カルテ3:イデアの憂鬱
ルイ 22歳 研修医 A型 座右の銘「成せば成る。・・2/3くらい」
「たっだいまぁああああ!!!」
デアサブマの診療室に杏里の元気な声が響き渡る。
「杏里さん大きな声がは他の患者様のお体に障ります!」
診療室の戸を開けると書類を整理しながら冷静に構えている青年が居る。
「あぁ、ごめんね!ルイ君。サイレント只今の約束だったね。そういえば留守中何か変わった事とか、変わった夢を抱いているとか、変わった世界に漂流したとか無かった!!?」
「一つもありませんでしたね」
このルイという名の冷静な青年はデア・サブマで預かる事になった研修医である。
学生時代から頭脳明晰、シャープな輪郭の容姿端麗、しかも別地に医者である親が建てた個人医院も在り、将来を約束された若きエリート。
地元の医大を卒業後、2年の研修プログラムとしてインホスを希望したものの本人の希望に反してデア・サブマに送り込まれて来てしまった。
「杏里さんは置いといて矢沢先生、是非カンファレンスを」
「おい、杏里。巡回行ってくらぁ」
カンファレンスとは簡単に言えば患者の検討会の事である。
担当患者の簡潔なプロフィールから始まり、症状の説明や改善案を出して患者の治療方針を導き出していく話し合いで、大きな病院では治療をする上で頻繁に行う重要な会合だ。しかし矢沢先生はまるで瑠唯の発言を無視するかの様に診察室の外へ出て行ってしまった。
「あっ、矢沢先生」
ルイが急いで玄関まで追いかけるが、矢沢先生は自転車でどこかへ出かけてしまった。
「行ってらっしゃいませー!お土産忘れないでねー!!」
手を振る杏里の後ろでルイは矢沢先生を睨みつけて歯を噛みしめる。
「いったい何時になったらあの人は僕と向き合ってくれるというんだ!このままじゃ折角の研修期間をドブに捨てるようなもんじゃないか・・そもそも僕の何が気に入らないと言うんだ、ゆとりか!?あの人からみたら僕はやる気のないゆとり世代の人間か!!?だとしてもぶっきらぼうな態度を取らないでハッキリと言えばいいじゃないか・・ぶつ・・ぶつ・・」
サラサラの髪をかき分け少々興奮したような仕草でルイはと部屋の中を戻って行く。
「ルイ君落ち着いて、大丈夫っ。今日もルイ君はホロマリン漬けにして保存したいくらい格好良いよ!」
「杏里さん、それは喜べないっすよ」
納得の行かない表情で椅子に腰かけるルイは溜め息をついた
『バチンっ――』
杏里がニコニコ顔で景気良くルイの背中を叩く。
「痛っ!!」
「ほらほら、そんな溜息をついてたら治せる物も治せなくなっちゃいますって・・そろそろ次の患者さんも来ますよ」
再び院内にパタパタとした足音が響き渡ると杏里は振り返ってウィンクした。
「今ので絶対紅葉まんじゅう出来ましたよねっ!!?」
「いや、全然可愛くないっすよ」
・・・・
・・
・
その頃マギアスは街の中心部に建てられている魔導防衛所という巨大施設の中に居た。
防衛省の管理下である自衛隊の魔法使い版の様な組織で、才覚のある若者を早めに取り込んで軍の魔導部門の候補生として育成する。
マギアスもその一員であり、学校が終わるとすぐに防衛所内の訓練場へと向かう。
「よし、それではマギアス。あの的へ向かって炎を出してみろ」
鏡張りのモニター越しに太い教官の声が四方コンクリートで遮られた部屋の中で響き渡たった。
「はい・・」
すると制服姿のマギアスは胸元に下げていたネックレスを外し、目を閉じて詠唱を始める。
瞼を閉じた暗い世界で炎の元素記号を丁寧に思い浮かべ、空気の中で燃える状態をイメージする。
(…くっ)
しかし、念じようとすればする程に学校での出来事が頭の奥を渦まいてしまう・・。
回答を全て書いたノートを貸したり、世間話に相槌をうってみたり、それなりに協調性を見せようとするが、関係を持てば持つほど何故か同級生との距離は増す。
『アイツ何気に絡みづらい』
