前はエレオスブルグの人間だな!!?」
「だったら何だというのかな!?」
紺色の特攻服に身を包んだ男達はそれぞれ両手に警棒や火炎瓶を握りしめながら杏里を威嚇した。
逆に杏里は檻の中に閉じ込められたライオンの様に物言いたそうな上目づかいで圧迫感を保ちながら境界線を張り続ける。
「・・ってか、その服の気合の入り方はコスプレ!!?新作アニメのPR?」
「無礼者!我々は悪政から自国の土地を護るべく結成した徒党であり、崇高な愛国家である!」
怒鳴り散らす男どもの愛情とカリスマ性の自信に満ち溢れた自己紹介は燃え盛る空に響く。
彼等は簡単に言うと右翼団体と呼ばれる愛国組織。
<自国の産業、政治経済・他国に対する友好関係に対する保守的な思想主義を持った人達の事を言う。
活動内容としては一般的に自分たちの思想を街頭演説して愛国思想を訴えているが、たまに想いが強すぎて暴雨力的な破壊行為を行ってしまう輩もいる>
まるで目の前の連中の様に・・。
避難する人たちの悲鳴と燃え上がる車や街路樹を見た杏里は過去に自分が今日と同じような状態に見舞われた時の事を思い出していた。
全力で走って逃げる人々と燃える様に火の粉が上がる空、喉が焼けるような熱気、目も乾燥していつ自分が焼け死ぬんじゃないかと本能的に感じる恐怖が蘇る。
『ガシャァアアン――』
そして目の前の花屋の窓ガラスが警棒で割られる様子を見た時、落ちている花束が何の躊躇も無く踏みつけられた時、曖昧な興奮状態だった感情が怒りへと変わって行く。
「愛しているんだったら花の種の一つでも植えれば良かったんだよ!」
「あぁん?うるせぇぞ、この女ぁっ!」
『ドスッ――』
構成員の一人が脅しで警棒を振るって、見せしめの様に杏里の肩にぶつける。
「きゃっぁあ!」
衝撃でロクな受け身も取れないまま冷たい地面に手を付いた。そして振り返る杏里が見たのは情景の色が赤く反射する、歯先が鋭く尖ったナイフ。
「侮辱した事を謝罪しろ非国民!」
「・・・・・・・・嫌です」
「何!?」
「私はこんなやり方を国の在り方だとは思えません!!」
うつ伏せのまま相手を見上げ、ナイフの代わりに心の牙を必死に研ぎ澄ませていた。
「何も無いのに刃向うなんて無謀な奴」
「私にはナイフや警棒なんか無くたって糸きり歯が在れば事足りるんです!」
砂利がついたままの顔で「いぃーっ」っと口を横に開き両サイドの八重歯を見せつける。
「いつからこの国はこんなに腑抜けた!?減らぬ愚行、死んで償え!」
構えていたナイフが振りかぶられて杏里は反射的に目を瞑ると、一秒よりも短い一瞬の中で”次に生まれ変わったら伝説の楯を初期装備していたい”と願い腹をくくる。
「そのナイフを放しなさい――」
「「「????」」」
・・・・・・・・
・・・・・
――声のする方向を見ると煙景の彼方から人影が見えた。
「誰だっ!?」
「・・・・・・・」
「あの声は・・・来ちゃダメっ!逃げて!!」
『コツ・・コツ・・』
必死に庇い立てる杏里の声も虚しく、ローファーの足音はどんどん近づいてくる。
――――少女は一部始終を見ていた。
正直、巨漢の男達を見た時は逃げ出したくなって足がすくんでしまった。
けれども吹っ飛ばされてしまった杏里を見た時に頭に浮かんだのは今日一日体感した佐野杏里という存在。
『ズキン・・』
そして胸が痛んだ時、マギアスは気付いてしまったのだ。
もし、あれが見知らぬ通行人Aさんだったとしたらここまで胸は痛まなかったのかもしれない。
しかし
自分が怒鳴り散らそうが、不器用な表情で無愛想な態度を取ってもニコニコ顔という大きな器で対応してくれた人
その人が今、笑顔を失くして理不尽に殺されようとしている。
(・・・ただ、笑顔で居て欲しい)
怯んだ前足が再び進む理由などそれだけで十分であった。
――煙の奥から出て来たのはブレザー姿の華奢な女子高生――
「んだぁ?てめぇはよ!失せろ!!」
「今すぐその人から離れなさい・・」
「聞いてんのかよ!?殺すぞ」
「もう一度言う、その人から離れなさい!」
男達の言う事を聞く気など微塵も感じられず、むしろ睨みを聞かせて命令をし返す態度。
「この野郎!」
構成員の一人がマギアス目掛けて火炎瓶を投げようと素早く振りかぶった。
「ダメッ!!!」
杏里がうつ伏せのままで咄嗟に男の足に力の限りしがみつく。
「うわっ!!」
そのまま男はバランスを崩し、軌道のズレた火炎瓶は距離が伸びずにマギアスの手前で落っこちた。