『どうせ、内心小バカにしてんだろ?』
『あの目がウザい』
『pjうぇいdj』
『lkんんdこああsscdfを』
『kんfdcsんfkんふぉknDZKLFNCsoancfosncfkncflkNZCnsお:』
実際の会話など思い出せない位ぐにゃぐにゃになった言葉はマギアスの胸を締め付けて心の中のインスピレーションを邪魔する。
「おい、まだ準備出来ないのか!?」
「・・っ!」
上部のスピーカーから流れる怒り声でマギアスは慌てて我に返る。
「あ、はいっ・・アエリオ・ケオ・フレイム!《気体を燃やす炎》」
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
何も起きずに沈黙が部屋の中を支配して少女の頭の中は真っ白になった。
「マギアス、何をやっている。しっかりしろ!」
「な・・何故!?・・フレイム!フレイム!!」
何度唱えても炎どころか煙も出てくる気配は無く、マギアスの表情からは焦りが伺える。
「く、何故出ない!フレイム!・・フレイムッ!!」
「もういいマギアス。今日は調子が悪いのであれば体調を整えて後日、再訓練だ」
「・・でも、私はっ」
「マギアス、聞こえなかったか?今日の訓練は終わりだ」
「・・・・・はい」
俯いたまま空返事をすると少女は悔しさで歯を噛みしめた。力なくネックレスをつけ直し、厚く重苦しい部屋を出た。
廊下では他の訓練生たちが達成感に溢れた顔で流した汗をタオルで拭いていて、チラチラと目線が合わさる。
(何で私を見るの!?何なのその眼は!)
教室に居る時の様な視線を感じる。疎ましく思われ、もしかしたら自分の知らないところでまた何か言われているのかもしれない・・。
実際はたまたま目が合ったりと単純なものだったが、神経が擦り減りナーバスになっているマギアスにとって苛立ちと恐怖心が合わさった何とも不快な感覚で、眉間にシワを寄せると挨拶もせずに外へ出てしまった。
・・・・・
・・・
防衛所から一歩出ると、ついさっきまでの出来事を何も知らない街は賑わいで溢れている。エレオスブルグ程の大都市となると様々な文化がお互いの存在を交えて生活を行って居るのだ。
透明なモニターにタッチして小難しい社会情勢の動向を伺う幾何学的な集団も居れば、一つ谷を越えれば竜に乗って狩りをする集団も居る、此処はまさに人種にるつぼという言葉をそのままにした場所。
街の中央に聳えたつ巨大な時計塔をシンボルにレンガ調の建物からコンクリートのビルまで立ち並び、アスファルトの道路には自身と同じ様な年頃の学生からスーツ姿のサラリーマンに鎧を着た剣士、ローブを身に纏った魔道士達と様々な役職を持った人間達が交差点で混ざり合う。
そこから何となく上を見回せば国鉄列車が走っているがこの列車の電力は魔導エネルギーによって支えられている。
もしマギアスの配属先が魔導研究所の方であれば都市開発部門で街をより良くするための研究が出来たが、現所属はあくまでも魔導防衛所。
国家に侵入者や反乱、乱戦の危機があれば彼女達が率先して戦わなければならない。
特に八芒星ともなればいずれは魔導軍のリーダーとして現場を引っ張って行く義務が生じる。
「はぁ・・」
ため息をつくのも無理はない。
何故なら炎を出す事など修練生でも出来てしまう軽度の下級呪文であり、八芒星のレベルであればあの訓練室の壁を全て焦がす位の炎など容易く出るはずなのだ。
「私は本当にどうしてしまったというの?」
掌を見つめても答えなど出て来る訳も無いまま、皮肉にも街灯についている受け皿の部分から日暮れを知らせるための炎が出て来た。
人々を照らす赤色が少女の劣等感までもを強く炙り出す。
『チリン、チリン――』
蜩や鈴虫の代わりに遠くから鳴り響く自転車のベルの音がどんどん大きくなって来るも、項垂れているマギアスは他人事の様に見向きもしない。
「危ねぇっ!!」
「・・!!?」
男の大きな声に反射的に振り向くと大きくなるベルの音と共に自転車の前輪が迫る。
「きゃぁああっ!」
『キィイイイイイ――』
マギアスの前で急ブレーキが踏み込まれると摩擦を帯びながらブレーキ痕をクッキリ残し、軽い砂埃を立ててギリギリの所で止まった。
「おう、おう、おうっ!!ボケーっとしてると危ねーぞ!ってアンタは朝の・・」
爆走させていた自転車を止め、向かい合い罵声を飛ばしたのは矢沢先生である。
「・・・・・っ!」
そんな理不尽な言葉に沸点が低くなっているマギアスは思い切り睨みつけた。
「いや・・おま・・睨みって・・・」
「・・・・まずは謝罪が先では無いのですか!?」
「・・・・スマン」
夕暮れも大分深みを増してくる中――
人混みの街中を矢沢先生は自転車を押しながら進む。
たまたま進む方向が一緒だったマギアスも隣で黙んまりを決めながら、ただ前だけを見て歩き続けていた。
「アンタ魔導防衛所の人間だったのか。そりゃあMPを消費するわな」
「・・・先生の方こそ、こんなところまで健康診断で回っているんですか?」
「あぁ、無料奉仕で金にはならんとろがROCK過ぎるが・・」
「それで小道を通るために自転車を?それとも金策が苦しくて?」
奉仕活動という崇高な志に少しだけ興味を示したのか?マギアスが顔を上げる。
「半分正解だ。金が無いのは事実だがメタボ対策でチャリを使っている。酒飲むとどうしても腹が出てきてな」
予想していた爽やかな回答とは真逆の結果にマギアスは再び顔を下げ、髪の毛が横顔を表情ごと隠した。
「・・気楽なものですね。あの看護師といい・・・」
何の躊躇も別れ言葉も無いまま、マギアスはT字路を曲がり矢沢先生とは別のルートを通る。
「杏里の事だが・・」
「・・?」
後方から聞こえる矢沢先生の声に引き止められた。
「アイツは馬鹿で能天気で凶悪な胡散臭さを持っているが、治療には懸命だ!何か悩みがあったらアイツなりにも全力で乗るだろうよ・・まぁ、余計な事だったら忘れてくれ、あぁ思春期めんどくせっ!」
矢沢先生はシルバーのママチャリのペダルに力を入れた。
一人残されたマギアスは胸に下げていたネックレスを見つめる。
魔法使いは国内での魔術のテロや横行を避けるために能力を制御する装置を身に着ける義務がある。
ブレスレットや首輪、ピアス型などたくさん種類はあるがマギアスはネックレス型の装置を身に付けている。
「・・あのっ!」
今度はマギアスの声が矢沢先生の背中を止めた。
・・・
・・
・
その夜、一日の仕事を終えて診療所近くのアパートへ帰った杏里は早々に家事を澄ませ、2階のベランダから星の輝く空を見ていた。
夜は冷えるので大好きなココアを手に持って日課の天体観測をしている・・が、観測と言っても望遠鏡などを持っている訳では無く決して本格的なものでは無い。
星空を眺める事で彼女は一日の出来事を心の中で上手く処理して、必要な情報を記憶として整理していくのだ。
『マギアス・ストレーガ』『自律神経失調症』『保健室での出来事』
「マギアスさん・・大丈夫かな?」
・・・・・・・・・
「あのぉ・・」
ベランダの下から声がするので杏里は体を乗り出して玄関の辺りを覗く。黒い髪に魔術学校のブレザー、見覚えがある。
「そうそう、そういえばマギアスさんもあんな感じの出で立ちでさ」
「あのぉ・・マギアスですけど・・」
「そうそう、マギアスさんもあんな感じで喋り方で・・・ぶふぅっ!!」
思いがけない来客に杏里が乗りツッコミを発動させて飲みかけのココアを吹くという、この上なくベタなリアクションをとってしまった。
「・・・・・・」
マギアスは杏里が吹き出してブレザーに落ちて来たココアのしぶきを冷静にハンカチで拭き取ると、黙って杏里を見上げる。
「ど、どうしたの?こんな遅くに」
「・・・・・・」
三日月が輝く中、マギアスは物言いたそうに口をもごもごさせながら杏里を睨みつけた。
続く