『ボォオオオオオオ』
割れた火炎瓶から発火した炎は見る々内にモノトーンな路上に拡がり、マギアスの行く先を阻む。
「マギアスさん!」
「・・・・・・・」
しかし、目の前が火の海になろうともマギアスは表情一つ変えなかった。
こういう映像は魔法の訓練で慣れている。それ以上に今、踏み出している一歩は自分で決定した一歩である事が彼女をさらに奮い立たせていた。
周りの炎による熱さよりも冷え切った人間関係の寒さの方が今のマギアスにとっては辛い。此処で止まったらこの冷気から一生抜け出せなくなる事を悟り、言葉にならない感情をむき出しにして。
そして・・ブラウスの内側に手を伸ばした。
”このネックレスは魔力を制御するための装置でこの国の中で勝手に魔法を使えない様にするための拘束具みたいなもんです”
ネックレスを取り出すと強く握る。
”無理に外そうとすると手に痛みが生じるので大の男でも勝手に取る事は出来ません”
タブーを物ともせずに歩きながらネックレスのチェーンの部分を強く引っ張り出す。
”軍事で魔法を使う時だけ解除機を使わせてもらえるんですけど、その時は殺戮兵器として働く時です”
「ぐっ――」
手に鋭い痛みが走るが、それでも引っ張る手を下げはしない。
”いずれは先程の様な右翼団体なども戦う時も来るでしょう。そしたら当然怪我人や死人も出ます”
現在の痛みは違反に伴うネックレスの効果なのか?殺戮兵器となる可能性に胸が痛んでいるのか?
”大丈夫です!仮にマギアスさんが誰かを傷つけても、全員デア・サブマで治療して救ってみせます!”
マギアスは痛みの淵で起き上がろうとする杏里を見た。
”なのでマギアスさんは殺戮兵器にはなりません。ただの可愛い魔法使いです”
「可愛くない!!」
『ブチンッ――――』
マギアスのアンチヴォイスと共に大きな音を立ててネックレスのチェーンは千切れた。当然本人も驚いたが杏里も含めて周囲に居た人間が全員目を丸くしていた。
「魔法使いのネックレスが外れた・・」
「そんな事あり得ないだろ!!?」
「ってか、あいつ魔法使えるのか?」
・・・・・
・・
一人の女子高生の内心世界に眠る慈しみは温度を上げる。
「――そんな焔じゃ、本質を燃やせはしない」
少女は目を閉じ連想する 音も熱も全てがすぐそこに存在している
万物の礎が心に集約した
「すぅ・・・・・アエリオ・ケオ・フレイム!!!!」
少女の掌が原子という粒子で重なり合い透明な空気の中に赤みが増していく。
『ボォオオオオオオオオ』
徐々に大きくなる赤みは熱を帯び、やがて大きな柱になり天空と繋がるのではないかという錯覚を起こす位延びていく。
『ドガァアアアアン――』
まるで意思を宿したかの様な炎は閃光と共に後方に停車していたエレオスブルグの国旗が付けられたワゴン車に引火して次々と大爆発を起こす。
「我等の車が!」
『ガシャアアン――』 『パキィイイン――』 『パァアアアアアアンッ――』
更に朱色の縦横無尽に動く残像は男達が持っていた火炎瓶を突き抜け爆発を起こし、破片が四方八方へと飛び散って行く。
「熱っちぃいいいっ!」
逃げようとする男達や次々に起きる爆発に杏里は気を取られていた。
「・・・・・」
「こっちへ、早く!」
マギアスが炎を出しながら急いで杏里を呼び込むと手に力を込めた。すると火柱は更に大きくなり男達を取り囲む。
「おい、俺たちを殺す気か!!?」
「未だ・・改革の途中に死ぬ訳には」
「いや、国家のために信念のを貫いたのだ。我が生涯に悔いなし!!」
男達が目の前の炎に覚悟を決めて目を瞑る・・
・・・・
・・・
・
『ウィイイイイン――』
「放水開始!」
『ザバァアアアアアア』
消防車のサイレン音がして消化ホースから大量の水が放たれる。
「あれ?」
「・・さっき警察と消防を呼んでおいたからその炎は次期に消えるわ。どちらにせよ貴方たちは死なないよ、何故ならエレオスブルグにはやる気が異様に高い診療所があって何でも治療してしまうのだから・・」
顔色一つ変えずに冷静な声で喋る少女は自分の掌を見た。
「・・あれ?そういえば私・・魔法を・・・使えた?」
「マギアスさん・・」
少女のか細い手に別の暖かい手を振れる。
「ありがとう」
「!!?っ」
ニコニコと笑いながらお礼を言う杏里の爽やかさに安堵と喜びと照れの感情が入り混じり、マギアスは頬を赤らめて俯く。
「いえ・・私はただ・・・その・・ぶつ・・ぶつ・・でも――」
マギアスの足元がフラつく。
「マギアスさん、大丈夫!?」
「頭がちょっとクラクラします・・」
「MPを消費し過ぎちゃったのかな?」
「でも、大丈夫。それよりも非難の誘導を」
「・・わかった。さっきの女の子の旦那さんを探さないと・・」
燃える路上を奥へ・・奥へとかき進むとマギアスもふらつく足どりで急いで後を追う。
「あっ――」
角を曲がった時の事だった。
「ったく、てめぇの人生なんだからてめぇの足でちゃんと歩けよ!」
若い男性に肩を貸す白衣を着た中年男性が一人。
「矢沢先生!」
「何だ、杏里じゃねぇか。お前はいつも渦中の中に居やがるな」
「奥の方は?」
「大丈夫だ、みんなちゃんと逃げたぜ!」
被害が少なかった事に杏里はホッと胸を撫で下ろす。
「ところで先生、何でこんなところに?」
「レンタカーに貼ったシールの件で謝罪に行ってたんだよ。で、謝罪に行くためにまた別口からレンタカーを借りた帰り道に巻き込まれてコレ、ROCKな展開!」
矢沢先生がレンタカースパイラルを語る隣で担がれている男性は辺りをキョロキョロと見回す。
「妻と娘とはぐれてしまって・・探しに行かないと・・痛っ」
必死に進もうとするも、足を一歩動かしただけで激痛に顔を歪ませる。
「私も肩を貸します」
杏里がもう片方の肩に入り、足の衝撃を緩和させて火の粉の飛ぶ道を一歩々進む。
「頑張れよ、諦めたらそこまでなんだからよ。でも這ってでも諦めなければどうにかたどり着けるって相場は決まっている」
「さっきお父さんとはぐれてしまった女の子に合ったんです。きっとその子も同じように探しています。私達も頑張って探しましょう!」
「すいません・・ありがとうございます」
励ます二人に後押しされて、痛みに耐えながら歯を食いしばる男性をマギアスは不思議そうに見ていた。
死や恐怖に反発する活力は一体どこから湧いてくるのか?
たった三人がゆっくりなペースで歩いているだけなのに、その背中はとても力強い。
「お父さんっ!」
声に感化されるように顔を上げると、花屋の前で先程杏里が助けた女の子が立っていた。
「・・娘ですっ、うちの娘が!!」
足を引きずりながら突き進もうとして息遣いが荒くなる父、見かねて駆け寄る母子は目に涙を浮かべている。
「お父さん」
「ごめんな恐い思いさせて・・」
デア・サブマの人間に魔法は使えないが、モラルが成り立つ法則は知っていた。
「うん、うん!家族はこうでなくっちゃ!」
一家三人が抱きう姿を杏里がにこやかに眺めていると、奥の方から救急車のサイレンの音がする。
「インホスのお出ましか」
そう言うと矢沢先生は皆に背を向けて来た道へと戻って行く。
「あの・・ありがとうございました」
「・・こういうのはハッピーエンドって相場が決まってんだよ。そこんトコ宜しく!」
家族の礼に対して手だけを上げて格好つけるも、内心レンタカーが心配で気が気では無かったのか?曲がり角に差し掛かると全速力で走り始める。
すると丁度入れ替わりで救急救命士たちが現れ、一家を救急車の方へと連れて行き介抱を始めた。その様子を見届けた杏里はエアバイクの方へと歩きだす。
「さぁて、ここはインホスがやってくれるはずだから私達も行こうか」
「え・・どこへ?」
軽快なステップでふらついたままのマギアスの手を引く。
「熱いから涼みに行きたいな!」
『カチャ・・ブロロロロロ――』
エアバイクのエンジンを吹して再びマギアスを後部座席に乗せ、夜の高速に乗ると、さっきまで封鎖されていた道路が開通している。
「良かった!まだ警官がいっぱい居るけど通れそうだよ!」
「あのぉ、深夜徘徊したら親に怒られてしまいます・・」
「え?聞こえないよ。わたし警察じゃないし」
「聞こえてるじゃないですか!」
ふてくされながらマギアスはポケットから取り出した携帯端末を使い、何やら文字を打ち込んでいる。
《緊急任務でテロリストの鎮圧部隊として駆り出されました。無事解決しましたがこのあと実況検証など部隊作業がありますので、防衛相の方で泊まり込みになります。恐らく帰りは朝になりますが心配しないでください》
「これで良し!・・でも、この方向・・・」
このルートは自分の住んで居る街から出る事になる。
何故わざわざそんな事をする?
この街に無い物が在る場所へ?
そんな事を考えている少女を乗せたエアバイクは勢いよく走りだした――